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雲林院にてさくらの花のちりけるを見てよめる
「桜散る花の所は春ながら雪ぞ降りつつ消え難てにする」
(さくらちる 花の所は 春なから 雪そ降つゝ きえかてにする)
古今和歌(倭歌)集巻第二 春歌下 75番歌 承均法師

いま風邪。今日は仕事を休んだ。風邪で寝ているが妙に早くに目が覚めた。

そこで、過去記事のモーリス・ドニにTBを頂戴したブログを訪問した。4月というのに氷点下で雪。ついこの和歌を思い出した。

承均法師は同じ古今和歌集でもうひとつ「」を詠んでいる。

いざ桜 我も散りなむ ひとさかり ありなば人に うきめ見えなむ
古今和歌(倭歌)集巻第二 春歌下 77番歌 承均法師


京都市上京区紫野にあった雲林院は淳和天皇(786-840)の離宮だった。生没年未詳だが承均法師は元慶(877-885)頃の人だと思われるようだ。

承和の変(842)を詠んだのではないだろうか。

藤原氏最初の陰謀(他氏排斥)となった。後継者恒貞親王を憂慮しながら淳和上皇が崩御したあとの政変。廃太子となった恒貞親王(825-884)は品位、三品に叙せられるものの出家して法号を恒寂(恒寂入道親王)と称した。母正子内親王が嵯峨天皇の「嵯峨離宮」を寺に改めた大覚寺(真言宗)で精進持戒する。

廃太子となったあとも即位を促されることがあったらしい。

恒貞親王は美しい容姿で優雅な立ち居振る舞いが評判だった人物。

「桜散る花の所は春ながら雪ぞ降りつつ消え難てにする」
桜が散るく樹上はまぎれもなく春だというのに樹下には雪は消えがたく降り積もる。

「いざ桜 我も散りなむ ひとさかり ありなば人に うきめ見えなむ」
さあ桜、私もお前とともに散ろう。一時の盛りを過ぎれば、人にはつらい姿に見えるものだから。

承均法師は「雲林院にてさくらの花のちりけるを見てよめる」と、淳和天皇の縁の離宮の名を詞書にいれたのだろうか。

当時の雲林院は桜の名所としても有名だったらしいから、不思議ではない。

雲林院は「伊勢物語」にも登場する。在原業平(825-880)が主人公とされている物語だ。作者、成立共に未詳だが、同じく「雲林院」が登場する「源氏物語」(1001年頃)では、「伊勢物語」を古典としているところからみると、元慶(877-885)頃なのかもしれない。ただし紀貫之(866or872-945)が作者となれば、時代が違うけど。

この紀貫之、「桜散る 木の下風は 寒からで 空に知られぬ 雪ぞ降りける」(拾遣若衆)と詠んでいる。

さて、恒貞親王と同じ825年に誕生した業平は、阿保親王の五男である。恒貞親王に仕え、謀反で流罪となった橘逸勢は阿保親王の従兄弟であり、空海、最澄と同じく遣唐使の一人。

内々に事を収めたいと願っていた阿保親王の皇太后への密書が、願いと反対に承和の変に発展することになり、阿保親王は責任を感じたのか承和の変から数ヶ月後に急死。

こうした史実が承均法師の和歌からちらりと過ぎるのは僕だけ?

承均法師は、いつこの和歌を詠んだのだろう。

もしも恒貞親王の入寂の頃ならば、恒貞親王に仕えた一人ではないか。

| 漢詩・漢文 | 11:18 | trackbacks(1)

苦昼短  李賀

飛光飛光

勧爾一杯酒

吾不識青天高

黄地厚

唯見月寒日暖

来煎人壽

食熊則肥

食蛙則痩

神君何在

太一安有

天東有若木

下置銜燭龍

吾将斬龍足

嚼龍肉

使之朝不得廻

夜不得伏

自然老者不死

少者不哭

何為服黄金

呑白玉

誰似任公子

雲中騎碧驢

劉徹茂陵多滞骨

嬴政梓棺費鮑魚


飛光よ 飛光  爾に一杯の酒を勧めん  吾は識らず 青天の高きを 黄地の厚きを
唯だ見る 月は寒く日は暖かく 来たって 人寿を煎るを 熊を食えば すなわち肥え
蛙を食えば すなわち痩す  神君 いづくにか在る  太一いづくにか有る
天の東に 若木有り  下に燭を銜む龍を置く 吾 将に 龍の足を斬り 龍の肉を 嚼み
之をして朝は廻るを得ず  夜は伏するを得ざらしめんとす 自然 老者は死せず
少者は哭せず  何為れぞ 黄金を服し  白玉を呑む
誰か任公子の似く  雲中 壁驢に騎る 劉徹 茂陵  滞骨多く  嬴政の梓棺 鮑魚を費す

飛び去る光よ、その光 君に一杯、この酒をすすめよう
僕は知らなかった 天の青い空は高く 黄土の大地が広いことを
目にするのは 暖かい陽の光 寒々しい月の光 二つの光は交互に 人の命を削る
悪徳の栄えが熊を喰らい肥えていく 美徳の不幸が蛙で忍んで痩せていく
神も仏もないものか 東の果てには扶桑樹の神木 下界に太陽をくわえた時の龍
刻龍の足を斬り その肉を喰らい これをして時を止め 龍は昼も夜も眠ることができぬだろう
老いたものは死なず 若いものは哭かず 錬金術も 不死の白玉も 求める者はいなくなる
伝説の任公子のように 驢馬を雲で乗り回すものがいるのだろうか
武帝とよばれた劉徹の 不老長寿は叶ったか 昇天も叶わず 墓の茂陵で骸骨が踊っている
秦の始皇帝とよばれた嬴政も 不老不死は叶ったか 棺の腐臭に鮑魚をつめこんだ
昼の短きを苦しむ それこそ 無粋な末路が待っている

潔い矢野さんにこの詩を贈ります 阿礼より

| 漢詩・漢文 | 23:46 | trackbacks(0)
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