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前記事「マティアス・グリューネヴァルト イーゼンハイム祭壇画と十四聖人の祭壇画」で紹介した第一面の詳細記事である。

僕なりの解釈で解説ではないのでご承知おきを。

※よく「解答、解説」を探している方が多いですが、絵画というものは鑑賞する側によって解答は違っても良いと思っていますので、あくまでも「絵の中」から自分が「?」と思うところに自分なりの解読と解釈をして、専門書やメディアからの情報ではないので引用はお控えください。


マティアス・グリューネヴァルト イーゼンハイム祭壇画 第1面(平日面) 1511−1515




illum oportet crescere me autem minui (ヨハネ3-30)
あの方は盛んになり、私は衰えなければならない。


illum oportet crescere me autem minui (ヨハネ3-30)
あの方は盛んになり、私は衰えなければならない。

マタイの福音書3-4にバプテスマのヨハネの記述がある「このヨハネは、ラクダの毛衣を着物にし、腰に皮の帯をしめ、いなごと野密とを食物としていた。」

描かれているバプテスマのヨハネはどの福音書でも最初に登場する。聖母マリアの親戚エリザベツの息子ヨハネ。イエスより先に殉教していたバプテスマのヨハネが、キリスト磔刑に大きく描かれている。
マルコによる福音書
1-2.預言者イザヤの書に、「見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの道を整えさせるであろう。」

1-3.荒野で呼ばわる者の声がする。「主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ」と書いてあるように、

1-4.バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えていた。

バプテスマのヨハネの登場で、イーゼンハイム祭壇画は「キリストの洗礼」と「キリストの復活」も示しているといえる。

よく解説などで、ユイスマンに倣うように「キリストの苦しむ姿が疫病に苦しむ人々、臨終をむかえる人々への恐怖を払うために描かれた。」と書いてあるのを見かけるが、たしかにそうだろうが、グリューネヴァルトは、バプテスマのヨハネのキリストの洗礼からはじまる告白のほかにもっと何かが隠されていると解釈した。

まずはバプテスマのヨハネの斬首のはじまり。

ヘロデは、イエスの噂を聞く。
マタイ14-2 「あれはバプテスマのヨハネだ。死人の中からよみがえったのだ。それで、あのような力が彼のうちに働いているのだ」

バプテスマのヨハネ(洗礼者ヨハネ)の「洗礼」は、悔い改めた者を「新たに復活した生きる者」とする。イエスは贖罪の犠牲で十字架に死に、キリストとして生きる。

十字架磔刑のときには殉教していたバプテスマのヨハネが、ここで復活し、「あの方は盛んになり、私は衰えなければならない。」とイエスを指している。

そしてバプテスマのヨハネの洗礼を受けたイエスの死後、キリストとしての復活を予言させている。これが「キリスト復活」の一つ目の解釈。



Ecce Agnus Dei, ecce qui tollit peccata mundi (ヨハネ1-29)
見よ、世の罪を取り除く神の小羊

キリストの血が流れ腐乱した足元には、キリスト教の図像学に基づいた贖罪の生贄を象徴する「神の子羊」がイエスを示し、ヨハネによる福音書1-29にあるとおり、イエスの洗礼を象徴している。

Ecce Agnus Dei, ecce qui tollit peccata mundi
見よ、世の罪を取り除く神の小羊

聖体と聖杯を会衆に示す聖餐式だ。十字と聖杯の図像学のとおり、子羊は聖杯に血を注いでいる。

バプテスマのヨハネ(洗礼者ヨハネ)は、イエスより先に首を斬られている。つまり十字架の磔刑以前の殉教者であり、その殉教者を描いているところは「キリストの洗礼」の場面ということになる。

"Questi era colui di cui dissi: "Colui che viene dopo di me ebbe la precedenza davanti a me, perché era prima di me"" (ヨハネ1-15)

「わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先におられたからであるとわたしが言ったのは、この人のことである」。

さらにテクストが書き込まれている「あの方は盛んになり、私は衰えなければならない。」というのは、イエスが洗礼をヨハネから受けるまでは、バプテスマのヨハネが、マルコによる福音書の第1章にあるようにバプテスマ(洗礼)を伝えていた。

バプテスマのヨハネが予言した「後に来る方」というのがイエスであり、ヨハネは洗礼をし、ヨハネの弟子たちに「あの方は盛んになり、私は衰えなければならない。」と諭したわけだ。

人々をキリストに導くためのイエスの先駆者(前駆授洗者)である。

洗礼者ヨハネは、イエスの洗礼のあとヘロデ・アンティパスに投獄され、斬首される。マタイ福音書第14章にあたる。

マタイ14-8
すると彼女は母にそそのかされて、「バプテスマのヨハネの首を盆に載せて、ここに持ってきていただきとうございます」と言った。

彼女とはヘロディアの娘だ。オスカー・ワイルドの「サロメ」のことだ。



すべてが終った ヨハネ19-30
わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。 マタイ27-46


もともと「さかしま」の著者ユイスマンが、施術を受ける者たちにキリストの腐乱した肉の苦しみの果てを具現化することで、施術の痛みと死の恐怖を払う役目を担っているというようなことを書いていた。

つまりイーゼンハイムの祭壇画は「炎のような舌」をもって、修道院の付属療養院の施術を疫病の人々が受け入れるよう「腐乱した肉の苦しみ」を切断させるために、一人一人に降臨させたということだろう。

だが、バプテスマのヨハネが左側の3人に対して一人大きく描かれているのは、他の役目を担っているのではないか。「キリストの洗礼」からの告白に、見逃せない箇所がいくつかある。

jam enim securis ad radicem arborum posita est omnis ergo arbor quæ non facit fructum bonum exciditur et in ignem mittitur
マタイ 3-10.斧がすでに木の根もとに置かれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ。

ego quidem vos baptizo in aqua in pænitentiam qui autem post me venturus est fortior me est cujus non sum dignus calciamenta portare ipse vos baptizabit in Spiritu Sancto et igni
マタイ 3-11.わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。

cujus ventilabrum in manu sua et permundabit aream suam et congregabit triticum suum in horreum paleas autem conburet igni inextinguibili
マタイ 3-12.また、箕を手に持って、打ち場の麦をふるい分け、麦は倉に納め、からは消えない火で焼き捨てるであろう」。

二つの裁きをバプテスマのヨハネが断言している。一つ目は「良い実を結ばない木は斧で切断される」だ。つまりここからの引用で、イーゼンハイム祭壇画が聖アントニウス会修道院付属施療院でライ麦の病害「聖アントニウスの火」によって、手足を切断する斧を示すことができたのではないか。

二つ目の「打ち場の麦をふるい分け、麦は倉に納め、からは消えない火で焼き捨てる」からの引用も、「聖アントニウスの火」(麦角中毒)で手足を切断された、あるいは切断しなければならない人々を示すことができたのではないか。1本の麦と殻を一人の人間にたとえて、殻(手足)を取ると。

マタイの引用も「キリストの復活」を妨げない。だが、もしかするとマタイの福音書へ誘導するためだったんだろうか。それとも麦角中毒者には混乱させる告白だったのか。

illum oportet crescere me autem minui (ヨハネ3-30)
あの方は盛んになり、私は衰えなければならない。

autem post me venturus est fortior me (マタイ3-11)
わたしのあとから来る人はわたしよりも力のある方で

このバプテスマのヨハネの告白はマタイの福音書3-11の「わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで」に相応する。だがヨハネの福音書にはこのふたつの裁きはない。

僕の解釈で「キリストの洗礼」、「キリストの復活」が暗示されていると同時に、二つ目の解釈としてマタイの第三章がここに密かに埋まっていると考えたわけです。






マティアス・グリューネヴァルト キリスト磔刑
ユイスマンが「盗賊のようなキリスト」と評論したイーゼンハイムのキリスト
ユイスマンが「卑俗な(貧者の)キリスト」と評論した旧カールスルーエのキリスト


マティアス・グリューネヴァルトの祭壇画の「キリストの磔刑」については「彼方」、「三つの教会と三人のプリミティフ派画家」で評論している。

1888年、タウバービショフスハイムの祭壇画(旧カールスルーエ祭壇画と呼ばれていた)の「キリスト磔刑」をはじめてみた。マティアス・グリューネヴァルトの晩年の作品である。

ユイスマンは「カールスルーエのキリスト磔刑よりは恐ろしくない」と語っているのが、イーゼンハイム祭壇画 第1面の「キリスト磔刑」だ。

1903年にユイスマンは「イーゼンハイム祭壇画」を見る。

「コルマールの人として神なるものは、いまや絞首台にかけられた一介のあわれな盗賊に過ぎない。」と評している。


ジョリ=カルル・ユイスマンが唯一絶賛したのがこの弓状に描かれた白衣のマリア。

記事 グリューネヴァルトの聖女たち

ユイスマンはグリューネヴァルトのイーゼンハイム(コルマール)のキリスト、タウバービショフスハイム(カールスルーエ)のキリストを穢らわしいものとして蔑む評論で、「盗賊のようなキリスト」、「卑俗な(貧者の)キリスト」と扱ったが、信仰がなかったわけではない。

貧富の差別で穢らわしいものとして蔑む心のありようを「罪」としている洗礼者ヨハネだが、ユイスマンはグリューネヴァルトの洗礼者ヨハネを野武士の一人としている。

そのあわれな盗賊のキリスト、野武士の洗礼者ヨハネ、そして聖なる美と絶賛した聖母を抱きかかえるのはユイスマンが落伍者の烙印を押した聖ヨハネ。

そしてマグダラのマリアはベールに半分顔を隠し、その顔は涙で腫れあがっているようだ。

福音書によっては、磔刑のキリストを見守る人々は様々だが、マルコによる福音書の第15章40節には「マグダラのマリヤ、小ヤコブとヨセフとの母マリヤ、またサロメがいた」とある。ルカによる福音書第23章にはサロメの義父ヘロデが磔刑の日に立ち会っている。とすればサロメがいてもおかしくはない。


ユイスマンは芝居がかったものを嫌悪している気がしてならない。大げさなポーズ、大げさな苦しみの表現である。

だが、マティアス・グリューネヴァルトは本来の人間が磔刑で死する場面をリアルに描いていると思う。腫れあがった手足、緑色の皮膚、鞭打ちの傷に災いの棘(茨の棘だろうか?どの福音書にも茨の鞭とは書いていない)、腐乱していく肉体。

この苦しみを太い釘で手足を打ち付けられて、どんな顔ができるものか。

十字架上でイエスは聖母に声をかける。

ヨハネ19-26
.イエスは、その母と愛弟子とがそばに立っているのをごらんになって、母に言われた、「婦人よ、ごらんなさい。これはあなたの子です」。

死の最中に聖ヨハネに聖母を託すイエス。死後は聖ヨハネが聖母を引き取った。

こうしたキリストをグリューネヴァルトは人として描いている。ユイスマンが酷評する度に、ユイスマンがどれだけこのキリストに魅せられているかも理解できる。





「キリスト哀悼」


ここには斬首されたバプテスマのヨハネの亡霊はもういない。キリストの遺骸と生きている3人だけ。疲労と苦しみに悶えたマグダラのマリアには美しさが消えている。聖母の聖なる美しさは着え、苦しさの余韻だけを残し、人としての母親の姿であり、聖ヨハネは傍役を演じ続けている。足元には茨の冠。




ヨハネ 第19章

ヨハネ19-25.さて、イエスの十字架のそばには、イエスの母と、母の姉妹と、クロパの妻マリヤと、マグダラのマリヤとが、たたずんでいた。

26.イエスは、その母と愛弟子とがそばに立っているのをごらんになって、母に言われた、「婦人よ、ごらんなさい。これはあなたの子です」。

27.それからこの弟子に言われた、「ごらんなさい。これはあなたの母です」。そのとき以来、この弟子はイエスの母を自分の家に引きとった。

28.そののち、イエスは今や万事が終ったことを知って、「わたしは、かわく」と言われた。それは、聖書が全うされるためであった。

29.そこに、酢いぶどう酒がいっぱい入れてある器がおいてあったので、人々は、このぶどう酒を含ませた海綿をヒソプの茎に結びつけて、イエスの口もとにさし出した。

30.すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、「すべてが終った」と言われ、首をたれて息をひきとられた。

31.さてユダヤ人たちは、その日が準備の日であったので、安息日に死体を十字架の上に残しておくまいと、(特にその安息日は大事な日であったから)、ピラトに願って、足を折った上で、死体を取りおろすことにした。

32.そこで兵卒らがきて、イエスと一緒に十字架につけられた初めの者と、もうひとりの者との足を折った。

33.しかし、彼らがイエスのところにきた時、イエスはもう死んでおられたのを見て、その足を折ることはしなかった。

34.しかし、ひとりの兵卒がやりでそのわきを突きさすと、すぐ血と水とが流れ出た。

35.それを見た者があかしをした。そして、そのあかしは真実である。その人は、自分が真実を語っていることを知っている。それは、あなたがたも信ずるようになるためである。

36.これらのことが起ったのは、「その骨はくだかれないであろう」との聖書の言葉が、成就するためである。

37.また聖書のほかのところに、「彼らは自分が刺し通した者を見るであろう」とある。

38.そののち、ユダヤ人をはばかって、ひそかにイエスの弟子となったアリマタヤのヨセフという人が、イエスの死体を取りおろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトはそれを許したので、彼はイエスの死体を取りおろしに行った。

39.また、前に、夜、イエスのみもとに行ったニコデモも、没薬と沈香とをまぜたものを百斤ほど持ってきた。

40.彼らは、イエスの死体を取りおろし、ユダヤ人の埋葬の習慣にしたがって、香料を入れて亜麻布で巻いた。

41.イエスが十字架にかけられた所には、一つの園があり、そこにはまだだれも葬られたことのない新しい墓があった。

42.その日はユダヤ人の準備の日であったので、その墓が近くにあったため、イエスをそこに納めた。

マタイ第27章

マタイ27-35.彼らはイエスを十字架につけてから、くじを引いて、その着物を分け、

36.そこにすわってイエスの番をしていた。

37.そしてその頭の上の方に、「これはユダヤ人の王イエス」と書いた罪状書きをかかげた。

38.同時に、ふたりの強盗がイエスと一緒に、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけられた。

39.そこを通りかかった者たちは、頭を振りながら、イエスを罵って

40.言った、「神殿を打ちこわして三日のうちに建てる者よ。もし神の子なら、自分を救え。そして十字架からおりてこい」。

41.祭司長たちも同じように、律法学者、長老たちと一緒になって、嘲弄して言った、

42.「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。あれがイスラエルの王なのだ。いま十字架からおりてみよ。そうしたら信じよう。

43.彼は神にたよっているが、神のおぼしめしがあれば、今、救ってもらうがよい。自分は神の子だと言っていたのだから」。

44.一緒に十字架につけられた強盗どもまでも、同じようにイエスをののしった。

45.さて、昼の十二時から地上の全面が暗くなって、三時に及んだ。

46.そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。

47.すると、そこに立っていたある人々が、これを聞いて言った、「あれはエリヤを呼んでいるのだ」。

48.するとすぐ、彼らのうちのひとりが走り寄って、海綿を取り、それに酢いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした。

49.ほかの人々は言った、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」。

50.イエスはもう一度大声で叫んで、ついに息をひきとられた。

51.すると見よ、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。また地震があり、岩が裂け、

52.また墓が開け、眠っている多くの聖徒たちの死体が生き返った。

53.そしてイエスの復活ののち、墓から出てきて、聖なる都にはいり、多くの人に現れた。

54.百卒長、および彼と一緒にイエスの番をしていた人々は、地震や、いろいろのできごとを見て非常に恐れ、「まことに、この人は神の子であった」と言った。

55.また、そこには遠くの方から見ている女たちも多くいた。彼らはイエスに仕えて、ガリラヤから従ってきた人たちであった。

56.その中には、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、またゼベダイの子たちの母がいた。

57.夕方になってから、アリマタヤの金持で、ヨセフという名の人がきた。彼もまたイエスの弟子であった。

58.この人がピラトの所へ行って、イエスのからだの引取りかたを願った。そこで、ピラトはそれを渡すように命じた。

59.ヨセフは死体を受け取って、きれいな亜麻布に包み、

60.岩を掘って造った彼の新しい墓に納め、そして墓の入口に大きい石をころがしておいて、帰った。
61.マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓にむかってそこにすわっていた。

キリスト磔刑はマルコによる福音書では第15章、ルカは第23章だ。ルカでは「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます。」がイエスの最後の言葉。

| アート | 17:03 | trackbacks(0)

Karlovy Vary City Theatre

クリムトのデザイン 1886
カルロヴィ・ヴァリ市立劇場 緞帳(舞台垂れ幕)


カルロヴィ・ヴァリ市立劇場の装飾で、クリムトが天井画の注文を引き受けるとあるが、緞帳幕があった。室内装飾や絵画はグスタフ兄弟、フランツ・マッチェ、クリムトの弟のエルンストが手がけたらしい。

Klimt design for curtain

クリムトのデザイン 1886
カルロヴィ・ヴァリ市立劇場 緞帳(舞台垂れ幕)


芸術家商会 (Künstlercompagnie) を設立してのウィーンのブルク劇場の装飾と同じ時期。

| アート | 21:54 | trackbacks(0)

John Duncan RSA RSW (1866-1945) The Sneaton Castle Altarpiece

ジョン・ダンカン 祭壇画 記事後半で


楓の書いた記事に「ケルト文化復興」にジョン・ダンカンが加わっていたことを知って、興味がわいたが、よくよく考えてみると、パトリック・ゲデスの「エバー・グリーン」の挿絵が彼だった。

ジョン・ダンカンとは思わなかったし、また挿絵や絵画についての知識が薄かった頃だから全然結びつかないわけ。

19世紀のケルト復興運動には様々な著名人が関わっているが、生物学者、植物学者でもあるパトリック・ゲデスもその一人。エジンバラで社会学をとおして教育者との一面を持っていた。1892年にショーツの展望台として知られていたタウンハウス購入した。ズウェブリンが「世界最初の社会学的実験室」とよんだアウトルック・タワー( OutlookTower)のことで、エディンバラの「展望塔」という都市の研究所にした。20世紀初頭、英国各地と植民地の都市計画に携わる。

エジンバラの文学と芸術においてケルト復興運動の中心だったパトリック・ゲデスとジョン・ダンカン(24歳)が出会ったのが1890年頃。

ジョン・ダンカンは1893年から1897年にかけて旧エジンバラ芸術学校の装飾を任された。大学寮、ラムゼン庭園、ゲデスの自宅の壁画などだ。スコットランドの歴史やケルト神話からの場面の壁画のシリーズである。

そして「エバー・グリーン」は1896-97にかけて4巻(春夏秋冬)のシリーズにわたりジョン・ダンカンの挿絵を見ることができる。カバーはチャールズ・H・マッキーによるもの。



パトリック・ゲデス 「エバー・グリーン」 秋 
バッカスとサテュロス  ジョン・ダンカン


3巻秋にはピエール・ロチの「お菊さん(マダム・クリザンテエム)」のイラスト(ホーネル作)もある。日本の版画の影響が強い「エバー・グリーン」。




The Evergreen pt. 2. Autumn E.A.Honel

 パトリック・ゲデス 「エバー・グリーン」 秋
マダム・クリザンテエム  E.A.ホーネル




秋のイラストは13名。冬のイラストは14名。ジョン・ダンカンは秋ではバッカスとサテュロスのページのイラストを担当。冬ではスフィンクスのページを担当しそのほかの挿絵を14枚。

冬と夏は1895年、春と秋は、1896年に1897年に出版された。



パトリック・ゲデス 「エバー・グリーン」 冬
ジョン・ダンカン 




ジョン・ダンカンは、パトリック・ゲデスと会う以前にイタリアに旅行し、ボッティチェッリ、フラ・アンジェリコなど15世紀のルネサンスに触れて帰ってきた。デュッセルドルフ美術学校に通ったのもその時期。

スニートン城の礼拝堂がジョン・ダンカンの最初の祭壇画(1919)らしい。セント ヒルダズ修道院ノーサンバーランドのための絵画のシリーズでキリストの栄光、四大天使、八北聖人を描いている。



ジョン・ダンカン スニートン城の三連載壇画 中央
キリストの栄光 左右に四大天使ガブリエル、ウリエル、ラファエルとミカエル



左翼 聖ヒルダ、聖オズワルド、聖コールマン、聖エッバ



右翼 聖ブリジット、聖コルンバ、聖エイダン、聖ビー


聖人たちはアイルランド、スコットランドのケルト系キリスト教徒。四大天使はバーン=ジョーンズの「天地創造の6日間」を想像させる。

別ブログでジョン・ダンカンの「ユニコーン」の作品記事を書いた。ケルトにはユニコーン(リンク:兎穴さんのモローのユニコーン)の伝承があったとかなかったとかで、はっきりしない。ケルトに結び付けたかったのか、あるいは別なのか。

1枚はエジンバラカレッジ・オブ・アート 、もう1枚は ダンディー美術館にある。

ジョン・ダンカン おまとめ記事はこちら XAI ジョン・ダンカン 遊びの園

| アート | 15:23 | trackbacks(0)
マーク・トンプソンという名前、案外多い名前のひとつだ。アーティストにも幾人かいる。コロラドのマーク・トンプソンもその一人だが、今回はオーストラリアのマーク・トンプソン。

Mark Thompson Eraring


この二人のマーク・トンプソンの違いは年齢が一つ違う。生まれと住んでいるところが違う。作画も違うが似ているのは名前と他の画家の作品との融合だ。

コロラドのマーク・トンプソンはルネサンス期のヤン・ファン・エイクや、黄金時代のフェルメールを取り入れた独自の作品。

こちらのマーク・トンプソンはマーク・トンプソン・エラリング。

マーク・トンプソン・エラリングの場合は、明らかにそのままわかる作品をコラージュしている。ラファエロ、印象派のマネの「笛を吹く少年」、ハプスブルグ家の肖像、ダヴィッドの「マラーの死」、マリリン・モンローなど。しかも日本の端午の節句の兜や富士山、日本人形を作品に画き込んでいたり。なかにはサロメの構図に似ているとか、正体不明の作品とかの記事。

どちらかといえば、あまりにもナンセンスすぎて、今日紹介の作品はまだわかりやすい。イッポリィト・フランドラン(Hippolyte Flandrin)の「海辺に座る裸体の青年」の改定版ぽく、その上にルイ14世の王妃で、王女時代にベラスケスが描いた「マリア・テレサ(マリー・テレーズ)」、あるいはマリア・テレサ(マリー・テレーズ)の父フェリペ4世に嫁いだ妃マリアナ・デ・アウストリアとも考えられる。だが描かれたドレスはマルガリータ王女のようだ。

記事 ベラスケス没後350年 王妃マリー・テレーズの肖像画

マーク・トンプソン・エラリングの作品のタイトルと制作年数は実際の作品と結びつかなく何が何やら・・・。

| アート | 00:13 | trackbacks(0)

Políptico de Dino Valls titulado Psicostasia, del año 2005

多翼祭壇画 イブ(心臓)の計量 2005 ディーノ・バルス


スペインのリアリズム絵画のひとりディーノ・バルスは、医学と外科の学士号を取得している特殊な経歴の持ち主。

記事 ディーノ・バルス  子羊の解剖学講義

絵画の方は独学らしい。

心臓がマアトの羽根(真実の羽根)よりも重ければ貪り食う幻獣アメミットが右の犬の顔に書き換えられている。

中央では双子のような性別不明の二人が、羽を広げた白鳥なんだか白サギだか→トキかもに抱かれた図は、天使の羽にみえる。

エジプトの「死者の書」にある儀式だ。

Judgement of Osiris / the Weighing of the Heart

オシリスの審判/心臓の計量 大英博物館


冥界の神アヌビス (Anubis)がラーの天秤でマアトの羽根と心臓を量る。アマトが髪に飾るのは駝鳥の羽。

大英博物館のウォリス・バッジが翻訳したアニの「死者の書」は190章から成り、第125章にこの「審判」が書かれている。連れて来られたのは書記生アニ。

42柱の神々の前で42の罪の否定告白がはじまる。

天秤でマアトの羽根と心臓を量られたアニは、針が動くことなく真実と判定された。
追記 saiの記事(ディーノ・バルス その2 必然の女神ネケシタス)を読んで、あっ、やっぱ解読した方がいい?と思った。この記事を書くときには面倒だったので、ラテン語を見てみぬフリをしていた。


右側のラテン語は伝説の錬金術師クリスチャン・ローゼンクロイツ(Christian Rosenkreutz,1378-1484)の残した奥義だと思われる「Visita Interiora Terrae Rectificando Invenies Occultum Lapidem」と書かれていると思われた。

「地球の内部を調査せよ。汝、精溜により賢者の石を見出すだろう。」

でもよく観ると「Visita Interiora Terrae Rectificando Invenies OPΣRÆ(OPΣR/ß?) Lapidem」ってなってない?
さて、もう1枚。

BARATHRUM DINO VALLS

多翼祭壇画 絞首台 2003 ディーノ・バルス


絞首台の階段は十三階段。キリストの最後の晩餐の13人にちなんでいる。右翼、左翼の二人を含め描かれているのは子供を含めて12人の黒い運命。

15世紀のイタリアの画家ピサネロ(Pisanello)の「絞首刑」、16世紀のベルギーの画家ピーテル・ブリューゲル(Pieter Bruegel de Oude)の「絞首台のある風景」(1568)、失われたボッティチェッリのパッツイ家の晒し首吊りの壁画、レオナルド・ダ・ヴィンチの描いた「バルジェッロの窓の晒し首吊り」は有名。

記事 パッツイ家の陰謀 モンテフェルトロの陰謀 ジュリアーノ・デ・メディチの血の日曜日

ディーノ・バルスは「絞首刑の人道問題」にクローズ・アップしたのだろうか。絞首刑はもっとも残酷な処刑のひとつだから。

ディーノ・バルス関連記事 ラス・メニーナスがのぞいた国王夫妻

こんな作品もある sai記事 ルネサンスなディーノ・バルスの肖像画
| アート | 23:06 | trackbacks(0)

The Roll of Fate Walter Crane

ウォルター・クレイン 運命の巻物 1882 個人所蔵


ギリシャ神話の神の中で、背中に羽をつけた姿で描かれるのは、死を司る神タナトス(Tanatos)だ。ウォルター・クレインの「運命の巻物」を持つのはタナトスではないか?

その手にすがりつくような天使って、誰ですか?

受胎告知はガブリエルだったりミカエルだったりするが、ガブリエルは若者の生を司るとも言われているから、ガブリエルにしておこう。

この二人、ウォルター・クレインはちょっと容姿をかえて、他の作品にも登場させている。

The Bridge of Life - Walter Crane

ウォルター・クレイン 生命の橋 1884


「生命の橋」の下では死者にはタナトスが、生を受けた赤ん坊を手渡す天使(ガブリエル?)の二人は、「運命の巻物」と同じように生死を決定している。

まだまだ人生楽しみたい!今年もそして新年も神のご加護がありますように。

ウォルター・クレイン記事
古代英国庭園の幻想的な花々」(1899)
ウォルター・クレイン 眠れる森の美女 いばら姫(眠り姫)
ウォルター・クレイン シェイクスピアの花園」(1906)
夏の女王、あるいは百合と薔薇の騎馬試合 1891
ウォルター・クレイン 壁画 ロングフェローの詩 ヴァイキングの花嫁

どうぞ、よいお年をお迎えください。

| アート | 22:10 | trackbacks(0)

グロスター市庁舎の壁画。チャールズ・アレン・ウィンターの壁画はフランクリン ・ ルーズベルト大統領のニューディール政策で、WPA(公共事業促進局)を設立(1935)したが、そのWPA 壁画コレクションのひとつらしい。

Gloucester, Massachusetts Charles Allan Winters City Council in Session. (Gloucester City Hall)

グロスター市庁舎の壁画 1階ロビー 1937
チャールズ・アレン・ウィンター


チャールズ・アレン・ウィンターは1933年にグロスターに行き、この壁画の制作を手がけたのは、世界恐慌を回復するためのニューディール政策が行われ、1934年には回復するにも賛否両論があったが、その翌年の1935年の二次政策での失業者の雇用と公共事業拡大に付随する芸術家支援の「フェデラル・ワン」。


左「公徳」には画家らしき人物にシスターのような女性と子供たち。右「市役所」には消防士と警察官、そして「聖家族」のような三人に、グロスター市民の親子っぽい二人が描かれている。


いろんな時代に登場するような神話っぽいスタイルの人物など、歴史画と寓意画と集団肖像画をいっしょに描いていて面白いけど。

チャールズ・アレン・ウィンターって検索してみたら、なんだかミュシャ(ムハ)の描いたような民族的なスタイルとリュシアン・レヴィ=デュルメルっぽい作品が合体したようなアクの強い感じが多く、なんか興味がなくなった。そんな作品のうち、ファンタジックな女性が描かれた「運命」という作品があるけれど・・・。

この市庁舎にもいろんな画家の壁画があるが、グロスターの郵便局もすごかった。ニューディール・アート・プロジェクト!

芸術家支援計画のひとつに連邦美術計画(フェデラル・アート・プロジェクト)があり、仕事のない美術家を政府が雇った。

| アート | 23:39 | trackbacks(0)

André Masson Ophelia 1937 Courtesy Baltimore Museum of Art

アンドレ・マッソン オフィーリア 1937 ボルチモア美術館


アンドレ・マッソンのシュルレアリスムから抽象表現主義に移った頃の作品。大戦中には退廃芸術と見做されて、失った作品もある。

これ、まだわかりやすい。花冠のオフィーリア、そして後方にはハムレット。ダリのオフィーリアは、もっとわかりやすい。

いろんな画家がいろんな時代に制作しているシェイクスピア。とくにハムレットのオフィーリア。何が画家を魅了するんだろう。

あんまり僕はシェイクスピアは興味ないんだよね。興味のある人はこちら。

XAI シェイクスピアの有名な人物たち 水彩から

| アート | 20:43 | trackbacks(1)

Wild Cherry 1995,Katharine Kuharic

キャサリン・クハリク ワイルドチェリー(西洋実桜)  1995  個人所蔵


まるで「メメント・モリ(死を忘れるな)」。で、死神がまるで胎児のように描かれているみたいにも見えない?

果樹のサクランボ(桜桃)のワイルドチェリー(西洋実桜)がタイトルだけど。

僕がキャサリン・クハリクに興味を持ったのはこの作品ともう一枚。そのもう一枚は自分のブログ記事にするとsai にもってかれた。

しかも理由が、僕のように二枚じゃなく、ただ一枚だからだってさ。

記事 キャサリン・クハリクのミスター・ロジャーズ

| アート | 21:05 | trackbacks(1)

Self-Portrait as Mother and Child, Julie Heffernan

聖母子としての自画像 1997


 

 Self-Portrait as Infanta Maria Teresa With Big Hands 1996 Collection of Merle Hoffman

大いなる手をもつ王女マリア・テレサとしての自画像, 1996


アメリカの女流画家ジュリー・ヘファナンは、生死観を描いている作品が多く、タイトルも「自画像」(セルフ・ポートレート)とつけられたものばかり。

今回の「聖母子としての自画像」なんかもスペインの王女時代のマリア・テレサ(マリー・テレーズ)の髪型を意識してるっぽいな。他には、王女マリー・テレーズに再生したマダム・ド・サドの自画像などもある。

とにかく絵画作品のジャンルのハイブリッドな自画像が多い。宗教画や歴史画、あるいはバロックやルネサンス、ロココの要素がハイブリッドされて、ジュゼッペ・アルチンボルド的な静物自画像、ヒエロニムス・ボスの寓話さえ重ねることもできる。

生死観や擬人観が多い寓意画なのかもね。
| アート | 22:09 | trackbacks(1)
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