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isenheim altarpiece by matthias grünewald


皆さん、ご存知のマティアス・グリューネヴァルトのイーゼンハイム祭壇画の第二面にある「受胎告知」です。

今日の昼、僕の友人のsaiからメールが来て、扁桃腺で休んでいるらしく何年か前の記事をアップしてなかったそうで、僕にクラナッハの受胎告知の作品画像をあげるから、マティアス・グリューネヴァルトの受胎告知の記事を書けという・・・。なんで・・・。

というとマティアス・グリューネヴァルトが、saiがアップしたかったクラナッハの変わり祭壇を設計しているから、自分はそんな記事をアップするヒマがないからだそうだ。

で、いま喫茶店で休憩をとりながら書いている。なので、それぞれの解釈はいずれゆっくりアップするので記事の最後へ更新。


この人は預言者イザヤ。イーゼンハイム祭壇画の第二面にことごとく出現。

イザヤ書 7.14
「それゆえ、わたしの主が御自ら あなたたちにしるしを与えられる。 見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み その名をインマヌエルと呼ぶ。」

イザヤ書 7.15
「その子が悪を捨て、善を選ぶことを知るころになって、凝乳と、蜂蜜とを食べる。」

自分の「イザヤ書」を手に、受胎告知の予言を開いている。


ということは、マリアが開いているのは「ルカ 1.38」?

マリアは言った。「私は主のはしためです。どうぞ、お言葉どおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。

マリアの受胎告知はルカ福音書の1章26節−38節にある。過去記事「ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス 受胎告知」に全文記載しています。


それで御使い(大天使ガブリエル)は、前後するが「「ルカ 1.37」にある「神にとって不可能なことは何一つない。」と言っているのだろうか。

それで
マリアは言った。「私は主のはしためです。どうぞ、お言葉どおりこの身になりますように。」

それでは全体像を簡単に。

Mathis Gothart Grünewald Isenheimer Altar Musée dUnterlinden

マティアス・グリューネヴァルト イーゼンハイム祭壇画 第1面(平日面) 1511−1515
中央「キリストの磔刑」、左翼「聖セバスティアヌス」、右翼「聖アントニウス」
プレデッラ(祭壇下部分)「キリストの死への哀悼」
ウンターリンデン美術館


中央パネルの内側翼が開くと・・・

Matthias Grunewald, The Annunciation; Madonna and Child with Angels; The Resurrection

マティアス・グリューネヴァルト イーゼンハイム祭壇画 第2面(日曜面)
中央「キリスト降誕」、左翼「受胎告知」、右翼「キリストの復活」
プレデッラ(祭壇下部分)「キリストの死への哀悼」
ウンターリンデン美術館


さらに開くと・・・

 

マティアス・グリューネヴァルト イーゼンハイム祭壇画 第3面(聖アントニウスの祭日面)
木像 ニコラス・フォン・ハーゲナウ
中央「三聖人」(中央:聖アントニウス、左:聖アウグスティヌス、右:聖ヒエロニ)
左翼「聖アントニウスの聖パウロ訪問」 右翼「聖アントニウスの誘惑」
プレデッラ(祭壇下部分)「キリストと十二使徒」
ウンターリンデン美術館


第1面以外の展示はこんなかんじで分断され・・・



(C)wiki


今年は英国メールからはジェーン・オースティン「高慢と偏見」出版200周年の記念切手が発売されたり、フランス郵政(la poste française)からは、2012年がこのマティアス・グリューネヴァルトの「イーゼンハイム祭壇画」作成から500年ということで記念切手のシートが売りだされた。

500th anniversary  Isenheim Altarpiece stamp


1枚は永久保存版に、もう1枚はカットした。

マティアス・グリューネヴァルトのイーゼンハイム祭壇画は、この記念切手のように、中央をパタンパタンと広げて3通りに変わる「変わり祭壇」だ。

冒頭で書いたとおりにあのクラナッハ、そのクラーナハ工房(クラナッハ工房)によるハレ(ハッレ)のマルクト教会主祭壇画(1529)は、マティアス・グリューネヴァルトの設計だという。

sai記事 クラナッハ(父)&工房 vs デューラー vs グリューネヴァルト ブランデンブルクのアルブレヒト枢機卿

このsaiの記事のタイトルにあるブランデンブルクのアルブレヒト枢機卿は、彼の記事にもあるが、マティアス・グリューネヴァルトも描いている。

聖エラスムスとしてのアルブレヒト・フォン・ブランデンブルクと聖マウリティウスの出会い 1520-24当時のマルティン・ルターの天敵アルブレヒト枢機卿。そして3人の画家もルター派だ。

アルブレヒト枢機卿の宮廷画家がマティアス・グリューネヴァルトで、ルター派に転じ、この作品「聖エラスムスとしてのアルブレヒト・フォン・ブランデンブルクと聖マウリティウスの出会い」を描いたあとに解雇になっている。よく考えると、枢機卿アルブレヒトのハレ聖遺物書(ハッレ聖遺物書)を描いた作品ではないか。

グリューネヴァルトは農民側についたとして追放されるが、400年後のパウル・ヒンデミットの交響曲「画家マティス」、オペラの「画家マティス」として「音と言葉」で語り継がれている。

マティアス・グリューネヴァルトは、マティス・ゴートハルト・ナイトハルトが本名。

画家マティスの第六場で、マティスがレギーナに「天使の奏楽」を語るところは、イーゼンハイム祭壇画の第二面「キリスト降誕」での天使の奏楽を想像させる。

ところでこのオペラで、パウル・ヒンデミットはナチスに弾圧を受け亡命。指揮者のヴィルヘルム・フルトヴェングラーも亡命したところは、「画家マティアス(マティス)」の追放と同じで、いつの世も同じことの繰り返し。だが16世紀のアルブレヒト枢機卿も、19世紀のヒトラーも敗退している。

YOU TUBE パウル・ヒンデミットの交響曲「画家マティス」
Paul Hindemith - Symphony Mathis der Maler (1934)

アシャッフェンブルクの聖ペトロ、アレクサンドル教会には、敗退したアルブレヒト枢機卿の美術品などが残されている。



まだ続く・・・。休憩時間が終わったので、



saiに催促された記事はここで終了。で、「十四聖人の祭壇画」を紹介する。

Schüler Albrecht Dürer

デューラー派によるリンデンハルト祭壇画の可能性


マティアス・グリューネヴァルトのオリジナルかどうか論争になって5年目。リンデンハルト祭壇画は祭壇の起源に関する理論まで引き起こしている。

一番にはデューラーの門下生だったハンス・フォン・クルムバッハらしい。

Fourteen Saints Altarpiece Mathis Gothart Grünewald 1503 Lindenhardt,protestant church or Schüler Albrecht Dürer

中央パネル 苦しみの人としてのキリスト  左右逆です。
十四聖人の祭壇画(リンデンハルト祭壇画) 1503年 マティアス・グリューネヴァルト




1503年だから、もしマティアス・グリューネヴァルトであれば現存して鑑賞できる作品では、一番はじめの作品になる。



リンデンハルト祭壇画 左翼・右翼を閉じた状態
マティアス・グリューネヴァルト 右;六聖人 左:八聖人 


なんだか中央のパネルがほんと情けないけど、「救世主」になる。右側には六聖人、左には八聖人を置いてみた。救世主を人間らしく描いている。けれどもう少し、どうにかならなかったのか。左右が主役に見える。

竜とアンティオキアのマルガリタ(聖マルガリタ)が迫力あるな。一番いいな。誰の作品だろう。



グリューネヴァルトの絵画は25点ほどって言われているらしいが、消失した作品を模写しているものもある。

Christoph Krafft (nach Grünewald), Magdalenenklage, 1648, Öl auf Leinwand, Künzelsau, Museum Würth

クリフストフ・クラフトによる「マティアス・グリューネヴァルトのマグダラのマリアの嘆き」
1648 ウルト美術館




マティアス・グリューネヴァルトのマグダラのマリアの嘆きがいつごろの作品だったのかはわからなかったが、横からの「キリストの磔刑」を描いている。顔が見えない。オリジナルはどうだったのだろうか。



紋章について 右 デューラー マクシミリアン1世


おもしろいのは右上の紋章のようなもの。マティアス・グリューネヴァルトは紋章を描いているけれど、左側のデューラーのようにわざわざ注釈のように画き込んでいない。

紋章で誰を描いているのかはっきりわかるのが、聖ペトロ&アレクサンドル教会 司教座聖堂(アシャッフェンブルクにある「キリストの哀悼」で、おなじ聖ペトロ&アレクサンドル教会には、「キリストの哀悼」に紋章とともに描かれた人物とマティアス・グリューネヴァルト自身を画きこんだ「シュトゥパッハの聖母子」(コピー)がある。

記事 グリューネヴァルトのシュトゥバッハの聖母子 聖母戴冠教会vs聖ペトロ&アレクサンドル教会

マティアス・グリューネヴァルトの祭壇画は他にもあるね。

ユイスマンがマティアス・グリューネヴァルトの イーゼンハイム祭壇画にある「キリストの磔刑」を言及しているが、カールスルーエのよりも恐ろしくはないとあった。

カールスルーエも、もともと「タウバービショフスハイムの祭壇画」(1523-25)で、マティアス・グリューネヴァルトの最後の祭壇画になる。

記事グリューネヴァルトのシュトゥバッハの聖母子 聖母戴冠教会vs聖ペトロ&アレクサンドル教会にも紹介されているけれど、そんなに恐ろしいものではない。クリフストフ・クラフトによる「マティアス・グリューネヴァルトのマグダラのマリアの嘆き」の十字架をつきぬけるキリストを打った釘の長さのほうが、僕には恐ろしい。

「タウバービショフスハイムの祭壇画」としてあるのは、「十字架を担うキリスト」と「キリストの磔刑」の二枚。「十字架を担うキリスト」は、エル・グレコのような苦悩が見えない様子ではない。恐ろしいほどキリストは人間なんだと思え、切なくなるような描き方だ。

クリフストフ・クラフトによる「マティアス・グリューネヴァルトのマグダラのマリアの嘆き」にある紋章から、ベネディクト派修道院、聖ブラージエンにあったのではないか。

1638年から1664年まで修道院長だったエンシスハイムからのフランツ1世シュルロッテ(?)を示しているようだ。エンシスハイムにも聖マルティン市教区教会があるが、タウバービショフスハイムの磔刑図はタウバービショフスハイムの聖マルティン市教区教会にあったので、依頼したと思えるフランツ1世シュルロッテ(?)は、なんらかの縁でマティアス・グリューネヴァルトの名と作品を知っていたのだろうか?

もし、タウバービショフスハイムの聖マルティン市教区教会にあった祭壇画を知っていたのなら、このマティアス・グリューネヴァルトのマグダラのマリアの嘆きは、祭壇画の一部だったのかな。



(C)http://blog.oricon.co.jp/renaissance/さてマティアス・グリューネヴァルトの祭壇画は、デューラーとの共同制作による「ヘラ−祭壇画」がある。右のグリザイユの四つのパネルがグリューネヴァルト。中央パネル(デューラーの肖像入り)、右翼、左翼はデューラーだが、焼失している。ヨープスト・ハリッヒの模写になる。
 ↓
記事 クラナッハ(父)&工房 vs デューラー vs グリューネヴァルト ブランデンブルクのアルブレヒト枢機卿



マティアス・グリューネヴァルト イーゼンハイム祭壇画 第1面(平日面) 1511−1515




illum oportet crescere me autem minui (ヨハネ3-30)
あの方は盛んになり、私は衰えなければならない。


なぜ、マタイ第13章の10から12節におけるテクストではなかったのだろう?

13-11 わたしのあとから来る人はわたしよりも力のある方
13-12 麦をふるい分け、麦は倉に納め、からは消えない火で焼き捨てる

詳細は記事「マティアス・グリューネヴァルト  バプテスマのヨハネ(洗礼者ヨハネ)とユイスマンの告白」から



Ecce Agnus Dei, ecce qui tollit peccata mundi (ヨハネ1-29)
見よ、世の罪を取り除く神の小羊


イーゼンハイム祭壇画 第1面には「キリストの洗礼」、「キリストの復活」も描かれたと解釈した。施術を受ける者たちにキリストの腐乱した肉の苦しみの果てを具現化することで、施術の痛みと死の恐怖を払う役目だけのものなのか。

書き込まれたバプテスマのヨハネのテクストはマタイ第13章の10から12節に書き換えると、聖アントニウスの火」(麦角中毒)の手足を切断する斧と、麦と殻の手足を切断された、あるいは切断される人々になる。

詳細は記事「マティアス・グリューネヴァルト  バプテスマのヨハネ(洗礼者ヨハネ)とユイスマンの告白」から


マティアス・グリューネヴァルト イーゼンハイム祭壇画 第2面(日曜面) 1511−1515


あとになってすごく気になった。

Matthias Grünewald,(Mathis Gothart Neithart / Mathis Gothardt Neithardt)

シュトゥバッハの聖母子とイーゼンハイム祭壇画の聖母子


雪の聖母の祭壇の中央パネルとイーゼンハイム祭壇画の聖母子はよく似ている聖母の顔なんだけど、なぜか同じ第二面の受胎告知のマリアの顔と全く違う。



受胎告知に描かれている聖母マリア


ということは、シュトゥバッハの聖母子とイーゼンハイム祭壇画の聖母子は誰かの肖像なんだろうか?だが、第3面(聖アントニウスの祭日面)に見られる特定できる紋章がないような・・・

この第2面は楓がアップしているのでそこから見てください。
記事 「
グリューネヴァルトの聖女たち


マティアス・グリューネヴァルト 
イーゼンハイム祭壇画 第3面(聖アントニウスの祭日面) 1511−1515   解説ではなく解読中



もともとマティアス・グリューネヴァルトのイーゼンハイム祭壇画はイーゼンハイムの聖アントニウス会修道院付属施療院に置かれたものだそうだ。

グリューネヴァルトの時代にライ麦の病害「聖アントニウスの火」が大流行し、人々は死んでいったらしい。

Der Kampf zwischen Karneval und Fasten (1559) Brueghel Young

「聖アントニウスの火」で切断されたと思われる人
「謝肉祭と四旬節の喧嘩」1559年 美術史美術館
ピーテル・ブリューゲル


イーゼンハイムの修道院には「聖アントニウスの火」(麦角中毒)で腐った手足を切断手術を施す施術士がいたらしいが、そういえばピーテル・ブリューゲルの絵の中に、足が切断された人、義足をつけた人々が描かれていたから、この「聖アントニウスの火」は、グリューネヴァルトがペストで死んでからも続いていたのかと思うとゾッとする。

Matthias Grünewald,(Mathis Gothart Neithart / Mathis Gothardt Neithardt)

マティアス・グリューネヴァルト
「聖アントニウスの火」に冒された悪魔(僧侶)
あるいは梅毒に侵された僧侶


イーゼンハイムの第1面の左翼にペストの守護神で、聖セバスティアヌスと右翼に描かれた聖アントニウスは養生の守護神。

Wo warst du, guter Jesus, wo warst du? Warum bist du nicht dagewesen, um meine Wunden zu heilen?

マティアス・グリューネヴァルト


Ubi eras Ihesu bone ubi eras quare non affuisti ut sanares vulnera mea
(Wo warst du, guter Jesus, wo warst du? Warum bist du nicht dagewesen, um meine Wunden zu heilen?)

紙片に書かれているのは「主イエスよ、何処に?何処にいらした?なぜ私を癒しに来なかったのか。」(「聖アントニウス伝」より」

アレクサンドリアのアタナシオス(298-375)の「聖アントニウス伝」から紙片に描きこんだ。

作品の典拠はヤコブス・デ・ウォラギネ(1230頃 – 98)のレゲンダ・アウレア(黄金伝説)の第21章「聖アントニウス」によるものだ。



七つの大罪 エミール・シュペート説
左 強欲、左下 憤怒、中央 傲慢、罪(神からの離脱)、右上 怠惰


さらにマティアス・グリューネヴァルトの「アントニオスの誘惑」の魔獣たちを「七つの大罪」に例えられるという。ところが解釈が多くあって、それぞれ違うんだな、これが。



マティアス・グリューネヴァルト 聖アントニウスの誘惑
僕としては 七つの大罪 強欲




マティアス・グリューネヴァルト 聖アントニウスの誘惑
ヴィルヘルム・ニッセン説 七つの大罪 嫉妬




マティアス・グリューネヴァルト 聖アントニウスの誘惑
ヴィルヘルム・ニッセン説 七つの大罪 憤怒




マティアス・グリューネヴァルト 聖アントニウスの誘惑
僕としては 七つの大罪 憤怒




マティアス・グリューネヴァルト 聖アントニウスの誘惑
僕としては 七つの大罪 アスモデウス




マティアス・グリューネヴァルト 聖アントニウスの誘惑
僕としては 七つの大罪 暴食




マティアス・グリューネヴァルト 聖アントニウスの誘惑
七つの大罪 怠惰




マティアス・グリューネヴァルト 聖アントニウスの誘惑
僕としては 七つの大罪  グリフォン




マティアス・グリューネヴァルト 聖アントニウスの誘惑
僕としては 七つの大罪  サタンかと




マティアス・グリューネヴァルト 聖アントニウスの誘惑
僕としては 七つの大罪  ?


ロザリオを持つ聖アントニウスの近くに小さく描かれている。しかも見ている先は「聖アントニウスの火」に冒された悪魔lあるいは梅毒に侵された僧侶なんだよ。

Matthias Grünewald,(Mathis Gothart Neithart / Mathis Gothardt Neithardt)


つまりはここの解釈は、梅毒に侵された僧侶だとすると「好色」と「教会の腐敗」をあらわし、「聖アントニウスの火」に冒された悪魔(僧侶)ならば、どういうことを示すんだろうな。

この病に侵された男は僧侶の帽子を被っている。




Hans Baldung Griens    Die Sieben Todsünden (1511)

ハンス・バルドゥング・グリーンの「七つの大罪」(1511)





Guido Guersi

マティアス・グリューネヴァルト  グイド・グェッラの肖像画 1514
聖アントニウスのグイド・グェッラの肖像 (イーゼンハイム祭壇画)


左翼の「聖アントニウスの聖パウロ訪問」での聖アントニウスはイーゼンハイムの聖アントニウス会修道院の修道院長のグイド・グェッラの肖像画だ。つまり依頼主になる。


クロウメモドキ、バーベナ(ビジョザクラ)、そしてグイド・グェッラの紋章。


ホワイト・カバー、ベロニカ・ブルーフォンテン、ナガミヒナゲシ、ゲンティアナ・クルキアタ、クロウメモドキ・・・らしい。


マティアス・グリューネヴァルトと聖パウロ。ちょっと似ている気がする。



二人に二斤のパンを運んでくるカラス




ベラスケス 聖アントニウスの聖パウロ訪問 1635


どちらもカラスが二人にパンを運んできたところを描いている。聖パウロはいつもは半分だが、ひとつ持ってきてくれたという場面。

グリューネヴァルトは棕櫚の葉を綴り合わせて造ったという服のとおりに聖パウロを描いている。そして聖アントニウスが司教アナタジオから預かったマントは、聖パウロの遺骸を包むことになる。

列王記伝17:6では、預言者エリヤのもとにワタリガラスがパンと肉を運ぶ。



Italo Bacigalupo
コメント:十四聖人の祭壇画(リンデンハルト祭壇画)はマティアス・グリューネヴァルトかハンス・フォン・クルムバッハか?

| 受胎告知 | 16:45 | trackbacks(1)
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今日、扁桃腺で休んだ。ずっと暖めていた記事(忘れていた記事)を書き足してアップした。1年もほったらかしにしたおかげで、僕がこの記事のある箇所で悩んでいたことが解消された。 ルーカス・クラナッハ(父)工房作品 アルテ・ピナコテーク The Mystic Mass of Sa
| Re+naissance | 2013/05/14 5:05 PM |
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