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ジャック・ルヴロン「ヴェルサイユの春秋」 ルイ14世 宮廷絵巻から

Equestrian portrait louis xiv 1692



王の権力はどこに起因するものか
それは神から授けられたものである


1682年、ルイ14世は在位40年を迎える。この年、息子グランド・ドーファンに王太子ルイ(ルイ16世の父)が誕生した。

いよいよヴェルサイユを王室と国家の牙城とし、貴族たるものここで生きなければならぬ。 by ジャック・ルヴロン

歴史家は
「王は貴族から陰謀の好尚を拭い去り、飼い馴らす。」

幼少のルイ14世を襲った貴族の反乱、フロンドの乱の追憶だ。首都パリは知識層もブルジョワ層も、法務貴族も多い。1563年にカトリーヌ・ド・メディシスが建造を命じたテュイルリー宮殿のような歴史軸に、劇場や愉楽を楽しめる幾多の場。貴族とパリ市民をひとつにしてはならない。

Louis XIV (1638-1715) as Jupiter Conquering the Fronde

ジュピターに扮するルイ14世 1648年以降?
チャールズ・ポワソン(Charles Poerson)

王は
国王の偉大さと豪奢への追従にふわさしい城。
執務も愉楽もとりおこなえ、貴族の領地よりも心を奪う美麗な城。
哲人ラ・ロシュフコーをはじめ、名だたる有名貴族がそこに仕え、芸術家や文人たちが集う城。
ルイ14世の目標は、フランス貴族最高の人士をヴェルサイユに集め、意のままに操縦することだ。

作家スタンダールは
ルイ14世の傑作は、言葉の本質的な意味でアンニュイを造ったこと、追放によるアンニュイを発明したことだ。
フランス貴族は
王の物質的な恩寵を当てこみ、ヴェルサイユに居住するのを願わない貴族はいなくなる。
さて王の物質的な恩寵をあてこむ貴族たちを熱心な廷臣に仕立てるには?

Réparation faite à Louis XIV par le doge de Gênes dans la Galerie des Glaces de Versailles (par Charles Le Brun, château de Versailles)

1685年5月15日、ジェノヴァ総督ドージェの謁見を行うルイ14世
クロード・アレ(Claude Guy Halle)


過酷なばかりの厳しい礼節の励行を強制すること。
儀式の参列と位階の序列と特典

ルイ14世も治世のはじめは自由気ままにふるまった。幾人もの愛妾を抱え、部屋を伺いに行く。ところが1682年以後、国王自身も気晴らしや不謹慎な放縦を追放する。たぶん、個人の自由は存分に味わってきただろうから。

日常生活のありふれた挙止や行動が細かく規制される。

貴族は宮廷席次に狂奔する。
「王は廷臣に確実な効果を与えるほど、恩恵を施していない事実に気づき、万人むけの恩寵にかえ、嫉妬をふりまく。

王の小さな贔屓の演出。

さらな作為の産む希望と期待を、国王ほど巧みに利用した人間もほかにいなかった。」 

by サン=シモン

王の起床と朝の儀式


王妃が亡くなり、マノントン公爵夫人と厳粛な結婚式をあげたあと、王は王の寝室の寝台で眠ることを習わしとする。

ここには筆頭侍官がいる。

王が眠るまで側で仕え、明朝7時には床を離れ、午前7時半。
「陛下、お時間でございます。」

8時15分
4人の王の部屋つき「勅人貴族」は、王の寝台のカーテンを開け放つ。
夜の短い肌着に部屋着と聖遺物。

Louis XIV bedroom, Versailles

Louis XIV bedroom, Versailles
ルイ14世の寝室


そして王の朝見がはじまる。
王家の本流の血族と王族、公爵、歴代陪臣の旧貴族(侍従長、納戸職長官、装束職長官、装束司)、部屋つきの勅人貴族、王の侍官と限られる。

筆頭侍官が数的の酒精を注ぐ 
侍従長は聖水盤を捧呈
ルイ14世は十字を切る
参列者は一斉に「閣議の間」へ向きを変え
扉が開かれると 宮廷司祭は祝祷を唱えた

午前8時半 国王は肘掛椅子で鬘を選ぶ。侍従長が王の夜の帽子をはずす。靴はヒール、筆頭侍官が差し出す部屋着にかえる。


朝賀の儀 御所の役職者だけの参列


上侍医頭はじめ常勤医師、外科医、4人の居殿事務官、書記、ご進講係り、式部職長官、納戸職筆頭侍官ほか、「勅許入室許可状」をもつ特恵的貴族が並ぶ。

Versailles

右:ルイ14世の椅子の間のシェーズ・アフェール
左:ルイ14世曾孫のルイ16世のシューズ・ペルセ


国王は座を外さぬよう、室内用の「用を足す椅子」にも座る。
朝賀の儀が終えると国王は朝の引見の鬘を選ぶ。

ルイ14世時代は、シェーズ・ド・アフェール(chaises d’affairs、用を足す椅子のこと)といっていた。

「キャビネ・ドゥ・シェーズ」(椅子の間)とよぶ小部屋に、設置タイプのシェーズ・ド・アフェール、あるいはシューズ・ペルセ(穴あき椅子)が置かれていて、右のものがルイ14世専用だったもの。

左はたぶん曾孫のルイ16世のものといわれているシューズ・ペルセ。室内用だ。

当時のトワレ事情はこちらから
記事「トワレとビデとガルデ・ア・ロー

朝の引見


御所の役職者の参列につづき、「栄爵の士」が入場する。
栄爵の貴紳は衛士に名を告げると、衛士は勅人貴族にむかって名を復唱する。国王に個別に紹介する順を復唱しているのだ。

大貴族、顧問官、元帥、司教、諸外国の使臣との引見をだ。



鏡の間
朝から晩まで宮廷人の往来があった。


朝食


午前9時をまわるころ。
グラス2杯のぶどう酒とスープである。給仕は厳粛に、毒見の形式も守られている。
たぶん下剤にあたるブイヨン・プルガティフ(乳香、蛇の粉末、馬糞尿)がスープだったのではないか。


召し換えとミサ  王の寝室 礼拝堂


顔と両手を洗う。理髪師が剃刀で顔をあたる。
王太子が肌着を渡す。(不在の場合は孫、甥)
何本かのネクタイが奉仕者の手で捧げられる。
王は1本を選び自分で結ぶ。
つぎに3枚のハンカチ。二枚を手にとる。
宮廷の時計師がネジをまき懐中時計を主に渡す。
身支度が終わると寝室の祈祷台にひざまずく。

ここで重要なことは、全宮廷が教会の慣行に順応し、貴族たちに宗教的義務を思いこさせるためである。

王妃が逝去してからはルイ14世は朝の10時からミサに参列する。王家の課せられた儀務である。

The chapel within the Palace of Versailles

ヴェルサイユ 礼拝堂


衛士と王の部屋つきの侍官や侍従を前駆に、国王はロザリオを手に礼拝堂に進む。

僕的には貴族たちの義務もあったと思うが、ルイ14世の「老い」を感じる中高年に差し掛かった頃。

「老い」との戦いは、ブルボンの子孫繁栄も心をよぎったと思う。(これは僕らのような40代でなければピンとこないかもね)

かつルイ14世が老いて天に召されても、ルイ14世の国事の功績とこの城、貴族を統治した宮廷儀礼など、ルイ14世の神格化を願っていたのではないか。

それが信心に一層に熱心になった所以と思っている。


執務と顧問会議  執務の間


大半が顧問府の会議で、大臣は位階順に着席することになっている。

職能別の「新 枢密顧問会議は水曜日
「財政顧問官会議」は火曜と土曜
もっとも重大な「枢密顧問会議」は日曜日
木曜日は特別な面会日で、おもに建築家や園芸家と会合する。
金曜日は聴罪司祭を招く。

Jean-Baptiste Poquelin

ルイ14世と作家モリエール
ジャン=レオン・ジェローム(Jean-Léon Gérôme)
19世紀の画家による作品


ここでは作家を招いて歓談したり、リュリやドラランドによって演奏も行われ、執務中に音楽も堪能できたわけだ。
ルイ14世 芸術への愉楽

執務室では引見も行われる。月曜日の「衛兵の間」に据えられた請願書。格別の謁見に預かれるのは貴族の計らいによる。有力者の後ろ盾が必要なのだ。


王のディネ(昼食)の儀  王の居室


王の指定した品数しかでない「小膳式の儀」である。高位の廷臣と式部職の貴族が距離を置いて待立する。

王妃も王太子妃も亡くなってからは一人である。

Moliere dining with Louis XIV 1857 Jean Auguste Ingres

「ルイ14世の食卓のモリエール」 1857年
ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル(Jean Auguste Dominique Ingres)
アングルがこんな作品を19世紀に描いたとは。


勅人貴族が王に時間を告げると、ルイ14世が席につく。

「二人の衛兵が先頭を歩む。つぎに部屋の取次役。警杖を手にした宮殿長。パン管理職の貴族、宮殿監督官、書記長らが続く。その後に肉料理を運ぶ大膳職員と主膳頭。殿は陛下の二人の側近衛兵がつとめる。」

小行列が厨房から王の居室まで続く。自然に熱度が緩和される。

王が酒を所望する。
酌取り役 「国王陛下にお飲み物を」 
彼は最敬礼し、宴席給仕主任の詰めているビュッフェに急ぐ。
ビュッフェではそろいのグラスをのせた金の皿と水晶の水差しを渡される。
宴席グラス係補佐を連れてもどり、当番の貴族の毒見が行われてから王は酒と水で割ったグラスを口にする。

王は、アンリ4世依頼のフォークとナイフの使用を、古きよき時代を模倣し、ルイ14世は1本のナイフと自身の優雅な指で食事をする。

とにかくルイ14世の振る舞いは、周知のとおり華麗で優雅だったわけで、古きよき時代の作法もさまになっていた。

Anonyme, Le cabinet du Grand Dauphin au château de Versailles

ヴェルサイユ宮殿のルイ15世とフィリップ鏡
(ルイ14世の孫ルイ15世と ルイ14世の弟オルレアン公フィリップの子)


ごらんのように、ルイ14世の甥フィリップ2世が描かれている作品で、鞠躬如として立ち尽くしている姿が描かれている。

王の陪席する栄誉は、王の一族や親族を問わず、だれにも許されなかったという。

この鉄則について、ルイ14世とフィリップ親王の顧問会議の出入りの一こまをサン=シモンは書いていた。

「殿下は王に対して誠に恭順、たえず立ちづめでおられる。ある日、国王は殿下にかさねて座るようお声がけをなさっていた。殿下はふたたび最敬礼をしたのち、ようやく腰をおろしたものの、王がディネをとり続けている間、神妙に同じ姿勢のまま、座っておられた。」

ルイ14世の威信と威令のほどがしのばれるというものだ。

ちなみに、この当時のルイ14世のディネのメニューは。
4皿のサラダに4皿のスープ、そしてステーキ、ハム2枚、ラム肉が出され、ゆで卵、つづいて菓子と果物がだされたらしい。


王の午後


とくに話したい貴族を指名してディネをあとに、「執務の間」にもどる。

そのあとに、衣裳部屋の係を呼び、着替えをする。少数の顧問「部屋つきの勅人貴族」しか立ち会わない。

そうして狩猟か散歩だ。大理石内庭に姿を現す。この短い時間は、身分や資格に関係なく、誰もが王に請願書なり嘆願書を手渡せる絶好の機会だ。

プリミ・ヴィスコンティ曰く
「私は思い出さずにはいられない。出発の瞬間の慌しくも壮麗な光景を。

色とりどりの制服に身を固めた兵士、廷臣、せわしく動き回る従僕たち。とりわけ王妃が女官たちと着飾って野に出かけるときの蜜蜂の女王さながらの貫禄あるお姿を。」

鹿狩りは週1回。
狩猟による狩は週2回。

狩猟は歴代のフランス王により愛好される。ブルボン家代々は肉体の訓練や運動の成果のみを期待してはいない。

Louis XVI, the Royal Hunt

ロイヤル・ハント 王室の狩の風景
ルイ14世の孫 ルイ・フェルナルンドの鹿狩り
ミシェル=バルテルミー・オリヴィエ  Michel Barthélemy Ollivier


農地や収穫を荒らす野獣狩と領地下の良民の被害を救う有益な事業でもあると信じていた。

しかしながら王の特別狩猟区が設立されたことは、もはや上記の訓練や有益な性質とは縁遠い。愉楽以外の何者でもないということだ。

当今供廻りの人数と豪勢さはにおいて、ルイ14世の狩猟群に匹敵し得るものもいない。

住宅などの森林地帯の侵食。その保護は狩猟地の保護で、さらに鳥獣類は飼育をされるようになる。

「わが愛しき孫よ・・・。」からはじまる告論。狩猟をする宮廷人に課せられる勅定でもあるべきだが、この告論は下記記事からどうぞ。
ルイ14世 スペイン継承戦争 フェリペ5世への箴言

さて、そのほかの日は貴婦人との散歩、庭園散策、あるいは各建造物の訪問である。

こうした庭園散策は、ルイ14世自身の自筆による「ヴェルサイユ庭園案内書」があるが、庭園の真価と美の誇りを書き綴ったもを完成させた。

ルイは午後5時を回ることはほとんどなく、宮廷に戻ったという。


聖体降臨式と宮廷社交


起床から数えて3度目の着替えを行う。このときに華麗で威厳び満ちた盛装姿に替える。

そしてこの午後の終わりに再度顧問会議が開催しない限りは、「親書」の署名にはいる。公的ではない文書や秘書官に作成させた記録類に目を通しているわけだ。


「国王が何か込み入った話や国事の話をするとき、マントノトン夫人は刺繍をしたり、本を読みつつ聞く。誰か大臣が来て、緊急の議題を出しても、めったに口出しをしない。稀にしか答えない。その稀にしか答えない言葉がそのまま決め手となったことがある。」

ちなみにマントノン夫人の最初の夫はピュルレスク詩人のポール・スカロンだ。彼のサロンで上流で自由な格式のないサロンでさまざまな見聞を積んでいるだろう。
小一時間後、マントノントン夫人を訪問する。週に1〜2度、夏は午後6時、冬は午後5時の聖体降臨式に出席する。

そうして廷臣たちがもっとも待ち焦がれた時間が訪れる。

「アパルトマンの催し」だ。

週に3日、夜の7時から10時までの慣わし。

王妃マリー・テレーズが嫁いだ頃にはすでにフランス王室の慣わしだった。王は告げる。

「マダム(王妃)、余は希望する。
アパルトマンの集いで、貴女がダンスをされるのを。
余らは私人として会場にいるのではない。
公人としてそこにあらねばならないのである。」



ルイ14世のビリヤード 


ビリヤード、トランプ、賭博、ダンス、音楽界、芝居、そして軽食。終わりはコントラダンス。

「ディアナの間」にはビリヤード。「アポロンの間」は玉座の間。アパルトメントの夜会では、ここが舞踏会場に変じる。

週に3回のアパルトメントの夜会では、「豊饒の間」にある銀の甕に、熱いコーヒー、ショコラ、果実のジュース、レモネード、葡萄酒がそれぞれ満たされる。

ヴィーナスの間では、菓子、砂糖づけの果実、フルーツが銀やクリスタルの器にピラミッド型に盛られている。



下の写真は、ルイ14世の主席画家であるシャルル・ル・ブランの作品による室内の装飾品。ここはヴェルサイユではないが、たぶんこんな感じで盛られていたのだろう。

Sideboard in the Dining Room the Salles Des Buffets at Vaux-Le Vicomte After 1641

ルイ14世に終身刑をいいわたされたフーケの城内
ヴォー=ル=ヴィコント城 (Château de Vaux-le-Vicomte)
「横領金城」を建てたため、なおルイ14世の怒りを買ったか。





マルスの間

マルスの間では音楽と賭博




宮廷人たちは、じつはマルリー宮、モンテスパン侯妃(ルイの公妾)のクラニー邸などで朝から大勝負をしていたらしい。

はては致命的な負債を背負い込むと廷臣たちは、気前のよいルイ14世に泣きつく。三度目の国王はとうとう専制的になり、王の意のままに翻弄される結果となる。

賭博の効果は廷臣たちを専制的に利用できたのではないか?(笑)


大膳式の晩餐


午後10時
王は暖炉を背にして中央に坐を占めただろう。壇上には小楽団。国賓の名の王侯・王妃を招く。公開晩餐会のしきたりだ。

のちのルイ16世が大衆の面前で食事をする儀式をみた、イギリスのアーサー・ヤングは「まことに奇妙である」という話があるが、ルイ14世は違う。

ルイ14世は自分の生活を全ての者によって賞賛されるべき芸術品だと考えて、国王自身の生活を公開したわけだ。

それが、サン・シモンに「暦と時計さえあれば、どこにいようと、今、王が何をしているかをいうことが出来る。」と言わせしめたことなのだ。

つまり、廷臣たちの礼節と序列が微細にいきわたる様子を示しているともいえないだろうか。
さて 王妃も王太子妃も亡くなって、背後には侍医頭が数名並ぶ。

ルイ14世の容貌を害し、不潔さと不衛生さを増しただけの侍医頭。

ルイは4歳の頃から数本の歯しか残っていなかったという。麻酔なしの歯を抜く治療はこんな幼少から行われてきたのか?

いよいよ最後の1本も迷信で抜かれ、下顎までも破壊した。侍医ダガンの抜歯のこと。

ワインを飲めば鼻から流れ、丸呑みせざる得ない食事は、朝のブイヨン・プルガティフ(下剤)で一日嘔吐と垂れ流し。

ルイ14世の相手の女性が気絶するほどの匂いとは、こうした施術のせいだったわけだ。

匂いの記事
パフューム ある人殺しの物語
この物語の匂いというのは、「汚穢」だということ。
「当たり前の悪臭」と、「至福の香り」と、「絶たれた匂い」の物語。


こんな国王に寵愛を受けたいか。
こんな国王に侍る廷臣がいたのか。

若いルイはスタイルがよく、身のこなしもファッションも優雅で皆がうっとりしたというが、いつごろからなのだろう。

王妃は非常にルイを愛していたというが、この国王が賞賛されるべき芸術品とはならんだろうよ、普通。

公開晩餐会ではどうだったんだろう。その匂いは。



ルイ14世のビュッフェ


パリ市庁舎での宴に出席するルイ14世だ。

宮廷での大膳式では、夜はあまり重い料理を食べなかったらしいが・・・。

ディネ(午餐)の様子は先に書いた。
「4皿のサラダに4皿のスープ、そしてステーキ、ハム2枚、ラム肉が出され、ゆで卵、つづいて菓子と果物がだされたらしい。」とね。軽く感じるかもしれなから、ちょっと詳しく。

ディネはスープからはじまる。香りの高いヴイヨンに山うずらのささ身の王室風ポタージュ。

スープ
年老いた去勢肥鳥のブイヨン、山鶉とキャベツのスープ、鶏冠とベアティーユのスープ、去勢肥育鶏の挽肉とレタス、山鶉を使った二種のスープ

アントレ(前菜と肉料理の中間)
羊の股肉、雛鳥12羽のパイ包み焼き、若鶏6羽のフリカッセ、山鶉2羽の刻み料理、ハムとラム肉はアントレでだされる品。ハムにシュガーをかけるのが好きなルイ14世。

前菜
肉汁漬けの山鶉3羽、炭火で焼いた仔牛のパイ包み焼き6皿、七面鳥の網焼き、肥育若鶏3羽のトリュフ添え

焼き物
去勢肥育鶏2羽、若鶏9羽、鳩9羽、雛鳥2羽、山鶉6羽、パイ包み、山鶉の雛を詰め込んだ鹿のヒレ、丁子のつぼみを添えた若鶏など。

デザート
ピラミッドに盛られたフルーツ、干した砂糖漬け、フルーツコンポート。

こんな感じだよ。

だから、夜はこの半分くらいで、ほろほろ鳥をとろとろに煮たものとかではなかっただろうか。


国王の就寝の儀

夜食ののち執務の間に立ち寄りお休みの声をかける。そして「寝御の間」にむかう。

王に従うのは明朝の「引見の儀」に立ち会う面々。煌々と蝋燭の火が灯るなかで、晩禱を口誦する。司祭は王の祈祷書を照らすために燭台を持つ。

廷臣たちは名誉ある寵薄き役(燭台もち)を選び、国王の就寝まで燭台を持ち続ける。

筆頭侍官の手をかり衣装を脱ぐ国王。シャツと短い上着と部屋着をかさね、近衛兵連隊長に訓令をあたえる。

高官の顕官が退場。

ベッドにはいるときには部屋着を脱ぐ。とどまる侍官は宿直の寝台に横たわる。

一日の宮廷絵巻が閉じられた。



Louis XIV âgé, musée du Louvre, Paris

ルイ14世
青豌豆(グリーンピース)とサラダが大好物だったルイ14世。


なんだかな・・・。

実際の廷臣たちはどう動いていたんだろ。

彼らの避けられぬ宿命は・・・。
・宮廷生活の元手→対面と面目を保つ
 居城、使用人、馬車、馬、流行の身なりと礼服など
・莫大な富の蓄積と莫大な借金
 売官官僚職と新官職の斡旋の賄賂、賭博、富くじ

彼らの宿命に王の策とは・・・。
・税の免除
・借金による邸宅の差し押さえ禁止令

現代史家モングレティアン式の解釈は・・・。
ヴェルサイユの宮仕えは紹介や手蔓、斡旋、縁故で「資本」が動く。

つまり、余得や役得にありつく常習的手段は官職の売り出し(1604年のポーレット法)。平民で、富裕なブルジョワジーらは、官職保有層(オフィシエ)を高値で買う。

官職の中でも頂点は高等法院。ブルジョワジーは高位の司法・財政・行政官職を買う。これが法服貴族だ。

廷臣は新官職の創設を嗅ぎ付け、帯剣貴族(宮廷貴族)らや貴婦人たちが勤める仲介役(ブローカー)に知らせる。当事者のブルジョワ市民は賄賂を貴族や通告者に賜る。

あとはね、国務卿に国家や宮廷の弊風、悪風、濫費の密告で報酬を受け取る。なんてね、あるあるって感じだな。

こういう風潮のなかで、廷臣たちは、匂いの国王ルイ14世の「権力へのカメレオンか、風見の鴉か、提灯持ち」になったのであるぞよ。

僕はさ、ヴェルサイユのトイレの数だとか窓の数だとか、そんなアホな数値や裏話、噂話でこのルイ14世の治世を記事にしたんじゃないよ。

ドゥニ・ディドロの官能的諷刺小説「お喋りな宝石」(新庄嘉章訳)から引用する。
この時代の歴史をセリム(ルイ15世時代のリシュリュー)がもっとも詳しく知っていた。

「カノグルー陛下(ルイ14世)の御治世は数多くの成功と勝利で有名で、人々はこの時代を黄金時代と呼んでいます。大勢の夫人を持ち、貴族たちも競って陛下の真似をいたしました。また一般国民も知らず知らずのあいだに、同じ風に染まっておりました。」

以下は要約

「服飾の贅沢、食卓の贅沢、大金が賭けられる賭博に人々は多額の借金を重ねましたが誰も支払うことをしません。そのために人と金は失われ、さらに海外を征服し、多くの宮殿が建てられ、国民は飢えのために死んでいきました。国庫はからっぽです。そしてからくり人形の由来を申し上げたいと思います。」
18世紀の啓蒙思想家ディドロが書いた小説で諷刺しているのがこのルイ14世とルイ15世の時代。ちなみにからくり人形はマントノン夫人だと思う。

どう、服飾・食卓・賭博の浪費に国民のと飢え。これは廷臣たちの宿命が宮廷や国民に負担をかけていたわけ。

アーサー・ヤングのフランス紀行を引用した楓の記事に、たしか窓のない農民の家に驚いたとあったが、まさにヴェルサイユの窓の多さに驚くことではなく、恥じるべきことだ。窓のない家に住む国民の王たるものを。そしてヴェルサイユを恥じるべきなのさ。


ルイ14世 唯一の信仰 唯一の法 唯一の王


ルイ太陽王(ルイ14世) 王権神授説の宮廷絵巻


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スペイン継承戦争 フェリペ5世への箴言
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ポール・スカロン1638年以前のポール・スカロン マントノン夫人は賢いとされているが、僕にとっては計算高い女性の一人だ。最初の夫ポール・スカロン(1610-1660)。風刺の効いたスカロネスク様式を確立したといわれている。ポールとの結婚は耐え難い貧しさのため
| RE+nessance | 2009/11/22 9:42 PM |
新年あけましておめでとうございます。4日といえどまだまだお正月。お正月気分でちょっと官能的な物語の挿絵をご紹介します。 お喋りな宝石 ドゥニ・ディドロ海外版挿画 ジャン・デュラック「お喋りな宝石」(1748年)はディドロの小説。「不謹慎な宝石」でも邦訳さ
| Life Style Concierge | 2010/01/04 12:03 AM |
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