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「ボッティチェリ 模写 ヴィーナスの誕生」1859年 Moreau Gustave ギュスターヴ・モロー
Sandro Botticelli サンドロ・ボッティチェリ 「ヴィーナスの誕生」ボッティチェリ(Sandro Botticelli 1444/1445年 - 1510年)が19世紀末に再評価されるまで、「秘蔵の画家」だったというところがあるが、ダ・ヴィンチ、あるいはマネのように、礼賛され、模写されるような画家ではない。
ボッティチェリに傾倒したとか、模写したとかという話がないからだ。また、対抗して同じ題材で描いたという話も聞かない。
だが、ギュスターヴ・モロー(1826-1898年)は、ボッティチェリが再評価された時代の寵児である。それで、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」を 模写したのだろうか。
モローが彼に傾倒したという話も聞かない。画家テオドール・シャセリオに指導を受け、ウジェーヌ・ドラクロワに影響を受けたという。モローはボッティチェリに限らず、カルパッチオをはじめ、随分と「模写」もある。そのモローの模写のなかでは、一番「不味い」模写が「ヴィーナスの誕生」だ。
モローは、模写の年に、ローマに滞在していたわけである。
ボッティチェリの「春」、「ヴィーナスの誕生」には、想像と幻想の世界がある。モローと共通しているはずだ。1870年のギュスターヴ・モロー 「アフロディテ」は、モローという独特の作風から距離をおいた作品。
ギュスターヴ・モロー 「アフロディテ」
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この「模写」において、「花」が見当たらない。ボッティチェリの修復は1980年代に行われたが、もっとも「春」においての修復が話題になった。モローのみた「ヴィーナスの誕生」には「花」がなかったのだろうか?
ボッティチェリの真作を問うなら、耳と指というが、僕は「花」なのではないかと思う。先のリンク「Sandro Botticelli サンドロ・ボッティチェリ ヴィーナスの誕生」から、拡大された「薔薇」を見て欲しい。
女神ヴィーナスはシモネッタ・ヴェスプッチ(1476年死去)を、軍神マルスはジュリアーノ・デ・メディチ(1478年に暗殺された)だという。もしかしてレクイエム?
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