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クリムトっぽいエゴン・シーレ。
これは「チェック模様の布をまとい、立っている少女」
シーレの1908−09の作品で、クリムトと出会ってから1〜2年後のものだ。これはクリムトへのオマージュともいわれている。平面的、装飾的様式。
シーレとクリムトは、カフェ・ムゼウムで知り合った。この頃シーレは17歳だから、この作品のころはまだ20歳にも満たない。
とにかく極貧だったらしい。母親、後見人の叔父の反対を押し切っての芸術家の道。
シーレ自身、友人でもあり支持者でもあるレスラーに、当時の自分の身なりを手紙で語っている。ぶかぶかで擦り切れている上着に、ぱっくり開いた小船のような靴。リンネルのぼろきれのような下着。
そういう極貧が作品に投影されいてるのか?
自画像や写真からはかっこよいシーレも、そういう時期には5クローネを1週間で使い果たし、あとは何もない。
1910年、ウィーン工房の絵葉書。シーレの姉妹のゲルトルーテ(左、中央)、メラニー(右)がモデル。
左は「花の咲いた草原にいる後光のある子供(Boy with halo at a flower meadow)」(1909)、右が「後光のある二人の男(Two men with halo)」で、この作品はクリムトとの師弟関係をあらわしている。子供のほうは、ウィーン工房の絵葉書の下絵。墨のぼかしが効果的。
Black Girl
Seated female nude with spreaded right arm
「右腕を伸ばし座っている裸像」(1910)のころから、ユーゲントシュティール様式を脱却しはじめ、角ばった線の独自の表現主義様式をはじめる。
本当は日付のとおりの順にしたかったが、諸事情のため。この上6枚、下3枚の計9枚は、1912年に、若き恋人でモデルのヴァリーの未成年者誘拐容疑、子供のモデル使用、カトリックに対する冒涜などで、シーレは2週間の勾留と3日間の禁固刑で拘留され、そのときに素描したもの。まさにウィーン世紀末的運命だ。
上6枚左から
「開かれるべき扉!」(1912年4月21日)
Door into Freedom
「芸術家の活動を妨げるのは犯罪だ。それは芽生え始めた生命を奪うことだ!」(4月22日)
Hindering the artist is a crime - It is murdering life in the bud
「2枚の私のハンカチ」(4月21日)
Two of my handkerchieves
「私は芸術と愛する人たちのために喜んで耐えてみせよう!」(4月25日)
Ich werde für die Kunst und für meine Geliebte gerne ausharren
「裁かれているのではなく、清められているように感じる」(4月20日)
I feel, I am purged, not punished
「囚人!」(4月25日)
Prisoner
下3枚
完成したのはこうした言葉を書き添えた12枚ほどの素描と水彩画。
「1個のオレンジが唯一の光だった。」(1912年4月19日)
The one orange was the olny light
「椅子と水差しの有機的な動き」(4月21日)
Organic movement of a chair and a mug
「現代芸術とは存在しない、芸術は不朽だ。」(4月22日)
Art cannot be modern - Art is eternal
さて、僕の好きなシーレは数少ない。それは何かというと!
「Nacked boy lying on a patterned blankett(模様のあるブランケットのうえに横たわる裸の少年)」
グスタフ・クリムト 「デュオニュソスの神殿(Altar of Dionysu)」
1888年、新しいブルク劇場がオープン。クリムト(Gustav Klimt)は装飾画を手がけた。ここの劇場装飾も共同制作。「タオミナール劇場(Theatre in Taormina)」はマッチュ、弟のエルンストの3人。3人は芸術家商会 (Kuntslercompagnie) を設立。テーマは古代ギリシャからシェクスピア、モリエールなど演劇の歴史。クリムトは「グローブ座のシェークスピア劇場 ロミオとジュリエット (Globe Theater. Shakespeares)」、「テスピオスの凱旋車(Cart of Thespis)」、「アポロンの神殿(Altar of Apollo )」、「デュオニュソスの神殿(Altar of Dionysu)」を担当した。
Das Theater von Taormina 1886−1888
月桂冠をもつ「勝利の女神ニケ」と思われるシルエットは、「彫刻のための寓意(習作)」で耽美的なポーズの女性が手にしているシルエットに近い。
古代ギリシャの有名な劇場タオミナール。千足氏がクリムトの異色と解説しているのは、遠近法的な効果を充分に取り入れているという点。衣装、絨毯、建築材など考古学的知識に基づいているらしい。
1886年から1888年までは、このウィーンのブルク劇場の装飾を引き受けており、あの酷評を受けたウィーン大学大講堂の天井画。「学部の絵」(哲学・医学・法学)は、このあとの1894年。絶対にさ、この劇場装飾を期待していたんだよ、大学関係者たちは。
酷評といえば「ベートーベンフリーズ」も大騒ぎ。
「とてもアカデミックで歴史主義的なクリムト様式の典型的な作品である。」この「シェクスピア劇場」のロミオとジュリエットの観客の一人に、「唯一の自画像」を描きこんでいる。この左がフランツ・マッチュだ。下の画像から確認してほしい。そのすぐうしろにエルンスト。制作にあたった3人の記念のポートレート?。マジ似てる。
Theatre in Taormina, 1884-1887, (Detail)
Globe-Theater London performing Shakespeare's
Romeo and Juliet (1887) Gustav Klimt
Selfportrait
Gustav Klimt−Franz Matsch−Ernst Klimt by wiki
Cart of Thespis(Thespiskarren) Gustav Klimt by wiki
Zuschauerraum im Alten Burgtheater in Wien, 1888 Gustav Klimt
ちなみにこの作品は、クリムトの「旧ブルク劇場の観客席」で、1888年の作品。初期のリアリズムな作品が珍しい。別な意味での写真的リアリズムと千足氏は解説しているのが、前方に弟エルンスト、この劇場の女優が特定できるごどリアルに人物は描かれているらしい。
追記 この頃の芸術家商会 (Künstlercompagnie) としての装飾の依頼に、カルロヴィ・ヴァリ市立劇場があるが、緞帳(舞台垂れ幕)がクリムトが担当した。そういえば、ウィーン・ミュージアム所蔵「クリムト、シーレ ウィーン世紀末展」が、7月11日から札幌芸術の森で開催されたらしい。
作品紹介で「寓話」、「愛」、「パラス・アテナ」がトピックされていた。
このリンク先の「愛」という記事に、僕にとって懐かしい方のコメントがあった。驚いた。嬉しくなった、元気そうで。楓はコメントに気がつかないであろうから、メールをピィーピィーならしておいたら返信がきたから(1時間かかった)、気がついたようだ。
なつかしいなぁ。ほんとに。
そんなわけで、このクリムトの記事を書くきっかけになった、その人。「愛」にトラバしておく。
ブラジルは丑年ではなくフランス年。
日本もイタリア年なんてあったなぁ。今年もあるらしいなぁ。さて、ブラジルのフランス年に話をもどすと、サンローランのエキシビジョンもやっているらしい。
(C) AFP PHOTO by Mauricio Lima
A visitor looks at French artist Pierre-Auguste Renoir (1841-1919) painting "Countess of Pourtales Portrait" (left), near "Bather with Griffon" (R detail), during a retrospective exhibition "Art in France-1860 to 1960: The Realism", as part of the 'Year of France in Brazil' celebrations, at Sao Paulo's Museum of Art (MASP), on June 25. AFP
こちらはサンパウロ美術館(MASP)で、「ブラジルのフランス年」を開催中。
手前がルノワールの「浴女とグリフォンテリア」(1870)。奥が「ポーテイルズ伯爵夫人」だ。
ほかには!
A visitor takes a rest in front of paintings by French artists Edouard Manet (1832-1883) (two, L) and Gustave Coubert (1819-1877) (three, R), during a retrospective exhibition 'Art in France-1860 to 1960: The Realism', as part of the 'Year of France in Brazil' celebrations, at Sao Paulo's Museum of Art (MASP), in Sao Paulo, Brazil, on June 25, 2009 AFP
マネが左2点、クールベが右3点に並んだ写真をみて予測。
マネはPortrait of Marie Lafebure on Horseback(1870)、となりにGilbert Marcellin Desboutinのポートレート。その隣、ちょうど中央にクールベの作品となる。その作品がPortrait de Zélie Coubert(1847)。このとなりが曖昧なんだ。写真じゃよくわからない、老眼でさ。たぶんJuliette Courbetの肖像画だと思う。いちばん端っこがわかんない。クールベの3番目。わかったら更新。さて、マネときたらモネ
1887年のモネの作品「エプト川の舟遊び」
Visitors look at French artist Claude Monet (1840-1926) 'Boating On The River Epte' during a retrospective exhibition 'Art in France-1860 to 1960: The Realism', as part of celebrations of 'Year of France in Brazil', held at Sao Paulo's Museum of Art (MASP), in Sao Paulo, Brazil, on June 25, 2009. AFP
さて次。
みんなが元気だった頃(笑)、Henri Fantin-Latourはずいぶん記事書いた。
そのアンリ・ファンタン=ラトゥール。
この作品は、「The Dubourg Family 」(1878)でオルセー美術館に所蔵されているもの。ブラジルのフランス年にここまでやってきたか。
アンリ・ファンタン=ラトゥールの記事
薔薇
すみれ
アンリ・ファンタン・ラトゥール
ピアノを囲んで
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 「熱狂の日」音楽祭2007 〜ピアノを囲んで
まだまだあるけど、これで最後にするさ。
Visitors enjoy paintings by Dutch artist Vincent Van Gogh (1853-1890), during a retrospective exhibition 'Art in France-1860 to 1960: The Realism', as part of the 'Year of France in Brazil' celebrations, at Sao Paulo's Museum of Art (MASP), in Sao Paulo, Brazil, on June 25, 2009. AFPアルルの女 ジヌー夫人(1890)やっぱり最後はこれでしょ。
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もうひとつ クリスティズ アルルの女 マダム・ジヌー
A visitor looks at French artist Rosa Bonheur (1822-1899) painting 'Plowing in Nevers' during a retrospective exhibition 'Art in France-1860 to 1960: The Realism', as part of the 'Year of France in Brazil' celebrations, at Sao Paulo's Museum of Art (MASP), in Sao Paulo, Brazil, on June 25, 2009. AFPおまけはローザ・ボヌール。「Plowing in Nevers」は「牛」だ!