一定期間更新がないため広告を表示しています
いつか記事にしようと思っていたけれど。
2008年でのグラン・パレで、「Picasso and the Masters ―ピカソと巨匠たち」があった。ピカソの作品と巨匠たちの類似作品を並べての展示。
もちろん「そうだね。」という作品もあるし、タイトルに「〇〇に基づく」というものもある。
だが、このピカソの「赤い肘掛椅子の裸婦 1929」(パリ,ピカソ美術館)がアングルの「モワテシエ夫人の肖像 1856」(ロンドン,ナショナル・ギャラリー)が下敷きになっているって信じる?
この作品を見た瞬間、ふつうはマティスの「肘掛椅子の裸婦 1926」(個人所蔵)を思い出すじゃないか。
ピカソの作品より3年も前に完成されていたマティスの「肘掛椅子の裸婦」で、壁紙も似ているし、裸婦の姿勢もそっくりだ。
それが、このピカソの作品がアングルの「モワテシエ夫人の肖像 1856」(ロンドン,ナショナル・ギャラリー)と類似しているとされているが・・・。
このアングルの「モワテシエ夫人の肖像 1856」が下敷きだとは考えられない。
この「Picasso and the Masters ―ピカソと巨匠たち」では、アングルとの類似とされるピカソの作品も多くある。「あー、なるほど」というのもね。
マティスの「肘掛椅子の裸婦」とアングルの「モワテシエ夫人の肖像」の類似のほうがまだマシ。モワテシエ夫人の鏡に映る赤い髪飾りとマティスに描かれた赤いタンバリン。
つまりマティスの「肘掛椅子の裸婦」=アングルの「モワテシエ夫人の肖像」で、マティスの「肘掛椅子の裸婦」=ピカソの「赤い肘掛椅子の裸婦」だから、アングルの「モワテシエ夫人の肖像」=ピカソの「赤い肘掛椅子の裸婦」でもいいかと?だとしたら短絡的だね。
ピカソの類似作品のリンク記事はこちら
XAI ピカソ ダヴィッドに基づくサビニの凌辱
正直、クラナッハの作品は肖像画以外に関心がなかった。クラナッハ(子)の「女性の肖像画」に興味を持ち、それは肖像画の背景に人物の影まで描いているところが面白いと思ったからで、そのほかには目が向かない。
ピカソがそのクラナッハ(子)の「女性の肖像画」のリトグラフをつくり、やっぱりあれは誰が観ても面白い作品なんだと思った。
ピカソはクラナッハ(父)の「ヴィーナスと蜂蜜泥棒のクピド」もモデルにした。そしてこの「ダビデ(ダヴィデ)とバテシバ」。
どこにピカソは魅力を感じたのだろうか。
ダビデとバテシバ 1526
バテシバ(バト・シェバ)といえば、レンブラントも描いているけど、いろんな画家たちの主題のひとつでもある。
記事 レンブラント もう1枚のバテシバ
記事 レンブラント Rembrandt van Rijn
このクラナッハの「ダヴィデとバテシバ」に、僕はほとんど関心がないが、ひとつ気になるのは、ふつうは作品上、バテシバは衣服を身につけていない。裸身で描かれていることが多い。
あれだけヴィーナスを、形式に従わずにあっけらかんと裸身像を描きまくったクラナッハは、ここではなぜかドレスを着たままの姿を描いている。
ダビデとバテシバ 1949 ピカソ(Pablo Picasso) MoMA所蔵
右端の男は竪琴を弾くダヴィデ王を窺い、左端の男はバテシバの身づくろいなんぞに無関心で、右から二人目の赤い帽子の男は、物思いにふけっているのかバテシバの様子を王に伝えているのか。
ピカソは竪琴を手にしたダヴィデ王を描いた。しっかりとバテシバの身づくろいを盗み見している凄みがある形相で。廷臣たちはその様子をいぶかしげな顔つきで、王を窺っている。
姦淫と謀殺の象徴のダビデ王。
ダビデとバテシバ 1534 部分 全体像はクリックしてください。
クラナッハのもう一枚の「バテシバ」は、塔の男たちを見ているようだ。どちらにしても、クラナッハの作品があるから、ピカソのこのリトグラフが楽しめる。
だけどクラナッハのオリジナルの方は関心が向かない・・・。さて、クラナッハ(子)、そして父にもまだこの「バテシバ」の作品がある。
ダビデとバテシバ 1947 ピカソ(Pablo Picasso) MoMA所蔵
このクラナッハの作品も、なんらかのルターのプロパガンダなんだろうか。
■クラナッハ(子) Cranach the Younger 神話画 寓意画編
■クラナッハ(父)、クラナッハ(子) 不釣合いな恋人 Cranach I & Crana II
■ルーカス・クラナッハ(子)+(父) Lucas Cranach the Younger +Elder 宗教画と肖像画編
■ルーカス・クラナッハ(父)、ルーカス・クラナッハ(子) キリストと姦淫の女 Cranach I and Cranach II
sai記事
■ルーカス・クラナッハ(父) ヴィーナスとクピド(ヴィーナスとアモル) ピカソのリトグラフ
やっとsaiがアップしてくれたwa。クラナッハの記事リンクはこちら
XAI クラナッハ 三位一体と死んだ男
そこにピカソの作品を関連づけたイベントを開催している。抽象表現主義のポロック、ウィレム・デ・クーニング、アンディ・ウォーホルと並んでいるらしい。
AFP/Stan Honda
【NY/米 29日 AFP】これは、ロイ・リキテンシュタインの「Girl with Beach Ball III, 【NY/米 29日 AFP】1977」とピカソの「Seated Woman with Wrist Watch, 1932」が並んで展示されているという報道。
ピカソの作品では横たわる恋人フランソワ―ズ・ジローとピカソ自身を黒い影で描いた「The Shadow, 1953」、闘牛の「Bullfight, 1934」などが展示されているという。
【NY/米 29日 AFP】同じく「Three Musicians (3人の音楽家)1921年」は、スチュアート・デイビス「Colonial Cubism, 1954」と並んで展示公開された。(AFP/Stan Honda)
【NY/米 29日 AFP】ピカソの「The Studio,1927-28」とアーシル・ゴーキーの「Organization, 1933-36」が展示公開されている。(AFP/Stan Honda)
ピカソとアメリカン・アート展
Whitney Museum of American Art 9月28日から2007年1月28日まで
945 Madison Avenue at 75th Street, New York, NY 地下鉄 77丁目 77th Street 駅(6線)
11月22日のオークションでのピカソの話だけどさ。
"「Big vase with Veiled Women」" $64,487
どうよ、オークション ギャラリー「Highlights gallery」 いいじゃん。Highlights galleryはここから→Litchfield County Auctions
ピカソの陶芸は、ピカソの長女、マヤ・ピカソから購入したという「箱根 彫刻美術館」に所蔵されている。銀製のコンポート、ガラス芸術のジュマイユ、タピスリーと多彩な作品が収集された。
陶芸は、ピカソの晩年に多くの作品を残している。彼が60代後半になったヴァロリス時代にマティスと競作した石版画や皿や壷などのピカソの作品があるが、この時代は、彫刻「羊と男」(1944)、ブロンズのアッサンブラージュ(既製品をくみあわせる手法)「牝山羊」(1950)などもある。
1963年6月14日 丸皿 (彫刻の森美術館 所蔵)
1964年の夏、ピカソはフランソワーズ・ジローと共に、ヴァロリスで行われている陶芸の展示会へ出かけた。この時に彼は、粘土を手に取り3点の人物像を作っている。翌年の夏ピカソは再びヴァロリスを訪れ、自分の作った作品が焼き上がって保存されているのを見て、非常に喜んだという。それ以来、彼は「マドゥラ」という陶房でジョルジュ・ラミエ夫妻から惜しみない援助を受け、爆発的な勢いで作品を創り出していった。主題は広範囲にわたり、女性、鳩、みみずく、顔、闘牛、牧神、植物など、ピカソの得意な題材ばかりであり、伸び伸びと楽しんで制作したのが伝わってくる。作品からは彼のユーモアが感じられ、子供に帰ったようなピカソの感性に満ちている。
1951年1月29日 丸皿 (彫刻の森美術館 所蔵)
陶芸はまず立体を作り、その上に色彩を施す。キュビズム時代より平面と立体の関係に常に関心があったピカソは、絵画的な要素と彫刻的な要素を合わせもった陶芸に次第に熱中していった。彼が魅せられたのは作品が焼き上がるまでの期待、そして焼き上がったあとの驚き、興奮であった。ピカソはヴァロリスに古く伝わる陶芸技術を経験豊かな職人たちに学び、瞬く間に習得した。さらに探究心旺盛な彼は、それらの因襲に捕らわれない新たな材質、色、形に次々と挑戦していった。粘り強い実験とピカソ独特のアイディアにより、新たなスタイルの陶芸作品が次々と生まれていった。
1956年頃 小型タイル 彫刻の森美術館 所蔵
ピカソは陶芸制作を続けていくに連れて、徐々に陶器の実用性を無視した作品を多く制作するようになる。職人の投げ出した花瓶を拾い、あっという間に可憐な鳩に変形させたり、小さな壷を少し手を加えるだけで小さな女神像に変えてしまったりした。ピカソの手にかかると、どんなものでも生命を与えられるようであった。人々は花瓶が鳩や女性に、壷がみみずくに変貌するのに驚き、感動する。そして、あらためてそれらの形の自然さに気がつくのである。
ピカソ関連記事
ピカソ/青の時代-Period bleue/periodo rosa−ピカソの「パイプを持つ少年」
「子どものように描けるようになるのに50年かかった」と語るピカソ。
子どものように描けることとは、自由な発想と表現ということなのだろうか。
ピカソの晩年には、「春画」のような官能極まる作品も多い。鑑賞する側の思想や興味により、エロティックな感情を刺激する危ない絵画であるが(笑)、類比にルイス・キャロルの撮った裸の少女などは、ポルノグラフィーと観る大衆も多いかもしれない。大人の裸体は、芸術として、まだ認知されていなかったために、マネの「オリンピア」、「草の上の昼餐」で物議をかもした時代である。
ピカソの時代は、その裸体は芸術とされた時代である。しかし、晩年の「裸体」は、キャロルの写真へのポルノグラフィーと受け取られるような「妄想」と、絵画という「妙」もあるのだ。