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ミシアに捧げたマラルメの扇の4行詩 ココ・シャネルの秘密から

ミシアが言うには、だ。
「どうして人がくれたものを全部とっておかなければならないの?」

彼女が取っておかなかったもの。失くしたもの。
もったいないな、マラルメの4行詩のことなんだよ。

正月と言っていいものか。まぁ新年だ。ミシアが住んでいたヴァルヴァン・シュル・ラ・セーヌの家に、フォアグラと扇に書き付けた4行詩。

はその翼をひろげ、はばたけよ しかつて、嵐と喜びの折に
ミジアがそれをピアノにて まえに知らせてくれたならば。



マラルメの肖像画 by ポール・ゴーギャン
なぜか大鴉が・・・


ミジアとはミシア・セール(Misia Sert)のことだ。ジャン・コクトーが「何ひとつ月並みのものがない女性」と賞賛したフランス社交界の華だったミシア。

ミシアのことはまたあとにするが、その扇を僕はみた。

Aile que du papier repolie
Bats toute si t'initia
Naguère à l'orage et la joie
De son piano Misia". ここだけでびっくりしたwa!

僕はね、フランス語全然だめ、イタリア語よりマシだけど。あの詩の邦訳を知らなかったら、まったくそのミシアの扇と気が付かなかっただろうよ。

ミシア、ピアノこの単語だけで閃いたわけ。



タデ・ナタンソン夫人ミシア(Misia Natanson)へとなっている。

ミシア・セールは15で「ルヴェ.ブランシュ」紙の創設者タデ・ナタンソンと結婚。そのため作家、画家、音楽家が出入りするサロンを主催していたわけだ。

でもね、楓から聞いたマルセル・ヘードリッヒの「ココ・シャネルの秘密」には、「失くした」とあったからってね。

で、この扇はティエリー・ボダン(Thierry Bodin)が所有している。ジャポニズムの扇に4行詩だ。

世紀の変わり目を生きたナビ派や印象派たちだが、マルメラをはじめミシアを美神と崇めたのは、パトロンだっただけではなく、作品を理解してくれたからに違いない。

そこがあのフランスのサロンの歴史のなかで、ポンパドゥール夫人と違うところである。ポンパドゥール夫人はその芸術や学術を擁護することで、自分の地位と名誉を叶えていく。



ナタンソン夫妻
エドゥアール・ヴュイヤール(Edouard Vuillard)


ミシアは、はじめは誰もが耳をふさぐ音楽や、誰でも退屈しそうな文学や、これまで誰も買うことがなかった画家の作品を紹介し、彼らに地位と名誉を授け、評判を稼いでいった。

女は不思議だ。

プルースト曰く
「そのあとで彼らがなお仲が悪くなるように」
と集めていたという。

フィリップ・ベルトロー曰く
「ほら猫(ミシア)がやってきた。小鳥がいたら隠しなさい」
と言っていた。

さて、マラルメ(1842-1898)がミシア(1872-1950)に贈った4行詩だが、19世紀の話である。

1873年ごろ、画家のマネと知り合い、1874年にポーの「大鴉'Le Corbeau'」の散文訳を手がけた。


Le corbeau (ex-libris)

フランス語訳のマラルメのマネのほか、
イギリスのテニエル、ギュスターヴ・ドレの挿画もある。


この頃はミシアは、まだナタンソン夫人だ。マラルメが亡くなったあと、ナタンソンの破産でアルフレッド ・チャールズ・エドワーズが「ミシア」と「援助」の交換条件を申し出た・・・らしい。

1903年にはミシアはエドワーズの妻だ。ルノワールはナタンソン夫人から肖像画を書いていたはずだがこの年以降に書いた肖像画のエドワーズ夫人(Misia Edwards)となっている。

このミシアとココ・シャネル(1883-1971)は猫と小鳥だったのだろうか。この二人が出会ったのは、ミシアがエドワーズ夫人の頃だろう。

20代半ばではじめて教養を身につけたシャネル。ミシアの社交でのことだ。

社交界での言葉、振る舞い、マナー、そして音楽や絵画にバレエをシャネルは与えてもらったわけだ。

1919年、ボゥイ・カペルが事故で亡くなった。身分にふさわしい結婚をしたカペルの死にシャネルは悲しんだ。その不幸をミシアは慰める。



これがミシアだとしたら一番美人だ
黒柳徹子さんのヘアスタイルはいつから?


そのときのミシアは女友達の不幸から何をみつけたんだろうな。
1920年、ミシアの二度目の夫エドワーズは亡くなった。

シャネルがミシアに内緒でニジンスキーが所属していた「バレエ・リュス」のセルゲイ・ディアギレフへの援助だ。彼は破産状態だった。

ミシアにはもうお金がなかった。ディアギレフはミシアの親しい友人だ。

そのディアギレフにシャネルはこっそり援助をした。ミシアの嫉妬を回避するためにこっそりとね。だが、これはミシアへの裏切りでもあるわけだ。

それから20年以上の時を経たある日。
ディアギレフはシャネルに友情を感じていたか。いや恐れを感じていたという打ち明け話を聞かされる。



ロートレックのミシア、この帽子は
他の作品に、後ろ向きで帽子のみ
描かれ、当時の彼女を象徴する。


セルジュ・リファール(ロシア出身のフランスの舞踏家)からそれを聞かされたココ・シャネル。

ミシアと違って、ミシアから援助を頼まれたストラヴィンスキーもディアギレフ同様に友情は育たなかった。・・・らしい。条件なしでお金を援助していたからだ。恐れではなく遠慮だろ、きっと。

さてこの芸術家たちの女神はシャネルではなく、ミシア。モードの先端、斬新なインテリアで巷をあっと言わせたらしい。最初の夫タデ・ナタンソンとその兄弟が出資した「Revue Blanche(ルヴュ・ブランシュ)」のおかげだと思うよ。

掲載画や寄稿者たちなんかは19世紀の作家、画家、音楽家でさ。ミシアのサロンにひっきりなしに通っていたんだからね。この文芸雑誌でミシアをモデルにした表紙から流行を発信したんだね。

シャネル曰く
「アフリカの木彫りの像の隣に、ヴェネチアングラスの花瓶があって日本の漆塗りのお盆が飾ってある。ごちゃごちゃしていて、汚くて、ミシアらしかった」



ポール・ラモン曰く
「天才を身のまわりに集め、そして彼らはみんな彼女に恋していた。ヴュイヤール、ボナール、ルノワール、ストラヴィンスキー、ピカソ・・・・。彼女はばら色の水晶でできたハートと中国の明朝の木の蒐集家でもあった。突飛なことを思いついては、それがモードとなり、まわりのものに受け入れられ、室内装飾化によって活かされ、新聞記者によって繰り返され、頭の空っぽな社交界の女たちによって真似された。モダン・バロックの女王のミシアは、いろいろと変わったものや螺鈿などをあしらった家の中で暮らしていた。」

そして、すねた狡猾なミシア
シャネルもポール・ラモンもプルーストもフィリップ・ベルトローも知っていた。不実については天才的で、残酷なことには洗練されているミシアだそうだ。

ものすごい美人だったらしいが、美人だった写真や絵画が見当たんないなぁ。

5歳のときにリストの膝でピアノを弾き、最初の夫との結婚でピアニストの道よりもサロンの女主人を選択したんだろうよ、このミシアは。

マラルメが出会った頃のミシアは、彼の「LA DERNIÈRE MODE(最新流行)」に貢献したのだろうか。



マラルメ「最新流行」1874年


1874年に発行されている。世間は百貨店とオートクチュールの時代だ。これまでは宮廷や貴族を例外にすると一般社会は男性中心のモードだったらしいが、この時代には女性を対象にしたモードが盛んになった。

逆にバレエでは女性が中心だったが、男性が主役になるのもこの時代で、とくにニジンスキーが有名だ。

19世紀は消費文化がベル・エポック(Belle Époque)を象徴し、イ14世時代からのモリエールを継ぐコメディ・フランセーズでの舞台芸術や、ォルテールィドロらが文芸サロンからカフェで科全書を検討したように、カフェやキャバレーに著名人たちが集まる。

何が一番変わったのかというと、モードと大衆だ。

詩人マラルメや画家マネは、そうした風俗へのジャーナリスト的なものを発信しようとしたのだろうか。結局「最新流行」は続かなかった。

そのあとにナタンソン夫人ミシアと出会う。


頭が痛いから詩の朗読をやめてというミシアに、、マラルメは立ち上がり出て行く。怒ったのかと思えばアスピリンを手に戻ってくる。

1900年以前に、フランスからナポレオン3世もウジェニー皇后も消えてしまった。宮廷おかかえのデザイナー ワース・エ・ホベルクのシャルル・フレデリック・ウォルトも。他国ではオーストリア皇后であり、ハンガリ王妃であったリザベート皇后もだ。

ヨーロッパはもはやモードの商人に辻君(公妾)や王妃たちが国庫を濫費する時代ではなくなった。同時に宮廷に仕え、宮廷の庇護を受ける芸術家たちがいなくなったということだ。

当時の様子は過去記事エミール・ゾラから

さて、意外なところからミシアのコレクションを知ることができた。



Tony Duquette


一応、室内装飾家ってことで。トニー・デュケットが1980年代にミシア・セール(3度目の結婚)の収集したもので装飾した部屋だ。シルクのクッションなどはジム・トンプソン。

対になったヴェネチアンのイルカ。フランスの女性はイルカ好きが多いね。たしかンパドゥール夫人(この記事に掲載されている)もイルカの対の香炉を装飾品で所有していた。

執事とお手伝いとコックが雇えたらこんな部屋でもかまわない。

さて、ミシアの今度の結婚相手はスペインの画家、ホセ・マリア・セール(Jose Maria Sert)だ。ディアギレフの友人で、ストラヴィンスキー作曲の「女のわるだくみ」で、バレエ・リュスの美術、衣装を担当した。

彼は当時すでに有名だった。巨大な壁画。その壁画はいまでも見ることができる。(パレ・デ・ナシオン、ロックフェラー・センタにある。)風俗画のセムは、「いつか尻つぼみになる」と言っていたが、いま日本でどれだけ彼のことを知っているか。ダリは誰でも知っているが、セールのことはほとんど知らないよな。

ミシアがリストの膝でピアノを弾いた時からナタンソン夫人、エドワーズ夫人、セール夫人にいたるまでのフランスの芸術家たち。

アンリ・ファンタン・ラトゥール
この記事は僕の記事にもリンクしてくれている。集団肖像画から、文壇、楽壇、画壇の交流を知ることができる。

ルノワール 画家のアトリエと肖像画 エドモンド・メートル
この記事も僕の記事にもリンクしてくれている。ミシアを描き続けたルノワールだ。ルノワールを通しての交流も知ることができる。

サン=サーンス ピアノを囲んで
アンリ・ファンタン=ラトゥールにつながる記事だ。

ディロン・ルドン

| BOOK | 20:46 | trackbacks(0)



柴田是真 七福神


八十翁 是眞 とある。

別ブログでアップした浮世絵風な是真と思われる作品では「眞」がちがうんだな。

微妙な是真の作品だと思われるものが海外にたっくさんある。僕はよくわからないから、是真といわれればそうですかタイプ。

記事 柴田是真 浮世絵?
記事 柴田是真 尾長鶏

僕のおすすめ
記事 柴田是真 Shibata Zeshin
記事 柴田是真 アール・ヌーヴォーとジャポニズム
記事 柴田是真 作品 オークションにだされているもの、摺り物絵など
記事 柴田是真 漆絵画帳(絵本漆絵)、是真髤画帖、柴田是真翁漆絵集

記事 柴田是真 鶴は千年 亀は万年
記事 柴田是真 貝尽図漆絵屏風
記事 柴田是真 花瓶梅図漆絵
記事 柴田是真 鈴に桜図
記事 柴田是真 蜘蛛の巣に昆虫図
| アート | 15:31 | trackbacks(2)



Mona Lisa(Monna Lisa)
Leonardo da Vinci


レオナルドの弟子通称サライ(Salai)とかサライーノ(Salaino)と呼ばれたジャン・ジャコモ・カプロッティ(Gian Giacomo Caprotti)がいる。盗癖の癖があるから「サライ(小悪魔)」と呼ばれたが、サライはレオナルドからも盗んでいる。その作品の模写、あるいはパロディのつもりだったか?

二まわりの年齢の差はレオナルドがサライを可愛がるわけで、10歳のサライは従弟さながら小姓のようについてまわったのかもしれない。

でもさ、全然絵の才能ないんじゃない?



サライのモナリザ 1枚目 Monna Vanna (Joconde nue)
ジャン・ジャコモ・カプロッティ(Gian Giacomo Caprotti)


Monna Vannaをもう一枚



Monna Vanna
ジャン・ジャコモ・カプロッティ(Gian Giacomo Caprotti)


もう一枚!



サライのモンナ・ヴァンナ(裸身)
ジャン・ジャコモ・カプロッティ(Gian Giacomo Caprotti)


そしてレオナルド?といわれているモンナ・ヴァンナ



Monna Vanna
Leonardo da Vinci ?

どう?
sai のサードブログで、 レオナルドの花の女神フローラで、こぼれるほどのないおっぱいの胸像を紹介していたのに、似ている。

レオナルド・ド・ダヴィンチ の女神フローラ

ちなみに、フォロワーがまだある。

sai から拝借
大きい画像は彼奴の記事から
オナルド・ダ・ヴィンチ」より

サライはこの「洗礼者ヨハネ」も模写というか描いている。
これはレオナルドの「洗礼者ヨハネ」
Leonardo da Vinci
San Giovanni Battista

どう?

サライの「洗礼者ヨハネ」

San Giovanni Battista
Gian Giacomo Caprotti(Salai)1480 - 1524

かなりイイ線にきているけどね。


そして、僕の過去記事 レオナルド・ダ・ヴィンチ 「救世主」 誕生の 「受胎告知」で紹介した「救世主によく似た作品も描いている。

これがレオナルドの「救世主」

過去記事
レオナルド・ダ・ヴィンチ 「救世主」 誕生の 「受胎告知」

Salvator Mundi
Leonardo Da Vinci ?

で、サライは

実はサライのほうは「キリストの頭部」というタイトルだ。たぶん救世主に描かれている十字架と球体が描かれていないし。

このキリストの頭部はアントネロ・ダ・メッシーナの「救世主」に似ている。

サライってさ、目が異常に印象深く描いている。こわっ!

モナ・リザvsモナ・ヴァンナ 
The Mona Lisa vs Monna Vanna 関連記事
記事 シャネルとモナリザ
記事 サンローランのモナリザ by マリオ・ソレンティ &XAI
| レオナルド・ダ・ヴィンチ  | 23:21 | trackbacks(3)



ロベール・コンバス 草上の昼食



マネ 草上の昼食

ザンヌの草上の昼食
ョルジョーネとティツィアーノ 編
リオ・ソレンティとサンローラン編 
COCA-COLA by THE ART OF DINING も見てみて。
| 草上の昼食 | 20:56 | trackbacks(2)
太陽王ルイ14世展 ヴェルサイユ宮殿 2009年10月20日-2010年2月7日

過去記事


ルイ14世 唯一の信仰 唯一の法 唯一の王


ルイ太陽王(ルイ14世) 王権神授説の宮廷絵巻


ルイ14世 芸術への愉楽


ルイ14世 コルベールの重商主義 芸術政策


スペイン継承戦争 フェリペ5世への箴言


ヴェルサイユ宮殿でフランス革命以後、初めて公開されるものがあるらしい。ルイ14世に関しての記事にはずいぶんと画像を掲載してきているので、ぜひ過去記事からご覧いただきたい。画像は大きくなるはず。

まずは、過去記事に使用していない画像をアップし、それからルイ14世展のご紹介




Charles Meynier チャールズ・ミニャール


これはめっちゃ酷いね、フランス革命のときにでもやられたかって感じだが、生まれた太陽王が王権を授けられる場面ではないかと。

抱っこしているのは母后アンヌ・ドートリッシュ。三銃士でもおなじみか?




(C)Exposition Louis XIV, l'homme et le roi


マントノン夫人がわかる?ルイ14世の横顔の肖像画もみえるでしょ。逆に手前がよくわかんないが、ギイ・ルイ・ル・ヴュー・ヴァーノンサル(Guy Louis Le Vieux Vernansal)のナントの勅令の廃止の作品だと思う。

過去記事にもたっぷりとル・ブランの画像を使用している。

マントノンの肖像画はこちらから。
秘密の正室 マントノン夫人」 「ポール・スカロン マントノン夫人の最初の夫」




ルイ14世の戴冠 1654年6月8日
Philippe de Champaigne フィリップ・ド・シャンパーニュ 


全員正装している姿の作品は珍しい。衣服も壁もフランス王室の紋章で埋め尽くされている?




(C)Exposition Louis XIV, l'homme et le roi


僕がもっとも嫌いなルイ14世の肖像画だ。どういうわけかこの作品を鑑賞すると軽蔑の念がよぎるのだ。イアサント・リゴー(Hyacinthe Rigaud)の「ルイ14世の肖像画」は1701年の作品。



聖職者が跪いている。唯一の宗教を示しているのか?肖像画に向かって神と崇めているようだ。この絵のプロバガンダ効果はどうだったんだ。作品は1658年でニコラ・ミニャール(Nicolas Mignard)が描いた。ピエール・ミニャールは兄弟。




(C)Exposition Louis XIV, l'homme et le roi


この作品はこの写真だと見えない左下だが、頭部の彫刻だけは見えるだろうか。そのすぐ左に天球儀だか地球儀がある。そして巻物や書物がころがっているんだ。コルベールアンリ・テストラン( Henri Testelin)の作品で、過去記事にはこの人の別な作品を掲載。「ルイ14世 コルベールの重商主義芸術政策」からどうぞ。コルベールがフランス王立科学アカデミーのメンバーをルイ14世に披露している作品になる。



これさ、ルイ14世の結婚を祝った作品なんだけど作者不詳。ツリーに紋章のオーナメントをつけちゃったり、結構良く見ると面白い。




(C)Exposition Louis XIV, l'homme et le roi


これはルイ14世当時のシアターを再現していたのか。オペラ・コミックの上演。ルイ14世はモリエールののゲネゴー劇団(Hôtel de Guénégaud)とブルゴーニュ劇団(Hôtel de Bourgogne)との統合し、王立劇団「コメディ・ フランセーズを設立した。この過去記事は「ルイ14世 芸術への愉楽」からどうぞ。



こちらはシャルル・ル・ブラン。寓意画で「偉大なるルイ14世」だ。唯一の信仰 唯一の法 唯一の王 そのものだ。

暗王ではなかったというが、結局国民が犠牲になっている。犠牲とは貧しさということではなく、生命の犠牲ということだ。

最後はルイ14世の一族。これは楓に書いてもらった記事。



肖像画「ルイ14世とその家族」 1670年
Jean Nocret ジャン・ノクレ


作品に描かれたルイ14世の家族たちと寓意画で何にたとえられているかを楓が書いてくれた。ちなみに不明で予測されている人物は3名。

参考は主要人物だけで、あとは推測らしいのでご了承のうえご覧ください。

また、王妃マリー・テレーズ・ドートリッシュとの間には3男3女で、1670年以前の誕生の子どもが描かれている。

公妾でルイ14世の子を産んでいるのがわかtっているのが、寵姫ルイーズ・ド・ラヴァリエール4名、モンテスパン侯爵夫人は7人で、オランピア・マンチーニ(マンシーニ)は、たぶん何人かはそうだろうといわれている。

記事 「ルイ14世 御伽の国から夜伽の国へ

さらに


17世紀にルイ14世に贈られた天球戯、地球儀の記事はこちら
記事「ルイ14世 球体に描かれた肖像画
| ルイ14世 | 00:04 | trackbacks(2)

 

謹賀新年 長澤芦雪 猛虎図 プライスコレクション なつかしい


正月 唐 李賀

 上楼迎春新春帰
 暗黄著柳宮漏遅
 薄薄淡靄弄野姿
 寒緑幽風生短絲
 錦牀暁臥玉肌冷
 露瞼未開対朝瞑
 官街柳帯不堪折
 早晩菖蒲勝綰結

| 長沢芦雪 | 00:02 | trackbacks(0)
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