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ブーガンヴィル航海記補遺 エピローグ

航海家ルイ・アントワーヌ・ド・ブーガンヴィル(Louis Antoine de Bougainville)は、博物学者、デッサン画家、天文学者を伴い、世界一周の航海に出発したのが1766年のことだ。フランス人として初の世界周航を達成し帰港したのが1769年になる。



ルイ・アントワーヌ・ド・ブーガンヴィル
by ean-Pierre Franquel


1771年に「世界周航記」を出版したなかに、「ポリネシアの天国(パラディ=ポリネシエン)」についての話がある。

実際にポリネシアの有名な島タヒチには、ブーガンヴィルは1786年に訪れているらしい。

その「ブーガンヴィルの実録」を報告するタヒチ人の原始生活を、ドゥニ・ディドロ(Denis Diderot)は「ディドロの架空旅行記」として朽し堕落したヨーロッパの習俗が対置する対話形式で、「ブーガンヴィル航海記補遺」を1772年に出版する。

「世界周航記(ブーガンヴィル著),ブーガンヴィル航海記補遺(ディドロ)」は岩波から両方を読むことができるが、僕が読んだものは、中央公論のものでディドロのほうだけ。

さて当時の僕は高校生か大学生だったわけで、「ブーガンヴィル航海記補遺」(Supplement Au Voyage De Bougainville)の記憶は司祭とオルーのやりとりが延々続くなかの「近親相姦」だけだった。

近親相姦は悪いという司祭に、タヒチの男オルーは「"きんしんそうかん"とはなんぞや」という。

司祭はオルーーに、「あなたたちが娘と交わっていることだ」ということをいろいろ説明するのだが理解できない対話が続く。




百科全書で有名なドゥニ・ディドロ(1713−1784)
百科全書のパトロンはルイ15世公妾ポンパドゥール夫人
by ルイ=ミシェル・ヴァン・ロー(Louis-Michel VAN LOO)


A氏とB氏の対話は、会話の基本といわれている天候の話題から、本を読みましょうとB氏が促すところが最初の部分。

A氏 「あいかわらず例のブーガンヴィル航海記ですか」

A氏はかなりうんざり気味のようだ。そしてB氏はお構いなくブーガンヴィル航海記の話をはじめ、A氏の質問に如才なく答える。

これがさ。シェークスピアの喜劇みたいで、複雑なやりとりが面白いんだ。そういった長い話はのぞいて。

B氏 「・・・タヒチ人とヨーロッパ人との間隔は生まれたての赤ん坊と耄碌した老人との距離よりもおおきい。・・・タヒチ人はわれわれの習慣や法律を聞かされても、さっぱりわけがわからない。・・・」

A氏 「君は夢物語をつくりあげるつもりですか?」
B氏 「もし君がブーガンヴィル航海記補遺をご存知なら疑う余地はないはず」
A氏 「どこにあるのです。」
B氏 「テーブルのうえに」

貸してくれというA氏に、貸したくないというB氏。それで二人はそこでいっしょに目をとおすことになり、本題へと導かれる。

ここまでが1章の「ブーガンヴィル航海記の批判」で、第2章が「老人の別れの言葉」、第3章が「司祭とオルーーの会話」、第4章が「司祭とオルーーの会話の続き、第5章が「AとBとの対話の続き」となっいる。

さて、実は侵略されているタヒチ。この話は明日、あさってに。

ディドロの肖像画について 引用:ルーヴル美術館
ディドロは、真実を犠牲にしてまでモデルを美化しようとした、当時の肖像画家たちの傾向を激しく非難したにもかかわらず、友人であるヴァン・ローが彼の肖像画を描いた際、ディドロを「物欲しげな視線で微笑み、気取って、未だ愛想を振り撒く年増のあだっぽい女のように描き出した。姿勢は国家の秘書官のそれであり、哲学者のものではない」と咎めたのである。
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