学生だった当時は、インターネットなんて使ってなかったからね。本当にエカチェリーナ2世のルビーがあったのか簡単に調べることができなかったね。
「青列車の秘密」では、「火の心」(炎のハート)と名付けられているルビー。
エカチェリーナ2世の肖像画 部分
ありましたね。398.72カラット(79.744g)のルビーはエカチェリーナ2世の王冠にあった。1676年まで、250年以上にわたって中国の皇帝の王冠を飾っていたらしいが、ロシアの外交官ニコライ・ミレスク(1636―1708)が買い取って、ロマノフクラウンジュエルとなった。
エカチェリーナ2世の王冠
この「火の心」をめぐって、娘婿、二人の侯爵の男たちが殺人の容疑者になり、このうち二人の男が一人の女性を巡って「青列車の秘密」は進んでいく。
BBCのドラマでは、宝石と言ったら登場するパポポラス親子は登場していない。そして何よりデレクとキャサリン(ミス・グレイ)の接点がなく、二人のロマンスが消えてしまっている。それはそうとして、このキャサリン。
アガサ・クリスティーは男心がわかってるなーと思うね。配役も良かったのかもしれない。原作では、没落した良家の子女ミス・グレイは、裕福なマダムの身の回りや話し相手をするコンパニオンを勤め、マダムが亡くなり驚くほどの遺産を相続することになった。
ドラマのはじめに登場する金髪の夫人とその子は、ミス・グレイの従妹と姪になる。彼女たちはミス・グレイを招待するつもりだ。ミス・マープルの住むセント・メアリ・ミードからロンドンにきたキャサリン・グレイ。
ホテルで大富豪のルーファス・ヴァン・アルディン親子から、娘ルス(ケッタリング夫人)の誕生日パーティーに招待を受けるポアロ。原作では青列車でミス・グレイと出会い、ルスとは面識はない。この誕生日パーティーが行われたホテルのレストランで、ポアロはティスティングがわからないミス・グレイをエスコートする。
ルース(ルス)の素行の悪い夫デレク(デレック)は、ルースを乱暴に扱い、賭博に熱中。貴族の称号がありながら浪費がかさんでいる様子。
ドラマではレストランに入ってきたデレク。階段で足を引きずるナイトン少佐。ミス・グレイは、青列車に乗る前に3人の重要人物と出会っている。
青列車でミス・グレイは、ポアロ、ミス・グレイの従姉とその夫、姪と歓談する。原作では青列車で出会うのは、ポアロとケッタリング夫人だけだった。
従姉たちが別なテーブルに着くと、ルスがミス・グレイのテーブルに腰を下ろし、話し始める。右億の赤いドレスが見えるだろうか。レストランで青切符を渡された女性(原作には登場しない)。この女性はミレーユ。青列車に乗り込んだデレクに煙草の火をつけてもらう。原作ではデレクの愛人の名だが、ここではルーファスの愛人。
通路を歩くボーイが、「ミセス・ケッタリング」と声をかけると、ミス・グレイは彼女を凝視した。原作にはうかがえない感情と表情。ルスは愛人ラ・ロッシュ伯爵と青列車内で逢引の予定。
展開があまりにも原作と違うから、もしかするとルスは殺されないんだろうかと心配した。だが、大丈夫だ。
女中のアダ・メイスンが原作どおりに途中下車。デレクはルスの愛人ラ・ロッシュ伯爵とカード賭博。午前7時ニースに到着。ルースとキャサリンは部屋を交換していたが、なぜか間違いなくルスが殺された。うーん、・・・残念なドラマだった。
ゲッティ美術館所蔵のディルク・ボウツ「受胎告知」はこの1枚だったはずなんだけど。こんな「受胎告知」を発見してしまった。
調べてみたら、この作品と同じものを掲載しているサイトを発見した。
ディルク・ボウツの祭壇画には中央パネルが全く同じ「最後の晩餐」で、右翼と左翼が違うパターンのものだが、完全な復元が難しいようで、二つのパターンが知られているが、聖ペトロ教会で公開されているのは下の配置での祭壇画。上は個人所蔵。
多翼祭壇画 聖餐の秘跡の祭壇画 ディルク・ボウツ
個人所蔵、聖ペテロ教会
この祭壇画に関係のある二枚目の「受胎告知」は模写なのか。それとも二人の息子はボウツ工房の作品だろうか。ディルク・ボウツの「キリストの生涯」は「聖餐の秘跡の祭壇画」 と一組だと言われている。そうすると個人所蔵の「受胎告知」ではないかと。
多翼祭壇画の「イエス ・ キリストの生涯」を表す5 つの絵画の一場面が、ゲッティ美術館の「受胎告知」だ。上部の左翼。
こんなカンジではないかという説のひとつ。受胎告知、東方三博士の礼拝、中央パネルがキリストの磔刑。そしてキリストの埋葬、キリストの復活という説がある。ちなみに東方三博士の礼拝は模写らしい。
キリストの埋葬(ロンドン・ナショナル・ギャラリー)、キリストの復活(ノートン・サイモン美術館)も、ディルク・ボウツは何枚が描いている。中央パネルの「キリストの磔刑」は王立美術館所蔵。
そうすると、もしかすると謎の「受胎告知」は、この「キリストの磔刑」(王立美術館)とあわせた祭壇画のコピーだったのかも。
ひとつ気になるのは、カラーの方は確かにベルギー王立美術館なんだけど、モノクロの方は個人所蔵のような気がする。
多翼祭壇画「イエスの生涯」 ディルク・ボウツ 聖ペテロ教会の予想図
多翼祭壇画「イエスの生涯」 ディルク・ボウツ 個人所蔵を仮定した予想図
だったら、こんなカンジがあったんだろうか?ディルク・ボウツの受胎告知はいくつかある。多翼祭壇画の一部のものもある。
ディルク・ボウツの聖母の祭壇画は、右から「受胎告知」、「エリザベツへの訪問」、「キリスト降誕」、「東方三博士の礼拝」の順になっている。
ディルク・ボウツ 受胎告知 1465-70 カルースト・グルベンキャン美術館
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受胎告知に聖セバスティアヌス(聖セバスティアン)と聖カタリナ。フランチェスコ・ファントーニ・ダ・ノルチェに帰属するという作品。
illum oportet crescere me autem minui (ヨハネ3-30)
あの方は盛んになり、私は衰えなければならない。
マルコによる福音書
1-2.預言者イザヤの書に、「見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの道を整えさせるであろう。」
1-3.荒野で呼ばわる者の声がする。「主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ」と書いてあるように、
1-4.バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えていた。
Ecce Agnus Dei, ecce qui tollit peccata mundi (ヨハネ1-29)
見よ、世の罪を取り除く神の小羊
すべてが終った ヨハネ19-30
わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。 マタイ27-46
もともと「さかしま」の著者ユイスマンが、施術を受ける者たちにキリストの腐乱した肉の苦しみの果てを具現化することで、施術の痛みと死の恐怖を払う役目を担っているというようなことを書いていた。
つまりイーゼンハイムの祭壇画は「炎のような舌」をもって、修道院の付属療養院の施術を疫病の人々が受け入れるよう「腐乱した肉の苦しみ」を切断させるために、一人一人に降臨させたということだろう。
だが、バプテスマのヨハネが左側の3人に対して一人大きく描かれているのは、他の役目を担っているのではないか。「キリストの洗礼」からの告白に、見逃せない箇所がいくつかある。
jam enim securis ad radicem arborum posita est omnis ergo arbor quæ non facit fructum bonum exciditur et in ignem mittitur
マタイ 3-10.斧がすでに木の根もとに置かれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ。
ego quidem vos baptizo in aqua in pænitentiam qui autem post me venturus est fortior me est cujus non sum dignus calciamenta portare ipse vos baptizabit in Spiritu Sancto et igni
マタイ 3-11.わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。
cujus ventilabrum in manu sua et permundabit aream suam et congregabit triticum suum in horreum paleas autem conburet igni inextinguibili
マタイ 3-12.また、箕を手に持って、打ち場の麦をふるい分け、麦は倉に納め、からは消えない火で焼き捨てるであろう」。
二つの裁きをバプテスマのヨハネが断言している。一つ目は「良い実を結ばない木は斧で切断される」だ。つまりここからの引用で、イーゼンハイム祭壇画が聖アントニウス会修道院付属施療院でライ麦の病害「聖アントニウスの火」によって、手足を切断する斧を示すことができたのではないか。
二つ目の「打ち場の麦をふるい分け、麦は倉に納め、からは消えない火で焼き捨てる」からの引用も、「聖アントニウスの火」(麦角中毒)で手足を切断された、あるいは切断しなければならない人々を示すことができたのではないか。1本の麦と殻を一人の人間にたとえて、殻(手足)を取ると。
マタイの引用も「キリストの復活」を妨げない。だが、もしかするとマタイの福音書へ誘導するためだったんだろうか。それとも麦角中毒者には混乱させる告白だったのか。
illum oportet crescere me autem minui (ヨハネ3-30)
あの方は盛んになり、私は衰えなければならない。
autem post me venturus est fortior me (マタイ3-11)
わたしのあとから来る人はわたしよりも力のある方で
このバプテスマのヨハネの告白はマタイの福音書3-11の「わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで」に相応する。だがヨハネの福音書にはこのふたつの裁きはない。
僕の解釈で「キリストの洗礼」、「キリストの復活」が暗示されていると同時に、二つ目の解釈としてマタイの第三章がここに密かに埋まっていると考えたわけです。
マティアス・グリューネヴァルト キリスト磔刑
ユイスマンが「盗賊のようなキリスト」と評論したイーゼンハイムのキリスト
ユイスマンが「卑俗な(貧者の)キリスト」と評論した旧カールスルーエのキリスト
ジョリ=カルル・ユイスマンが唯一絶賛したのがこの弓状に描かれた白衣のマリア。
記事 グリューネヴァルトの聖女たち
ユイスマンはグリューネヴァルトのイーゼンハイム(コルマール)のキリスト、タウバービショフスハイム(カールスルーエ)のキリストを穢らわしいものとして蔑む評論で、「盗賊のようなキリスト」、「卑俗な(貧者の)キリスト」と扱ったが、信仰がなかったわけではない。
貧富の差別で穢らわしいものとして蔑む心のありようを「罪」としている洗礼者ヨハネだが、ユイスマンはグリューネヴァルトの洗礼者ヨハネを野武士の一人としている。
そのあわれな盗賊のキリスト、野武士の洗礼者ヨハネ、そして聖なる美と絶賛した聖母を抱きかかえるのはユイスマンが落伍者の烙印を押した聖ヨハネ。
そしてマグダラのマリアはベールに半分顔を隠し、その顔は涙で腫れあがっているようだ。
福音書によっては、磔刑のキリストを見守る人々は様々だが、マルコによる福音書の第15章40節には「マグダラのマリヤ、小ヤコブとヨセフとの母マリヤ、またサロメがいた」とある。ルカによる福音書第23章にはサロメの義父ヘロデが磔刑の日に立ち会っている。とすればサロメがいてもおかしくはない。
ユイスマンは芝居がかったものを嫌悪している気がしてならない。大げさなポーズ、大げさな苦しみの表現である。
だが、マティアス・グリューネヴァルトは本来の人間が磔刑で死する場面をリアルに描いていると思う。腫れあがった手足、緑色の皮膚、鞭打ちの傷に災いの棘(茨の棘だろうか?どの福音書にも茨の鞭とは書いていない)、腐乱していく肉体。
この苦しみを太い釘で手足を打ち付けられて、どんな顔ができるものか。
十字架上でイエスは聖母に声をかける。
ヨハネ19-26
.イエスは、その母と愛弟子とがそばに立っているのをごらんになって、母に言われた、「婦人よ、ごらんなさい。これはあなたの子です」。
死の最中に聖ヨハネに聖母を託すイエス。死後は聖ヨハネが聖母を引き取った。
こうしたキリストをグリューネヴァルトは人として描いている。ユイスマンが酷評する度に、ユイスマンがどれだけこのキリストに魅せられているかも理解できる。
ここには斬首されたバプテスマのヨハネの亡霊はもういない。キリストの遺骸と生きている3人だけ。疲労と苦しみに悶えたマグダラのマリアには美しさが消えている。聖母の聖なる美しさは着え、苦しさの余韻だけを残し、人としての母親の姿であり、聖ヨハネは傍役を演じ続けている。足元には茨の冠。
皆さん、ご存知のマティアス・グリューネヴァルトのイーゼンハイム祭壇画の第二面にある「受胎告知」です。
今日の昼、僕の友人のsaiからメールが来て、扁桃腺で休んでいるらしく何年か前の記事をアップしてなかったそうで、僕にクラナッハの受胎告知の作品画像をあげるから、マティアス・グリューネヴァルトの受胎告知の記事を書けという・・・。なんで・・・。
というとマティアス・グリューネヴァルトが、saiがアップしたかったクラナッハの変わり祭壇を設計しているから、自分はそんな記事をアップするヒマがないからだそうだ。
で、いま喫茶店で休憩をとりながら書いている。なので、それぞれの解釈はいずれゆっくりアップするので記事の最後へ更新。
この人は預言者イザヤ。イーゼンハイム祭壇画の第二面にことごとく出現。
イザヤ書 7.14
「それゆえ、わたしの主が御自ら あなたたちにしるしを与えられる。 見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み その名をインマヌエルと呼ぶ。」
イザヤ書 7.15
「その子が悪を捨て、善を選ぶことを知るころになって、凝乳と、蜂蜜とを食べる。」
自分の「イザヤ書」を手に、受胎告知の予言を開いている。
ということは、マリアが開いているのは「ルカ 1.38」?
マリアは言った。「私は主のはしためです。どうぞ、お言葉どおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。
マリアの受胎告知はルカ福音書の1章26節−38節にある。過去記事「ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス 受胎告知」に全文記載しています。
それで御使い(大天使ガブリエル)は、前後するが「「ルカ 1.37」にある「神にとって不可能なことは何一つない。」と言っているのだろうか。
それで
マリアは言った。「私は主のはしためです。どうぞ、お言葉どおりこの身になりますように。」
それでは全体像を簡単に。
マティアス・グリューネヴァルト イーゼンハイム祭壇画 第1面(平日面) 1511−1515
中央「キリストの磔刑」、左翼「聖セバスティアヌス」、右翼「聖アントニウス」
プレデッラ(祭壇下部分)「キリストの死への哀悼」
ウンターリンデン美術館
中央パネルの内側翼が開くと・・・
マティアス・グリューネヴァルト イーゼンハイム祭壇画 第2面(日曜面)
中央「キリスト降誕」、左翼「受胎告知」、右翼「キリストの復活」
プレデッラ(祭壇下部分)「キリストの死への哀悼」
ウンターリンデン美術館
さらに開くと・・・
マティアス・グリューネヴァルト イーゼンハイム祭壇画 第3面(聖アントニウスの祭日面)
木像 ニコラス・フォン・ハーゲナウ
中央「三聖人」(中央:聖アントニウス、左:聖アウグスティヌス、右:聖ヒエロニ)
左翼「聖アントニウスの聖パウロ訪問」 右翼「聖アントニウスの誘惑」
プレデッラ(祭壇下部分)「キリストと十二使徒」
ウンターリンデン美術館
第1面以外の展示はこんなかんじで分断され・・・
(C)wiki
今年は英国メールからはジェーン・オースティン「高慢と偏見」出版200周年の記念切手が発売されたり、フランス郵政(la poste française)からは、2012年がこのマティアス・グリューネヴァルトの「イーゼンハイム祭壇画」作成から500年ということで記念切手のシートが売りだされた。
1枚は永久保存版に、もう1枚はカットした。
マティアス・グリューネヴァルトのイーゼンハイム祭壇画は、この記念切手のように、中央をパタンパタンと広げて3通りに変わる「変わり祭壇」だ。
冒頭で書いたとおりにあのクラナッハ、そのクラーナハ工房(クラナッハ工房)によるハレ(ハッレ)のマルクト教会主祭壇画(1529)は、マティアス・グリューネヴァルトの設計だという。
sai記事 クラナッハ(父)&工房 vs デューラー vs グリューネヴァルト ブランデンブルクのアルブレヒト枢機卿
このsaiの記事のタイトルにあるブランデンブルクのアルブレヒト枢機卿は、彼の記事にもあるが、マティアス・グリューネヴァルトも描いている。
当時のマルティン・ルターの天敵アルブレヒト枢機卿。そして3人の画家もルター派だ。
アルブレヒト枢機卿の宮廷画家がマティアス・グリューネヴァルトで、ルター派に転じ、この作品「聖エラスムスとしてのアルブレヒト・フォン・ブランデンブルクと聖マウリティウスの出会い」を描いたあとに解雇になっている。よく考えると、枢機卿アルブレヒトのハレ聖遺物書(ハッレ聖遺物書)を描いた作品ではないか。
グリューネヴァルトは農民側についたとして追放されるが、400年後のパウル・ヒンデミットの交響曲「画家マティス」、オペラの「画家マティス」として「音と言葉」で語り継がれている。
マティアス・グリューネヴァルトは、マティス・ゴートハルト・ナイトハルトが本名。
画家マティスの第六場で、マティスがレギーナに「天使の奏楽」を語るところは、イーゼンハイム祭壇画の第二面「キリスト降誕」での天使の奏楽を想像させる。
ところでこのオペラで、パウル・ヒンデミットはナチスに弾圧を受け亡命。指揮者のヴィルヘルム・フルトヴェングラーも亡命したところは、「画家マティアス(マティス)」の追放と同じで、いつの世も同じことの繰り返し。だが16世紀のアルブレヒト枢機卿も、19世紀のヒトラーも敗退している。
YOU TUBE パウル・ヒンデミットの交響曲「画家マティス」
Paul Hindemith - Symphony Mathis der Maler (1934)
アシャッフェンブルクの聖ペトロ、アレクサンドル教会には、敗退したアルブレヒト枢機卿の美術品などが残されている。
まだ続く・・・。休憩時間が終わったので、
中央パネル 苦しみの人としてのキリスト 左右逆です。
十四聖人の祭壇画(リンデンハルト祭壇画) 1503年 マティアス・グリューネヴァルト
リンデンハルト祭壇画 左翼・右翼を閉じた状態
マティアス・グリューネヴァルト 右;六聖人 左:八聖人
クリフストフ・クラフトによる「マティアス・グリューネヴァルトのマグダラのマリアの嘆き」
1648 ウルト美術館
illum oportet crescere me autem minui (ヨハネ3-30)
あの方は盛んになり、私は衰えなければならない。
Ecce Agnus Dei, ecce qui tollit peccata mundi (ヨハネ1-29)
見よ、世の罪を取り除く神の小羊
「聖アントニウスの火」で切断されたと思われる人
「謝肉祭と四旬節の喧嘩」1559年 美術史美術館
ピーテル・ブリューゲル
マティアス・グリューネヴァルト
「聖アントニウスの火」に冒された悪魔(僧侶)
あるいは梅毒に侵された僧侶
七つの大罪 エミール・シュペート説
左 強欲、左下 憤怒、中央 傲慢、罪(神からの離脱)、右上 怠惰
マティアス・グリューネヴァルト 聖アントニウスの誘惑
僕としては 七つの大罪 強欲
マティアス・グリューネヴァルト 聖アントニウスの誘惑
ヴィルヘルム・ニッセン説 七つの大罪 嫉妬
マティアス・グリューネヴァルト 聖アントニウスの誘惑
ヴィルヘルム・ニッセン説 七つの大罪 憤怒
マティアス・グリューネヴァルト 聖アントニウスの誘惑
僕としては 七つの大罪 憤怒
マティアス・グリューネヴァルト 聖アントニウスの誘惑
僕としては 七つの大罪 アスモデウス
マティアス・グリューネヴァルト 聖アントニウスの誘惑
僕としては 七つの大罪 暴食
マティアス・グリューネヴァルト 聖アントニウスの誘惑
七つの大罪 怠惰
マティアス・グリューネヴァルト 聖アントニウスの誘惑
僕としては 七つの大罪 グリフォン
マティアス・グリューネヴァルト 聖アントニウスの誘惑
僕としては 七つの大罪 サタンかと
マティアス・グリューネヴァルト 聖アントニウスの誘惑
僕としては 七つの大罪 ?
ハンス・バルドゥング・グリーンの「七つの大罪」(1511)
マティアス・グリューネヴァルト グイド・グェッラの肖像画 1514
聖アントニウスのグイド・グェッラの肖像 (イーゼンハイム祭壇画)
Italo Bacigalupo
コメント:十四聖人の祭壇画(リンデンハルト祭壇画)はマティアス・グリューネヴァルトかハンス・フォン・クルムバッハか? |
ジョン・シンガー・サージェントなんて全然興味なかった。興味なかったので、これが彼の作品だと知って驚いた。サロン画家で金持ち階級の肖像画でしか知らなかったしね。
記事 画家ジョン・シンガー・サージェントと写真家セシル・ビートン
ジュール・パドルー(ジュール・エティエンヌ ・パドルー)が魅了したのは、ほかでもないアンリ・ファンタン・ラトゥールであり、その他にはポール・セリュジエ、あのフレデリック·バジール、サージェントと同じアメリカ人では画家トマス・エイキンズ、詩人のヘンリー・ワーズワース・ロングフェローがいる。
冬のサーカスにてジュール・エティエンヌ ・パドルー オーケストラのリハーサル
1878 ジョン・シンガー・サージェント シカゴ美術館
そしてシカゴ美術館にもあるって知らなかった。
「冬のサーカス」は、パリ11区のレピュブリック広場にあるサーカス小屋で、1861年から1887年の間に行われた、11月の日曜の午後の演奏会。
ジュール・パドルー(ジュール・エティエンヌ ・パドルー)は、フランスの管弦楽団パドルー オーケストラ主宰者であり、1852年に若い音楽家のための芸術家学会を設立し、コンセール・ポピュレールとして1861年10月27日に「冬のサーカス」が初めて開催された。
Jules Pasdeloup by Illustrator: J.???
ジャック・イニャス・イトルフの建築(1852年) シルク・ディヴェール(冬のサーカス)
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こちらは15世紀ぼスペイン、ゴシック様式のハコマート(ハイメ・バコ 1410-61)の「受胎告知」だ。スペインといえば16世紀にエル・グレコ(1541-1614)がいる。
エル・グレコ 受胎告知 1590-1603(16世紀)
ブダペスト西洋美術館
15世紀はイタリアルネサンスが花盛り。初期ルネサンスにはフラ・アンジェリコ。メディチ家のプラトン・アカデミーの時代にはベノッツォ・ゴッツォリ、ドナッテロ、レオナルド・ダ・ヴィンチやボッティチェッリ。
■15世紀の受胎告知
記事 ヘラルト・ダヴィット 受胎告知
記事 ベノッツォ・ゴッツォリの「受胎告知」
記事 サンドロ・ボッティチェッ 受胎告知
記事 フラ・アンジェリコ 6枚の受胎告知(Annunciation)
記事 セバスティアーノ・マイナルディ (サン・ジミニャーノの 参事会教会)
記事 ドナテッロ 受胎告知(サンタ・クローチェ教会)
記事 レオナルド・ダ・ヴィンチの「救世主」誕生の「受胎告知」
受胎告知(大天使ガブリエル、聖母)、聖ヒヤシンスと聖ヒエロニムス
初期ルネサンス パオロ・スキアーヴォ(パオロ・ディ・ステファーノ)
英国ロイヤルメールからジェーン・オースティンの「高慢と偏見」出版200周年として、長編6作品のイラストの切手が発売された。ほかにもスタンプカードや書籍とのセットなどもあった。ちょうど発売時期に居合わせたので、お土産に買ってきた。
この「プレゼンテーションパック」の切手はsaiの記事で各作品名とあわせているので参考に。
記事 英国ロイヤルメール ジェーン・オースティンの記念切手
記事 アンジェラ・バレットのイラスト ジェーン・オースティンの記念切手
「ノーサンガー僧院」はこちら。
記事 ノーサンガー僧院 ヴェラ・ナザリアンのコラボ本とアンナ&エレナ・バルブッソの挿絵本
ジェーン・オースティンは、どちらかといえば女性や若い人たちに人気があると思っていた。作者とその著作、その冒頭、あらすじは知っているけど最後まで読んだことがない。BBCのドラマ、映画もあるね。
あらすじ 高慢と偏見 - Wikipedia
ジェーン・オースティンの「高慢と偏見」 Penguin Classics 2009
デザイン・イラスト コラーリー・ビックフォード-スミス
英国ロイヤルメールで、ペンギン・クラシックシリーズの「高慢と偏見」が記念切手シリーズといっしょに販売されていた。
このデザインは、1894年、1895年のピーコック版をイメージさせたんだろうか。
ジェーン・オースティン 「高慢と偏見」 1895 Macmillan's edition
イラスト ヒュー・トムソン 出版 ジョージ ・ アレン (ロンドン)
ジェーン・オースティン 「高慢と偏見」 1894 peacock edition
イラスト ヒュー・トムソン 出版 ジョージ ・ アレン (ロンドン)
ジェーン・オースティン 「高慢と偏見」 (ジョージ ・ アレン ,ロンドン 1894版)
イラスト ヒュー・トムソン
スザンナ ・ フラートン編のジェーン・オースティン 「高慢と偏見」は、イラストレーターのコニー・ガバート。
彼女のカバー・デザインでは「祝 高慢と偏見」も手がけている。
ジェーン・オースティン 「高慢と偏見」
イラスト ルーベン・トレド
このルーベン・トレドのイラストはファッション誌でも評判になったもの。冒頭で紹介した野元 和子のイラストはルーベン・トレドの下半身だけを描いた感じにも思える。
日本でもルーベン・トレドのファンは多いんじゃないか?
ジェーン・オースティン 「高慢と偏見」
イラスト Kazuko Nomoto (野元 和子)
ジェーン・オースティン 「高慢と偏見」
ルイ・ド・ベルニエール編
「金持ちで独身の男が妻を必要としているということは、普遍的に認められた真理である。」
It is a truth universally acknowledged, that a single man in possession of a good fortune, must be in want of a wife.
「高慢と偏見」の有名な冒頭は、夏目漱石も絶賛していたそうだが、現代では金持ちで独身の男が妻を必要としているかは見当がつかなくなってきた。結婚観が変わってきたからだ。
左 ジェイン・オースティン、セス・グレアム=スミス「高慢と偏見とゾンビ」2009
(ドゥギー・ホーナーのイラスト、ウィリアム・ビーチー「マーシャ・フォックスの肖像画」)
右 ジェーン・オースティン 「高慢と偏見」 2007
この「高慢と偏見」の冒頭。このタイトル以外で中野好夫訳「自負と偏見」での冒頭は、「独りもので、金があるといえば、あとはきっと細君をほしがっているにちがいない、というのが、世間一般のいわば公認真理といってもよい。」と翻訳されていた。
岩波の富田彬の冒頭の翻訳は「相当の財産をもっている独身の男なら、きっと奥さんをほしがっているにちがいないということは、世界のどこへ行っても通る真理である。」
安原和見が翻訳したのはジェイン・オースティン、セス・グレアム=スミス「高慢と偏見とゾンビ」で、パロディだけれど、「これは広く認められた真理であるが、人の脳を食したゾンビは、さらに多くの脳を求めずにはいられないものである。」
そうなると「これは広く認められた真理であるが、財産に恵まれた独身男性は、理想の結婚相手を求めずにはいられないものである。」というような置き換えが成立するわけだ。
馬鹿げているかもしれないけど、ジョージ王朝時代の哲学者ジョンロック(John Locke, 1632 - 1704)の社会契約論が成立している。
カエルの自然誌(アームチェア・アクアリウム) 1758 口絵
レーゼル・フォン・ローゼンホフ
カエルの自然誌(アームチェア・アクアリウム) 1758
レーゼル・フォン・ローゼンホフ
「カエルの自然誌」(アームチェア・アクアリウム)は、レーゼル・フォン・ローゼンホフによって編纂された。
カエルの自然誌(アームチェア・アクアリウム) 1758
レーゼル・フォン・ローゼンホフ
もともと画家だったレーゼル・フォン・ローゼンホフ(1705-1759)は、マリア・ジビーラ・メーリアン(1647-1717)の「スリナム産昆虫変態図譜」に影響を受け、ナチュラリストになった。
カエルの自然誌(アームチェア・アクアリウム) 1758
レーゼル・フォン・ローゼンホフ
カエルの自然誌(アームチェア・アクアリウム) 1758
レーゼル・フォン・ローゼンホフ
カエルの自然誌(アームチェア・アクアリウム) 1758
レーゼル・フォン・ローゼンホフ
カエルの自然誌(アームチェア・アクアリウム) 1758
レーゼル・フォン・ローゼンホフ
マリア・ジビーラ・メーリアン 「スリナム産昆虫変態図譜」(1705年版)
マリア・ジビーラ・メーリアン 「スリナム産昆虫変態図譜」(1705年版)
レーゼル・フォン・ローゼンホフ
「昆虫の楽しみ」1746年 扉絵
レーゼル・フォン・ローゼンホフ
「昆虫の楽しみ」1746年 口絵
マリア・ジビーラ・メーリアンっていう人の博物誌はなんとなく聞いていたが、実際に見てへーっという感じでした。
どちらかというとキレイな手彩色の版画で、美しい花に毛虫や青虫や蛾なんかを画いているわけで、毒々しさはあんまり。
今回の「ヨーロッパ産鱗翅類‐その変態と食草」は1730年版を紹介。1750年版の花とかは次の記事から。
記事 マリア・ジビーラ・メーリアン 博物誌(6枚くらい使用)
記事 マリア・ジビーラ・メーリアン ボタニカル・アート (ほとんどが「ヨーロッパ産鱗翅類‐その変態と食草」1730、1750年版)
マリア・ジビーラ・メーリアン
「ヨーロッパ産鱗翅類‐その変態と食草」 1730年版
マリア・ジビーラ・メーリアン ヨーロッパ産鱗翅類‐その変態と食草 1679
マリア・ジビーラ・メーリアン ヨーロッパ産鱗翅類‐その変態と食草 1683
19-20世紀の受胎告知として、以前にはウィリアム・ウォーターハウス、バーン=ジョーンズを紹介した。
なんか14世紀とか15世紀っぽいけど、19世紀に生まれて20世紀に亡くなってるから、ちょうどラファエル前派と同時代の人。
カルロヴィ・ヴァリ市立劇場の装飾で、クリムトが天井画の注文を引き受けるとあるが、緞帳幕があった。室内装飾や絵画はグスタフ兄弟、フランツ・マッチェ、クリムトの弟のエルンストが手がけたらしい。
クリムトのデザイン 1886
カルロヴィ・ヴァリ市立劇場 緞帳(舞台垂れ幕)
芸術家商会 (Künstlercompagnie) を設立してのウィーンのブルク劇場の装飾と同じ時期。
パトリック・ゲデス 「エバー・グリーン」 秋
バッカスとサテュロス ジョン・ダンカン
パトリック・ゲデス 「エバー・グリーン」 秋
マダム・クリザンテエム E.A.ホーネル
パトリック・ゲデス 「エバー・グリーン」 冬
ジョン・ダンカン
ジョン・ダンカン スニートン城の三連載壇画 中央
キリストの栄光 左右に四大天使ガブリエル、ウリエル、ラファエルとミカエル