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世界最古のヴーヴ・クリコ1893

1893年製のヴーヴ・クリコ(Veuve Clicquot)のボトル
(c)AFP/Xavier Lavictoire/Veuve Clicquot/De Visu


今年の7月6日にフィンランドのオーランド(Aaland)諸島沖の海中55メートルに沈んでいた難破船から発見されたのは、ヴーヴ・クリコ(Veuve Clicquot)のプレミアムブランド。

ハンドメードのボトルにはラベルがついておらず、コルクにはアンドラ公国のJuclarと記されていたという。

しかもマリー・アントワネットの夫であるルイ16世(1754-1793)からロシア皇帝への贈り物だとされている。

ロマノフ朝第8代ロシア女帝エカチェリーナ2世かも。それとも夫のピョートル3世?

AFPによると、このヴーヴ・クリコが「1782年以降で、かつ、フランス革命で製造が途切れた1788年から89年以降でもない」とある。

さらに「シャンパンは濃い金色で、タバコの香りも強いが、ブドウ、オークなどの濃厚な香りがあり、味は甘いが酸味」とあった。

調査が事実であれば世界最古、捏造でなければいいね。
| シャンパーニュ・ワイン | 22:23 | trackbacks(0)

Karl Lagerfeld X Dom Pérignon ? Visions and A Decision | Photography Campaign

ドンペリニヨン・エノテーク 1993 (Dom Perignon Oenotheque 1993)
PHOTO by カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)
クラウディア・シファー(Claudia Schiffer)&ブラッド・クローニング(Brad Kroenig)

Karl Lagerfeld X Dom Pérignon ? Visions and A Decision | Photography Campaign


シャネル関連の記事が続いてたwa。シャネル関連の記事も増えたしぃ。

よくまぁ、ネタがある。古いけどね。

写真はカール・ラガーフェルドが手がけているドン ペリニヨンのフィルムにフォト。いままでになん作品かある。

カール・ラガーフェルド×ドン ペリニヨン関連記事
カール・ラガーフェルド × ドンペリ×ヘレナ・クリステンセン×18世紀
写真家 カール・ラガーフェルド ドン・ペリニヨン・ロゼ・ビンテージ1996物語

僕が紹介するのはドンペリニヨン・エノテーク 1993のキャンペーンに起用されたクラウディア・シファー(Claudia Schiffer)&ブラッド・クローニング(Brad Kroenig)のフィルムフォト。もちろん、カール・ラガーフェルドによるもの。

Karl Lagerfeld X Dom Pérignon ? Visions and A Decision | Photography Campaign



Karl Lagerfeld X Dom Pérignon ? Visions and A Decision | Photography Campaign



Karl Lagerfeld X Dom Pérignon ? Visions and A Decision | Photography Campaign



Karl Lagerfeld X Dom Pérignon ? Visions and A Decision | Photography Campaign



Karl Lagerfeld X Dom Pérignon ? Visions and A Decision | Photography Campaign



Karl Lagerfeld X Dom Pérignon ? Visions and A Decision | Photography Campaign



Karl Lagerfeld X Dom Pérignon ? Visions and A Decision | Photography Campaign



Karl Lagerfeld X Dom Pérignon ? Visions and A Decision | Photography Campaign



Karl Lagerfeld X Dom Pérignon ? Visions and A Decision | Photography Campaign


物語は美しい婚約者が自分の幻想に応えてくれるだろうか?という自問からはじまり、想像の世界を彼女に演じさせ、満足したところでプロポーズをするというものだ。シャンパーニュを飲みながらね。

楓の記事に、ドン・ペリニヨン・ロゼ・ビンテージ1996に撮影されているディオールを不思議がっていたようだが、ドン・ペリのモエ・エ・シャンドン社はLVMHグループじゃん!ディオールやヴィトンを使うの当たり前だぞ!

それにカールはシャネルだけじゃなく、LVMHグループのFENDY(フェンディ)のデザイナー。本人カールのブランドはトミーヒルフィガーの傘下。

前作から継続して、ヴェルサイユ宮殿をイメージした邸宅やホテルで撮影されている。ホント、ヴェルサイユがお好き。
| シャンパーニュ・ワイン | 00:24 | trackbacks(2)
Château Mouton Rothschild 1973PREMIER  JE SUIS,
SECONDE JE FUS,
MOUTON NE CHANGE

われ、1級なり。
かつては2級なりき。
されどムートンはかわらず。

ムートンは、ラベルが毎年変わることでも有名だが、この1973年は、ムートンにとってもピカソにとっても特別な意味のある年だったにちがいない。それはシャトー・ムートンが第1級に昇格し、ピカソは永遠の眠りについたからである。


Picasso memorial wine labelシャトー・ムートン・ロートシルト 1973年のこのエチケットは、水彩画とゴム水彩画で描かれ たピカソの「バッカナール(バッカスの酒宴)」である。不思議なのは、なぜ亡くなった画家の絵を選んだのだろうか。

いやいや、そんなことは他のblogでも、すでに記事にしている。そうそう、ただ吹聴したかった。この「シャトー・ムートン・ロートシルト 1973」に限らず、ネットですぐ購入できるんだって、それに一番感激したってね。
            REDBOX シャトー・ムートン・ロートシルト
| シャンパーニュ・ワイン | 17:36 | trackbacks(4)
Brut Impérial 1914 Moët & ChandonSaiがようやく「死の床」から復活したようだ。ミュシャのスラヴ叙事詩のエントリーでね。復活記念にトラバを贈りましょう。ミュシャにちなみ、モエ・エ・シャンドン・ブリュット・アンペリアル(インペリアル)でね。

1899年に、ミュシャはモエ・エ・シャンドン・アンペリアル(インペリアル)のポスターを手がけている。ミュシャは、1860-1939年に生きていたので、その時代のモエ・エ・シャンドン・アンペリアルというと、1914年のものがオークションにあった。

カレル・マセクの「 リプシェ 」(オルセー美術館所蔵)に想を得ているといわれている、モエ・エ・シャンドン・アンペリアル(インペリアル)のポスターの女性。

「飲んだあとも女性が美しくいられるのは、シャンパーニュだけ」というポンパドール婦人やジョセフィーヌ皇后に愛飲されてきた。ミュシャの美神が飾るにふさわしい商業ポスターであるのかも。

美神には、ミュシャの愛人ベルト・ド・ラランドも、モデルの一人。

ミュシャの本物をみると、「なるほど〜」と思うが、あまりどうってことない。それより装飾のデザインや、油絵のほうがいい。

スラヴ叙事詩は特にいい。ミュシャが「描かなければ」という気持ちが見えるからである。

17年だか18年の歳月をかけ、挙句には古いといわれ、ナチスによって祖国は解体され、お蔵となった作品だ。だから、なお良いのだ。

ミュシャのモエ・エ・シャンドン関連の作品は、結構オークションに出品されている。ちなみに、モエ・エ・シャンドンのメニューは、¥170,000 で落札。



Moet. Champagne White Starモエ・エ・シャンドン・ホワイト・スター

2006年はホワイトスター(White Star)の発売120周年だった。

このときの様子は、記事「ファンタスティック モエ・エ・シャンドン」 by XAIから見て。

自由の女神なんかをイメージしたフェスティバル。

もちろんニューヨークの「自由の女神像」の閉鎖されている頭頂部の展望台で、「モエ・エ・シャンドン」主催のイベントによってライトアップされた。

それがあったためか、2009年の7月4日の米独立記念日に、ライトアップが再開された。

さて、この2010年でモエ・エ・シャンドンは266年目の創業となる。ホワイト・スターは創業からほぼ1世紀半近く経てからの商品だということだよな。

ミュシャ(ムハ)の「モエ・エ・シャンドン ホワイトスター」は1899年の作品。

2010年にミュシャ(ムハ)は生誕150年。

ホワイトスターはほぼ、100年前の作品だから、ミュシャが中高年に差し掛かった時代だ。

アンペリアルと比較すると軽くて甘い印象を受けるポスター。

アンペリアルは巫女か女神のような描き方だが、こちらはもう少し人間の女性に近い感じがするけど、収穫の女神ケレスなんかをイメージしているかも。

頭をみると「ムーズ河のビール -Bieres De La Meuse」の、ムーズの精が花輪を飾っているのと同じヘアスタイル。つけている花は違うけど。

どちらかというと葡萄の枝と房を身にまとった葡萄酒の神バッカスのアトリビュートを意識していそうだな。

ミュシャ(ムハ)の商業ポスターはこちらから
記事 ビスキー・コニャック by ミュシャ
記事 リキュール ベネディクティン Benedictine
記事 ビールの修道士 VS ビールの女神 by ミュシャ
記事 モエ・エ・シャンドン・ブリュット・アンペリアル vs ホワイトスター



現代のモエ・エ・シャンドンの広告を手がけるのはあのファッション界の巨匠カール・ラガーフェルドだ。

モエ・エ・シャンドンは、どんどん一般の消費者の生活にも入り込む。買うか買わないかは別だけど、一般消費者にもわかるブランドとしてだろう。

映画、ファッション誌での宣伝。



2010年記事 シャンパンとファッション ドンペリとカール・ラガーフェルド


追記
2010年はモエ・エ・シャンドン(Moët & Chandon)×セックス・アンド・ザ・シティ2(Sex and the City 2)でのコラボレーション・キャンペーンがはじまった。

Sex and the City 2


オフィシャル・パートナーを務めるモエ・エ・シャンドン。4種のコラボ・グラスチャームはモエのロゴ入りボトル型プレートと、シューズ、ドレス、バッグ、ハート。
| シャンパーニュ・ワイン | 00:30 | trackbacks(12)
シャトー・マルゴー 1961文豪ヘミングウェイが愛飲したシャトー・マルゴー。1961のラベルを確認していただけただろうか。ヘミングウェイが死去し、僕が誕生した年である。

シャトー・マルゴーの所有者は何人も変わったが、葡萄を植え替えたピレ=ウィルの時代に、ヴィンテージワインがつくられている。それが伝説の1900年。その娘婿が貴族のラ・トレムイユ家の血筋をひき、人呼んで「赤い公爵」。しかし、またシャトー・マルゴーの所有者が変わる。現在は、メンツェロプーロス家が所有し、シャトー・マルゴー総支配人は、ポール・ポンタリエ氏。

さて、自然のすべてが順調に働いた、1929,1959,1982,1990の各年。傑出したヴィンテージが誕生したのが、1921,1945,1961の年。

1961年生まれは、ヴィンテージワインに縁が深いのであるぞ。

Chateau Margaux 1868さて、この1961年は東西に鉄のカーテンがひかれ、ケネディが大統領に就任し、フランスではアルジェのクーデターが、ドゴールによって制圧された年である。そして自然がこの年のワインに、幸せの女神が微笑むように仕掛けた年でもある。春に霜が降り収穫量をおさえた葡萄が、その後の暑さで充分に熟したのだ。つまり、収穫量を抑えたシャトーに、幸運の女神が微笑んだのだ。
---phot by 僕の誕生する約100年前のChateau Margaux

マルゴーについての逸話は無数にあるらしいが、「あなたにとっての幸せとは?」と訊ねられたマルクス主義で知られているエンゲルスは、「シャトー・マルゴー1848」と答えたという。

じゃぁ、僕ら1961年生まれは「シャトー・マルゴー1961」、あるいは、「シャトー・ルトゥール 1961」ではないだろうか。

Chateau MargauxChateau MargauxNicholas Faith
Chateau Margaux HP
シャトー・マルゴーの年代ものやヴィンテージは、オークションハウス クリスティーズで。

| シャンパーニュ・ワイン | 00:05 | trackbacks(4)
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