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X線によって、この作品のスケッチは、ずいぶん変更されていることがわかったというが、それもよくある話だ。
「救世主」は、1503-04年とあるが、ルイ12世のために制作された作品のひとつ。「聖アンナと聖母子」(ルーヴル美術館)は、1508-1510年に描かれ未完成。
実際のところ「救世主」は、1506-1510年にかけてらしい。
邦題は?全然検索で見当たらないぞ。とるに足らない作品なのか?
それが、海外の雑誌の切り抜きにでていたのだ。これなのだ。↓
画像引用:イギリスの専門誌「アマチュア フォトグラファー」
2011 追記 add a postscript
この「世界の救い主」の作品は、先にも書いたようにパリのガネイ伯爵夫人のコレクションの一枚。この「救世主」はルイ12世にも描いているとされているから、何枚かダ・ヴィンチが制作している可能性がある。
Tweets で、この作品が2011年7月に発見された作品と勘違いしていて、「洗浄したのはこの絵?」とあったのを見て、僕の記事を読んでないなぁと苦笑。
だから、記事に書いてるでしょう!僕が紹介したのは「パリのガネイ伯爵夫人のコレクション」になっている「救世主」なんだって!自分でわからないのに、勝手にリンクしないでくださいよ。お願い。
Before
洗浄前 1900年頃の撮影写真
Saviour of the World(アメリカのコレクター所有)
さて、そのTweets で、さらに発見された作品をリンクしているようだが・・・それってアメリカのコレクターの所有でしょうが!(大爆笑)、そのリンク先の作品ってジョヴァンニ・アントニオ・ボルトラッフィオ(Giovanni Antonio Boltraffio) なんじゃなかったの?レオナルドの真作「美しき姫君」のビアンカも彼も1枚描いているし。
それが今回、ダ・ヴィンチって塗装がわかったってわけ?これが洗浄後の作品。
After
Leonardo da Vinci, Salvator Mundi, c 1500,
© 2011 Salvator Mundi LLC
2011年07月12日に報道された新たにレオナルド・ダ・ヴィンチの作品と判明した作品(正式な作品画像)で、チャールズ1世、2世も所有していたというもの。
というわけで、僕が紹介したパリのガネイ伯爵夫人のコレクションの「救世主」と、この発見された「救世主」は別物だから。誰か、フォローしてあげて。
では当初の記事を引き続き読んでください。
左が下絵と上絵の作品。右が、これまたダ・ヴィンチ作と名のついている「救世主」だが、この作品については、年代と所蔵先が書かれていない。
贋作、真作とかどうでもいいが、この作品って、みんな知ってる「一般常識」か?僕は知らなかったゾ・・・。
ちなみに右が、結局はPala Sforzescaで、フィッツウィリアム美術館に所蔵されていた。
3月20日から、レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」を中心とする特別展「レオナルド・ダ・ヴィンチ — 天才の実像」が開催されるが、そこに受胎告知が「傑作」とあった。モナリザ、モナリザから、今度は「受胎告知」なんだ。
ウフィッツィディレクターのアントニオ・ナタリーを中心に、「受胎告知」の日本公開の決定に抗議をしたというが、たぶん、もともと反対をしていたのを、なんらかの手段で、反対を唱えたものを束縛していたのだろう。抗議のサインでもある「鎖」は、「束縛」されたことを象徴していたのではないだろうか。
上が、ルーブル美術館所蔵の「受胎告知」(1478-82年頃)である。いまはロレンツォ・ディ・クレディ(Lorenzo di Credi)が有力だが、ダ・ヴィンチがヴェロッキオ工房時代に、祭壇画のプレデッラに描いたものとされていた。その下が、今回のウフィッツィ美術館所蔵の「受胎告知」(1472-75年頃)だ。真作である。
このロレンツォ・ディ・クレディは、ダ・ヴィンチ フォロワー、ボッティチェリ フォロワーが、多いんだよ。めちゃウケル。
左:ボッティチェリ
「ヴィーナス」(1485年)ボーデ美術館所蔵
右:ディ・クレディ
「ヴィーナス」(1487-90年)ウフィツィ美術館
ディ・クレディ関連記事→ダ・ヴィンチ スタイル
ダ・ヴィンチ 「グラナダの聖母子」(1470)/「リッタの聖母」(1490-91)
ディ・クレディ「聖母子」(1494年)/ルイス・デ・モラレス「聖母子」年代不詳
ボッティチェリ「敬慕する小聖母」/「海の聖母子」
ちなみに
モーリス・ドニ 3枚の「受胎告知」
「受胎告知」/「フィエーゾレの受胎告知」 (1919/1928)
サンドロ・ボッティチェリ
サン・マルコ祭壇画「聖母戴冠と4聖人」(1483年)プレデッラ部分「受胎告知」
さて、ヴェッキオ宮殿には、ご存知のように「ピサ攻略」と「シエナ攻略」が描かれている。
1555年から1572年の頃らしいが、ヴァザーリと弟子たちによって描かれたその下に、1504年頃に取り掛かった、レオナルドの「アンギアーリの戦い」とミケランジェロの「カッシーナの戦い」の、それぞれ未完の作品があった。
上の画像は、ミケランジェロの「カッシーナの戦い」(1505年)の下絵の模写。これは、オゼル・コレクション(The Bridgman Art Library)の1枚なのだが、入浴中の敵の兵士を狙ったというシーン。
下の画像は、ルーベンスの模写もある、レオナルドの「アンギアーリの戦い」(1504年頃)の下絵も模写。(RMN/Bellot/Ojeda/Distributed by Sekai Bunka Photo)
長年、消失したとされてきたが、科学調査で別の大壁画の裏に埋もれている可能性が高まっているという。これから本格調査が始まるらしい。
画像引用:NHK世界美術館紀行 (3) p70 NHK「世界美術館紀行」取材班
(イメージングを利用してスキャナしたら、かなり大きくなる。ただし色が、かなり変わる。)
レオナルド・ダ・ヴィンチ関連記事
最後の晩餐
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植物画、最後の晩餐のタペストリーの植物画
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3枚の「糸車の聖母子」/「カーネーションの聖母」/「ブノワの聖母」/「猫の聖母子」
三連画「巌窟の聖母」、デ・プレディス「リュートを弾く赤の天使」、「ヴィエールを弾く緑の天使」
「聖アンナと聖母子」、祭壇画「聖アンナと聖母子」、「洗礼者聖ヨハネ or バッカス」
「聖ヒエロニムス」、「洗礼者聖ヨハネ」
レオナルド・ダ・ヴィンチ ドンナ
「女性の頭部 」(シモネッタ・ヴェスプッチの頭部) レオナルド or ディ・クレディ
「肖像画 シモネッタ・ヴェスプッチ」ピエロ・ディ・コジモ(ピエロ・ディ・ロレンツォ)
レオナルド・ダ・ヴィンチ デッサン画 「無題(ドンナ)」
レオナルド・ディ・セル・ピエロ・ダ・ヴィンチ リンク集
番外編
もう一人のモナリザ ラ・ジョコンダ
Yves Saint-Laurent Rive Gauche1998 モナリザ パロディ
レオナルド・ディ・セル・ピエロ・ダ・ヴィンチ 「ダ・ヴィンチ・コード」
レオナルドとボッティチェリのTavern(居酒屋) Sandro's three frogs
それが、「自画像」のルノワール(1875年、スターリング・アンド・フランシーヌ・クラーク美術館)だ。そうして、のちの印象派たちに出会っていく。21歳のときで、翌年「踊るエスメラルダ」がサロンで入選。終了後に自分で破棄。
遺影 フレデリック・バジール(部分)1885年 個人所蔵
1870年、ルノワールと親友バジールは普仏戦争にいく。バジールは戦死。生前、二人が互いを描きあった作品は、こちら。
ルノワール と フレデリック・バジール
フレデリック・バジールの作品
集団肖像画 バジールのアトリエ、ラ・コンダミヌ通り
画家のアトリエ ヴィスコンティ通りのアトリエ
画家のアトリエ ファステンバーグのアトリエ
ちなみに、このルノワールの「遺影 フレデリック・バジール」なんだけど、全体像でみると、足がさ、はっきり描かれてない。やっぱ、この世に存在しない主の遺影だから?
フレデリック・バジールは、「バジールのアトリエ、ラ・コンダミヌ通り」で、自作を披露している背の高い人物で、作品上では、自作の作品がわからないが、海外のネットでは、作品の端を拡大して、検討。
その作品、そしてバジールのアトリエに飾られているいくつかの作品を紹介。
フレデリック・バジール トワレ
親友バジールとルノワールが描かれている作品がある。ご存知のオルセー美術館所蔵のアンリ・ファンタン・ラトゥールの作品「バティニョールのアトリエ」だ。
これは、ラトゥールの4部作となる1枚だ。この4部作のうち2作品に登場しているのが、バジールの友人で、ルノワールとも親交を結ぶ、音楽家エドモンド・メートル。
アンリ・ファンタン=ラトゥール 集団肖像画4作目 「ピアノを囲んで」
アンリ・ファンタン=ラトゥール 集団肖像画1〜3作品
「ドラクロワへのオマージュ(ドラクロワ礼讃)」
「バティニョールのアトリエ および スケッチ作品」
「テーブルの一角 Coin de table'」
肖像画 エドモンド・メートル
フレデリック・バジール 肖像画 エドモンド・メートル
ピエール・オーギュスト・ルノワール 肖像画 エドモンド・メートル
このルノワールも集団肖像画を1作のこしている。肖像画 エドモンド・メートルの記事で、「おまけ」として掲載されている。
サン ジョルジュの画家のアトリエ(1876年)
この中央にいる人物は、ジョルジュ・リヴィェールだ。伝記作家というらしいが、熱弁をふるっている様子。
このとなりが、カミーユ・ピサロではないかという。画商デュラン=リュエルを紹介したのはピサロ。印象派の画家では最年長だ。このとき46才くらい?
印象派やポスト印象派、象徴主義の画壇によく登場する、エミール・ゾラと師弟関係があった詩人ステファヌ・マラルメ(Stéphane MALLARME 1842-1898) 。
ルノワールは、肖像画 ステファヌ・マラルメ(国立美術館/トリアノン城所蔵)を1892年に完成。マラルメ邸の「火曜会」でスケッチしたという。
この年、マラルメによって、ルノワールの「ピアノに寄る娘たち」が国に買い上げられる。
象徴主義の詩人ともいわれるマラルメは、オディロン・ルドンとも親密で、ルドンもナビ派から、「我らのマラルメ」と慕われていた。
画壇の友人達の肖像画は、シーンを象徴しているが、マラルメや、パトロンのヴィクトワール・ショケは、「肖像画」として描いている。
印象主義の時代、1880年代から悩める時代とルノワールは変遷し、1883年頃から特色がでてきたアングル風の硬い絵の時代、1888年以降はうす塗りから、ルノワール曰く、色彩と色彩とがくちづけあうという、「真珠色の時代」にはいる。
幼少のルノワールは、作曲家シャルル・グノーにも、音楽の才能を認められたというが、「穏やかで、軽やかな音の絵」というのが「真珠色の時代」をさす。ブルジョワ階級の肖像画を描いていた時代のような穏やかで、軽やかな音の絵。それを重層描法と分割描法を併用したものが「真珠色の時代」といわれる作風であるらしい。
「遺影 フレデリック・バジール」は、肖像画のなかでも独特だ。アングル風の硬い絵の時代の作品。1867年のルノワールが描いたバジールと同じ構図だ。だが目の前にはキャンバスがない。机に変わっている。
絵筆を持つクロード・モネ 1875年 オルセー美術館
ヴィクトワール・ショケ 1876年 リヒテンシュタイン美術館
こちらは読書をするクロード・モネ 1872 Collection of Mr. and Mrs. Paul Mellon
アルフレッド・シスレー 1876年 シカゴ美術館
これらは、印象主義の時代といわれる年代だが、ルノワールの変遷は、このヴィクトワール・ショケの肖像画と、フォッグ美術館所蔵のヴィクトワール・ショケ(1875)を見比べると、模索している時代を感じる。おなじ年代で同じ人物だが、写実的をとおりこして、いまにも声をかけてきそうなくらい不気味なリアリティがあるんだ。
ルノワールは苦手なんだ。「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」は、ルイ・カーン・ダンヴェールの娘で、カーン・ダンヴェール家の肖像を何枚も描いているが、家族はリビングや自室に飾りたがらなかったという。
その僕が、ちょっと気になる肖像画が、ワイントン,ナショナル・ギャラリーの「アンリオ夫人」(1876年)だ。
1874年の「パリジェンヌ」もこの人。アンリエット・アンリオは女優で、どれも清楚に描かれている。残念ながら美人薄命だったらしい。
絵画の法王と呼ばれているルノワール。「腐った死体」に美しく化粧を施す。ブルジョア階級のみならず、労働階級の女性たちもたくさん描いている。
現実は貧困にあえぎ、疲れきった女たち。なんとも穏やかで、軽やかな音の絵の主役になっている。明日、食べるものがなくて死んでいくかもしれない女たちを。
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ルノワール と フレデリック・バジール
ニンフ・ バイ・ ザ・ ストリーム(小川の妖精)
19世紀の写真と絵画 ルノワール
オディロン・ルドン
オルセー美術館所蔵
モーリス・ドニの「セザンヌ礼賛」で、オディロン・ルドンはヒーローだ。「オディロン・ルドン」(「セザンヌ礼讃」のための習作 1923年)というドニのエチュードがある。故に、「セザンヌ礼賛」は、ルドン礼讃とした作品なのか。そのルドンが、1903〜05年にかけて、画壇の一人を描いているのは、やはりセザンヌではなく、ゴーギャンである。同年には、陶芸家としてのゴーギャンを賛美した一文も残している。
ゴーギャンが亡くなった1903年のことだ。
ルドンが障壁画「昼」と「夜」を1910〜11年にかけて制作しているが、この「夜」に、「ポール・ゴーギャン」1903〜05年にそっくりなモチーフを見ることができる。
RE+nessance 「オディロン・ルドン」記事本文中 コメント情報より
壁画に描かれた横顔はファイエとルドンの家族、同時期修道院に滞在したヴィニェスとセヴラックで、ゴーギャンと思われた横顔はセヴラック
残念、「昼」と「夜」は、ゴーギャンではなさそうだ。
ちなみに「昼」と「夜」は、こちら KAFKA から。
この二人が出会ったのは、アルベール・オーリエに、ゴーギャンが象徴主義者と評された「第八回印象派展」でのことだ。1886年のこと。この年が最後の印象派展。
オディロン・ルドン シャルル・ド・フランス誌 (1903年)にて
「(ゴーギャンは)ひとつひとつの花が一つの種の典型となっているような原基と比べ、そこにあらゆる流派から自由な、洗練された野人、おのれの幾多の潜在的可能性にきわめて意識的な、意欲ある探求者を見た。善悪の彼方に、そしておおいなる神秘の心臓部にあって、必然かつ宿命の坩堝から出現した、超然として、汚れなき彼の美しき作品たちを目にしようではないか。」
この述べたとおりに、ルドンはゴーギャンの肖像画を描いたと思う僕なのだ。
女性の横顔
制作年 不詳
フォン・デア・ハイト美術館
タイトルはたぶんプロフィールをさしていると思う。同タイトルや、この構図同様の窓枠にみえるごとく鏡に映るごとくの横顔の女性を、ルドンは何枚か描いている。目や口が曖昧に描かれているこの1枚は、輪郭とか外形を意味するタイトルどおりなのかもしれない。
ルドンを好きなわけではない僕だが、一押しの作品。
また、カメオのモチーフのようだとも思う。
もともと男の愛玩する装飾美術品のカメオは、守護として持ち歩いたとも聞く。
男が愛玩する優しげな横顔は、「女性の象徴」ともいえる、ルドンのプロフィール(横顔)ではないだろうか。
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arekao! Maki's Style blog ルドン 「ヴィーナスの誕生」
何の印象もないBlog ルドン ガラテア 作品「キュクロプス」
追記 ルドンのフォン・デア・ハイト美術館の「女性の横顔」に似ているな・・・と思って、所蔵先のインディアナポリス美術館で調べてみたら、黄金色だった。
でもこの画像と同じものが小さくあった。
作品名は「ゴシック窓」で、クリックすると美術館の公開画像になる。
「ボッティチェリ 模写 ヴィーナスの誕生」1859年 Moreau Gustave ギュスターヴ・モロー
Sandro Botticelli サンドロ・ボッティチェリ 「ヴィーナスの誕生」ボッティチェリ(Sandro Botticelli 1444/1445年 - 1510年)が19世紀末に再評価されるまで、「秘蔵の画家」だったというところがあるが、ダ・ヴィンチ、あるいはマネのように、礼賛され、模写されるような画家ではない。
ボッティチェリに傾倒したとか、模写したとかという話がないからだ。また、対抗して同じ題材で描いたという話も聞かない。
だが、ギュスターヴ・モロー(1826-1898年)は、ボッティチェリが再評価された時代の寵児である。それで、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」を 模写したのだろうか。
モローが彼に傾倒したという話も聞かない。画家テオドール・シャセリオに指導を受け、ウジェーヌ・ドラクロワに影響を受けたという。モローはボッティチェリに限らず、カルパッチオをはじめ、随分と「模写」もある。そのモローの模写のなかでは、一番「不味い」模写が「ヴィーナスの誕生」だ。
モローは、模写の年に、ローマに滞在していたわけである。
ボッティチェリの「春」、「ヴィーナスの誕生」には、想像と幻想の世界がある。モローと共通しているはずだ。1870年のギュスターヴ・モロー 「アフロディテ」は、モローという独特の作風から距離をおいた作品。
ギュスターヴ・モロー 「アフロディテ」
ルドン 「ヴィーナスの誕生」 必見!モローとルドンを比較
この「模写」において、「花」が見当たらない。ボッティチェリの修復は1980年代に行われたが、もっとも「春」においての修復が話題になった。モローのみた「ヴィーナスの誕生」には「花」がなかったのだろうか?
ボッティチェリの真作を問うなら、耳と指というが、僕は「花」なのではないかと思う。先のリンク「Sandro Botticelli サンドロ・ボッティチェリ ヴィーナスの誕生」から、拡大された「薔薇」を見て欲しい。
女神ヴィーナスはシモネッタ・ヴェスプッチ(1476年死去)を、軍神マルスはジュリアーノ・デ・メディチ(1478年に暗殺された)だという。もしかしてレクイエム?
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サンドロ・ボッティチェリとギュスターヴ・モロー
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「ボッティチェリ 模写 ヴィーナスの誕生」1859年
モロー「ヴィーナスと三人の小さきもの」
サンドロ・ボッティチェリ「ヴィーナスとマルス」1483年