前夜祭のハロウィンが終わった。ヨーロッパでは、1日が「諸聖人の日」、2日が「死者の日」である。下記サイトは、この日の前夜祭「ハロウィン」、フランスの諸聖人の日の記事。
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・ハロウィン・ツリー by レイ・ブラッドベリ
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ハロウィンが過ぎて 死者の日 菊の日
死者の日 DIA DE MUERTOS
イタリアでは、前夜祭が終わった翌日の1日を「Tutti i Santi トゥッティ イ サンティ」(諸聖人の日)とよび、前夜祭で、子供達は 死者の骨をかたちどる菓子、「Ognissanti」(オンニッサンティ)なるものををもらうことで、あの世の存在を意識し、祖先への敬愛の念を示し、この「諸聖人の日」には、聖人の死を悼み、神の恩恵に感謝するという一日となる。どれも一度は見たいものばかりだという、楽しいイベントや観光を目当ての子供達を育てることではないらしい。1日の「Tutti i Santi」に備えた儀式の伝承である。
こうして、11月2日の「Commemorazione dei Defunti(故人追悼の日)」には、墓地を訪れ花を捧げる。
「Cimitero Monumentale」(チミテッロ・モニュメンターレ)という名がつく墓地が、確かいくつかあるはずだが、ミラノにも記念墓廟「Milano's Cimitero Monumentale」がある。戦死した兵士の墓や著名人の墓をはじめ、その墓地や墓を装飾する彫刻、彫像がある。芸術家達は、死の恐れと死によって得た休息を象徴した。あるブログに、「来てはいけないところへ来てしまったのかもしれない。」という一文があったが、その一言にあるように、観光で訪れたのだろうが、その景観から「死」、「死者」への恐れと、死へ旅立つ導き、聖なる領域を祝福するものという意識をされたのではないだろうか。それを経験したい人は、一度訪れるべきである。きっと礼拝のあとに、死への祝福の装束と思われるような芸術を堪能できる。
カルロ・マチァキーニの設計の「Cimitero Monumentale」は、ミラノ市民へ開かれたモニュメントの「屋根のない美術館」である。つまり、訪問できる墓地だ。これはキリスト教の絶え間ない信仰、希望を根付かせているのではないだろうか。
古代のイタリアは、死の国を暗として、郊外へ墓地を建設していたという。だがキリスト教により、信者はより聖人の側へ埋葬されることを願うようになった。こうして教会へ埋葬されるようになるが、キリスト教徒は土葬である。この土葬が都市郊外での墓地の造営が検討される要因となっていく。
貴族やブルジョワは家名の誇示、教会、葬儀屋は宗教的影響力、民衆の葬儀というセレモニーへの熱心さが、墓堀人のみが出入りできる「死者の貯蔵所」を嫌い、墓地内に礼拝堂をつくり、階級差を象徴させるという方向が生まれ、市民は郊外の墓地、長大な開廊と教会を備えた大都市には、貴族やブルジョワクラスが競って、家名を高める、壮大な芸術性豊かな墓所を残したのだ。
これが19世紀、1800年代の話である。
Milano's Cimitero Monumentale には、6千以上の彫刻が並ぶ。写真の真ん中のモニュメントはジャンニーノ・カスティリオーニ。必ず目をひく牛と手綱を引く人の巨大な彫刻は、エンリコ・ブッティ。ボッコーニ大学創設者(ボッコーニ家)の墓には、オラツィオ・グロッソーニ。ほかにはルーチョ・フォンターナ、ルカ・ベルトラミ、モゼ・ビアンキ、メダルド・ロッソ、エトーレ・シメネス、ジャコモ・マンズなどがあるという。
文学者アレッサンドロ・マンゾーニ(1785-1873)や、指揮者のアルトゥロ・トスカニーニ、作曲家ジュゼッペ・フォルトゥニーノ・フランチェスコ・ヴェルディ(1813-1901)、脚本家アリーゴ・ボイト(1842-1918、20世紀まで生きたらしい)、19世紀の画家フランチェスコ・ハイエツ(1791-1882)、ルイジィ・ジッサーニ(1922-2005) 、詩人サルバトーレ・カジモド(クアジーモド)(1901-1968) 、思想・哲学カルロ・カッタネオ(1801-1869)、インテルナツィオナーレ・ミラノ・フットボールクラブ会長のジャチント・ファケッティは、この秋ここに。