1940年〜50年代のアメリカ政府とメディアのプロバガンダのフィルムを、「エディトリアル・ドキュメンタリー」という手法で編集した映画「アトミック・カフェ」。メディアリテアシーなんて言葉もない時代の映像だ。なんたって「放射能にはまったく問題がない」−こんな台詞で軍事教育をするから、兵隊たちはイソイソきのこ雲(威力は小さい)へ突進していくことができる。「アトミック・カフェ」は、こうした情報を知る手掛かりとなる。
「放射能にはまったく問題がない」−どこかの国の原子力発電所でも使われていそうな言い回しだな。はっきりいって、この台詞を笑える日本人がいるだろうか。いまもって、同じレベルで「-----にはまったく問題がない」と、自分たちが関心のない事柄には安心しきっている国民じゃぁないか。
日本だって、戦争反対の思想の持ち主を「非国民」として、町内中で嫌がらせ。だいたい第二次世界大戦の日本国民は、「非国民」と呼ばれるのが怖かったから戦争賛成したのだろうか。そうじゃないだろ。プロバガンダもあり、「一致団結」という精神もありだ。だから槍で空を突くような訓練も、なんの疑いもなく参加したのではないか。そして兵器の違いに、はじめて恐怖を感じたのではないだろうか。
それは、旧ソ連も所有するようになった「核」への恐ろしさに気がついたっていうアメリカのような感覚だ。
アトミック・カフェをみて、映画のテクニックやブラックユーモアに感嘆したり、アメリカ兵士に同情するようじゃ立派に洗脳されているかも。この映画から、何が大切で何が重要なのかということを、日本人として考えることだ。
それは
「原爆ゆるすまじ」ではなかろうか。