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過去記事でルイ14世の「スペイン継承戦争 フェリペ5世への箴言」で、妃マリー・テレーズの持参金云々で、義理の妹にあたるマルガリータ王女の「ラス・メニーナス」を紹介した。登場人物はこちら。

過去記事「スペイン敬称戦争 フェリペ5世への箴言

今回は、この作品に描かれているルーベンスを紹介しようと思う。



ラス・メニーナス ベラスケス


右側がよくわからないが、これではないかというHPを発見。みたところそう言われればそんなふうに見えると思っていたが、2枚の寓意が同じであるために、これじゃないかと僕も思ったわけ。



オウィディウスの変身物語 ルーベンス


変身物語の「アポローンとマルシュアス(マルシアス)」の場面だ。自分の技におごってアポロン神に音楽の技くらべを挑み、アポロン神に負けてしまう。まるでアポロンに扮したルイ14世の肖像画のとおりにフランスに主導権を握られるスペイン。

左の作品と同じで、アラクネー(アラクネ)もおなじ腕比べで負けてしまう。優れた織り手と女神パラス(アテーナー、パラス・アテナ)の勝負で、おごったアラケネーが負ける。

Pallas and Arachne

パラス(アテーナー)とアラクネ 1636-37
ピーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens)


ベラスケスのLas Meninas(ラス・メニーナス 1656-57年)に描かれているというルーベンスの作品。



 The Fable of Arachne
ディエゴ・ベラスケス(Diego Velazquez)


これが皆さん御存知のベラスケス(1599-1660)の描いた「アラクネの寓話(織女たち)」だ。この絵の解釈は別にして、僕はルーベンスに倣って描いたものだと思っていた。

それがティツィアーノ(1490-1576)の「エウローパの略奪」(1559-62)へのオマージュだったんだってね。

まずこのアラクネとやらが神話のなかで競って織ったものまたは最初に織ったものが、ゼウスのエウローパの略奪だったらしい。



The Rape of Europa, 1559–62
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio)


かつてルーベンス(1577-1640)がスペインに滞在したときに模写した1枚だ。

1540年代にはカール5世、そして世界最大の権力者となったスペイン国王フェリペ2世と寵愛された画家ティツィアーノ。そのフェリペ2世の孫にあたるフェリペ4世に仕えたベラスケスが、ティツィアーノを神に匹敵する画家として描いたのかもしれない。

追記
記事 Baroque 歪んだ真珠 青い血のスペイン・ハプスブルグ家
この記事からはフェリペ四世とベラスケス、その娘婿などの作品からフェリペ四世一家が記事になっている。
| Las Meninas ラス・メニーナス | 17:14 | trackbacks(0)


Adoration of the Magi 東方三博士の礼拝 1470
Sandro Botticelli and Filippino Lippi
ロンドン,ナショナル ギャラリー サンドロ・ボッティチェッリ & フィリッポ・リッピ












Adoration of the Magi 東方三博士の礼拝 1470-75
ロンドン,ナショナル・ギャラリー サンドロ・ボッティチェッリ

フィレンツェのプッチ家(エミリオ・プッチの)に縁があるらしい、この作品。現在はナショナル・ギャラリーにある。














Adoration of the Magi 東方三博士の礼拝 1470-71
Sandro Botticelli
ワシントン,ナショナル ギャラリー サンドロ・ボッティチェッリ




Adoration of the Magi 東方三博士の礼拝 1475
Sandro Botticelli
ウフィッツィ美術館 サンドロ・ボッティチェッリ

もともとサンタ・マリア・ノヴェッラ教会にあったラーマ家の祭壇画。メディチ派の象徴として描かせたものだという。

人物等はこちら。ラーマ自身も描かれている。
記事 ボッティチッェリ サンタ・マリア・ノヴェッラ教会 「東方三博士の礼拝」の謎


東方三博士はなんぞやという人はこちら
記事 東方三博士の礼拝(The Adoration of Magi)



そもそもこの時代は誰がその画家に依頼したのか、制作年月日はいつなのかがわからない。だから余計な詮索が絡み、ますますワケがわかならくなってしまうのさ。

1471年にミラノのイル・モーロとフィレンツェのロレンツォが友好を深めるため、「イモーラ」をフィレンツェに割譲し、フィレンツェの美術家たちをミラノに派遣するというお約束のほか、オスマン・トルコの対策に三国同盟が成立していた。

記事 「フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ 小書斎」 神曲 地獄編の子孫

ミラノの暗殺事件には、フェデリーコの義理弟が犠牲になった。ボッティチェッリのプリマヴェーラのように、ピエロ・デッラ・フランチェスカにフェデリーコが描かせた「キリストの鞭打ち」にも、暗殺された義理弟、オスマン・トルコのメフメト2世が描かれていたりと面倒な解釈の絵だが、このリンク記事からもメディチ家のロレンツォとフェデリーコ、イル・モーロとの関係のほか、オスマンとの関係から当時の情勢がわかるだろう。

この「イモーラ」の割譲が思わぬことで法王側とロレンツォが対立する。

イタリアから平和を奪ったカテリーナ・スフォルツァのために。

記事 「Sandro Botticelli サンドロ・ボッティチェッリ
ボッティチェッリの描いたカテリーナ・スフォルツァの肖像画など。
記事「カテリーナ・スフォルツァ(Caterina Sforza)の謎 ボッティチェッリ プリマヴェーラから

法王一族の甥ジローラモとの政略結婚で、法王の甥が「イモーラ」の領地を手にするのだ。銀行家メディチはこの「イモーラ」の一件で法王側への資金調達を応じないため、パッツイ家に調達を頼む。

つまりカテリーナ・スフォルツァの結婚がパッツイ家の陰謀の発端となるわけだ。

こうしたイタリア小都市間の抗争と、オスマンによる古代ローマの征服に、いよいよスペイン・ハプスブルグ家が乗り込んでくる。

フランスのヴァロワ家とのイタリア戦争だ。

ルネサンス文化の最盛期は実はイタリアの衰退を描いていたのだ。
| サンドロ・ボッティチェッリ | 22:32 | trackbacks(1)
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