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このセレスタン・ギタールの日記は、ほとんど毎日のように綴られている日記から、僕がトピックし、引用・要約(かなり短く)しているので、フランス革命下の一市民の日記 セレスタン・ギタール著 レイモン・オベール編 河盛好蔵藍訳 中央公論社 を実際に読んでみてください。

この記事で注釈をしていないところなんか、インターネットで自由に検索すれば答えがでてきます。

感想のほか、この日記や注釈で、あれっ?って気がついたところは、僕なりにコメントしてます。で、気がつかないところもあります。以上。


フランス革命下の一市民の日記 1793年 4月


4月3日 水
デュムーリエはブールノンヴィル将軍と国民公会の4人を逮捕、幽閉し、王政を再建するため軍隊を率いてパリに攻め上るかまえだという。

4月8日 月
昨日の夕方、オルレアン公がアベイ監獄に投獄された。ブルボン家の血をひくものは全員、人質としてマルセイユに連行されることが布告された。今日、コンチ公(コンデ家から枝分かれ)がアベイ監獄に入れられた。

4月16日 火
9日夜から10日の朝にかけて、13歳になるオルレアン公の息子、ブルボン公爵夫人、コンチ公はベルサイユに連行された。オルレアン公夫人は病気のためにパリに残されたが、回復次第、マルセイユに連行される。オルレアン公の息女はブリュセルにおり、フランスへは戻らないだろう。オルレアン公には二人の息子がおり、兄も、マルセイユかパリに送還されるだろう。

4月18日 木
裏切り者と指名された国民公会議員22名の召還と罷免を求める請願書の署名が行われている。

「請願に同意するものは署名せよ。署名は自由であり、何びとも強制されない」


 本書の注釈 僕の注釈

デュムーリエは、ブルトゥイエ男爵がフェルセンにあてた手紙にも登場するが、ブルトゥイエ男爵は彼の寝返りを企んでいた。

記事 惨殺されたフェルセンの最期

シャルル・フランソワ・デュムーリエ(Charles Francois Dumouriez, 1739- 1823)は、プロセイン側にゲーテが観戦したときの戦い、1792年9月のヴァルミーの戦いでブラウンシュヴァイク公爵の率いるプロイセン軍の侵略を食い止めた。

ブルトゥイエ男爵とフェルセンのやりとりの内容は、反革命側のデュムーリエ将軍がルイ十六世をタンプル獄から救出せしめるという案だ。このヴァルミーの戦いの前である。

1792年11月のジュマップの戦いでオーストリア軍に勝利し、南ネーデルラント全域を占領した。

1793年2月、デュムーリエが南ネーデルラント防衛という政府の方針を無視してオランダへ侵攻した。このときオーストリアに敗北し、政府に無断でベルギーを明け渡す。「デュムーリエの裏切り」というのがこの一件だ。

3日の記事は、「デュムーリエの裏切り」で、国民公会による逮捕から免れるために、ルイ・フィリップを利用。「王政を再建するため軍隊を率いてパリに攻め上るかまえ」となるわけだ。

これがあとの記事にもつながる。

ルイ=ニコラ・ダヴー中佐はこの裏切りに義憤し、オーストリア軍に寝返った二人に反撃をするが、二人は亡命した。

平等のフィリップ(フィリップ・エガリテ Philippe Égalité)と自称したルイ・フィリップ2世はデュムリーエの裏切りによって、息子ルイ・フィリップの尻拭いのため、財産没収と処刑となるわけだ。

「デュムーリエの裏切り」は、王政復古よりブルボン家の根絶やしに火をつけてしまった。

18日は、本書の注釈から。

「この請願書は、三人の執政官ダントン、マラー、ロベスピエールの教唆されてつくられ、サン・キュロット派が占める監査委員会の圧力の下でおこなわれた。罷免を要求された議院はいずれもジロンド派で、モンターニュ派は過激派と組み、ジロンド派に対する死闘を展開する。」(本書の注釈)

ジロンド派はマラーを革命裁判にかけている。ギタールの4月13日の日記でも、革命裁判所に呼び出されたマラーに触れていた。

「このとき、マラーは無罪放免で、勝ち誇った民衆はマラーを国民公会へ連れて行ったとピエール・ガクソットは述べている。」(本書の注釈)



フランス革命下一市民の日記 過去記事一覧

テルール(恐怖)のあと (1794年8月〜12月)
ジャコバン派独裁 恐怖政治編 (1794年1月〜7月)

ロベスピエール編
ロベスピエール編 その1 (1792年12月〜1793年7月)
ロベスピエール編  その2 (1793年8月〜1793年12月)

1793年
フランス革命下の一市民の日記 1793年 1月
フランス革命下の一市民の日記 1793年 4月
フランス革命下の一市民の日記 1793年 7月
フランス革命家の一市民の日記 1793年10月

1792年
フランス革命下の一市民の日記 1792年の3月
フランス革命下の一市民の日記 1792年の4月
フランス革命下の一市民の日記 1792年の5月
フランス革命下の一市民の日記 1792年の6月
フランス革命下の一市民の日記 1792年の7月
フランス革命下の一市民の日記 1792年の8月
フランス革命下の一市民の日記 1792年の9月
フランス革命下の一市民の日記 1792年 10月
フランス革命下の一市民の日記 1792年 12月

1791年
フランス革命下の一市民の日記 1791年の2月
フランス革命下の一市民の日記 1791年の4月
フランス革命下の一市民の日記 1791年の5月
フランス革命下の一市民の日記 1791年の6月
フランス革命下の一市民の日記 1791年の7月
フランス革命下の一市民の日記 1791年の8月
フランス革命下の一市民の日記 1791年の9月
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