<< フランス革命下の一市民の日記  1791年の2月 | main | フランス革命下の一市民の日記 1791年の5月 >>

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | -
フランス革命下の一市民の日記 1791年の2月に続いての記事。3月はまるっきりないわけじゃないけどね。気がむいたらね。

このセレスタン・ギタールの日記は、曖昧なところもあるが、歪曲されたり、事実に自分の主張を織り込んでおらず、その日の出来事の「事実のみ」を簡潔に書いている。

それを僕が、ある部分をトピックし、引用・要約しているので、この記事を引用リサイクルされても困る。

引用・要約→「フランス革命下の一市民の日記」 セレスタン・ギタール著 レイモン・オベール編 河盛好蔵藍訳 中央公論社 



4月2日 土

ミラボー伯が一週間ほど前に奇病にかかり、今朝死んだ。3日に解剖、毒物は発見されなかった。4日に埋葬。

4月3日 日

パリ33聖堂区に33人の新しい主任司祭が叙任された。民衆は大喜び。

4月4日 月

ミラボーはサン・トゥスターシュ聖堂区に属する。前例のない壮大な葬儀。悲しい曲の演奏。人々はみな悲しむ。ミラボーの心臓はゆかりの地へ。偉人と認められた墓所に埋葬する第1号に決まる。貴族、聖職者、最高法院、総括微税請負人というあらゆる階級制度を打破。

ミラボーが埋葬された日と同じ日に宣誓を拒否した聖職者たちも墓にはいった。

もし、この偉人があと3ヶ月たったらあれほど骨を折った憲法の成立をみることができたのに。

ミラボーは三時間しか眠らず、ほかをすべて仕事にあてた。彼のたった一言で「いまなすべきことはこれだ」となる。

ミラボーほど傑出した人物は古来まれである。

4月18日 月

今日国王は、王妃、王女、王妹、王太子を伴って、四輪馬車でサン・クルーへ向かった。サン・クルーにはあらかじめ台所道具一式が運ばれていた。

チュイルリー宮の中庭を出たところで、馬車は民衆に阻止された。しばらく立ち往生。ラ・ファイエットとバイイが通過させようとしたが、結局戻る。

国外退去の意思が明らかだし、宣誓を拒否した司祭のミサを聴き、その司教の手で聖体を拝領して法に逆らっているから、民衆はかんかんだった。

4月21日 木

ラ・ファイエットは、民衆が18日に王の出発を阻止したこと、民衆が彼の命令に従わなかったことを理由に辞表を提出した。

数個大隊が復職を請願。4月26日に復職の祝賀。なんという阿諛追従。ラ・ファイエットが許すはずがない。各隊から一人でれ十分なのに。

4月24日 金

国王、王妃、王女はきょう、民衆とおびただしい衛兵の盛大な喝采をあびながら、王室の聖堂であるサン・ジェルマン・ロセロワ寺院へ行幸。先週の月曜日とはなんと違う光景だろう。


 
本書の注釈、僕の注釈

2月は小さな事件が多くあったが、4月は大物の事件。

なんといってもミラボー伯爵オノレ・ガブリエル・リケティ(Honoré Gabriel Riqueti, Comte de Mirabeau)の死。

没年42歳に大ショック。僕より若いじゃん。40はじめでそれだけ仕事がんばったら、せめて70くらいまで生きてほしかった。40で偉人。すごいな。

引用・要約している「フランス革命下の一市民の日記」に、オクターヴ・オブリの「フランス革命」から「アキレスの葬儀」の引用の注釈があった。

『貴族階級からの脱党者、−(略)−石で追われたライオンの風貌をした高潔な熱血漢。−(略)−激情家で、官能的、かつ冷笑的なミラボーは、最高の善人にも極悪人にもなりえた。「平民伯爵」としてのデビュー。ブレゼ候への有名な罵倒。やがて「民主主義への陶酔からさめた」ミラボーは、王政のために「熱のこもった雄弁」と「知的、肉体的影響力」を駆使する。アジ運動と放蕩の限りをつくした果てのミラボーの死はフランスを途方に暮れさせた。』

だが、ミラボーは死後、ルイ16世と交わした書簡が暴露されされた。1792年のことだったか。1794年に偉人として埋葬されたミラボーはマラーの遺体と置き換えらる。残念な人だ。1889年にクラマールの墓地に匿名で埋葬されたらしい。

4月18日の国王一家の遠出

もしかするとプレ亡命のつもりだったか。

出発を妨害された王は「国民に自由をあたえて以来、余みずからに自由がないとは驚き入ったことだ。」と言うが、時間とともに諦め「余は外出することもかなわぬのか。ではとどまるにしよう。」となる。

この人の政策といしょの結果。

しかも、この教訓を忘れなければよかったのにな。


 
フランス革命下一市民の日記 過去記事一覧

テルール(恐怖)のあと (1794年8月〜12月)
ジャコバン派独裁 恐怖政治編 (1794年1月〜7月)

ロベスピエール編
ロベスピエール編 その1 (1792年12月〜1793年7月)
ロベスピエール編  その2 (1793年8月〜1793年12月)

1793年
フランス革命下の一市民の日記 1793年 1月
フランス革命下の一市民の日記 1793年 4月
フランス革命下の一市民の日記 1793年 7月
フランス革命家の一市民の日記 1793年10月

1792年
フランス革命下の一市民の日記 1792年の3月
フランス革命下の一市民の日記 1792年の4月
フランス革命下の一市民の日記 1792年の5月
フランス革命下の一市民の日記 1792年の6月
フランス革命下の一市民の日記 1792年の7月
フランス革命下の一市民の日記 1792年の8月
フランス革命下の一市民の日記 1792年の9月
フランス革命下の一市民の日記 1792年 10月
フランス革命下の一市民の日記 1792年 12月

1791年
フランス革命下の一市民の日記 1791年の2月
フランス革命下の一市民の日記 1791年の4月
フランス革命下の一市民の日記 1791年の5月
フランス革命下の一市民の日記 1791年の6月
フランス革命下の一市民の日記 1791年の7月
フランス革命下の一市民の日記 1791年の8月
フランス革命下の一市民の日記 1791年の9月
| BOOK | 18:41 | trackbacks(0)
| - | 18:41 | -
TRACKBACK
この記事のトラックバックURL
PROFILE

無料ブログ作成サービス JUGEM
CATEGORIES
ARCHIVES
LINKS
Previous Posts
LIFE STRIPE
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
SELECTED ENTRIES
RECENT TRACKBACK
覚書
HR style="COLOR: #cccccc"
MOBILE
qrcode
OTHERS
SPONSORED LINKS