Adoration of the Magi 東方三博士の礼拝 1470
Sandro Botticelli and Filippino Lippi
ロンドン,ナショナル ギャラリー サンドロ・ボッティチェッリ & フィリッポ・リッピ
Adoration of the Magi 東方三博士の礼拝 1470-75
ロンドン,ナショナル・ギャラリー サンドロ・ボッティチェッリ
フィレンツェのプッチ家(エミリオ・プッチの)に縁があるらしい、この作品。現在はナショナル・ギャラリーにある。
Adoration of the Magi 東方三博士の礼拝 1470-71
Sandro Botticelli
ワシントン,ナショナル ギャラリー サンドロ・ボッティチェッリ
Adoration of the Magi 東方三博士の礼拝 1475
Sandro Botticelli
ウフィッツィ美術館 サンドロ・ボッティチェッリ
もともとサンタ・マリア・ノヴェッラ教会にあったラーマ家の祭壇画。メディチ派の象徴として描かせたものだという。
人物等はこちら。ラーマ自身も描かれている。
記事
ボッティチッェリ サンタ・マリア・ノヴェッラ教会 「東方三博士の礼拝」の謎
東方三博士はなんぞやという人はこちら
記事
東方三博士の礼拝(The Adoration of Magi)
そもそもこの時代は誰がその画家に依頼したのか、制作年月日はいつなのかがわからない。だから余計な詮索が絡み、ますますワケがわかならくなってしまうのさ。
1471年にミラノのイル・モーロとフィレンツェのロレンツォが友好を深めるため、「イモーラ」をフィレンツェに割譲し、フィレンツェの美術家たちをミラノに派遣するというお約束のほか、オスマン・トルコの対策に三国同盟が成立していた。
記事 「
フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ 小書斎」 神曲 地獄編の子孫」
ミラノの暗殺事件には、フェデリーコの義理弟が犠牲になった。ボッティチェッリのプリマヴェーラのように、ピエロ・デッラ・フランチェスカにフェデリーコが描かせた「キリストの鞭打ち」にも、暗殺された義理弟、オスマン・トルコのメフメト2世が描かれていたりと面倒な解釈の絵だが、このリンク記事からもメディチ家のロレンツォとフェデリーコ、イル・モーロとの関係のほか、オスマンとの関係から当時の情勢がわかるだろう。
この「イモーラ」の割譲が思わぬことで法王側とロレンツォが対立する。
イタリアから平和を奪ったカテリーナ・スフォルツァのために。
記事 「
Sandro Botticelli サンドロ・ボッティチェッリ」
ボッティチェッリの描いたカテリーナ・スフォルツァの肖像画など。
記事「
カテリーナ・スフォルツァ(Caterina Sforza)の謎 ボッティチェッリ プリマヴェーラから」
法王一族の甥ジローラモとの政略結婚で、法王の甥が「イモーラ」の領地を手にするのだ。銀行家メディチはこの「イモーラ」の一件で法王側への資金調達を応じないため、パッツイ家に調達を頼む。
つまりカテリーナ・スフォルツァの結婚がパッツイ家の陰謀の発端となるわけだ。
こうしたイタリア小都市間の抗争と、オスマンによる古代ローマの征服に、いよいよスペイン・ハプスブルグ家が乗り込んでくる。
フランスのヴァロワ家とのイタリア戦争だ。
ルネサンス文化の最盛期は実はイタリアの衰退を描いていたのだ。