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神とルイ14世 1674年 まさに王権神授説 
by シャルル・ル・ブラン


イエス・キリストが王位とヘルメットをルイ14世に贈る。
右側はジャン=バティスト・コルベールだ。

過去記事 ルイ14世 王権神授説の宮廷絵巻

そして
唯一の信仰 唯一の法 唯一の王を象徴しているか。

楓のところも、sai のところも、僕のところも、もう、高校生の子がいなくなった。みんな大学生。
高校生の教科書や参考書をたまに読んでいたという楓に、「アホか」と思ったことがあったが、たまたま「世界史B」が目の前に・・・。

いやぁ、面白い。そういうわけでルイ14世を書いてきたが・・・。
記事にするたび嫌いになるこいつ。

ルイ14世 王権神授説の宮廷絵巻
ルイ14世 芸術への愉楽
ルイ14世  コルベールの重商主義芸術政策
ルイ14世 スペイン継承戦争 フェリペ5世への箴言

さてさて絶対王政の時代、でてきたハプスブルグ家。そしてブルボン家。

Louis XIV devant Maastricht, Pierre Mignard, 1673

ルイ14世 1673年
ピエール・ミニャール


参考書のほうをみると、「テーマ」というところに雑学が記載されている。

あるときフランスのルイ14世が廷臣に年齢を尋ねたところ、「すべてのことは陛下のお考えしだいでございます。わたくしめの年齢も、どうぞよろしいようにお決めください。」と絶対王政の由来の話がのっていた。

それで、ルイ14世についてしばらく記事にしてみようと思ったわけ。

ダルタニャン物語の三銃士にもでてくるフロンドの乱。これがルイ14世の5歳で即位した当時のことだ。

三十年戦争のために重税が課せられ、貴族が反乱を起こしたわけだ。これが不幸中の幸いで、貴族勢力は鎮圧され、絶対王政確立につながったからだ。

Louis ambassador 1663

スイスの大使を迎えるルイ14世 1663年
by ファン・デル・ミューレン 


無学といわれているルイ14世だが、何が無学かというと、この幼少時に覚えなければならないラテン語、古典などが、フロンドの乱などで、正規の座学と学業を中断せざる得なかった。

ルイ14世は無学といえども、もともと洞察力にすぐれ、人心を掌握する術と、胸に秘めた王国つくりを実践した人だ。

ちょっと勘違いの危ない親父的なところはあるかもしれないが。

名だたる貴族を招集し、心性を収攬し、宮廷の礼節と儀式を収斂し分別化させ、国王としての執務を執り行い、さらにルイ14世の愉楽の場は、廷臣にも与えることで「息抜き」の時間を提供する。

「私は人々を楽しませようとした。人々は自分たちが好むものを王が好んでいるのを見ると、感動するものだ。これが時には褒美を与えるよりも人々の心をつかむ」



芸術の守護者 ルイ14世
ジャン・ガルニエ Jean Garnier


のちのフランス王妃マリー・アントワネットは、王妃としての特権のみ要求し、王妃としての執務がなく、分別化させた宮廷の礼節をいまいましく思い廃止したりもしている。

ルイ14世の功績はというと

重商主義の政策、官僚制度と特権身分の保障、常備軍の編成、植民地政策で絶対王政支配を固めていったこと。儀式や作法、バレエが功績じゃないから。(笑)

マザランの政治では
ルイ14世幼少時の宰相マザラン
フロンドの乱の鎮圧、三十年戦争の終結(ウェストファリア条約)

重商主義の政策は
財務政策総監のコルベール

打倒!ハプスプルグ家!

ハプスブルグ家 寓意画 「落日の寓意画 アントニオ・デ・ペレーダ」

ネーデルランド戦争(1667-68)はアーヘン条約で講和
オランダ戦争(1672-78)はナイメーヘン条約で講和
ファルツ継承戦争(1688-97)→ウィリアム王戦争になり、ライスワイク条約で講和


The Decision to Make War on the Dutch in 1671

オランダ戦争を決めたルイ14世 1671年 シャルル・ル・ブラン


Louis XIV Gices Orders to Attack Four Strongholds in Holland 1672

オランダ戦争 4つの要塞の攻撃を指示するルイ14世 1672年 シャルル・ル・ブラン


そしてスペイン継承戦争。

ルイ14世 スペイン継承戦争 フェリペ5世への箴言

戦争に、対外政策で国庫は怪しくなっている。
フランス東インド会社(1664年-1769年)
ポンディシェリ占領(1674年-1763年まで?)
フランス西インド会社設立(1664年)
フランス領ルイジアナ(1682年頃-1803年)
カナダ・アカディア植民地帝国(1605年)

なぜ、フロンドの乱が起こったのか。

ルイ13世期の戦争は戦費調達のために民衆にはたび重なる増税がおこなわれ、新税の導入がフロンドの乱につながったわけ。

The Peace Treaty of Nijmegen 1678 King Louis XIV

1678年ネイメーヘン条約(ナイメーヘン条約)講和のルイ14世
シャルル・ル・ブラン


ルイ13世期
ユグノーや貴族勢力を抑圧。
三部会の召集を停止(1614年)、全権を独占する。
三十年戦争(1618−1648)はウェストファリア条約で講和。
そしてリシュリューは塩税とタイユ税(土地税)を引き上げた。

今朝方、フロンドの風が起こった
大きなうなり声をあげて
マザランに吹き付ける
今朝方、フロンドの風が起こった
あぁ~それで、飛んだんだ。
うなるような暴風で、フロンドの乱のはじまりとなるマザラン邸に「石」が飛んだのか。
 



タペストリー マザラン たぶん中央上がマザランか?
カラー版はこちら


それがまたルイ14世時代も戦争、戦争、戦争。増税、増税、増税。

ルイ14世親政時代の主な税制には間接税、物品税、塩税、タイユ税がある。コルベールは貴族と聖職者の免税特権の廃止まではしていないが、税の徴収と運用方法を改善した。

ルイ14世  コルベールの重商主義芸術政策

(ということはタイユ税以外は第1身分も納めていたのか?

ルイ14世の親政にはいってから、1701年に人頭税、1749年に二十分の一税を取り入れたとある。

ちょっと当時の税金の勉強を。(当時のフランスは地方によって税金の種類や税額は違う。)

Copyright © 2009 National Gallery of Art, Washington D.C. NGA HOME

マザランのタペストリー 書物を持ち片手を挙げているのがマザラン?
(C) National Gallery of Art, Washington D.C. NGA HOME


まずフロンドの乱(1648-1653)の頃の税金は。


法務貴族(官職保有層)
ルイ13世期(1601-1643)には高位の司法・財政・行政官職の売買(売買の官職保有者を法務貴族という)には、「ポーレット法」(1604年)によって官職価格の六十分の一を税金として毎年に払う。さらに官職世襲制度があり、引き続き徴収できる体制があった。

マザランの時代(ルイ14世期)には、国王直属の総代監(知事)の下に法務貴族が徴税のための制度に、さらに利用されるわけだ。さらにマザランは官職の売買を計画した。

一方パリの民衆の税金は。
タイユ税(土地税)、トワゼ税(特殊建築税)、タリフ税(省略して関税)、エイド税(間接税)というパリ市民の税金。そのほかに、献納金、富裕者税、土地譲渡税だ。

こうして民衆と法服貴族が宮廷側と対立に至ったのだ。




ルイ13世、ルイ14世が登場するダルタニャン物語 著者デュマ(父)が左椅子?
後方は髭のないネルヴァルか?そしてシャトーブリアンとユーゴーじゃない???
ピアノはリスト、そしてデュマと思われる隣の椅子に座るのがジョルジュ・サンド。
そして、リストの足元に座るのが、女優のマリー・ドルヴァルかと思われるが・・・。

ちなみにダルタニャン物語では、三銃士のうち、アトスとアラミスがフロンド側につき、ダルタニャン、ポルトスはマザラン側。
マザランが大衆や法務貴族から嫌われたのはこういうわけだった。だからマントノン夫人(ルイ14世の秘密の王妃)の最初の夫、ポール・スカロンは「マザリナード」と呼ばれた反王室冊子を世に送り出したわけだ。ちなみに法務貴族だったらしい彼の父親はリシュリューに職を解かれたらしい。

ポール・スカロン マントノン夫人の最初の夫
こうしてマザランによって鎮圧されたフロイドの乱。



ギリシャ神アポロに扮したルイ14世


wikiによると、
乱が平定して程なく、17歳のルイ14世が狩猟の帰りに乱の根源となっていたパリ高等法院に立ち寄り、法服貴族たちを高飛車に恫喝して有名な「朕は国家なり」(L'État, c'est moi)の科白を言い放ったというエピソードがヴォルテールの『ルイ14世の時代」に記述されている。
そうだったのか?「朕は国家なり」のセリフは?

法服貴族で成り立つ高等法院は通常の司法権限だけでなく、勅令や法令の登記や国王に建言する立法的行政的権限も有している。

1673年、ルイ14世は勅令の登記に際して高等法院に建言権を封じた。ボローニャ政教条約(wiki:教会財産に対する課税権や聖職任命権を国王に与えたもの)を、新司教区にまで徹底する。(ちなみにこの年は商事王令が制定された。破産防止のための商業帳簿の義務付けだ。)

前後するが法典化による統一的な法制度の手段として、1667年に司法制度を統一するための民事王令、司法権を中央集権で掌握するものに1670年の刑事王令がある。

国家のルールが法律であり、それを定めた権力が王令(国王立法)じゃん。絶対王制下の国王が作った法律は、王権側の支配権で定められるわけ。こうしてルイ14世の「唯一の法」が支配するんだな。



ルイ14世


ヴェルサイユでは国王と国務諮問会議が決定を下し、地方では総代監(知事)が国王の命令を施行する。
過去記事 ルイ14世 王権神授説の宮廷絵巻 
立法・行政・司法の三権をルイ14世自らの手に掌握したのだ。

「L'État, c'est moi」

ちなみに ルイ15世期
ルイ14世期の戦争による人的物質的損失からの「回復」の時代と呼ばれている。


ルイ14世の孫 ルイ15世の寵姫ポンパドゥール夫人
「私の時代 マダム・ド・ポンパドゥール」


聖職者、貴族を含む全国民を対象とした「二十分の一税」だが、かなり融通の利いたものだったらしい。

ルイ16世期
ルイ16世時代は。国民に増税したため、貴族・聖職者などの第一身分からの税金を免除。(アホか)
ルイ16世時代の民衆(農民)が、国や領主にどれだけを支払ったかは下記記事を参考に。ずずっと下にカーソルを下げて・・・。長い記事だから。
マリー・アントワネット フランス紀行から

国庫はルイ14世時代からというが、トドメを刺したのはほかならぬこのルイ16世の時代。だって国庫が危ういのに第1身分の税金免除や王妃の濫費がトドメだろうよ。



タペストリー ルイ14世、スペイン王フェリペ4世、後ろは王妃マリー・テレーズ
「フェザン島でのフェリペ4世とルイ14世の会見」(国王物語より)
シャルル・ルブラン 作 1660年


さて、ちょっと女の話。ルイ14世の愛妾たちだ。

1658年頃にダルジャンクール嬢(Mademoiselle de la Motte d'Argencour)といい仲になる。このダルジャンクール嬢だが、リシュリュー時代では軍事技術者であり、「Château Trompette(トロンペット城)」の著者でもあるピエール・ド・コンティ・ド・ダルジャンクール(Pierre de Conty d'Argencour  1575-1655)の孫かその家系のものではないかと思った。

マザランほどじゃないが、ナルボンヌの知事までなった人。

ダルジャンクール(あるいはアルジャンクール)は、周囲の反対で結局修道院に身を潜めた。あんまり話題にのぼらない人。

マザランの姪五姉妹の二人がルイ14世に見初められている。「マザリネット」と呼ばれた五姉妹のラウラ、オリンピア、マリー、オルテンシア、マリア・アンナ。

マザリネットのマンチーニ姉妹

次女のオリンピア・マンチーニ(1638-1708)はソワソン伯ウジェーヌ・モーリス・ド・サヴォワの妻。フランス王ルイ14世の愛妾でもあった。あのモンテスパン伯爵夫人の黒ミサのラ・ヴォワザンの顧客の一人。



オリンピア・マンチーニ
ソワソン夫人


三女のマリー・マンチーニはラシーヌの「ベレニス」に、ルイ14世との悲恋が書かれているほどだ。結婚まで考えたため、マザランと王太后アンヌ・ドートリッシュによって公子ロレンツォ・オノフリオへ嫁がされた。

弟王の妻ヘンリエッタ・アン・ステュアートもその一人。

そしてヘンリエッタ・アン・ステュアートの侍女だったルイーズ・ド・ラ・ヴァリエール。

この人はこちらから
ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエール ルイ14世の菫の貴婦人

モンテスパン侯爵夫人フランソワーズ・アテナイスとマリー・アンジェリク・ド・フォンタンジュ嬢。

二人の話はこちらから
モンテスパン侯爵夫人フランソワーズ・アテナイス

そしてマントノン夫人。

この人はこちら
秘密の正室 マントノン侯爵夫人
この人の夫はこちら
ポール・スカロン マントノン夫人の最初の夫
というわけで、マントノン夫人が影で手引きをしたというナントの勅令の廃止の話しに移る。



宗教の勝利 1686年
ルイ14世の肖像画 by シャルル・ル・ブラン


マントノン夫人云々より、ルイ14世の親政がはじまってから、カトリックへの改宗を薦めていた。改宗したものへは援助のための基金を設立し、改宗したものは5万人を超えている。そして20万人ほどがプロテスタント層に残った。

こうした状況で、「ほとんどのプロテスタントが既にに改宗している。」ということを強調し、ナントの勅令(プロテスタント側にもカトリックとほぼ同じ権利を認めたもの)が必要がないという結論に至るわけだ。

1685年、「ナントの勅令」はフォンテーヌブローの勅令でルイ14世が破棄を法令した。

ルイ14世を王国の宗教的統一を成し遂げた「コンスタンティヌスの再来」と呼んだのは、宮廷説教師でもある聖職者のジャック=ベニーニュ・ボシュエ (Jacques-Bénigne Bossuet)だ。

つまり「唯一の信仰」がここで確立したわけだ。

おめでとう!
une foi, une loi, un roi
唯一の信仰   唯一の法   唯一の王 ルイ14世よ。

参考(引用)
wiki
ルイ14世紀の時代 ヴォルテール
ヴェルサイユの春秋 ジャック・ルヴロン
[ルイ14世] ブログ村キーワード


ルイ14世 唯一の信仰 唯一の法 唯一の王


ルイ太陽王(ルイ14世) 王権神授説の宮廷絵巻


ルイ14世 芸術への愉楽


ルイ14世 コルベールの重商主義 芸術政策


スペイン継承戦争 フェリペ5世への箴言


ちなみに王妃マリー・テレーズのドレスにまつわるモード史はこちら
記事「シャネル以前 宮廷のクチュリエ ウォルト
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思いがけずに巡りあった中島実穂さんの「マダム・ド・マントノン: ルイ一四世と冠のない王妃」(文芸者)という1冊。ドラマティックに装飾されずに、マダム・ド・マントノンの生涯を伝記として伝えたいという著者の冷静な視線を感じる1冊で、非常に丁寧に描かれています
| Life Style Concierge | 2009/11/26 10:39 PM |
僕の小さい頃からの親友aleiがルイ14世の記事を気が狂ったように書き出したのが昨年末。書けば書くほど品格・人格に嫌気がさしたといっていた。わかる、わかる。 「二人の女を和合させるより、 むしろ全ヨーロッパを和合させることのほうが容易であろう。」 これ
| xai+nessance | 2010/02/09 10:02 PM |
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