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フランス革命が起こるまでは、修道院ではワインやシャンパーニュなんかを造っていた。ヨーロッパの修道院ではシャンパーニュだけではなく、ビールも造っていた。ベルギーのトラピスト修道院。
ちなみに日本の寺や神社で酒を造ってたということろってあるんだろうか。
トラピスティーヌ, LA TRAPPISTINE, 1897
そんなトラピストビールのポスターをミュシャは制作している。
オルヴァル Orval - (オルヴァル修道院)
シメイ Chimay - (スクールモン修道院)
ロシュフォール Rochefort - (サン・レミ修道院)
ウェストマール Westmalle- (ウェストマール修道院)
ウェストフレテレン Westvleteren- (シント・シクスタス修道院)
アヘル Achel- (ベネジクトゥス修道院)
ラ・トラッペ La Trappe- (コニングスホーヴェン修道院)
ビールの写真はラ・トラッペのもの。それ以外は下に。
ミュシャはモエ・エ・シャンドン・アンペリアルのポスターを「トラピスティーヌ」の2年後に制作している。
過去記事 モエ・エ・シャンドン・アンペリアル
ベネディクト会の修道士で、オーヴィレール修道院のドン・ピエール・ペリニヨン(Dom Pierre Perignon)がドンペリの創造主。
記事 モエ・エ・シャンドン(Moët & Chandon)×カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)
さて、ミュシャはトラピスティーヌ以外にも、ビールのポスターを手がけた。「ムーズ・ビール(ムーズ河のビル)」だ。
ムーズ河のビール -Bieres De La Meuse
ルイ14世がヴェルサイユ宮殿に移り住み、17世紀からワイン商人たちはセーブルに住むことになる。
記事 ルイ14世
そのセーブルに移り住んだ商人たちがヴェルサイユ宮殿までワインを運ぶ。その途中、ある屋敷の採石所に醸造所ができる。そこが「王のワインセラー」となったらしい。18世紀にはさらに37のギャラリーを拡大した。その後はフランス革命後の1790年に国民の資産として、ワインは公開オークションで販売されたらしい。
記事 マリー・アントワネット
この「王のワインセラー」は、1847年にジャン=バティスト レインナートだったかによって、「ビール醸造所」に変わった。
そうして、プロセインの侵入で所有者が変わり、「ドイツのブラウン」を生成することとなった。ところが1880年の火災で1890年に「ムーズの醸造所」(de la Meuse sont absorbées )で販売されることになった。そこで生成されたものがビール・ムーズ(biere la meuse)と呼ぶのだろうか。
だが1966年にsociété européenne des brasseries (SEB)に買収された。現在、「王のワインセラー」だった「ムーズの醸造所」は売却されている。
セーブルの工場とムーズ・ビール醸造所のレターヘッドのイラスト
ミュシャの「ムーズ河のビール」には下の画像に描かれているように、卵形のメダイヨンの部分には「ムーズ川の精(女神)」、ビール醸造所(ビール工場)があるが、こうしたロレーヌのムーズを代表するアイコンとミュシャの描いた女神がポスターになったんだ。
このメダイヨンに描かれている伝統的なムーズ河の女神は作者不詳で、他のポスターにもこの女神は描かれている。
BLes ムーズ醸造所(BLes brasseries de la Meuse) の広告キャンペーンのポスターには
ミュシャの「ムーズ河のビール」のほかにも多くある。その一部。
Marc Auguste Bastard Bières de la Meuse, 1896
MUCHA Bières de la Meuse, 1898
Anonyme Bières de la Meuse,
Anonyme Bières de la Meuse,
Anonyme Bières de la Meuse,1900
Anonyme Bières de la Meuse,1900
ヨーロッパビール博物館には100種類以上のビールを試飲できる。ビールの瓶のコレクションや地下の醸造所のギャラリーがあり、見ごたえもある。
日本的に言うと、フランスのロレーヌ地域圏のムーズ県(Meuse)ステナイ市(Stenay)にある。
ヨーロッパビール博物館の看板
ヨーロッパビール博物館のほかに、17世紀にビール醸造者のギルド(組合)として使用された「黄金の木」の地下が、現在はベルギー ブリュッセル ビール博物館(Musée des Brasseurs Belges)となっている。
1797年、神聖ローマ帝国は、条約でベルギーとルクセンブルクをフランスに割譲した。ナポレオン戦争後、1815年のウィーン会議でルクセンブルクはドイツに加盟後、ドイツ人とフランス人からなるカトリックのベルギーは、オランダに併合された。1830年ベルギーは独立宣言。
ムーズ河(マース川)はフランスから、ベルギー、オランダに流れる川だ。
ミュシャがムーズ河のビールで、ムーズの精(ムーズの女神)に、ビールの原料ホップと麦に加え、フランスを象徴する花、コクリコ、マーガレット、ヤグルマギクを添えたのは、きっとフランスの国旗を象徴するためだ。
つまり、ムーズ河のビールはフランスだと訴えているんだな。ちなみに最初の「 トラピスティーヌ」のトラスト・ビールは、ご存知のとおりベルギー・ビール。
ミュシャ(ムハ)の商業ポスターはこちらから
記事 ビスキー・コニャック by ミュシャ
記事 リキュール ベネディクティン Benedictine
記事 ビールの修道士 VS ビールの女神 by ミュシャ
記事 モエ・エ・シャンドン・ブリュット・アンペリアル vs ホワイトスター
そこでは、ヒューガルデン・ブランドとして、ピーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens)の1599年の作品「アダムとイヴ」をラベルに、「禁断の果実」というビールを販売している。(知ってるよね)
引用:【小西ベルギービール HP】
コリアンダーやオレンジピール(オレンジの乾皮)などのスパイスを使用し、ローストモルトの味わいにふくよかさとフルーティーさを与え、上品な赤ワイン的な味わいに仕上げられています。
イヴは、アップル(禁断の実)を口元へ。この手元にビールグラスをもたせ、アダムにも杯を掲げてたパロディのラベル。
ルーベンス・ハイス美術館は、ルーベンス自身が設計し、1615年に完成したバロック様式のアトリエ住居。居間にあるのが、この「楽園のアダムとエヴァ(庭園のアダムとイブ)」だ。
画像をクリックすると、ルーベンスのもう一枚の「アダムとイヴ」になる。この「アダムとイヴ」は海外でポスターで販売されている。制作年数、所蔵先不明。
ラファエロから依頼された下絵を版画にするなど、作品もラファエロを基にしたものが多い、マルカントニオ・ライモンディ。そのライモンディの版画を模写したのはアモリー=デュヴァル。そしてルーベンスも、1534年ころのライモンディの銅版画「アダムとエヴァ」を模倣して、「楽園のアダムとエヴァ」を制作した。
案外、真贋とやらの根底は、こうした「模写、模倣」からも生まれてくる。さらに芸術形式も生まれていくのではないか。あの司馬江漢の「江漢に江漢なし」というのもね。(笑)
さて、ルーベンスハイス所蔵の「アダムとイヴ」について追記。ルーベンスがアントヴェルペンの画家組合に加入を認められた頃(1598年)の作品と言われていたんだって?なんだか組合以前に描かれた「男の肖像」よりも「若描き」と評されるにふさわしいという解説を見つけた。
「男の肖像」(メトロポリタン美術館)は、「1597年 26歳」と作品の右上にかかれ、裏面に署名が入っているそうだ。この「アダムとイヴ」は、ファン・フェーンの影響が強いが、表情にはルーベンス特有さが認められているそうだ。もし解説の評が予想どおりなら1597年以前の作品ということになる。
この作品で、イヴはまだ禁断の果実を手にしていない。知恵の木に巻きついている蛇と、イヴの頭の上にはひとつの果実。手前にウサギ、奥にはサルがいる。サルは愚かさを示すそうだ。
2011年2月更新。今年はルーベンスからはじまったので、1枚こちらにも追加。ブリューゲル&ルーベンスの「アケローオスの饗宴」は、記事「メトロポリタン美術館 ルーベンス」から見て。
アダムとイブ(アダムとエヴァ)関連記事
ハラルド・スロット=モラー(Harald Slott-Moller) アダムとイヴ
ハンス・バルドゥング・グリーン アダムとイヴ 寓意画編 Adam and Eva, by Baldung
サクランボをランビックの中に入れ、5〜6ヶ月間かけてサクランボが溶けるのを待つというこのビール「Rose de Gambrinus」にふさわしいイラストではないか!
これがベルギーのビール。
カンティヨン醸造所でありグーズ博物館ともいわれている、1900年に設立され、「地ビール中の地ビール」といわれている。
冬季だけしか醸造を行なう小さな醸造所ではあるが、昔ながらの手作り製法が大切に受け継がれているランビック・ビールだ。
ラベルのイラストのアーティスト Raymond Coumansという人。
グーズ博物館、そして服を纏ったイラストはこちら。
最近、ビールの銘柄をよく知って飲んでいる方々が多いが、スタイルやタイプ、注ぎ方から読み方などを知らず、ビールへのマナーがない。特に、ヴァイツェンビールは、ゆっくりと泡をたてずに注がなければならない。