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このセレスタン・ギタールの日記は、ほとんど毎日のように綴られている日記から、僕がトピックし、引用・要約(かなり短く)しているので、フランス革命下の一市民の日記 セレスタン・ギタール著 レイモン・オベール編 河盛好蔵藍訳 中央公論社 を実際に読んでみてください。

この記事で注釈をしていないところなんか、インターネットで自由に検索すれば答えがでてきます。

感想のほか、この日記や注釈で、あれっ?って気がついたところは、僕なりにコメントしてます。で、気がつかないところもあります。以上。


フランス革命下の一市民の日記 1792年 9月

9月2日 日
パリの大量虐殺。死刑を宣告されている全囚人と、同罪の宣誓を拒否した司祭全員が監獄、街頭で殺害された。その数は、おそらく誰にもわかるまい。監獄はどこも空っぽになった。囚人どもは全市民がパリを留守にしている隙に残された女子供を殺すことができると思えば、哀しいことだが止むおえまい。悪魔に殺される前に殺したほうがよい。革命以来、パリがこれほど危殆に瀕したことはない。祖国は危機にある。

9月3日 月
きょうも囚人の虐殺がおこなわれた。ド・ランバル元侯爵夫人(王妃マリー・アントワネットの女官長)も殺された。民衆は切り落とされた首を槍の先にさして、パリの街を引き回し、死体は溝に捨てる。王妃の女官ド・トゥールゼル夫人も同様に殺された。虐殺は囚人が監獄内にひとりもいなくなるまで続けられた。

9月6日 木
ついに昨夜監獄の虐殺は終わった。最後の血祭りはフォルス監獄だった。殺された全員のリストがすでに販売されている。

9月17日 月
昨夜、王室家具保管室から3000万相当のダイヤが盗まれた。

9月19日 水
1792年7月14日、20日、サント・ドミンゴで白人、有色人種、ならびに解放黒人の集会が催された。いまや有色人種、解放黒人はフランス国民としてどんな地位につくこともできる。サント・ドミンゴの島々における植民は、輝かしい時代を迎えようとしている。9月20日、サント・ムヌーの近くでフランス軍とプロシア軍との間に戦闘があった。

9月21日 金
国民公会の開会。きょうチュイルリー宮の大広間で開会式をおこなった。立法議会は今日閉会した。議長はペティヨン氏。

国民公会の最初の法令は「フランスにはもはや王政は存在しない」だ。フランスにはもはや国王が存在しないことになる。

9月23日 日
例の王室家具保管室から宝石を盗み出した泥棒の一人がギロチンにかけられるのを見物に、ルイ15世広場にでかける。


僕の注釈

セレスタン・ギタールは変わったなって思った。いまや虐殺を認めている。殺される前に殺すと書いてある。そしてギロチンの見物。

9月2日から6日までが監獄の囚人や非宣誓司祭たちの虐殺。ランバン侯爵夫人は、ある読み物に、性器を切り取られ、ルイ・フィリップ2世 (オルレアン公)の食卓に放り込まれたとあった。本当だろうか。

9月2日、パリ市民はヴェルダンがブラウンシュヴァイク公に占領されていることを知った。コミューンは次のような貼り紙をした。民衆は自分自身で自らを裁かねばならない。前線へ赴く前に邪まな市民を処刑しよう。」

この虐殺がはじまる前にヴァレンヌの弁護士マトンは個人的ないざこざで投獄されていた。

弁護士マトンの手記
「私はもっとも清潔で居心地のよい”デット”とよばれる牢獄を希望した。牢番は私が囚人の弁護をしていたことを知っており、この”勝訴の部屋”に革張りのベッドを運んでくれた。なによりもおいしい夕食は私を落ち着かせた。

庭にでてみると高い地位にあった人が大勢いる。国王顧問会議の顧問官だったベルトラン、ルイ16世の侍従ド・シャッティイ、公証人ギヨーム(兄)たちが。ダントンは私に手を尽くしてくれると約束しながら、何もしてくれない。

真夜中ごろ、「君、我々は死んだも同然だ。囚人を虐殺している連中の叫び声が聞こえる。」私は遺言を書いた。袖から肩まで、手に持つサーベルと同じような血まみれの男が不幸な軍人を裸にしサーベルで打つ、皮も破れ、内臓がはみ出す。

こうして私は飾り帯を着けた人物の前に連れていかれた。

私は名を訊かれる。「マトン・ド・ラ・ヴァレンヌ。理由もなく8日前から拘留されている。」と答えた。彼は帳簿を開き調べたのち、私に非がないのを認め釈放してくれた。私が牢獄を出たほとんどすぐに、ミス・ランバルが虐殺されたことを知った。」

それから半年過ぎてマトンは飾り帯を着けた人物と偶然出会う。そして彼らが「乳母の庭」と呼ばれる中庭でコミューンの検事長ピエール・マニュエルが長々と演説している姿を見た。

マトンはその手記でこの様子に注釈をつけている。

マトン・ド・ラ・ヴァレンヌの注釈
先月、8月28日以後、彼はペティヨンととものメニル・モンタンの石切り場に赴き、数ヶ月前土を入れた井戸を再びあけさせた。そして彼らが張本人だった9月2日と3日に殺された者の死体が、これらの穴に運ばれたことを知らぬ者はいない。

僕が不思議なのはなんでフェルセンは捕まらなかったのかと思ったら、亡命していたからだった。彼はこの非常事態の数年は帰国していない。ポリニャック夫人もそうだ。僕の少ない教養はそれさえ忘れてしまっていた。(恥)

ポリニャック夫人の記事はこちら。
記事 ポリニャック伯夫人 悪徳の栄え

ランバル公妃の記事はこちら。
記事 ランバル公妃マリー・ルイーズ 美徳の不幸

ルイ16世の侍従クレリーは、タンプル塔での様子を日記にしている。

記事 クレリーの日記 1 ルイ16世の遺書
記事 クレリーの日記 2 タンプル塔の無能な王

9月17日、23日は王室家具保管室からダイヤが盗まれ、そして泥棒の一人がギロチンになる話だ。よく、マリー・テレーズに宝石を渡したというエピソードはここから生まれているのだろうか。

マリー・テレーズがタンプル塔での生活の回想記録はこちら。

記事 マリー・アントワネットの娘 マリー・テレーズ王女の回想記録 1
記事 エリザベート・フィリッピーヌ・ド・フランス 「マリー・テレーズの回想」から

19日は、20日のヴァルミーの会戦が付け加えられていた。

1791年の「ピルニッツ宣言」に基づいた会戦。wikiによると「悪天候の中フランス軍とブラウンシュヴァイク公指揮のプロイセン軍が交戦」とある。プロセイン側のゲーテがいた。

記事 惨殺されたフェルセンの最期 ピルニッツ宣言のその後

この記事にゲーテの言葉、ヴァルミーの戦いのことが書かれているから参考にして。

ブラウンシュヴァイク公に関してはこちら。

記事 フランス革命下の一市民の日記 1792年の8月

21日は国民公会が王政の廃止を決定した。22日に共和暦元年の宣言があった。ちなみにペティヨン氏は、順調だな。



フランス革命下一市民の日記 過去記事一覧

テルール(恐怖)のあと (1794年8月〜12月)
ジャコバン派独裁 恐怖政治編 (1794年1月〜7月)

ロベスピエール編
ロベスピエール編 その1 (1792年12月〜1793年7月)
ロベスピエール編  その2 (1793年8月〜1793年12月)

1793年
フランス革命下の一市民の日記 1793年 1月
フランス革命下の一市民の日記 1793年 4月
フランス革命下の一市民の日記 1793年 7月
フランス革命家の一市民の日記 1793年10月

1792年
フランス革命下の一市民の日記 1792年の3月
フランス革命下の一市民の日記 1792年の4月
フランス革命下の一市民の日記 1792年の5月
フランス革命下の一市民の日記 1792年の6月
フランス革命下の一市民の日記 1792年の7月
フランス革命下の一市民の日記 1792年の8月
フランス革命下の一市民の日記 1792年の9月
フランス革命下の一市民の日記 1792年 10月
フランス革命下の一市民の日記 1792年 12月

1791年
フランス革命下の一市民の日記 1791年の2月
フランス革命下の一市民の日記 1791年の4月
フランス革命下の一市民の日記 1791年の5月
フランス革命下の一市民の日記 1791年の6月
フランス革命下の一市民の日記 1791年の7月
フランス革命下の一市民の日記 1791年の8月
フランス革命下の一市民の日記 1791年の9月

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| Life Style Concierge | 2010/12/18 7:13 PM |
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