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La Ruche1ブーシェは、19世紀末から20世紀初めにかけ、貴族や著名人の銅像を作って財をなした。

あのカミーユ・クローデルの最初の師となるわけだが、イタリア行きが決まり、後任にロダンを推薦したのもブーシェである。

このブーシェが、若い芸術家達のアトリエと生活のスペースを提供したのが「La Ruche」である。

詳細はこちら〜 magnummasse La Ruche ラ・リューシュ


La Ruche 2あまり環境のよろしくない土地であったらしいが、若き日の巨匠達が住んでわけだ。

「誰かの絵が売れると、祝宴で大騒ぎだ。すきっ腹を抱えた奴は、そうやって食べ物にありついた」という。

ゲシュタポやレジスタンスが入り乱れるのが、第二次世界大戦になり、La Rucheは、次第に朽ち果てていく。

当時の住人達が呼びかけ、現存。2003年で誕生100周年だった。

工事中で見学できなかった方もいると思う。ところが住人の好意で入室することもできる。そんなふうに異国で人との繋がりが持てる場所だ。それはブーシェの精神だろうかなぁ。


| ラ・リューシュ | 19:04 | trackbacks(3)
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「蜂の巣」とよばれる共同アトリエがあるアパートメント。いまも13国籍60人の芸術家が住んでいるという。画家、造形芸術家、舞台演出家、作家、映画関係者と多種多様な彼らの生活の場でもあるため、ふだんは未公開。 もともとギュスターブ・エッフェルが設
| 何の印象もないBlog | 2006/04/29 7:37 PM |
ruche とは「蜂の巣」のことだ。 この「蜂の巣 La Ruche」は、アルフレッド・ブーシェという彫刻家が計画し、今から100年ほど前の1903年に実現した。エッフェル塔でお馴染みのギュスターブ・エッフェルが設計し、1900年に開催されたパリ万国博覧会のワインのパ
| Magnum masse | 2006/04/29 7:58 PM |
カミーユの最初の師であるアルフレッド・ブーシェ。広いアトリエを探していたブーシェは、広大な土地を見つけた。そのとき、長年の夢であった芸術家のアトリエ兼アパートの建設を決意した。それが「蜂の巣」である。1900年に開かれたパリ万国博覧会でエッフェル氏設計の
| Re+naissance | 2006/04/29 8:03 PM |
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