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久々のマネの「草上の昼食編」。セザンヌ、モネ、ロベール・コンバス、マリオ・ソレンティなど、下記のカテゴリーから見て。
記事カテゴリー 草上の昼食 (Luncheon on the Grass)
前回は、BAUさんに先を越された「ピカソ 草上の昼食」。パリ国立ピカソ美術館の右の作品のほか、僕の記事では紹介しないもう1枚の「ピカソの草上の昼食」が掲載されてる。
BAUさん記事
ピカソ 草上の昼食 からどうぞ。
今回はピカソ編。使用している作品画像は、すべて僕の署名入りであることをご了承ください。
ピカソの「マネ 草上の昼食 1863」 1960
ロンドン・ナショナル・ギャラリー
ピカソの「マネ 草上の昼食」 1961
ローセンガルト女史寄贈ルツェルン市ピカソ コレクション
ピカソの「マネ 草上の昼食」 1961 パリ国立ピカソ美術館
Succession Picasso 2008 - Photo RMN / Jean-Gilles Berizzi
ピカソの「マネ 草上の昼食」 1961 パリ国立ピカソ美術館
Succession Picasso 2008 - Photo RMN / Jean-Gilles Berizzi
ピカソの「マネ 草上の昼食」 1961 パリ国立ピカソ美術館
Succession Picasso 2008 - Photo RMN / Jean-Gilles Berizzi
ピカソの「マネ 草上の昼食」 ?1961? パリ国立ピカソ美術館
Succession Picasso 2008 - Photo RMN / Jean-Gilles Berizzi
ピカソの「マネ 草上の昼食」 1961 オークションハウス クリスティーズ
ピカソの「マネ 草上の昼食」 1962 パリ国立ピカソ美術館
Succession Picasso 2008 - Photo RMN / DR
ピカソの「マネ 草上の昼食」 1962 パリ国立ピカソ美術館
Succession Picasso 2008 - Photo RMN / Béatrice Hatala
ピカソの「マネ 草上の昼食」 エスタンプ版 パリ国立ピカソ美術館
ピカソの「マネ 草上の昼食」 1962 エスタンプ版 パリ国立ピカソ美術館
ピカソの「マネ 草上の昼食」 エスタンプ版 パリ国立ピカソ美術館
ピカソの「マネ 草上の昼食」 エスタンプ版 パリ国立ピカソ美術館
まだあるけどね。この辺でおしまい。
パロディー 草上の昼食
ソフィー・ヴォン・ヘラーマの草上の昼食
Manet と j. seward johnson. jr
セザンヌの牧歌(バルバリア河畔のドン・キホーテ)は、これまで何度かマネの「草上の昼食」で取り上げてきた。そのたびに「バルバリア河畔のドン・キホーテ」に違和感がある。
確かにミゲル・デ・セルバンテスの「ドン・キホーテ」でもあるようだし、マネの草上の昼食を思わせる二人も描きこまれているし、原典だといえるジョルジョーネとティツィアーノの「田園の奏楽」を連想させるが・・・。
いまさらながら僕はアンリ・ファンタン=ラトゥールも描いてたワグナーのオペラ「タンホイザー」も、セザンヌの牧歌に描かれていると確信した。
一番左の女性はヴィーナス(快楽の女神ヴェーヌス)ではない?牧人の楽園として伝承されたアルカディアではなく、ここはヴェーヌスベルク(ヴィーナスの洞窟)かも。
しかしながら後ろ向きだが、海から上がるヴィーナス、ドン・キホーテよりもティツィアーノも描いたパドルのヴィーナス、オウィディウスの「変身物語」に登場するアンティオペが横たわる裸婦に想像できたりもする。
アンリ・ファンタン=ラトゥール タンホイザー ヴェーヌスベルク(ヴィーナスの洞窟) 1876
バーン・ジョーンズの描いた「ヴィーナス賛歌」も同じ主題。ワーグナーのあとのスウィンバーンの「ヴィーナス讃歌」の詞が元になる。
アンリ・ファンタン=ラトゥールが描いたのはワーグナーのオペラから。ボードレールがワーグナーの「タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦」(Tannhäuser und der Sängerkrieg auf Wartburg)を絶賛。
なぜタイトルを「牧歌」(バルバリア河畔のドン・キホーテ)としたのだろうか。過去記事でも書いたがあえて「草上の昼食」にしなかったというこの作品。オルセー美術館では「バルバリア河畔のドン・キホーテ」という表記はない。たぶんその解釈に難があるんだろうか。
だが、ドン・キホーテは騎士道物語(頭の狂った騎士)だ。タンホイザーも騎士(快楽に狂った騎士)である。
ちなみに同作品が完成した1870年、リヒャルト・ワーグナーは妻コジマに器楽曲「ジークフリート牧歌」を送った。ジークフリートは前年に誕生した息子の名。
ポール・セザンヌは、マネの「草上の昼食」をテーマに、何枚も描いている。これまでに4枚のセザンヌの草上の昼食を紹介した。
その紹介で1875年のスケッチが、 オランジュリー美術館には油彩で展示されている。
Paul Cézanne Le Dejeuner sur l'herbe 1876 - 1877
Photo Le Dejeuner sur l'herbe by Paul Cézanne
絵画に興味のなかった僕に関心を持たせたのは、実はマネではなく、セザンヌの「草上の昼食」だった。先にも書いたが、このスケッチは、過去記事で紹介。
記事 マネのオマージュ セザンヌ 草上の昼食
Photo Le Dejeuner sur l'herbe by Edouard Manet
過去記事引用の作品「田園牧歌」(直訳) 牧歌(バルバリア河畔のドン・キホーテ)
1870年 オルセー美術館 musée d'Orsay (画像引用はKAFKAから)
僕がもっとも好きなセザンヌの「草上の昼食」(1870-1871年)は、この作品と共に過去記事に掲載している。
追記 別ブログでもうひとつ書いた。
記事 オランジュリー美術館 ポール・セザンヌの水浴図
さてこのオルセー美術館のセザンヌの「牧歌」(バルバリア河畔のドン・キホーテ)だけれど、なんかみたことあるんだ。
そこでわかったことだが、ファンタン=ラトゥールがワグナーに傾倒していて、彼のオペラ「タンホイザー」を主題にしていた作品とよく似ている。
これはまた別の機会に。
「草上の昼食」 1866 クロード・モネ オルセー美術館所蔵
あの1863年の「落選展」、マネの草上の昼食。この作品はセザンヌも刺激し、現代でも「草上の昼食」をタイトルにしている作品がある。今日はその第6弾目の記事。元ネタ→マネのオマージュ モネの草上の昼食(パスワードだか、IDだかわからなくなってログインできなくなっている楓の記事)
これはクロード・モネの草上の昼食で、この時代の風俗をはっきりと描いている。マネのオマージュではなく、刺激を受けてとあるとおり、非常な大作を心に描いていた。そして大作ゆえ、提出期限に間に合わず、家賃のかわりに大家へかたに取られるが、買い戻したときには傷んでいたという。それを切り取ったのはモネ自身。
さて、この作品にもやはり習作、スケッチがあった。
スケッチ 「草上の昼食」 クロード・モネ 1865
ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵
サロン出品予定のオルセー美術館の「草上の昼食」、そしてプーシキン美術館所蔵の「草上の昼食」も、このスケッチにある構図のように筆は進められていた。
オルセー所蔵のモネの「草上の昼食」と、プーシキン美術館の「草上の昼食」では中央の人物達の印象が極端に違うよね。
そしてオルセーの右側にはもう一人、別な女性が描かれていて、プーシキンやスケッチに見られるバジーレの長い足は見当たらない。もし描かれてるなら、かなり幅ある作品だwa。
「草上の昼食」 1866 クロード・モネ
プーシキン美術館(国立アレクサンドル・プーシキン名称美術館)
この作品の右側がマネの「草上の昼食」にそっくり。そして友人のバジールも同様に描かれている。このバジールは若くして戦死するのだが、たいへん人望があったようで、みんな、彼を「親友」としている。
記事 バジールのアトリエ、ラ・コンダミヌ通り
記事 「フレデリック・バジール トワレ(身繕い)」
記事 ルノワール と フレデリック・バジール
記事 アンリ・ファンタン・ラトゥール (バティニョールのアトリエ 一番背があるバジール)
記事 ルノワール作 画家のアトリエ と 肖像画 エドモンド・メートル (バジールの作品も掲載)
モネはプーシキン美術館所蔵の「草上の昼食」に描かれている左から二番目のカミーユと、そしてバジールの2人を描いた油彩の習作「草上の昼食」がある。
バジールとカミーユ(習作 「草上の昼食」) 1865年 クロード・モネ
ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵
この2人はプーシキン美術館所蔵に描かれている男女。ということはバジールは左右に描かれている?というかモデルとしてだと思うけどさ。オルセー美術館の「草上の昼食」にも描かれているけれど、ドレスのデザインと木の枝が描かれていない。
バジールの横たわる姿は、オリジナルのエドゥアール・マネの「草上の昼食」のほか、セザンヌの「草上の昼食」にも描かれている。これはもはや「バジールの昼食」でもいいのではないだろうか。
僕の過去記事 草上の昼食
記事 ロベール・コンバス 「草上の昼食」
記事 マネのオマージュ セザンヌの「草上の昼食」
記事 サン・ローラン1988 マリオ・ソレンティの「草上の昼食」
記事 マネ 草上の昼食 vs ジョルジョーネとティツィアーノ
記事 COCA-COLA by THE ART OF DINING
友達の記事(ちゃんとブログ移行した先にリンクしてるから)
ピカソ 草上の昼食
パロディー 草上の昼食
ソフィー・ヴォン・ヘラーマの草上の昼食
Manetとj. seward johnson. jr
静物画、肖像画、水浴画、そして自然と、ポール・セザンヌは、ある領域において同一のものを描き続けている。
ガルダンスの丘、レスタックからみたマルセイユ湾、ビベミュスの石切場とシャトー・ノワール、ローヴのアトリエ、サント・ヴィクトワール山、髑髏。そしてマネの作品である。
ピクニック(草上の昼食)1875年頃
オランピアも然りだが、草上の昼食において、セザンヌは3点作品にし、同趣向だが、タイトルは草上の昼食としない作品が、数点存在している。オマージュとしてはなく「対抗」というむきもあるらしい。
この作品、とってもユーモラスな感じを受け、好きである。
「田園牧歌」(直訳) 牧歌(バルバリア河畔のドン・キホーテ) オルセー美術館
この作品が、「同趣向だが、タイトルは草上の昼食としない」というものだ。
このセザンヌに限らず、モリゾらも、「草上の昼食」を描いている。以前の記事をリンクしているので、そこのトラバが、オマージュ記事になっている。
また、マネの草上の昼食のモデルとなったフレデリック・バジーレが描かれている。
「草上の昼食」、そしてバジーレ自身の作品「バジールのアトリエ、ラ・コンダミヌ通り」の彼と、アンリ・ファンタン=ラトゥールの作品である集団肖像画の「バティニョールのアトリエ」に描かれているバジーレを、3作品から見比べると面白いぞ。
ポール・セザンヌ関連記事
セザンヌ ロココの花瓶
セザンヌ 2枚の「オランピア」
「セザンヌ礼賛」モーリス・ドニ
ポール・セザンヌ 春・夏・秋・冬 四季図
オリジナル Luncheon on the Grass 1863
by Edouard Manet
1998年、Yves Saint-Laurent Rive Gaucheの作品は、Mario Sorrenti によるもの。マリオ・ソレンティは、カルヴァン・クラインの広告写真に抜擢されて以来、PJ HarveyのミュージックビデオやモードのVogue、Visionaire、i-Dなど、ファッションフォトグラファーのトップの一人。サンローランのほか、プラダなども手がけている。
Le déjeuner sur l'herbe
Mario Sorrenti, Yves Saint Laurent Rive Gauche, 1998
Luncheon on the Grass 草上の昼食 記事一覧
男性と共にいる女性はこちらを向いて笑みを浮かべている。まるで、この絵に描かれていないが、写真機を持つもう一人の男性に向けているようだ。
草上の昼食(Luncheon on the Grass)
エドゥアール・マネ(Édouard Manet)
うしろの水浴びをする女性。たまたまここに居合わせただけの女性か、裸婦と紳士達の連れだろうか。そうすると、この裸婦、紳士達、水浴びの女性、そして想像上の写真機を持つ男の5人連れだろうか。あるいは水浴びの女性を除く4人連れか。
また、裸婦は別の対象に微笑んでいると考えると、想像上の写真機を持つ男を除いた4人連れなのか。それとも大きくフォーカスされた3人連れなのだろうか。
彼らを考察すると、夫婦と娼婦と友人とカメラマンというひとつの関係。
他にこの3人を囲み、さまざまな物語や関係を推察できる。
そして、裸婦の手前の果物籠は乱れ、あまり行儀のよい連中ではないことも見受けられる。気侭、我侭、したい放題の連中だ。
この1863年に描かれたマネの「草上の昼食」は、多くの画家がオマージュを描く。オマージュ:hommageというのは「敬意を払う」という意味があるが、献辞や賛辞という意も含む。「お〜、いいじゃないか。よし僕もひとつ描いてみるか」というパクリともいえる。
田園の奏楽(田園の合奏) Fiesta campestre
ジョルジョーネとティツィアーノ (Giorgione&Titian)
草上の昼食の元祖はジョルジョーネとティツィアーノが描いた「田園の奏楽」だ。ウェルギリウスの「牧歌」から描いたとされる。貴族とその従者、そしてニンフたち。ジョルジョーネが死んで、ティツィアーノが完成させた。マネはこの作品からヒントを得て「草上の昼食」を描いた。
・ウジェーヌ・ブータン画
「Luncheon on the Grass, the Family of Eugene Manet」
(草上の昼食、ウジェーヌ・マネの家族)」1866年
・クロード・モネ画部分
「Luncheon on the Grass(草上の昼食)」1866年
・ポール・セザンヌ画
「Luncheon on the Grass(草上の昼食)」1871年
・ポール・セザンヌ画
「Luncheon on the Grass(草上の昼食)」1875年
・ジェームス・ティソ画
「Le Dejeuner sur L'herbe(草上の昼食)」1868年
・ジェームス・ティソ画
「Partie Carree(パーティ・カレ)」発表年不明
・ジュリウス・ステュアート画
「Picnic under the Trees(木陰の昼食)」1895年
・ベルト・モリゾ画
「Le Dejeuner sur L'herbe(草上の昼食)」
さてさて、「草上の昼食」の原点であるエドワール・マネはブルジョワ階級の人間だ。母親は毎週サロンを開く。もしかするとサロンでの母親たちの振る舞いではないか、この絵は。
マネのオマージュかパロディか、ピカソもセザンヌも描いている草上の昼食。何に執着してるんだ、画家たちは?
wiki にあった「パリスの審判」から3人の人物をみよ!とあった。
マルカントニオ・ライモンディ作「パリスの審判」 右下の3人 by wiki
草上の昼食 ポール・セザンヌ