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僕、今日はSAIの二番煎じ。記事がピエトロ・ロンギの二番煎じか!ではなく・・・。

楓のナティエの記事に、ナティエの模倣や模写を記事にしてたのを真似た。僕もAfter SAI というところだ。

記事 Jean-Marc Nattier style ジャン=マルク・ナティエ スタイル

Charles-Joseph Flipart Il Risveglio della Dama 1747-1748

ピエトロ・ロンギの貴婦人の目覚め 1747-48 個人所蔵
シャルル=ヨーゼフ・フリッパート(Charles-Joseph Flipart)


この作品はフランスの画家シャルル=ヨーゼフ・フリッパート(Charles-Joseph Flipart 1721-1796) が失われたらしいピエトロ・ロンギの「貴婦人の目覚め」を、忠実に模写したものらしい。レオナルド・ダ・ヴィンチの「レダと白鳥」のようなものだ。オリジナルがなくなったらしいってこと。

Follower of Pietro Longhi

ピエトロ・ロンギの模写作品 作者不詳 オークションハウス クリスティーズ


2枚の模写作品は作者不詳だが、左が求婚者(たしか単語の使い方でそういう解釈があったはず)、右は貴婦人の目覚め。この「貴婦人の目覚めの模写作品はすっごく多い。

Pietro Longhi (imitatore di) Il risveglio della dama 1760 ca Gallerie di Palazzo Leoni Montanari

ピエトロ・ロンギの「貴婦人の目覚め」の模写 作者不詳 1760年代
パラッツォ・レオーニ・モンタナーリ美術館

Pietro Longhi (imitatore di) La dichiarazione 1760 ca Gallerie di Palazzo Leoni Montanari

ピエトロ・ロンギの「求婚者」の模写 作者不詳 1760年代
パラッツォ・レオーニ・モンタナーリ美術館


この「求婚者」という邦題は僕がつけた。たしかそういう解釈があったという記憶だけで。

Manner of Pietro Longhi The ballroom dance

ピエトロ・ロンギ 風 ボール ルーム ダンス(舞踏室の踊り) 作者不詳

Follower of Pietro Longhi The Casino (Il ridotto),1790 Rijksmuseum Amsterdam

ピエトロ・ロンギ 風 「賭博場」 1790 アムステルダム国立美術館


After Pietro Longhi Il Ridotto, Venice

ピエトロ・ロンギの模倣作品「賭博場」のディティール

After Pietro Longhi Il Ridotto, Venice

ピエトロ・ロンギの模倣作品「賭博場」全体像

Pietro Longhi (bottega di) Il ridotto 1760 ca Gallerie di Palazzo Leoni Montanari

ピエトロ・ロンギ 工房作品 「賭博場」 1760 パラッツォ・レオーニ・モンタナーリ美術館

PIETRO LONGHI(?)  THE RIDOTTO IN VENICE PROPERTY FROM A FRENCH NOBLE FAMILY ca.1750

ピエトロ・ロンギ ではないかという 「ヴェネチアの賭博場 リドット」 1750頃


リドットは当時にあった賭博場を描いている。クエリーニ・スタンパリア美術館に所蔵されているピエトロ・ロンギ作のリドット(賭博場)とは少々違うけれど、ピエトロ・ロンギ 工房作品より10年ほど早い。

現在はオークションハウス サザビーズにあるらしいけれど。一応ピエトロ・ロンギとしているが、※マークをつけている。ちなみにサブ・タイトルに「フランスの貴族の肖像画」とあった。

真筆はどこかにあるのか?

ピエトロ・ロンギ Pietro Longhi 
僕記事 「
ピエトロ・ロンギ流 以下略」
記事 
ピエトロ・ロンギ Pietro Longhi
記事 ピエトロ・ロンギ Pietro Longhi 動物
楓記事 イタリア ロココ ヴェネチアのピエトロ・ロンギ
記事 
ピエトロ・ロンギ Pietro Longhi 二枚のポットゲーム
記事 ピエトロ・ロンギ Pietro Longhi  いかさま よこしま さかしま
記事 「ピエトロ・ロンギ Pietro Longhi  七つの秘蹟(I Sette Sacramenti)
| アート | 20:16 | trackbacks(4)

Reynolds-Portrait of Georgiana Spencer, Duchess of Devonshire 1780‐81

デヴォンシャー公爵夫人ジョージアナ・キャヴェンディッシュ
1780−81 ジョシュア・レノルズ


デヴォンシャー公爵夫人ジョージアナ・キャヴェンディッシュのギャンブル好きは有名。政治活動のコンパニオンよりギャンブラーとしての方が合っているかも。

美人で評判の女性だったらしいが、夫だけがなびかなかった。なぜ?不運な結婚。

Lady Elizabeth and Georgiana Cavendish at the gaming table in Devonshire House in London 1791 by Thomas Rowlandson

ロンドン デヴォンシャー邸のゲームテーブルのエリザベスとジョージア

 A Gambling Table at Devonshire House 1791 Thomas Rowlandson

ロンドン デヴォンシャー邸のゲームテーブル 1791
トマス・ローランドソン


トマス・ローランドソンの諷刺画は面白い。これはまだ上品な方だ。sai が アンゲリカ・カウフマンのエリザベスとジョージアの肖像画をアップし、楓も二記事くらいにジョージアナの肖像画をアップしている。(追記:もはや四つ目の記事を楓がアップ、「デヴォンシャー公爵夫人ジョージアナ・キャヴェンディッシュ」)

僕はデヴォンシャー公爵夫人ジョージアナ・キャヴェンディッシュが特別な才女だったとは思っていない。

それ以上の女性が当時にもいたからだ。

だが、マリー・アントワネット同様に国民的アイドルだったと思う。アイドルしかできないわけじゃないのよって、語学や歴史、政治なんかをアクセサリーにしていた程度。

だって結局は政治活動や才能を残したわけじゃなく、借金を残して死んだわけだから。

Thomas Rowlandson - Vaux-Hall

ヴォクス・ホール トマス・ローランドソン


こっちには、↑ のところにジョージアナと妹アンリエッタが描かれている。これは英王子でのちのジョージ4世もいるし、著名人、有名人、名士たちがごっそり描きこまれている。

sai はこういうの、誰々はどこにっていう記事書くのが好きだが、僕は嫌い。勘弁して。

sai 記事
アンゲリカ・カウフマンのデヴォンシャー公爵夫人ジョージアナ・キャヴェンディッシュ
魔女の肖像画 デヴォンシャー公爵夫人ジョージアナ・キャヴェンディッシュ

楓記事 
デヴォンシャー公爵夫人ジョージアナ・キャヴェンディッシュの予告記事
レイノルズのデヴォンシャー公爵夫人ジョージアナ・キャヴェンディッシュ
ゲインズバラのデヴォンシャー公爵夫人ジョージアナ・キャヴェンディッシュ
| - | 23:18 | trackbacks(2)
 

UK Telegraph magazine by Mark Luscombe-Whyte


最初はギョッとした。

ヴィクトリア女王の肖像画にガツンとやられたのだろうか?

英国のマガジン「テレグラフ マガジン」の表紙は結構イイ。でも、このカバーはどうなんだろう。2005年のものだけれど。

写真家は間違いかもしれないけど、たしがマーク・ラスカム=ホワイトだったと思う。

Queen Victoria by Sir George Hayter

王室コレクション ヴィクトリア女王 1860
by ジョージ・ヘイター


こちらはヴィクトリア女王の肖像画。19歳の戴冠の肖像。あのミュシャもネスレの広告に描いた、英国の最高の時代。切り裂きジャック不思議の国のアリスラファエル前派ジャポニズム

マーク・ラスカム=ホワイトは、その最高の英国時代を統治したヴィクトリア女王の肖像画を傾け、現代に生きる男性の頭を直撃させた。

その真意とは?ただのシャレ?
| フォトグラフ | 22:35 | trackbacks(1)

GALERIE MICHELLE BOULET

Max Vauquelin



via GALERIE MICHELLE BOULET


マックス・ヴォークランの作品を売ってくれる「GALERIE MICHELLE BOULET」(ギャラリー ミッシェル ブレ)への感謝作品か。
| アート | 23:12 | trackbacks(0)
 ジェネバ(オランダジン)の製造で有名なボルス。1575年にアムステルダムでルーカス・ボルス(Lucas Bols)によって設立された。

Bols-1901-Henri Privat-Livemont

Bols 1901
アンリ・プリヴァ=リヴモン(Henri Privat-Livemont)


だからボルス誕生から430年以上たつ。

アンリ・プリヴァ=リヴモン(Henri Privat-Livemont)が作成したボルス社のリキュールのポスターには、ボルス・ジェネバが描かれている。このボルス・ジェネバのラベルは時代とともに変わっている。


ボルスはジェネバ(ジン)、リキュールをつくりブルボン朝期のフランスに伝来。アンリ4世、ルイ14世、ルイ15世あたりだろうか。身につけている宝石と同じ色のリキュールを飲んだという。

記事 ルイ14世

実際にジェネバ(ジン)がつくられたのは1664年らしい。

OLD TOM GIN blos


19世紀の英国では甘いオールド・トム・ジン (Old Tom Gin)が流行。アメリカで禁酒法が制定されたのは1920年。カクテルが流行しボルスのリキュールやスピリッツが大人気。

アンリ・プリヴァ=リヴモン(Henri Privat-Livemont)が描いたボルス・ジェネバの手前にあるのがリキュールかい?ってかんじ。




POSTER BOLS APRICOT Click Here!
BOLS Orange Curacao& BOLS Cherry Brandy-1920


現代のボルス社のボトルは「果汁の宝石」と呼ばれる洒落たデザインになっている。「ボルス アサヒビール BOLS」から見て。

アンリ・プリヴァ=リヴモン(Henri Privat-Livemont)の商業ポスター

XAI Henri PRIVAT-LIVEMONT アンリ・プリヴァ=リヴモン

記事 香水 Boldoot
記事 バンホーテン ココア ポスター by アンリ・プリヴァ=リヴモン
記事 Henri PRIVAT-LIVEMONT アンリ・プリヴァ=リヴモンの作品
記事 アンリ・プリヴァ=リヴモン ヴィル・デ・ブルュッセル(ヴィレ・ドゥ・ブルュッセル)
| リキュール/ブランデー・コニャック | 23:51 | trackbacks(2)
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