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The Adoration of the Name of Jesus by EL GRECO Chapter House, Monasterio de San Lorenzo, El Escorial

エル・グレコ イエスの御名の礼拝 1578-79 エル・エスコリアル修道院


The Modena Triptych (front panels) Allegory of a Christian Knight

モーデナ・トリプティク(三幅対祭壇画)  過去記事 エル・グレコとその工房 受胎告知 


天上、地上、そして地獄の者がひざまずくそして地獄の魚レビタン。モデナ(モデーナ)三部作のキリスト教の騎士の寓話の作品と同じ構図。「神聖同盟の寓意」(フェリペ2世の夢)というのが、この「イエスの御名の礼拝」になる。

The Adoration of the Name of Jesus National Gallery, London

エル・グレコ イエスの御名の礼拝 1578-80 ロンドン・ナショナル・ギャラリー


エル・エスコリアル修道院、ロンドン・ナショナル・ギャラリーともに「フェリペ2世」が描かれているが、当のフェリペ2世には不評だったらしい。



エル・エスコリアル修道院の一室 The Royal Palace - Chapter House 2009
左端が「イエスの御名の礼拝」、中央は「聖フランチェスコ」、右端は「聖イルデフォンソ」


パウロ書簡の「フィリピの信徒への手紙 (フィリピ(ピリピ)人への手紙、フィリピ(ピリピ)書」は、紀元61年の終わりから62年のはじめにかけて獄中で書いたもの。その「フィリピの信徒への手紙」の「それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地獄のものなど、あらゆるものがひざをかがめ」(第2章10節)を絵画化した作品。

絵画のモノグラムは「人類の救世主イエスIesus Hominum Salvator(Jesus Savior of Men)からとったと言われているが、シンプルに考えると、聖なる名前イエス(IHESUS)かも・・・と最近考えた。エル・グレコはギリシャ人。ギリシャではἸησοῦς (イエス)をIHS (Ihsus)って表記するしね。


いわゆるキリストグラムではIesus(IHESUS) Nazarenus Rex Iudaeorum(ナザレのイエス、ユダヤの王  The Lord Jesus Christ ,  The Lord Jesus Christ, King of the Jews)はギリシャ、ローマ、ヘブルで記されていて、十字架磔刑の作品に使われていることが多い。

IHESUSに十字架のクロスをエル・グレコは画きこんだところを見ると、十字架磔刑とモノグラム(IHS and✟)で、「Ἰησοῦς ὁ Ναζωραῖος ὁ Bασιλεὺς τῶν Ἰουδαίων(ユダヤの王、ナザレのイエス)」に基づいて、正教会でよく使われる「INBI」のモノグラムを表現したのかも。

エル・グレコはヤハウェの子音で神聖四字(テトラグラマトン)を真似て、わざわざ「† 」を描いたんじゃない?

Chapter House, Monasterio de San Lorenzo, El Escorial

エル・エスコリアル修道院の参事会会議場 1  2009
左壁にはエル・グレコの作品の聖人、「イエスの御名の礼拝」がある。

Chapter House,  San Lorenzo, El Escorial

エル・エスコリアル修道院 中央 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano)の「聖ヒエロニムス」
花輪はイタリアの画家マリオ・ヌッツィ、ティツィアーノのサイドはホセ・デ・リベーラ(工房)


エル・グレコの「イエスの御名の礼拝」は、1571年の「レパントの海戦」の寓意画らしい。ドン・キホーテの作者ミゲル・デ・セルバンテスが左腕を失ったという時代の戦い。

黒のローブのフェリペ2世、後ろ向きで黄色いローブをまとっている老人はヴェネツィアのドージェ(元首)のモチェニゴ、(青い服を着ているのは誰だ)、そのひざまずく二人のそばに立つのはピウス5世 (ローマ教皇)。剣を持つのはフェリペ2世の庶弟の総司令官ドン・フアン・デ・アウストリア。

オスマン帝国に大勝利した教皇・スペイン・ヴェネツィアの連合海軍が描かれている。ドン・ファンはこの作品が制作が始められた1758年に死去。

San Ildefonso , San Pedro  EL GRECO Real Monasterio de San Lorenzo de El Escorial.

左が写真に写る「聖イルデフォンソ」(219×105)、右は「聖ペトロ」(209×106) 
1610-13 エル・エスコリアル修道院 


過去記事で使用している「聖イルデフォンソ」は椅子に座る作品と、このサンタ・クルス、エル・エスコリアルの立つ姿勢の作品が多く描かれている。サンタ・クルス美術館寄託(サン・ニコラス教区聖堂)の「聖イルデフォンソ」、「聖ペトロ」のほうが早く制作されているが完成は同じ。

Domenikos Theotokopoulos (El Greco) - San Ildefonso; 1600s; Museo del Prado, Madrid, Spain

(C)WIKI エル・グレコの「聖イルデフォンソ」(1600年頃)として掲載されている。
プラド美術館所蔵とあるが、エル・エスコリアル修道院で掲載しているサイトもある。


WIKIにプラド美術館所蔵として「聖イルデフォンソ」(241 × 162.5 cm)の作品画像がエル・グレコとして掲載されていたが、工房作品かあるいは息子の作品かわからない。1600年頃のものだった。プラド美術館の所蔵リストにも、HPにも公開されていない。

The Oballe Chapel in San Vincente, Toledo (1608-13) by EL GRECO Toledo, Museo de Santa Cruz

エル・グレコ  サン・ビセンテ聖堂オバーリェ礼拝堂の聖イルデフォンソ、聖ペトロ
1608-13  サンタ・クルス美術館寄託(サン・ニコラス教区聖堂)


エル・エスコリアル修道院の聖者の礼拝堂のための装飾画。書き直しを命じられたという「聖マウリティウスの殉教」だが・・。。

ルターの宗教改革で、ルターの友人である画家クラナッハは、ルターが天敵のブランデンブルクのアルブレヒト枢機卿の肖像画において、マルクト教会祭壇画の左翼ほか、ルターもアルブレヒト枢機卿も聖マウリティウスとして画きまくっている。

フェリペ2世はご存知のようにカール5世 (1550-1558)の子息。カール5世はルター擁護のザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒ (1503-1554)を捕囚。カール5世はヨハン・フリードリヒの兄フリードリヒ3世 (ザクセン選帝侯)に推薦されローマ皇帝となった経緯があり、フリードリヒ3世がルターを匿った折には特別な措置はとらなかった。

The Martyrdom of St Maurice by EL GRECO Chapter House, Monasterio de San Lorenzo, El Escorial

聖マウリティウスの殉教 1580-81 エル・エスコリアル修道院


司教領主であるマインツ大司教を勤めたアルブレヒト・フォン・ブランデンブルクだが、聖マウリティウス信仰のハルデクゼンも、マインツ大司教の領地である。そのハルデクゼンの聖マウリティウス教会にルター派が礼拝したのが1540年のこと。アルブレヒト枢機卿は退散。

しかもプロテスタントは聖マルティヌスの祝祭を、マルティン・ルターを祝う日とされている。ローマ・カトリック教会とプロテスタントの宗教的な問題なのか、単にフェリペ2世が難癖をつけただけなのか。

どうやら宗教的問題ではなく、「聖像に関する教令」に反しているらしい。さて、どこが?

エル・エスコリアル修道院には、エル・グレコの「聖マウリティウスの殉教」と同じ題材で、左右逆の構図をとる作品がある。それで別の画家が書き直したわけだが。

Romulo Cincinnato - The Martyrdom of St. Maurice 1583 El Escorial, Monasterio de El Escorial

ロムロ・シンシナト 聖マウリティウスの殉教 1583 エル・エスコリアル修道院


エル・グレコの納まるべき「聖マウリティウスの殉教」は「ロムロ・シンシナトの「聖マウリティウスの殉教」が代替になった。それでこのエル・グレコの巨大な「聖マウリティウスの殉教」は、聖堂ではなく別の場所に掛けられている。

「聖像に関する教令」に触れるとされたのは、「聖衣剥奪」もそう。キリストの位置が群集より低かったことだが、WIKIによると聖マウリティウス、エジプトの在郷軍人会、ローマ軍の司令官、ローマ皇帝マクシミアヌスが描かれるそうだ。

ところが聖マウリティウスを含むテーバイの3人の指揮官と追随した兵士たちが皇帝に背いてキリスト教徒の抱迫害を拒否する者たちで、聖マウリティウス殉教の場面ではない。



聖マウリティウスの後方にフェリペ2世とアレッサンドロ・ファルネーゼ (パルマ公)


1557年のサン=カンタンの勝利を記念し、フェリペ2世は死者への追悼を含めてエル・エスコリアル修道院の建設した。

そこでエル・グレコはここにはスペインが勝利した戦いの英雄を重ねて描いているらしい。

フェリペ2世のほかにカルロス5世、ドン・ファン、アレッサンドロ・ファルネーゼ (パルマ公)、エマヌエーレ・フィリベルト (サヴォイア公)ではないかという人物が描かれている。つまりは殉教場面でもなく、エル・グレコの解釈版聖マウリティウスの殉教となっているからにして、礼拝の作品ではないということになったらしい。

だが、なにもグレコに限ったわけではない。エル・エスコリアルに関わったスペイン人以外の画家たちの何人かは、やはり同じ理由で塗りつぶされたりもされている。


 エル・エスコリアル修道院 参事会会議場


Chapter Houses

エル・エスコリアル修道院の参事会会議場 2  2009


ティツィアーノの「オリーブ山の祈り」、「最後の晩餐」ほか、ベラスケスの「服を剥ぎ取られるヨゼフ」、ホセ・デ・リベーラの「キリストの埋葬」、ティントレットの「アハシュエロス王の前のエステル」などがある。

グレコの「聖マウリティウスの殉教」は、参事会会議場の写真1と2の出入り口に展示されている。

Sala vicarial del Monasterio de San Lorenzo de El Escorial

エル・エスコリアル修道院 参事会会議場 2
右は祭壇中央の絵画がなかった時 貸し出し中だったのか、他の場所だったのか?


Sala vicarial del Monasterio de San Lorenzo de El Escorial

エル・エスコリアル修道院 ティツィアーノのサイドの花輪の作品は右が「」。
モレット・ダ・ブレーシャ(アレッサンドロ・ボンヴィチーノ)の預言者シビラとイザヤ


Titian(Tiziano Vecelli) Christ praying in the garden of olives Sala vicarial del Monasterio de San Lorenzo de El Escorial

祭壇中央 ティツィアーノの「オリーブ山の祈り」 エル・エスコリアル修道院


Tiziano la ultima cena 1558 Chapter House, San Lorenzo, El Escorial

ティツィアーノの「最後の晩餐」1558-64 エル・エスコリアル修道院


Jacopo Robusti Esther before King Ahasuer,1548 Chapter House,  San Lorenzo, El Escorial

ティントレットの「アハシュエロス王の前のエステル」 1548 エル・エスコリアル修道院


Tintoretto  The Conversion of Mary Magdalenec.1546/47 Real Monasterio de San Lorenzo de El Escorial Madrid Spain

ティントレットの「マグダラのマリアの改心」 1546-47 エル・エスコリアル修道院





(C)lessing photo The Holy Family Anonymous Italian painter Monastero de San Lorenzo, El Escorial, Spain

(C) lessing photo 聖家族 作者不詳 エル・エスコリアル修道院


参事会会議場には作者不詳の作品もかけてあった。ティツィアーノ、ティントレット、ホセ・デ・リベーラ、モレットなんかの作品群の中で、イタリアのルネサンスっぽいカンジ。



Chapter House,  San Lorenzo, El Escorial


ここを正面と見て、左側の壁にエル・グレコの「聖イルデフォンソ」、「聖痕をうける聖フランチェスコ」が2枚、そして「イエスの御名の礼拝」がかかる。

San Francisco recibiendo los estigmas    El Greco  Monastero de San Lorenzo, El Escorial

エル・グレコ 聖痕をうける聖フランチェスコ エル・エスコリアル修道院


エル・グレコの「聖フランチェスコ」は他の構図のものもあり、バージョンいっぱいだ。「聖痕をうける聖フランチェスコ」はエル・グレコの他にホセ・デ・リベーラのものがある。



ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano)の「聖ヒエロニムス」 エル・エスコリアル修道院


右側の壁には、ホセ・デ・リベーラ、ベラスケスが並ぶ。

José de Ribera Entombment. Chapter House,  San Lorenzo, El Escorial

ホセ・デ・リベーラの「キリストの埋葬」 エル・エスコリアル修道院


 Velázquez  La túnica de José

ベラスケス ヨセフの長衣(ヨセフのチュニック) エル・エスコリアル修道院




Colocación deEl martirio de san Sebastián de Anton van Dyck El Escorial

聖セバスティアンの殉教 ヴァン・ダイク エル・エスコリアル修道院


アンソニー・ヴァン・ダイクの「聖セバスティアンの殉教」は、1656年から1809年の間、参事会会議場にあった作品。

スペイン独立戦争(1808-1814)で、ナポレオンが侵攻した際にフランスに持っていったのだろうか。

1930年頃までリヨン(個人所蔵)にあり、2000年にロンドンのクリスティーズに出品されていたらしい。それを買い戻したのか、いままたエル・エスコリアル修道院の参事会会議場にある。


 


何度か訪れた方はわかると思うけど、展示室が変わっていることがある。この写真の左右端の作品は、古礼拝堂にある。


この写真の左側の作品は、聖具室に展示されていたが2009年には「絵画館」にあった。右端も2009年には「絵画館」にだった。左から二番目はファン・フェルナンデス・ナバレーテ(Juan Fernández Navarrete)の「使徒ヤコブの殉教」らしい。


 エル・エスコリアル修道院 絵画展示室 Sala de Pintura

Bosch,Hieronymus El Escorial, Real Monastero de San Lorenzo, El Escorial, Spain

エル・エスコリアル修道院  ヒエロニムス・ボス


前の参事会会議場に比べて小さな室内。ボッシュの作品だとわかるのが4点で、そのうちこの3作品が並んで展示されていた。ここも参事会会議場のひとつだろうか。左からヒエロニムス・ボスの「十字架を担うキリスト」、「快楽の園」に似ている「乾草車(干草車)」(三連祭壇画)、「エデンの園」になる。

El Bosco. El carro de heno, tríptico. Salas Capitulares. Monasterio de El Escorial

ヒエロニムス・ボス 「乾草車」(干草車) 1500-1502 エル・エスコリアル修道院


Carro de Heno El Caminante 1500-1502, Monasterio de San Lorenzo, El Escorial, Madrid

ヒエロニムス・ボス 「乾草車」の閉扉面「放蕩息子」 エル・エスコリアル修道院


The Hay Wagon Hieronymus Bosch  Prado Museum

ヒエロニムス・ボス 「乾草車」(干草車) 
閉扉面の「放蕩息子」  1490 - 1500 プラド美術館


プラド美術館所蔵の「快楽の園」(三連祭壇画)と似ていて似いない。この三連祭壇画の「乾草車」(干草車)はプラド美術館とエル・エスコリアル修道院にある。その違いは「エデンの園」にサインがあるのがエル・エスコリアルで、中央パネル「乾草車」にサインがあるのがプラド美術館。



ヒエロニムス・ボス エデンの園  エル・エスコリアル修道院


ヒエロニムス・ボスのプラド美術館所蔵の「快楽の園」(三連祭壇画)を下絵にしたタペストリーも所蔵されている。



ヒエロニムス・ボス 荊冠のキリスト エル・エスコリアル修道院




エル・エスコリアル修道院 古礼拝堂

 

Old church Real Monastero de San Lorenzo, El Escorial


ハプスブルグ家の礼拝堂らしい。祭壇画には「聖ロレンツォの殉教」、壁側の右にもティツィアーノの「羊飼いの礼拝」、左が「キリスト降誕」だったか?

The Matyrdom of St Lawrence by Titian

ティツィアーノ  聖ロレンツォの殉教 エル・エスコリアル修道院



 エル・エスコリアル修道院 王族の霊廟



 エル・エスコリアル修道院 回廊のフレスコ画


frescos Real Monastero De San Lorenzo, El Escorial, Spain


回廊とか15くらいあるなかで、フレスコ画がずっと続く。回廊以外にもクラウディオのフレスコ画(戦いの間)、聖堂や図書館などなどあちらこちらと描かれて、誰の作品かわからない。

ルカ・カンビアーソ (Luca Cambiasi) からペッレグリーノ ・ ティバルディ(Pellegrino Tibaldi.)に続くらしい。ルカ・ジョルダーノ(Luca Giordano)は福音書からモーゼ、ギデオン、ダビデなどを描いている。

この写真の壁のフレスコ画のあたりは、フアン ・ デ ・ ヘレラ(Juan de Herrera)だと思う。



uan de Juanes Monasterio de San Lorenzo de El Escorial

エル・エスコリアル修道院


プラド美術館にもあるフアン・デ・フアネスの「最後の晩餐」だ。別バージョンやレプリカとかコピーがプラドとエル・エスコリアルに多く存在している。


エル・エスコリアル修道院 聖具室

 

Sacristía  El Escorial

エル・エスコリアル修道院 聖具室 2009


この聖具室にズラリとかかる作品群は昔は込み合うように掛けられていたらしく、かけてある作品も時々に変わるらしい。

Crucifixión. 1555.  Sacristía del Real Monasterio de San Lorenzo de El Escorial. Tiziano

ティツィアーノ キリストの磔刑 1555 エル・エスコリアル修道院


The adoration of the Host by Claudio Coello 1642-1693 El Escorial

クラウディオ・コエーリョ 聖体の秘儀 1685−90  エル・エスコリアル修道院
聖具室の主祭壇 カルロス2世が描かれている。



エル・エスコリアル修道院 絵画館 Museo de Pintura 

Adoración de los pastores de Tintoretto.

ティントレット 羊飼いの礼拝 エル・エスコリアル修道院


The Adoration of the Shepherds  Federico Zuccaro  Monasterio de El Escorial

フェデリコ・ツッカリ 羊飼いの礼拝 エル・エスコリアル修道院


フェデリコ・ツッカリもフェリペ2世のお気に召さなかった一人で、エル・エスコリアル修道院の装飾は塗りつぶされたものが多い。

Veronés. La Anunciación, 1583. Sala cuarta. Sala de paseo. Palacio de Verano. Casa del Rey. Monasterio de El Escorial

ヴェロネーゼ 受胎告知 1583 エル・エスコリアル修道院


Monasterio de El Escorial

受胎告知(部分) 画家 誰だっけ?


Nuevos Museos Monasterio de San Lorenzo El Real de El Escorial

写真A 2009年頃の絵画館 正面 ロヒール・ファン・デル・ウェイデン 「磔刑」
手前がフェデリコ・ツッカリの「羊飼いの礼拝」、写っていないがヴェロネーゼの「受胎告知」
左奥から二番目がティントレットの「羊飼いの礼拝」 その隣が「聖ヒロムニエス」




写真の右端に展示されているロヒール・ファン・デル・ウェイデン「十字架降下」
エル・エスコリアル修道院





ロヒール・ファン・デル・ウェイデン 「磔刑」 エル・エスコリアル修道院



 



以前の展示


写真の出入り口中央にあるのがヴェロネーゼの「受胎告知」だが、写真Aでは、撮影されていないが左端にあった。右壁の中央にあるティツィアーノの「最後の晩餐」、ティントレットの「アハシュエロス王の前のエステル」は、 先に紹介した参事会会議場。


 

Cano,Alonso Madonna and Child. Real Monastero de San Lorenzo, El Escorial, Spain


アロンソ・カーノ 「聖母子」 エル・エスコリアル修道院


作者不詳の「聖母子」、誰かの画家の名はあったけどもうわからないが「無原罪の御宿り」とか。

José de Ribera  Apparition of the infant Jesus to Saint Anthony of Padua

ホセ・デ・リベーラ エル・エスコリアル修道院




写真から微妙にタイトルと画家がわかりそうだが、わからなかった。

 

Zurbaran,Francisco de Presentación de la Virgen  Real Monastero de San Lorenzo, El Escorial, Spain

スルバラン  聖母の神殿奉献 エル・エスコリアル修道院



 

Tintoretto  Real Monastero De San Lorenzo, El Escorial

ティントレット マグダラのマリア(部分) エル・エスコリアル修道院


 Veronese  Real Monastero De San Lorenzo, El Escorial, Spain

ヴェロネーゼ? 十字架降下(部分) エル・エスコリアル修道院


Luca Giordano, Mary Magdalen repentant.Churchfather Saint Jerome

ルカ・ジョルダーノ マグダラのマリア、聖ヒロムニエス エル・エスコリアル修道院


ここには聖母子やマグダラのマリア、無原罪の御宿りなど「聖女」も多かった。ヴァン・ダイクの「聖母子」だったか「聖家族」とかがあった。

Pieter Paul Rubens

ルーベンス エマオの晩餐(部分) エル・エスコリアル修道院




これもルーベンス 



メモをとっていたわけではなかったので、残念ながら画家と作品名がはっきりしないものが多い。祭壇画だったもののような作品や三連祭壇画もあった。

Coxcie,Michiel van Madonna, Joachim and Anna, her parents. Real Monastero de San Lorenzo, El Escorial, Spain

ミッシェル・コクシ― キリスト降誕


Coxcie,Michiel  Real Monastero de San Lorenzo, El Escorial, Spain

ミッシェル・コクシ― 受胎告知(部分)


ミッシェル・コクシ―(Michael Coxcie 1499-1592)の対画のような「キリスト降誕」と「受胎告知」、そして「ダビデとゴリアテ」が出入り口をはさんで左右に展示されていた。

Coxcie,Michiel van The martyrdom of Saint Philip.Real Monastero de San Lorenzo, El Escorial, Spain

ミッシェル・コクシ― 聖フィリップの殉教 エル・エスコリアル修道院


Coxcie,Michiel van Madonna, Joachim and Anna, her parents. Real Monastero de San Lorenzo, El Escorial, Spain

ミッシェル・コクシ― 聖母子と両親 エル・エスコリアル修道院


ミッシェル・コクシ―はヒエロニムス・ボスの「快楽の園」を模写してる。


 



(C) lessing photo フェデリコ・バロッチ(Federico Barocci)


フェデリコ・バロッチの「奇跡の漁リ」は、スルバランの「聖母の神殿奉献」とかと同じ展示室だったかも。


 

The Last Supper Coxcie,Michiel van El Escorial

ミッシェル・コクシ― 最後の晩餐 エル・エスコリアル修道院



 

Quentin Massys El cambista y su mujer El Escorial

クエンティン・マサイス 両替商とその妻 エル・エスコリアル修道院



フェリペ2世の宮殿


Felipe II

フェリペ2世の寝室




Joachim Patinir, Landscape with St. Christopher

ヨアヒム・パティニール キリストを運ぶ聖クリストファー 1520年頃 エル・エスコリアル修道院


ここにかかる3枚の作品はメモしてきたはずだが、ない。残念。記憶にもない。なんか有名な画家だったはずなんだけど。かろうじてヨアヒム・パティニールだけ覚えていた。

謁見室

王女イサベル・クララ・エウヘニアの居室

マルコ・ピーノの「十字架磔刑」 エル・エスコリアル修道院


 エル・エスコリアル修道院 図書館

 


ポッジ宮博物館の装飾も手がけたペッレグリーノ・ティバルディ(Pellegrino Tibaldi)によるフレスコ画。フェリペ2世の贖罪神父ホセ・デ・シグエンサ(Jose de Siguenza)は「聖ヒエロニムス修道会の歴史」(Historia de la Orden de San Jerónimo 1600-1605)で、このフレスコ画を批判しているらしいが、丸天井のフレスコ画は、シグエンサ神父の図像にそって描かれたともある。

ここの蔵書は、フェリペ2世自身が選択した可能性がある。贖罪神父ホセ・デ・シグエンサ(Jose de Siguenza)は、この図書館で整理・分類をし図書館の司書を兼任。

ここには賢王、天文王と呼ばれたアルフォンソ10世 (カスティーリャ王)編纂の「聖母マリアのためのカンティーガ集」(Cantigas de Santa María)がある。もしかすると、七部法典、世界史、スペイン史、アルフォンソ天文表も所蔵されているかもしれない。1671年の火災で焼失していなければ。

Esfera armilar es obra de Antonio Santucci, c. 1582

アントニオ・サントゥッチ(Antonio Santucci)の渾天儀


10世紀以来の伝統的なモサラベ様式の写本のほか、もともとサン・ミジャン(サン・ミシャン)のユソ修道院にあった「聖ミリャン修道院の注解」(Glosas Emilianenses)が、現在ここにある。

この写本は977年に聖アウグスティヌスのラテン語で書かれたものにカスティーリャ語で注釈が書かれていたものだ。現存するカスティーリャ語の文書で最古というわけで価値がある。

またスペインのキリスト教神秘主義者聖女テレサ・デ・ヘスス(Teresa de Jesús 1515-1582)の著作本もいくつかあるらしい。エル・エスコリアル修道院着工当時に生存していた人物。


エル・エスコリアル修道院 大聖堂

 


ペッレグリーノ・ティバルディ(Pellegrino Tibaldi)、フェデリコ・ツッカリ(Federico Zuccari)によるもの。

※ まだアップしていない画像があるので、ヒマみて書き足します。







★2012.10.24 各作品記事リンク先
XAI エル・グレコ オルガス伯爵の埋葬

■ エル・グレコ関連記事 
エル・グレコとその工房 受胎告知
エル・グレコと工房 7枚の聖衣剥奪
エル・エスコリアル修道院 フェリペ2世の夢
サン・ホセ礼拝堂 エル・グレコ 4枚の祭壇画
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タベラ施療院 エル・グレコの祭壇画とコレクション
エル・グレコの十字架のキリストとピエタ
エル・グレコ 5枚の「神殿から商人を追い払うキリスト」
エル・グレコ 無原罪の御宿り(ティッセン=ボルネミッサ美術館、サンタ・クルス美術館)
サント・ドミンゴ・エル・アンティグオ聖堂 エル・グレコの祭壇と墓碑 ソネットを捧げたパラビシーノ
| 教会・聖堂 | 19:08 | trackbacks(0)

The Baptism of Christ 1608-28 Hospital Tavera, Toledo

エル・グレコ キリストの洗礼 1608-28
タベラ施療院(タベーラ施療院) サン・ファン・バウティスタ礼拝堂


トレドのタベラ施療院にあるサン・ファン・バウティスタ礼拝堂に、「キリストの洗礼」がある。この祭壇画が絶筆となり、息子のホルヘ・マヌエル・テオトコプリが引き継いだ。

ご存知のようにプラド美術館所蔵の「キリストの洗礼」と非常に良く似ているが、プラド美術館所蔵の作品は、マドリッドのドーニャ・マリア・デ・アラゴン学院の祭壇画の一つ。

追記
国立古代美術館(ローマ)を忘れていた。1997年のx 線解析でエル・グレコの手によるものとされた、プラド美術館所蔵の「キリストの洗礼」と「羊飼いの礼拝」にそっくりな作品。実はこの国立古代美術館(ローマ)のもののほうがオリジナルの可能性もあるかも。

El Greco presenti a Palazzo Barberini(Galleria Nazionale dArte Antica, Rome), l’Adorazione dei Pastori e il Battesimo di Gesù. Adorazione dei Pastori Il Battesimo di Gesù

エル・グレコ 礼拝堂のトリプティック (三連祭壇画)の2枚(1枚は不明)
「羊飼いの礼拝」、「キリストの洗礼」 1597年頃(1596-1600)
バルベリーニ宮殿,国立絵画館


記事エル・グレコとその工房 受胎告知にはプラド美術館所蔵の「羊飼いの礼拝」を掲載(テキストリンクから)しているので見比べてみて。

The Baptism 1596-1600 Museo del Prado, Madrid

エル・グレコ  ドーニャ・マリア・デ・アラゴン学院 大祭壇衝立画  
キリストの洗礼 1596-1600 プラド美術館所蔵


この作品を含めたドーニャ・マリア・デ・アラゴン学院の祭壇画の不明を除く6枚は先のリンク記事を同じく掲載しているからそちらからご覧あれ。

記事 エル・グレコとその工房 受胎告知

エル・グレコとその工房 受胎告知には、サンタンデール・セントラル・イスパノ銀行所蔵の「受胎告知」も紹介しているが、その「受胎告知」もタベラ施療院 サン・ファン・バウティスタ礼拝堂の祭壇画の一枚だ。

Church of San Juan Bautista Altarpieces for the Fundación Casa Ducal de Medinaceli, Hospital de Tavera, Toledo, Spain

タベラ施療院 サン・ファン・バウティスタ教会
メディナセリ公爵家財団


右側にあるのが「キリストの洗礼」(1608-28)になる。サンタンデール・セントラル・イスパノ銀行所蔵の「受胎告知」、アテネ国立美術館の「天使の合奏」、メトロポリタン美術館所蔵の「第五の封印(聖ヨハネの幻視)」、そして「キリストの洗礼」が祭壇画として制作された。そして不明の絵が1点あるらしい。



切り取られた天使の合奏と第五の封印 1608-28
どんなカンジの祭壇画だったのかな?


EL GRECO Angelic Concert  c. 1610 National Gallery, Athens

切り取られたエル・グレコの「奏楽の天使」 115 x 217  
1608-28  アテネ国立美術館


Annunciation 1608-14 Santander Central Hispano, Madrid

切り取られたエル・グレコの「受胎告知」 1608-14
サンタンデール・セントラル・イスパノ銀行


受胎告知の上部が「天使の合奏」だとあったけど、この「受胎告知」にも小さく天使の合奏が描きこまれているのだが。

The Opening of the Fifth Seal (The Vision of St John) 1608-14

切り取られた エル・グレコ 「第五の封印(聖ヨハネの幻視)」
1608-28  メトロポリタン美術館


未完の「第五の封印(聖ヨハネの幻視)」は破壊されて上部が切り取られているらしい。その上にはたぶん「子羊が七つの封印を開封する」ではないかと言われている。

「ヨハネの黙示録」によると、6章-8章5節は「子羊が七つの封印を開封する」となっており、「第五の封印」は6章-9章11節で、「殉教者が血の復讐を求める」という解釈だ。


 

Les Demoiselles dAvignon, 1907, Pablo Picasso MOMA, The Museum of Modern Art, New York

アビニヨンの娘たち  ピカソ  1907  MoMA


グラン・パレの「ピカソと巨匠たち」(Picasso et les Maitres)から。




Doménikos Theotokopoulos, EL GRECO Retrato del Cardenal Juan Pardo Tavera ca. 1610 Hospital de Tavera

エル・グレコ 枢機卿ファン・タベラの肖像 1610 (死後65年後)
メディナセリ公爵家財団タベラ施療院


タベラ施療院(タベーラ施療院)の創設者は枢機卿ファン・タベラ(1472-1545)。エル・グレコが生まれた1541年にタベラ施療院の建設が始まり完成したのが18年後の1559年。

エル・グレコ(1541-1614)が描いた枢機卿ファン・タベラの肖像画もここにある。枢機卿の死後65年後に描かれたものだ。エル・グレコが4歳の時に亡くなっているという人物の肖像画。

View and plan of Toledo. El Greco Museum. Toledo


エル・グレコ美術館所蔵の「トレドの景観と地図」(1610-14年)では、エル・グレコはこのタベラ施療院の完成を雲を描いて祝福しているかのようだ。

このタベラ施療院はスペインの名門貴族メディナセリ公爵家の所有するもので、機卿ファン・タベラの施療院は、いまはメディナセリ公爵家財団の宮殿美術館となっている。

Hospital Tavera, Toledo

タベラ施療院(メディナセリ公爵家財団)


メディナセリ公爵家のタベラ施療院でのコレクションにはエル・グレコのほか、エル・グレコの師ティツィアーノ、ティントレット、ホセ・デ・リベーラ、ピーテル・ブリューゲル、フランス・スナイデルス、ヤコポ・バッサーノ、フランシスコ・デ・スルバラン、アロンソ・サンチェス・コエリョと巨匠の名作がいっぱいある。

エル・グレコがタベラ施療院(サン・ファン・バウティスタ教会)の依頼を受けた時代のメディナセリ公爵は第6代目のファン・デ・ラ・セルダ(1569-1607)。彼が依頼主かどうかは知らないが、この展示室にかかるのは「枢機卿ファン・タベラの肖像」と「聖家族」になる。

La Sagrada Familia con Santa Ana  THEOTOKÓPOULOS, Doménikos (El Greco)  ca. 1595

聖アンナのいる聖家族 1590 -1595  タベラ施療院(メディナセリ公爵家財団)


もちろんこの「聖アンナのいる聖家族」は絶筆じゃない。

タベラ施療院(サン・ファン・バウティスタ教会)の祭壇画「キリストの洗礼」、「奏楽の天使」、「受胎告知」、「「第五の封印(聖ヨハネの幻視)」が絶筆。

びっくりしたのは、この作品がエル・グレコ一家となっている記事があったことだが?

正妻ではなく、37年間同棲していたヘロニマ・デ・ラス・クエバスに似ている気もする聖母マリア。そしてイエスは二人の息子ホルヘ・マヌエル・テオトコプリ(1575-1631)なのだろうか?

これまでは、この作品に関してそういう説が解釈されていないようだけど。別のヴァージョンではそういう説のあるものがある。

La Sagrada Familia con María Magdalena y plato de frutas by El Greco

エル・グレコ マグダラのマリアと聖家族
右 1590-95 クリーブランド美術館  左 1610-11 ソウマヤ美術館




エル・グレコ 白貂の毛皮をまとう貴婦人(ヘロニマ・デ・ラス・クエバス)  1577-1590  グラスゴー美術館
エル・グレコ マグダラのマリアと聖家 部分 1590-95 クリーブランド美術館


クリーブランド美術館所蔵の「マグダラのマリアと聖家族」の聖母は愛人ヘロニマ・デ・ラス・クエバス、聖ヨセフはエル・グレコの肖像画という解釈もある。

El Greco

エル・グレコ 聖家族 1580年頃 アメリカ・ヒスパニック(スペイン)協会
エル・グレコ 聖アンナのいる聖家族 1600 ブタペスト美術館所蔵


いろんなヴァリエーションが存在するエル・グレコの「聖家族」。所蔵先のタベラ施療院(サン・ファン・バウティスタ教会)、美術館サイトでもそのような指摘はなかった。

1580年の「聖家族」(アメリカ・ヒスパニック協会)は、グレコの息子が5歳の時なので、もしかするとそうかもしれない。この作品とタベラ施療院(メディナセリ公爵家財団)の聖母マリアの顔が似ている。

El Greco

アメリカ・ヒスパニック協会所蔵、タベラ施療院(メディナセリ公爵家財団)所蔵


サンタ・クルス美術館所蔵の「聖アンナと幼子聖ヨハネと聖家族」では、献納者の肖像画を聖ヨセフとして描いている。

The Holy Family El Greco (Domenikos Theotokopoulos) Museo de Santa Cruz, Toledo

古いヴァージョンのひとつ エル・グレコ 聖アンナと幼子聖ヨハネと聖家族
1586-88 サンタ・クルス美術館


The Holy Family with Saint Anne and the Infant John the Baptist by El Greco (Domenikos Theotokopoulos)

エル・グレコ 聖アンナと幼子聖ヨハネと聖家族
右 1594-1604 プラド・美術館 なぜか現在は公開されていない
左 1595-1560 サミュエル・H・クレスコレクション ワシントン・ナショナル・ギャラリー


タベラ施療院(メディナセリ公爵家財団)の所有する「聖アンナのいる聖家族」(1590 -1595)は、1631年にアロンソ・カポシュ(冶金学者?)の未亡人テレサ・デ・アギレラからの寄付らしい。

タベラ施療院(メディナセリ公爵家財団)には、これもまたバージョンの多いエル・グレコの「アッシジの聖フランシスコ」がある。

San Francisco de Asís,St Francis in Prayer before the Crucifix

エル・グレコ、工房作品 アッシジの聖フランチェスコ タベラ施療院(メディナセリ公爵家財団)所蔵
エル・グレコ ひざまずいて瞑想する聖フランチェスコ 1585-90 ビルバオ美術館


9 つくらいのバージョンのある「十字架の前で祈る聖フランチェスコ」で、所蔵されているバージョンは右側にキリストの十字架を置き、ひざまずいて瞑想するポーズの作品。ビルバオ美術館が古いのだろうか。タベラ施療院(メディナセリ公爵家財団)所蔵の聖フランチェスコは1600年頃。

St Francis Meditating

聖フランチェスコの瞑想 1595 サンフランシスコ美術館
ひざまずいて瞑想する聖フランチェスコ 1595-1600 シカゴ美術館
ひざまずいて瞑想する聖フランチェスコ 1605-10 個人所蔵


スペイン語の訳に間違いがなければ、タベラ施療院(メディナセリ公爵家財団)の「アッシジの聖フランチェスコ」は、聖職者で施療院学長ドン ・ ペドロ ・ サラザール ・ デ ・ メンドーサの所有していたものだったらしい。彼はトレド大聖堂、聖ホセ施療院(聖ヨハネ施療院)を管理していたという。聖ホセ施療院(聖ヨハネ施療院というのがタベラ施療院。

エル ・ グレコのパトロンであり友人でもあった。でもこの人の肖像画は残ってないね。

たぶんトレドの教会や施療院の仕事をエル・グレコに斡旋していたのではないだろうか。1600年ごろと言われているこの作品だが、息子ホルヘ・マヌエル・テオトコプリと工房による作品かもしれない。

この施療院学長ドン ・ ペドロ ・ サラザール ・ デ ・ メンドーサのエル・グレコのコレクションはまだある。

Las Lágrimas de San Pedro THEOTOKÓPOULOS, Doménikos (El Greco)

エル・グレコ 悔悛する聖ペテロ 1605年
タベラ施療院(メディナセリ公爵家財団)


El Greco San Pedro en lágrimas, (St. Peter in Tears), Ca.1587-1620. Toledo, Museo del Greco

エル・グレコ、工房作品 悔悛する聖ペテロ 1587-1620年
エル・グレコ美術館


The Penitent Saint Peter, ca.1590-95 San Diego Museum of Art

エル・グレコ 悔悛する聖ペテロ 1590-95年
サンディエゴ美術館


エル・グレコ美術館の「悔悛する聖ペテロ」は死後に完成されたよう。この主題の多く作品に残している。

The Tears of St. Peter  Domenikos Theotokopoulos El Greco  The Bowes Museum

エル・グレコ 悔悛する聖ペテロ 1580-1589年
ボウズ美術館


ボウズ美術館所蔵の「悔悛する聖ペテロ」から派生したバージョンだろうか。

タベラ施療院に所蔵されている作品を含め、エル・グレコの晩年、未完成の作品には、息子ホルヘ・マヌエル・テオトコプリ、工房による作品が多いようだ。

Retrato de Jorge Manuel by El Greco Museo de Bellas Artes de Sevilla ,  Portrait of a painter, after El Greco, 1950 Artist: Pablo Picasso Collection Rosengart, Lucerne

エル・グレコ ホルヘ・マヌエル・テオトコプリの肖像画 セビリア美術館
ピカソ エル・グレコに基づく 画家の肖像画 1950 ルツェルン・ローゼンガルト・コレクション


WIKIによるとグレコの作風が受けない時代に入り、グレコの形式に倣うホルへ・マヌエルには、父の死後に画家として名の残るものはないらしい。

★2012.10.24 各作品記事リンク先
XAI エル・グレコ オルガス伯爵の埋葬

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| 教会・聖堂 | 23:27 | trackbacks(0)

The Virgin and Child with St Martina and St Agnes 1597-99 by EL GRECO  National Gallery of Art, Washington 

エル・グレコ 聖アグネスと聖マルティナのいる聖母子
ワシントン,ナショナル・ギャラリー


1597年から1599年にかけて制作され、トレドのサン・ホセ礼拝堂(聖ヨゼフ礼拝堂)の主祭壇の右側(南祭壇)にあった「聖アグネスと聖マルティナのいる聖母子」は、現在はナショナル・ギャラリー(ワシントン)にある。


ライオンを従え殉教者の印である棕櫚の葉を持つ聖マルティナ。226年、炉で焼かれ、ライオンに脅かされ、斬首で殉教した聖マルティナの遺骨は、1634年にマルティナと息子たちの墓が見つかっているという。えっ!子供いたの?処女聖人とあるけど?

このライオンの額にエル・グレコの名ドメニコス・テオトコプーロスのイニシャルが書き込まれたとあったが、何語で書いた?ギリシャ語だとΔομήνικος Θεοτοκόπουλος、だが、あらら、普通にDoménikos Theotokópoulosだった。

ElGreco signature

エル・グレコ(ドメニコス・テオトコプーロス)の署名


なんで子羊ではなく、ライオンにイニシャルを書き込んだのだろう?デザイン的な問題だろうか。1月30日が聖マルティナの祝日なので、エル・グレコの生誕と関係あるかと思ったが、わからない。

右の聖女は、ギリシャ語で「純潔な、神聖な」というイネス(hagnē ,ἁγνή) と呼ばれる聖アグネスで子羊がアトリビュート。ラテン語の子羊 agnus(アグヌス、アニュス)と言われる所以。

capilla de San José   Altarpiece Saint Joseph and the Infant Christ with The Coronation of the Virgin by El Greco


この南の祭壇画「聖アグネスと聖マルティナのいる聖母子」の中央に位置する主祭壇。上段のスキームに「聖ヨセフと幼子キリストのいる聖母戴冠」、主祭壇に「聖ヨセフと幼子キリスト」が描かれた。

「聖ヨセフと幼子キリストのいる聖母戴冠」は他にもある。良く似ている構図のものが多い。この主祭壇の2枚については記事の最後で紹介。

エル ・ グレコは、主祭壇の両側にダビデとソロモンの彫像を置き、主祭壇の北の祭壇(左側)に「聖マルティヌスと乞食」の祭壇画を置いた。


ご存知のようにエル ・ グレコの「聖マルティヌス(サン・マルタン)と乞食」のレプリカは多く存在している。

エル ・ グレコの「聖マルティヌスと乞食」は、聖マルティヌスのイコンのとおりに描かれているみたいだ。

St. Martin  After a detail of a painting by Hans Memling,Martino  Gonçal Peris

右 祭壇画から 聖マルティヌスと乞食 1420 (部分)  ゴンサル・ペリス  
左 イコン 聖マルティヌス 1487 (部分) 一部にハンス・メムリンク


El Greco  St Martin and the Beggar 1597-99 National Gallery of Art, Washington

エル ・ グレコ サン・ホセ礼拝堂 「聖マルティヌスと乞食」 1597-99
193.5 x 103 (左少し切れてます)  ワシントン・ナショナル・ギャラリー


Anonymous Artist (Workshop of El Greco)Saint Martin and the Beggar, 1600/1614 National Gallery of Art, Washington, DC,El Greco Saint Martin and the Beggar, 1599 CHI MEI MUSEUM, TAINAN, TAIWAN

聖マルティヌスと乞食   右 エル・グレコ 1599年頃 奇美博物館
左 エル・グレコ工房作品 ワシントンナショナル・ギャラリー 1600-1604


El Greco (Domenikos Theotokopoulos)  Saint Martin and the Beggar, 1597/1600  The Art Institute of Chicago

エル ・ グレコ 「聖マルティヌスと乞食」 1597-1600
110 x 63 シカゴ美術館所蔵


シカゴ美術館所蔵のエル・グレコの「聖マルティヌスと乞食」 は、サン・ホセ礼拝堂の 「聖マルティヌスと乞食」の制作時期とほとんどいっしょ。エル・グレコの「聖衣剥奪」も礼拝堂と同じ時期に描かれた作品があり、もしかするとほとんどの礼拝堂や施療院に収められた作品には、レプリカではなく、「オリジナル」が別に存在しているのかもしれない。




le Greco Pablo Picasso


5、6年前にグラン・パレで「ピカソと巨匠たち」(Picasso et les Maitres)があって、その会期に合わせてルーヴルでピカソ - ドラクロワ展、オルセーでマネの草上の昼食が、パリピカソ美術館と協賛して開催された。

その時に、リーフレットやカタログ、ちまたのフリーペーパーにも、ピカソと巨匠たちの類似作品が並んだ。もともとピカソは模倣作品としてタイトルにつけていた「マネの草上の昼食」をはじめ、ドラクロワやダヴィッドなどがある。

それ以外の作品に類似点を見つけているのがエル・グレコの「聖マルティヌスと乞食」とピカソの「馬を引く裸の少年.1906」 (MoMA)だ。

こんなにレプリカがあるので、どの「聖マルティヌスと乞食」 にインスピレーションを得たんだろう。



それでは主祭壇の二枚。

聖人と聖女の祭壇画の中央、その上段のスキームに「聖ヨセフと幼子キリストのいる聖母戴冠」も同じパターンを繰り返している。

The Coronation of the Virgin 1597-99 by EL GRECO

エル・グレコ 聖ヨセフと幼子キリストのいる聖母戴冠
1597-99 サン・ホセ礼拝堂


サンタ・クルス美術館所蔵の「聖母戴冠」(1591)に似ている。その「聖母戴冠」はタラベラ・デ・ラ・ビエハの礼拝堂の祭壇画だった。

The Coronation of the Virgin(church of Talavera la Vieja in Toledo) 1591 Museo de Santa Cruz, Toledo現在はサンタ・クルス美術館に所蔵されている「聖母戴冠」は、1591年のタラベラ・デ・ラ・ビエハの礼拝堂の祭壇画になる。

聖アンデレと聖ペテロと3枚による祭壇画だったらしい。

このパターンがサン・ホセ礼拝堂、イリェスカス、カリダー施療院(カリダード施療院)の「聖母戴冠」(1603-05)とアテネ国立美術館にあるカリダー施療院(カリダード施療院)の「聖母戴冠」の原画に使われている。

プラド美術館所蔵の「聖母戴冠」は、この諸聖人を除いた上部にこのパターンを使用している。

プラド美術館は99×110cmのもので、何かの祭壇画の一部だったのかなーと思ってるけど。天上には父なる神とキリストと聖母。

Coronation of the Virgin, woodcut by Albrecht Dürer, 1510, Honolulu Academy of Arts

左  アルブレヒト・デューラー 母の被昇天と戴冠(木版画) 1510 
ホノルル美術アカデミー所蔵


Athens National Gallery The Coronation of the Virgin

カリダー施療院(カリダード施療院)の「聖母戴冠」の原画 アテネ国立美術館


アルブレヒト・デューラー(Albrecht Dürer)の木版画の模倣といえる。似てるよね。

El Greco (y taller) The Coronation of the Virgin 1592 Museo Nacional del Prado

エル・グレコと工房作品 聖母戴冠 1592年 プラド美術館


サン・ホセ礼拝堂の「聖母戴冠」は模倣作品なども多い。それでは、最後は「聖ヨセフと幼子キリスト」。



エル・グレコ 聖ヨセフと幼子キリスト 1597-99
サン・ホセ礼拝堂


このサン・ホセ礼拝堂の「聖ヨセフと幼子キリスト」は、ポスターなんかもあるようだ。このレプリカがサンタ・クルス美術館にあるらしいけど、見た記憶がない。

サンタ・クルス美術館サイトでも調べたが。所蔵しているのは確からしいけど展示されていないようだ。

St Joseph and the Christ Child c. 1600 Museo de Santa Cruz, Toledo

エル・グレコ 聖ヨセフと幼子キリスト 1600
サンタ・クルス美術館


養父と表現される聖ヨセフ。マタイによる福音書 1章18〜25節では「ヨセフの受胎告知」が記されている。マリアの「受胎告知」は、ルカ福音書 1章26節−38節にある。

ナザレのヨセフはキリストが十字架にかけられる前に亡くなっているから、聖母マリアに比べて幸福な死だったかもしれない。あんまり描かれていないし、描かれていたとしても老人のようだが、エル・グレコの作品では、大工という男らしいカンジも受ける。

★2012.10.24 エル・グレコ作品記事リンク先
XAI エル・グレコ オルガス伯爵の埋葬

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| 教会・聖堂 | 22:03 | trackbacks(0)

The Virgin of the Immaculate Conception Museo de Santa Cruz, Toledo

エル・グレコ サン・ビセンテ聖堂オバーリェ礼拝堂 無原罪の御宿り
1608-13  サンタ・クルス美術館寄託(サン・ニコラス教区聖堂)


これはオバーリェ礼拝堂の主祭壇画。いつも思うんだが晴れ上がった空ではなく、太陽と月、昼と夜がコーヒーにミルクを混ぜたように渦を巻いているカンジなんだ。

描かれている地上のトレドでは稲妻が光っているような空を何事かと人々は見上げているかも。

これから誕生する救世主とともに、聖母マリアも受難の未来。それを祝福と隠された嘆きを描いているようだ。薔薇に百合、天使の合奏、精霊の鳩は喜びと主題を表しているが・・・。

寄託のサンタ・クルス美術館で展示されていたのを見てから関心を持った。

The Oballe Chapel in San Vincente, Toledo (1608-13) by EL GRECO Toledo, Museo de Santa Cruz

エル・グレコ  サン・ビセンテ聖堂オバーリェ礼拝堂
1608-13  サンタ・クルス美術館寄託(サン・ニコラス教区聖堂)


左右には聖イルデフォンソ(右)、鍵を与えられた聖ペテロが並んでいた。あとになってオバーリェ礼拝堂に関係するエル・グレコの作品を知った。うーん、いっしょの祭壇だとしたら、左右の聖人の上か下だろうな。でも一緒にあるとも限らないしなー。

僕にはこの作品に関しても知識は全くないので、戯言だと思って、笑ってください。

さて、ワシントンのダンバートン・オークスに、エル・グレコの「訪問」がある。これがサン・ビセンテ聖堂オバーリェ礼拝堂にあったものらしい。

The Visitation  Dumbarton Oaks, Washington

注意 これは単なる僕の仮説遊びです。間違えないように。


こんな風に遊んでみた。そうするともう一枚必要だ。

僕がわかったのはこの4枚だけ。他にもしもあったのなら面白いんだけどね。ちなみにこのエル・グレコの「訪問」をパブロ・ピカソも作品にした。

Deux soeurs de Pablo Picasso, huile sur toile, France, 1902

エル・グレコ 訪問 1608-13
ピカソ 二人の姉妹 1905


sai も今日、エル・グレコの記事をアップしていた。
記事 サント・ドミンゴ・エル・アンティグオ聖堂 エル・グレコの祭壇と墓碑 ソネットを捧げたパラビシーノ

本文最後から引用
このあとサント・トメ教会の「オルガス伯の埋葬」(1586-88)、聖体修道院(1596-1600)、聖ヨゼフ教会(1597-99)、イリェスカスのカリダー(カリダード)、施療院の祭壇(1603-05)、オバーリェ礼拝堂(1608-03)、タベーラ施療院(1608-04)と手がけていく。

タイトル長いな・・・。

★2012.10.24 エル・グレコ作品記事リンク先
XAI エル・グレコ オルガス伯爵の埋葬

■ エル・グレコ関連記事 
エル・グレコとその工房 受胎告知
エル・グレコと工房 7枚の聖衣剥奪
エル・エスコリアル修道院 フェリペ2世の夢
サン・ホセ礼拝堂 エル・グレコ 4枚の祭壇画
オバーリェ礼拝堂 エル・グレコの無原罪の御宿
タベラ施療院 エル・グレコの祭壇画とコレクション
エル・グレコの十字架のキリストとピエタ
エル・グレコ 5枚の「神殿から商人を追い払うキリスト」
エル・グレコ 無原罪の御宿り(ティッセン=ボルネミッサ美術館、サンタ・クルス美術館)
サント・ドミンゴ・エル・アンティグオ聖堂 エル・グレコの祭壇と墓碑 ソネットを捧げたパラビシーノ

■ ピカソとエル・グレコ他 
記事 ピカソ ダヴィッドに基づくサビニの凌辱

| 教会・聖堂 | 20:45 | trackbacks(2)

Paradis, Le (palais des Doges, Venise)


ティントレットがドゥカーレ宮殿の閣議の間にフレスコ画を完成させるのに8年かかった。ダンテの「神曲」から着想を得たらしい。

1577年、ドゥカーレ宮殿は火災に遭う。もともとあった装飾画の損失に変わる作品を画家たちに競い合わせたのが1582年と88年のことだ。

失われたグアリエント・ディ・アールポ・Guariento di Arpo)の1365年に完成されたフレスコ画に変わる作品。それには聖母戴冠が描かれていたらしい。

結局フレスコ画制作にヴェロネーゼとフランチェスコ・バッサーノが選ばれた。

Esquisse pour le Paradis (pour le décor de la salle du Grand Conseil du palais ducal de Venise), Palais des Beaux-Arts de Lille

ドゥカーレ宮殿 閣議の間 「天国」のスケッチ 1578 ヴェロネーゼ
リール美術館所蔵


Bassano, Francesco, real name Francesco da Ponte; 1549-1592. Paradise, 1586. (Bozzetto for a painting in the Sala del Maggior Consiglio at the Doges Palace in Venice).

ドゥカーレ宮殿 閣議の間 「天国」のスケッチ 1586 フランチェスコ・バッサーノ
エルミタージュ美術館所蔵


Tintoretto (1518-1594) Le Paradis 1582

ドゥカーレ宮殿 閣議の間 「天国」のスケッチ 1582 ティントレットと工房作品
IRE(ヴェネツィア養老院協会)


1588年、ヴェロネーゼの死でバッサーノとのコラボによるフレスコ画の開始は立ち消えとなる。もともとヴェロネーゼのスケッチは1578年のもので、火災後のフレスコ画の制作に名があがっていたのではないだろうか。

しかもフランチェスコ・バッサーノのスケッチは1586年で、選出に何年もかかったんだろうか。

1588年におこなわれた画家の選出に、ヴェロネーゼの「天国」のスケッチに似ている作品、現在ルーヴル美術館所蔵の「天国」のスケッチを描いたティントレットに決定した。つまり少なくともティントレットの「天国」のスケッチは3作ある。

Jacopo Tintoretto (1518-1594) Le Paradis Musée Thyssen-Bornemisza

ティントレット 「天国」 1588  ティッセン・ボルネミッサ美術館

The Crowning of the Virgin or Paradise, Tintoretto, ca 1588. Musée du Louvre, Paris

ティントレット 「天国」 1588  ルーヴル美術館


さて、このルーヴル美術館にある「天国」をアンリ・ファンタン=ラトゥールが模写している。

FANTIN-LATOUR Henri Fragment daprès Tintoret : Le Paradis


アンリ・ファンタン=ラトゥールの「ティントレット 天国」の模写はグルノーブル美術館所蔵。

FANTIN-LATOUR Henri Fragment daprès Tintoret : Le Paradis


アンリ・ファンタン=ラトゥールは、ティントレットにかわったヴェロネーゼの模写も多く残している。→ 記事カテゴリー •Fantin-Latour ファンタン=ラトゥール

| 教会・聖堂 | 22:48 | trackbacks(0)

Frontbild des Hochaltars des Freiburger Münsters

Der geöffnete Altar フライブルク大聖堂 司教座聖堂




Marienkrönung Bildnisse der Apostel
中央 聖母戴冠 右翼・左翼は12使徒




この祭壇画の裏面に描かれている「キリストの磔刑」に、 ハンス・バルドゥングの自画像が描かれている。



キリストの磔刑 聖守護人
プレデッラとの組み合わせは僕の合成 ちょっとずれた。


このハンス・バルドゥングの「キリストの磔刑」は、ほかに ベルリン国立博物館群 絵画館、バーゼル美術館に所蔵されているものがあるが、自画像が描かれているのは、このフライブルク大聖堂の祭壇画だけ。

記事 Hans Baldung Grien ハンス・バルドゥング・グリーン 第3弾  宗教画

左側の磔刑者の足元に、バルドゥングの自画像。そして描かれている少年には、「H.B.」(HBG)と彼のモノグラムが書き込んでいる。


そしてプレデッラにバルドゥン自身の署名がある。
Hans Baldung, genannt Grien, der Gmünder, schuf dies durch Gott und eigene Tüchtigkeit (Johannes Baldung, genannt Grien, der Gmünder, schuf dies mit Gottes Willen und durch seine Tüchtigkeit)

「グミュンダ(グミュント)からグリーンと呼ばれるハンス・バルドゥングは、神の意志と彼の手腕によって作成した」

メディチ・リッカルディ宮殿のベノッツォ・ゴッツォリの「東方三博士の礼拝」(1459 - 1461)の画家の自画像と碑文と同様。



フライブルク大聖堂 祭壇 1516



おわかりのように「マリアの生涯」を示すように、「受胎告知」、「エリザベト訪問」(エリザベツへの訪問)、「キリストの誕生」(キリスト降誕)、「エジプトへの逃避」になる。


今回はハンス・バルドゥングをメインに紹介したが、いろいろな作品が装飾されている。

ここには、貴族バーゼル・ハンス・オベライド(Basler Ratsherr Hans Oberried)の祭壇画として描いたハンス・ホルバイン(子)の作品がある。



ハンス・ホルバイン(子) オベライド祭壇
Hans Holbein der Jüngere




 ホルバイン Hans Holbein der Jüngere
祭壇画「東方三博士の礼拝」、「キリストの降誕と羊飼いへの告知」1511-22


たぶんオベライド家の紋章と、妻、娘、嫁?、孫たちに3人の息子が描かれている。

フライブルク大聖堂は、数年前にリニュアルしてたっけ?ずいぶんと装飾も修復されていた気がする。もしかして名のある画家や彫刻家の作品が多数あったのかもしれないけれど、ほとんどわからなかった。



フライブルク大聖堂 彫刻装飾


イエスの生涯からノアの箱舟や、16人の王(ダビデ王とか)、アダムとエヴァなんかがほどこされていた。



フライブルク大聖堂 三体の彫刻と絵画十字架を担うキリスト


結構見所がある教会だった。大聖堂の鐘、パイプオルガン、室内、室外の建築や彫刻なんか、時間があればゆっくり見たほうがいいし、修学旅行のように事前学習したほうが見落とさなかったり、あとで誰の作品だろうとイライラすることもないしね。


 
ハンス・バルドゥンの記事
2006年記事
「Memento Mori〜「Danse macabre by アンリ・カザリス」 with ハンス・バルドゥング


使用作品画像
三時代と死 ハンス・バルドゥング・グリーン
少女と死 ハンス・バルドゥング・グリーン
死の舞踏 バーント・ノトケ
女の七時代 ハンス・バルドゥング・グリーン
人生の三時代と三美神 ハンス・バルドゥング・グリーン

2012年記事 
ハンス・バルドゥング・グリーン 第2弾  VS ジェームズ・クリステンセン 第3弾

使用作品画像
少女と死 ハンス・バルドゥング・グリーン
女と死 ハンス・バルドゥング・グリーン
「男と天使」から ジェームズ・クリステンセン

記事 ハンス・バルドゥング・グリーン  アダムとイヴ 寓意画編 Adam and Eva, by  Baldung

記事 Hans Baldung Grien ハンス・バルドゥング・グリーン 第3弾  宗教画


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パリ12区にある聖エスプリ教会(サン・エスプリ)は、枢機卿のジャン ・ ヴェルディエ (Jean Verdier)が、1928年に教会建築家ポール ・ トゥルノン(Paul Tournon)に依頼した鉄筋コンクリート建築の教会だ。



モーリス・ドニ 聖霊降臨(ペンテコステ) 1934 ポスターから
Maurice Denis, Paris, Eglise du Saint-Esprit, The Pentecost


有名な天井のドームと正方形の身廊にはステンドグラス、モザイク、そして祭壇にモーリス・ドニの聖霊降臨(ペンテコステ Pentecostes)が装飾されている。



パリ12区 聖エスプリ教会(サン・エスプリ教会) 
Église du Saint-Esprit Paris 12




モーリス・ドニ 聖霊降臨(ペンテコステ) 1934 部分1




モーリス・ドニ 聖霊降臨(ペンテコステ) 1934  部分2 




モーリス・ドニ 聖霊降臨(ペンテコステ) 1934  部分3


ここのフレスコ画はモーリス・ドニ(Maurice Denis)、ジョルジュ・デヴァリエール(Georges Desvallières)、アンリ・マレ(Henri Marret)らが制作している。あとでわかったのが、アール・デコのジャン・デュパ(Jean Dupas)の作品もあった。



アンリ・マレ エフェソス公会議 サン・エスプリ教会
Henri Marret, Paris, Eglise du Saint-Esprit,le Concile d’Ephèse


サン・エスプリ教会のアンリ・マレによる「エフェソス公会議」はすっごくよかった。一番上がキリストの「槍の一突」が描かれていて、そこまでの写真がなくて残念。



アンリ・マレ エフェソス公会議 サン・エスプリ教会
グレゴリウス7世、カール大帝 Grégoire VII,Charlemagne
Henri Marret, Paris, Eglise du Saint-Esprit, le Concile d’Ephèse


左は  教皇の権威を高めたグレゴリウス7世 (ローマ教皇)、右は十字軍遠征のカール大帝が描かれている。



第2ヴァチカン公会議 サン・エスプリ教会
Paris, Eglise du Saint-Esprit  Vatican II assembly


あるサイトでは、この作品をモーリス・ドニとしていたけど、確か違ったような・・・。誰だったかわからないが、内容は「第2ヴァチカン公会議」を描いてたと記憶している。



サン・エスプリ教会  Paris, Eglise du Saint-Espri



サン・エスプリ教会  Paris, Eglise du Saint-Espri


誰の作品だかタイトルも曖昧になっているものの方が多い。たしかジャンヌ・ダルクのフレスコ画もあった。ジョルジュ・デヴァリエール(Georges Desvallières)は、こうしたフレスコ画の下にあるプレートに、キリストの生涯を描いている。

アンリ・マレの「エフェソス公会議」の下の作品は「マリア伝承 シメオンの予言」(キリストの神殿奉献)を描いている。過酷な運命を告げられる場面。



「マリア伝承 シメオンの予言」(キリストの神殿奉献)
ジョルジュ・デヴァリエール(Georges Desvallières)
サン・エスプリ教会  Paris, Eglise du Saint-Espri




十字架昇架
ジョルジュ・デヴァリエール(Georges Desvallières)
サン・エスプリ教会  Paris, Eglise du Saint-Espri




キリストの磔刑  キリストの埋葬
ジョルジュ・デヴァリエール(Georges Desvallières)
サン・エスプリ教会  Paris, Eglise du Saint-Espri




パリ12区 聖エスプリ教会(サン・エスプリ教会) 
Église du Saint-Esprit Paris 12


ここに誰のどんな作品があるかきちんとメモしておけばよかった。

その他のモーリス・ドニの装飾記事はこちらから。
楓記事  プティ・パレ美術館 フィレンツェの夕べ フランス美術史
sai 記事 モーリス・ドニ キリスト ル・ペジネの聖マルグリット教会
モーリス・ドニ 受胎告知 第3弾 聖ニケーズ教会
モーリス・ドニ 旧アルザス ラプトロワの聖オディール教会
オルセー美術館 モーリス・ドニ サント=クロワ礼拝堂装飾画6作品 「ミサ聖祭の栄光」

モーリス・ドニの作品記事はこちらから。
XAI 各作品に記事リンク 「モーリス・ドニ 塔の花嫁 ペレアスとメリザンドからマレーヌ姫」
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Donatellos Annunciationsai が、数年前にヨーロッパに行ったときに記事がようやくアップされた。最初はイギリスの猫だが、あれだけでは終わらないよな?

そしてドメニコ派のサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の記事アップ。

楓の推薦によって、sai は社交辞令(土産話し)で行ったらしいが、僕も以前にフィレンツェに出かけたときには「はずした場所」なんだ。でも、あの記事みて、「行けばよかった」と正直に思うが、魅力に乏しい教会に思っていたんだよね。

それで、僕はサンタ・クローチェ教会を思い出旅行する。パッツィ家の陰謀でも有名なパッツィ家を最後に。

最初の画像はドナテッロの作品で、ピエトラ・セラーナを彫刻した「受胎告知」だ。

それでは教会の礼拝堂壁画を紹介する前にちょっと暖かい話。(ご存知かと思うが)

NHKに出演していた金沢大教育学部の宮下孝晴教授に、番組に感動した美術愛好家の男性から2億円の寄付を受け(2004年のこと)、イタリア国立フィレンツェ修復研究所と大礼拝堂の壁画「聖十字架物語」(アーニョロ・ガッディ作)を修復した。

アート・シティ「展」 復研究プロジェクト ここから現地レポートをみることができる。また、アート・シティ「展」の「白鳥正夫のぶんか考」が最終回になっていた。残念。


フレスコ画は永久保存できないもんな。でもさ、ここの板絵もひどい。壁画まではどこもそうだけど板絵や墓石が並んでるでしょう。結構傷んでいるよ、板絵も。

左右:Giorgio Vasari、中央:Giovanni Stradano

正面礼拝堂にむかって左身廊

左 ジョルジョ・ヴァザーリ 「聖トンマーゾの疑い」
中央 ジョバンニ・ストラダーノ 「キリストの昇天」
左 ジョルジョ・ヴァザーリ 「聖霊降臨」


こうした健康な板絵と病んだ板絵を通り過ぎていくと、正面のメイン礼拝堂を中心に、左右にずらりと並んでいる各チャペル。

メイン礼拝堂の壁画「聖十字架物語」から紹介。ここサンタ・クローチェ教会は、sai の ドメニコ派のサンタ・マリア・ノヴェッラ教会側からは異端になるフランチェスコ派の教会だ。sai の記事にある、スパニョーリ大礼拝堂の壁画(アンドレーア・ディ・ブオナイウート作)の「教会のアレゴリー」一連はドメニコ会の勝利の連作である。つまり異端諮問にされていた側。 

このメインはアーニョロ・ガッディ(Agnolo Gaddi)作で、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会では「受胎告知」が残っているという。sai の記事から鑑賞できる。 このガッティの壁画は「主祭壇」に描かれている。正面から突き当たり。
 
この作品はピエロ・デラ・フランチェスカも描いているが、ヨーロッパの聖者・殉教者列伝のひとつの物語だ。原作はヤコブス・デ・ウォラギネによる「レゲンダ・アウレア(黄金伝説)- Legenda aurea」で、ピエロ・デラ・フランチェスカもアーニョロ・ガッディも第64章の「聖十字架の発見」を描いている。
 

Cappella Maggiore

クリックで残り6枚の壁画に変身 Click Here !  frescoes in Cappella Main


ガッディは「聖十字架の発見」と第129章の「聖十字架称賛」を描いているのだが、簡単にタイトルを列挙すると、「大天使ミカエルとセト」、「アダムの死」、 「聖木を礼拝するシバの女王」、 「十字架の発見と検証」 、「十字架をエルサレムに持ち帰る聖女ヘレナ」、「略奪される十字架」、「神のごとく振る舞うホスロー2世と皇帝ヘラクリウス(ヘラクレイオス)の一騎打ち」、「ホスロー2世の斬首と皇帝ヘラクリウス(ヘラクレイオス)のエルサレム凱旋」だったかな。タイトルはすごく曖昧。間違っているかも。

The Triumph of the Cross


Eraclio fa decapitare Cosroè e ritorna a Gerusalemme dove, deposte le vesti regali, entra riportando la Croce

「ホスロー2世の斬首と皇帝ヘラクリウスのエルサレム凱旋」には、3つの場面が描かれているといってもよいだろう。十字架奪還の勝利に酔う皇帝ヘラクリウスの入城に、天使が「主キリストはつつましいお姿でした」と語る場面。そして右側下の場面は、馬から降り、つつましい姿で入城する皇帝。そして左はホスロー2世の斬首の場面。

この聖十字架物語の最後の重要場面には、ガッティの肖像画が描かれているという。ホスロー2世の死刑執行人の隣が、ガッティと信じられているということだ。


この主祭壇のむかって右にバルディ礼拝堂がある。
バルディ礼拝堂上層部の作品はジョットの「聖痕拝受」
この主祭壇中央下にある祭壇画はガッテイによるもの。



Click Here !  frescoes in Cappella Bardi

ここでは聖フランチェスコの生涯を描いているジョット。上部の左に聖ジョヴァンニ・バッティスタ、右に福音著者聖ジョヴァンニの生涯を描く。上の画像をクリックすると二面に描かれた壁画になるから。

とにかく鑑賞するのに悲しくなったのを、いま思い出した。ストーリーは聖フランチェスコ、アッシジの聖人の生涯、アルルの僧院、そして死が描かれている。このフランチェスコ派の修道士がフィレンツェに訪れてから、今年(2009年)で800年だという。

さて、バルディ礼拝堂の隣はぺルッツィ礼拝堂で「洗礼者ヨハネと福音書記者のヨハネの生涯」の壁画もジョット。

Peruzzi Chapel


Click Here !  frescoes in Cappella Peruzzi


写真はぺルッツイ礼拝堂のジョットの壁画の下にあるモニュメント。クリックでジョットの壁画「洗礼者ヨハネと福音書記者ヨハネの生涯」に変わるから。やってみて。

そして聖具室の前にはジョットの多翼祭壇画「聖マリアの戴冠」があり、なかには「キリスト処刑と昇天」、バロンチェッリ礼拝堂の「聖母マリアの生涯」と続く。この二つの作家はタッデオ・ガッディ。


Taddeo Gaddi Baroncelli ChapelTaddeo Gaddi Baroncelli Chapel


このマリアの生涯は、ステンドグラスがある壁画が正面で、右の連作は正面の左側にある壁画。正面の左端中央の作品が「羊飼いへの天使のしらせ」だ。

僕にすると「少女趣味」と思われるのが嫌だが、ここが一番の見ごたえがあったところだ。タッデオ・ガッディはダーク・ホースだったよ。

二つの部屋がつながっていたような記憶。この作品はフレスコ画の一部ではなく、ポツンと壁に掛かっていたが全体に迫力があった。この作品は「聖母の腰帯」でセバスティアーノ・マイナルディの描いたもの。

このバロンチェッリ礼拝堂と隣接するのが、またまたアーニョロ・ガッティの壁画になる。そこはカステラーニ礼拝堂。

Castellani Chapel

(C) wiki


この凄さを理解していただくのに、wiki から借り編集してみた。右側が聖アントニオの物語を描き、中央は聖ニコラウスで、船を救う話しなど「黄金伝説」にある物語を描いているはず。左が聖ジョバンニだ。聖ジョバンニは二面の壁に描かれて、もう一面がこの壁の斜めむかいに位置している。

正直、思い出せないものもたくさんある。wiki に頼ったのは1枚1枚の写真だと、どうつながっていたかわからなくなり、聖ジョバンニのもう一面の壁画も忘れていた次第だ。

アーニョロ・ガッティ、タッデオ・ガッティも、もう区別つかねぇ!

主祭壇の反対側にプルチ・ペラルディ礼拝堂がある。ここはタッデオ・ガッティ(?)の壁画で、「聖ラウレンティウスの殉教」を描いている。

Cappella machiavelli-salviati Vannucci di Enrico Pazzi (1891)


主祭壇にむかい左端からバルディ・ディ・ヴェルニ礼拝堂(主祭壇側)、プルチ・ベラルディ礼拝堂、リカソリ、カッポーニ礼拝堂で、そして主祭壇すぐ左のスピネッリ礼拝堂となる。バルディ・ヴェルニオ礼拝堂(左身廊より)、ニッコリーニ礼拝堂、サルヴィアーティ礼拝堂はこちら側。

写真はサルヴィアーティ礼拝堂の入り口から。ルイージ・アデモッロ(Luigi Ademollo)の作品の下には、エンリコ・パッツイ (Enrico Pazzi)によるアットー・ヴァヌッチィの墓碑。


Martirio di San Lorenzo di Jacopo Ligozzi (1600 ca)


この作品はサルヴィアーティ礼拝堂に掛かるヤコポ・リゴッツィ作「聖ロレンツォの殉教」だ。この礼拝堂には彫刻やモニュメントがいくつかある。ロレンツェ・バルトリーニ作「ソフィア・ジャモイスカ・チャルトリスキの墓碑」だ。ロレンツェ・バルトリーニ自身の墓碑もここにある。

バルディ・ディ・ヴェルニ礼拝堂はバンコ作「聖シルヴェステルの生涯」の壁画。プルチ・ベラルディ礼拝堂には中央のジョヴァンニ・デッラ・ロッビアの彩色されたテラコッタの彫刻。ニッコリーニ礼拝堂にはアッローリの「聖母被昇天」がかかる。

主祭壇にむかい右端からヴェッルーティ礼拝堂、リカーディ礼拝堂、ジュスティ礼拝堂、そしてペルッツイ、バルディ礼拝堂となる。バロンチェッリ、聖具室はこちら側。その聖具室から、リヌッチー二礼拝堂に続く。マッダレーナの生涯、聖マリアの生涯が描かれている壁画は、ジョヴァンニ・ダ・ミラーノによるもの。


ジュスティ礼拝堂は、ドメニコ・パッシャーノの「聖ロレンツォの施し」、中央にジョバンニ・ビリヴェルトの「聖十字架」、マッテオ・ロッセッリの「聖フランチェスコの瞑想」の3枚の板絵。写真が「聖フランチェスコの瞑想」になる。



ここは一番最初に紹介した左身廊になる。入り口からすぐで、左にジョルジュ・ヴァザーリの「キリストの埋葬」で、次にこの写真のフォッジーニ作、「ガリレオ・ガリレイの墓碑」となる。この墓碑の壁にはマリオット・ディ・ナルドの壁画「キリストの生涯」が描かれている。胸像は、天文学と幾何学のシンボルの中央に配置された。

今年は世界天文年。1609年、ガリレオ・ガリレイがはじめて望遠鏡で観測してから400年だという。

Giovanni Battista Naldini 「Deposizione」 ジョバンニ・バッティスタ・ナルディーニ
「キリストの埋葬」

画像は大きくなるから。

ジョバンニ・バッティスタ・ナルディーニはsai の記事を見ると、サンタ・マリア・ノヴェッラでも腕を振るっていたようだ。



可哀想なのはステファノ・リッチのモニュメントレオナルド・ダ・ヴィンチのメモリアルの左右にあるサンティ・ディ・ティトゥだ。もう重症にちかい状態のようで、修復されたのだろうか。次の画像は写真画像ではなくポスターのカタログから。

Santi di Tito -Resurrezione Santi di Tito Cena in Emmaus


サンティ・ディ・ティトゥの作品で、左が「キリストの復活」、右が「エマオの晩餐」になる。これから紹介するが、右身廊のサンティ・ディ・ティトゥも状態はよくない。

この「エマオの晩餐」の右隣が、ジョヴァンニ・バッティスタ・ネリ(giovani battista nelli)がデザイン、インノチェンツォ・スピナッツィ(Innocenzo Spinazzi)作となる「ジョヴァンニ・ラーミ(Giovanni Lami)の墓碑」。そして、記事最初の3枚のジョルジョ・ヴァザーリ 「聖トンマーゾの疑い」となる。そしてジョバンニ・ストラダーノ 「キリストの昇天」との間にモニュメントともう一枚の作品がある。

Agnolo Bronzino 「Pieta」アーニョロ・ブロンズィーノ 「ピエタ」
そして、この左に位置するモニュメントはジュゼッペ・サルヴェッティ(Giuseppe Salvetti )のデザインに、ここもインノチェンツォ・スピナッツィ(Innocenzo Spinazzi)作による「アンジェロ・タヴァンティ(Angelo Tavanti)の墓」だ。ジョルジョ・ヴァザーリ 「聖霊降臨」までにはいくつかのモニュメントがある。全部は面倒なので、気に入ったものだけ。ロレンツェ・バルトリーニ( Lorenzo Bartolini)作の「ヴィットリオ・フォソンブロニ(Vittorio Fossombroni)の墓碑」。デジデリオ・ダ・セッティニャーノ(Desiderio da Settignano)作の「カルロ・マルスッピーニ(Carlo Marsuppini )の墓碑」、ラファエロ・ロマネッリ(Raffaello Romanelli)による「新大陸発見の記念碑」と続いていくんだ。


じゃ、いよいよ右身廊に。

left:Lodovico Cardi detto Il Cigoli & Giovanni Bilivert  center:Andrea Cini detto Andrea del Minga  right:Fei (Alessandro del Barbiere)

左 「イエスのエルサレム入城」
ルドヴィコ・カルディ・ダ・チーゴリ(Lodovico Cardi detto Il Cigoli )、Giovanni Bilivert

中央 「オリーブ山のキリスト(ゲッセマネの園、ゲッセマネの祈り)」
アンドレア・デル・ミンガ [Andrea del Minga (Cini Andrea detto)]

右 「キリストの鞭打ち」
アレッサンドロ・フェイ[Fei (Alessandro del Barbiere)]


フェイの「キリストの鞭打ち」までにモニュメント、墓碑がある。ジュゼッペ・カッシオーリ(Giuseppe Cassioli)の「ジョアキーノ・ロッシーニの墓碑」、ベルナルド・ロッセリーノ(Bernard Rossellino)作の「レオナルド・ブルーニの墓碑」で、このブルーニの墓碑を模倣したものが向かい合わせになる左身廊のカルロ・マルスッピーニの墓碑。記事トップの写真ドナッテロの「受胎告知」、「イエスのエルサレム入城」を過ぎるとこの墓碑がある。

machiavelli


ニッコロ・マキャヴェッリ(Niccolò Machiavelli)の墓碑だ。マキャヴェッリのロレンツォ・デ・メディチに献上した「君主論」は有名。この墓碑は彼の死後332年を経て、彫刻家インノチェンツォ・スピナッツィ (Innocenzo Spinazzi )により女神が彼の守り役になっている。「君主論」で、「運命は女神だから、打ちのめし、突き飛ばす必要がある」という発言をしていたが、スピナッツィは知らなかったのか、あるいはパロディだったのか。非常に興味の沸いた墓碑だ。碑文は「彼の名以上に彼を称える言葉は無し」である。



これが「ダンテの記念碑」で墓碑ではない。ステファーノ・リッチ作。19世紀のものになる。ダンテ・アリギエーリが政争でフィレンツェを追放されたあとに「神曲」が執筆されたわけだが、天国編を書き始めた頃にラヴェンナに安住した。フィレンツェ側はラヴェンナに遺骨の返還を要求しているようだが、もともとフィレンツェにあった遺骨じゃないし。ラヴェンナで死に、ラヴェンナに埋葬されたんだからさ。


left:Jacopo Coppi detto 'del Meglio'   center:Giorgio Vasari  right:Santi di Tito

左 ヤコポ・コッピ 「見よ、これその人なり(茨冠のキリスト)」

中央 ジョルジョ・ヴァザーリ 「十字架を担うキリスト」

右 サンティ・ディ・ティトゥ 「キリストの磔刑」(c)opera di santa croce


サンティ・ディ・ティトゥの作品はサンタ・クローチェのHPにあったものを借りてきた。すごいよな。いつ修復されるんだろ。いま、どの作品がどうなっているのかの情報知りたいよな。

この作品が並んでいるところのモニュメントや墓碑は、アントニオ・カノーヴァ(Antonio Canova)作で、イタリアの悲劇作家「ヴィットーリオ・アルフィエーリ(Vittorio Alfieri)の墓碑」。そして先に紹介した「ダンテの記念碑」が、「茨冠のキリスト」と「十字架を担うキリスト」の間に位置している。

そしてミケランジェロの墓碑が最後に登場となる。礼拝堂に一番近いところだ。



ミケランジェロ・ブオナローティについてはご存知でしょう。この墓碑は、弟子のジョルジオ・ヴァザーリによって、1572年に完成された。胸像に、絵画、彫刻、建築を意味するシンボルは、偉大な芸術家ミケランジェロを讃えている。

サンタ・クローチェ聖堂付属美術館(Museo dell'Opera di Santa Croce)


Cimabue Crucifixチマブーエの「磔刑像

こういうふうにみると、小さく錯覚するが、かなり大きい。sai がサンタ・マリア・ノヴェッラで、ジョットのキリスト磔刑像の写真をのせて、「落ちてきたら怪我どころではないと思う」と書いていたのを読んだ。この磔刑像もかなり怖い。かけるのに十人前後の男手が必要ではないか。大袈裟かもしれないが。

しかも少し前のめりになっていたので、横からみたほうが怖かった。

ジオット(ジョット)・ディ・ボンドーネはたしかチマブーエの弟子だった。


聖具室を忘れていたので、ここで紹介。


Museo dellOpera di Santa Croce

(C) ガイドブックから クリックでガッディの壁画になりますよー


タッデオ・ガッディの壁画。右端きれたのは、クリックするとその画像に変わのでよろしく。中央の「キリスト磔刑」、上部の「キリスト昇天」はガッディ作。左の「ゴルゴダへの道」はニッコロ・ジェリーニ。右端(クリックでみてください)は「キリストの復活」でスピネッロ・アレティーノで、タッデオ・ガッディの弟子だったヤコポ・デル・カセンティーノの弟子。

再度、美術館に。

申し訳ない。また、美術館に戻る。食堂の壁画にはオルカーニャのフレスコ画の残骸がチラホラ。本当に忍びない。


Refettorio santa croce


右のキリストの磔刑は確実オルカーニャ。たぶん左の十字架を担うキリストもそうだと思う。たしか扉を中央にして左右に描かれていた。チマブーエの「磔刑像」は、この左右のオルカーニャと扉に向かって左側壁にある。(正面に向かうと右手)

Refettorio santa croce, frammento di andrea orcagna


順番関係なしに貼り付けしている。画像はかなり大きいのでクリックして。真ん中のはよりはっきりしているから。これだけ見ても、オルカーニャの「最後の審判」の迫力は伝わると思う。惜しいねぇ。
左の図がチマブーエの磔刑図の左側にかかっていた。


これは、チマブーエの磔刑像の前に、囲みのような壁にかかっている。左はアーニョロ・ブロンズィーノの「リンボのキリスト」?。右がたぶん「十字架降下」で、フランチェスコ・サルヴィアーティ。並んでいたわけじゃなく、別々に展示されていた。

僕はね、あんまり祭壇画は好きじゃない。sai から見せてもらった「神秘の子羊の礼拝」は例外で。ここにも聖ジョヴァンニをテーマにした祭壇画がまたあった。ジョバンニ・ディ・ニッコロ・デル・ビオンドの作品。ポスターのサイトで、ギョバンニになっていた。ほかには、ブロンズ像とかあったな。とそれはドナッテロの聖ルイ像。チマブーエの磔刑像のむかえの窓の横。

Santa croce Taddeo Gaddi


タッデオ・ガッディの最高傑作といわれている「最後の晩餐」。ホントにいい作品なんだけどねぇ。もったいない。最近ポスターでもみかけるガッディのキリストのアレゴリー。「生命の木」が描かれている。クリムトを思い出さないか。下段の最後の晩餐ではユダは手前にポツリ。


Jacopo ligozzi, san francesco che distribuisce il pane ai frati

(C) wiki


自分の記憶で曖昧なものを wiki で確認した。画像があったので拝借した。ヤコボ・リゴッツィだった。この人いいなぁと思ったんだよね。動植物画も描いていて、この画家に興味を持つ。この記事書くまで忘れていたけどさ・・・。サルヴィアーティ礼拝堂で紹介した「聖ロレンツォの殉教」もこの人だが、回廊や礼拝堂にある作品のほうが記憶に残るのは、なぜなんだろ。

この作品は「修道士にパンを与える聖フランチェスコ」で下2枚もヤコボ・リゴッツィと思う。



右はジョット・ディ・ボンドーネの「嘆きの聖母」だ。礼拝堂のフレスコ画より、逆に印象が残った。ここのステンドグラスもジョットのデザイン。中央の「聖母子」は誰?左の「聖母子」は、アノーニモ・フィオレンティーノ。

聖フランチェスコ、聖ジョバンニ、聖バルトロメーオ(生きながら皮を剥がれて殉教した・・・コワッ!)の三位一体だという。ネーリ・デ・ビッチの作品。

そのほかには、リッポ・ディ・ベニヴィエーニ(Lippo di Benivieni)の磔刑像、アンドレア・デッラ・ロッビア(Andrea della Robbia)のセラミックスの彫刻、ベネデット・ベルニ(Benedetto Buglioni)の彫刻は聖母子、ニッコロ・ゲリーニ(Niccolò Gerini)の壁画、ジョヴァンニ・デッラ・ロッビア(Giovanni della Robbia)の聖フランチェスコの聖痕拝受の胸像などのコーナーがあった。
そうして今度はジュゼッペ・ベッツォーリの作品があるところ。これ、結構な迫力があった。「聖母昇天」で、古臭いカンジだけどね。そこにはアンドレア・デル・カスターニョの「聖トンマーゾの殉教」、「不明の聖者」、ゲラルド・スタルニーナの「ラザロの復活」、ロレンツォ・モナコ(修道士ロレンツォ)の「聖ジョバンニの礼拝と洗礼」、「アンフォーラ(瓶)の聖母子」など。そして名もなき礼拝堂。

Giuseppe bezzuoliこれがジュゼッペ・ベッツォーリの「聖母被昇天」。

ここをあとにすると、今度はティーノ・ディ・カマイーノ(Tino di Camaino)、ジャンボローニャ (Giambologna)、ジーノ・ミケーリ(Gino micheli)、ティーノ・ディ・カマイーノ(Tino di Camaino)らの彫刻。

僕はね、彫刻は墓碑やストーリー性のある大きい彫刻なら興味があるけど、人物の彫像やプレートには無関心。何度も云うけど祭壇画もあまり好きではない。

さて、サンタ・クローチェ大聖堂付属美術館にはまだまだ記憶に残るものがある。正直、サンタ・マリア・ノヴェッラより美術品はある。だけどsai の記事を読むと、サンタ・マリア・ノヴェッラをはずしたことが悔やまれる。

記憶に残るのがマッテオ・ロッセッリの「花を持つ天使」。そしてヤコポ・ダ・エンポリの聖ルイ。

Jacopo da empoli, san ludovico di tolosa, santagata a due angeli sotto una croce

(C) wiki User Sailko


これは真ん中に十字架が立っている。天使がひろげた両手は、まるで十字架を示すようだ。十字架の下には書物、冠、髑髏などが描かれている。

右が乳房を切り取られた聖女アガタ。左、タイトルでは聖ルドヴィーコ(ロドヴィーコ)となっていたが、聖ルイ(聖王ルイ9世)のこと。タイトルは「トゥールーズの聖ルイと天使の下の十字架と聖女アガタ」だと思う。

これね、ポスターも売られているけれど、全然ちがう。wiki から借用してきたのは色と、十字架や冠、髑髏がはっきりしていたから。

キリストの聖遺物でもある茨の冠は聖ルイが所有していた。ポードゥアン2世が売却したもので、真の十字架が含まれていたという。釘、十字架の断片を含めたこれらの聖遺物はノートルダム大聖堂で保管されている。

これが聖具室の聖ルイ。ドナッテロ作で、この教会は聖ルイがずいぶんと描かれていた。バルディ礼拝堂ではガッティも「聖ルイ」を描いていた。

ちょっと若くして亡くなったこのルイ9世に若干の興味がわく。ドメニコス・テオトコプーロス、通称エル・グレコも描いている。必ずといってもいいほど王冠と手に持つ笏が描かれている。これはフランス王だという象徴だ。

ドナテッロは王冠は足下に置いていないが、聖人とされたルイの肖像画には王冠は足下、そして教冠をかぶる。ガッティも同じ構図だが王冠を描いている。手にもつ笏杖も描かれている。

さて、最後。

磔刑像で締めくくり。ご存知の方が多い話で恐縮だが、このサンタ・クローチェにあるドナッテロの磔刑像は、sai のサンタ・マリア・ノヴェッラの記事にあるフィリッポの磔刑像と比較してほしい。

どこの「オジさん」かという表情のドナテッロのキリスト。このドナッテロの磔刑像をみたフィリッポ。

フィリッポ
「きわめて繊細でかつて存在した最も完璧な人であるキリストのかわりに、君は農民を十字架にかけた」

Il Crocifisso di Donatello (1406-1408 circa), Santa Croce (Firenze)ドナテッロ
「君にはキリストをつくることを許されているのだ。僕には農民だ。」と負けを認めた。

キリストは完璧な人間だった。と思う。あらためて聖書を読んでみた。(僕は仏教です)

聖書を読んで、「最も厳しい人」だと思う。キリストの言葉は実に厳しい。シニカルで激昂するキリスト。死を避けられない運命から逃げなかった真実の人間でもある。そのキリストを磔刑像であらわしたのがフィリッポだと思う。

ドナテッロは、大工の息子として誕生した人間としてのイエスを磔刑像にしたのではないか。ゲッセマネの祈りでもわかるように、死の恐怖に震え、祈るイエス。ダヴィデ像とは全然違う。断然違う。

二人の政治犯とともに磔刑に処せられた人間イエスなんだなぁと思った。


パッツィ家の礼拝堂
パッツイ家はプルネルスキが設計した。


パッツイ家の陰謀で、メディチ家のロレンツォの負傷、ジュリアーノの暗殺の事件の24年前、つまりサンドロ・ボッティチェリが生まれた年であるから565年前に造られたいうことになる。

最近では首謀者がパッツイ家ではなくモンテフェルトロ家ではないかともいわれているパッツイ家の陰謀。

記事 「フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ 小書斎」 神曲 地獄編の子孫


パッツイ家は「青」が鮮やかで陰謀を企てたとは思えないほど清清しい。中央にパッツイ家のエンブレム。この四隅に貝殻のモチーフがある。


壁画がなく、壁よりも天井に凝っている内装。一番最初の画像にある、円形の陶板に描かれている使途は、ルーカ・デラ・ロッピアが描いた。

この四隅もシェル(貝殻)。


ボッティチェッリのヴィーナスの誕生を想像するのは僕だけか?

パッツイ家の紋章は2頭のイルカ。海の生物だからそのモチーフとして貝殻を選んだのだろう。ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」は、たぶんパッツイ家の陰謀のあと。

反ロレンツォのメディチ家から発見されたこの作品だが、ボッティチェッリは、メディチ家とパッツイ家の力関係、もしくは依頼主がメディチ派を象徴するためにパッツイ家ゆかりの海に関係する貝殻を描いたのだろうか。

この陰謀のあと、メディチ家派を象徴するために、ラーマ家ではボッティチェッリに「東方三博士の礼拝」をメディチ家の集団肖像画のように描かせた。ラーマ家の人物はただ一人しか描かれていない。
| 教会・聖堂 | 21:41 | trackbacks(2)
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