一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | -

The Annunciation Rubens House

ルーベンス 「受胎告知」 1628 ルーベンスハイス


このルーベンスハイスの「受胎告知」のマリアが着用している青の長衣。これはあの「ラピスラズリ」を使用しているのだ。

ルーベンスの受胎告知は案外知っているのが少ない。探せばあるのだろうけど。僕の別ブログで、記事「ルーベンス ウィーン美術史美術館」で掲載した「受胎告知」がある。

Peter Paul RUBENS, The Annunciation, 1610

ルーベンス 受胎告知 ウィーン美術史美術館


ルーベンスの「聖母被昇天」はものすごくあるが、それに比べると「受胎告知」は少ない。当時の風潮なのだろうか。

Triptych of the Martyrdom of St. Stephen-Annonciation ; Ange de lAnnonciation

ルーベンス 祭壇画「聖ステファノの殉教」の右翼・左翼


王立美術館所蔵の祭壇画の左翼と右翼の背面は「受胎告知」になる。左翼の背面は受胎告知のマリア、右翼の背面が大天使ミカエルが描かれている。

Le Martyre de saint Etienne ; Lapidation de saint Etienne ; Prédication de saintEtienne ; La Mise au tombeau de saint Etienne ; Annonciation ; Ange de lAnnonciation

ルーベンス 祭壇画「聖ステファノの殉教」 ヴァレンシエンヌ美術館(バレンシア美術館)


中央パネルが「聖ステファノの石打ち」、左翼「聖ステファノの説教」、右翼「聖ステファノの埋葬」になる。扉を閉めると「受胎告知」になる。

ルーベンス関連記事

僕の記事
ルーベンス アダムとイヴ
ルーベンス アルテ・ピナコテーク
ルーベンス ウィーン美術史美術館
ルーベンス プラド美術館から1点
ルーヴル美術館マリー・ド・メディシスの生涯

ほかの記事はこちらから。
XAI ルーベンス リヒテンシュタイン美術館 (各記事にリンクしています)

| 受胎告知 | 17:33 | trackbacks(1)
ルーベンス所蔵美術館第2弾はメトロポリタン美術館から、7点ほどトピック。

僕のルーベンスの美術館所蔵別シリーズ
ルーベンス アルテ・ピナコテーク
ルーベンス ウィーン美術史美術館
ルーベンス プラド美術館から1点
ルーヴル美術館マリー・ド・メディシスの生涯

ほかの人の美術館別記事
ルーベンス アントワープ王立美術館
ルーベンス リヒテンシュタイン美術館
ルーベンス アントワープ・ノートルダム大聖堂
ルーベンス ロンドン・ナショナル・ギャラリー

Rubens, His Wife Helena Fourment (1614?1673), and Their Son Peter Paul (born 1637)-1

ルベンスと妻エレーヌ・フールマンに息子ピーター・ルーベンス 1630年代

Portrait of a Woman, Probably Susanna Lunden (née Fourment

シュザンヌ・ランデン (シュザンヌ・フールマン)


彼女はエレーヌの姉で、ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵の「麦藁帽子」の女性。ずいぶんとイメージが違う。この人ははやくに亡くなっているはずだ。

ルーベンスの最初の妻が亡くなってエレーヌと結婚。最初の妻イサベラとルーベンスの肖像画はアルテ・ピナコテークの記事から。エレーヌの「毛皮さん」はウィーン美術史美術館の記事から見て。

Wolf and Fox Hunt 1615 Rubens and Jan Brueghel the Elde

ブリューゲル&ルーベンス アケローオスの饗宴 1615 オウィディウスの変身物語から


ブリューゲルとのコラボは、ブリューゲルにあわせた描き方で、ルーベンスは控えめに、そしてブリューゲルらしく描いている気がする。ブリューゲルとのコラボは三美神もある。記事「ルーベンス ディアナ」は、ブリューゲルとのコラボやそのほかのコラボの記事も文中でリンクしている。

The Triumph of Henry IV

アンリ4世の勝利 オイルスケッチ 1627-31


マリー・ド・メディシスの生涯があるなら、夫アンリ4世の生涯も描く準備はしていたよう。リュクサンブール宮殿の東翼ギャラリーに装飾するため、マリー・ド・メディシスの生涯とアンリ4世の連作をルーベンスに依頼していた。連作の中央はウフィッツイ美術館にある「アンリ4世の凱旋」(オイルスケッチ)を予定していたらしい。エルミタージュには「アンリ4世の誕生」、「アンリ4世とマリー・ド・メディシスの結婚」のオイル・スケッチが所蔵されている。

Wolf and Fox Hunt, ca. 1615?21, Peter Paul Rubens and Workshop

狼と狐狩り 1615-21 ルーベンス&工房の生産作品(Rubens, van Dyck ? )


ルーベンスはデザイナーのように作品をスケッチし仕上げることもあるが、そのスケッチの原画とおりにルーベンスの工房で、同じ作品を何枚か制作している。なんか、立ち上がっているのは狼だろうか。大猫のように見えた。→追記:メトロポリタン美術館のこの作品はルーベンスとヴァン・ダイク(Rubens, van Dyck )らしい?

ヴァン・ダイクは1621年頃から1627年頃までルーベンスの弟子だった。

The Holy Family with Saints Francis and Anne and the Infant Saint John the Baptist

聖家族と聖フランシス、アン、幼子ヨハネ 1630年前半


このヴァージョン(バリアント)も何枚かある。ウィンザー城の他にもあるということだ。ウィンザー城の「聖家族と聖フランシス、アン、幼子ヨハネ(聖家族とアシジの聖フランチェスコ)」は1628年の作品で、ルーベンス自身の作品だと思われていた。

このメトロポリタンの聖家族と諸聖人は、いくつか大幅に修正されたものらしい。そしてこの作品も助手の手が加わっている。

Venus and Adonis Peter Paul Rubens

ルーベンス 「ヴィーナスとアドニス」


ご存知のヴィーナスとアドニス。ルーベンスは1601年にヴェネツィアでヴェロネーゼやティツィアーノを観ている。ティツィアーノの「ヴィーナスとアドニス」はフェリペ二世が所有していたもので、1603年にマントヴァ公からフェリペ三世のところへ遣わされているし、その後はティツィアーノの模写も依頼を受けている。

この作品はプラド美術館所蔵の。ティツィアーノの「ヴィーナスとアドニス」とは反対に後ろの向きで描かれたように見える。



Venus and Adonis-Titian The Metropolitan Museum of Art

ティツィアーノ 「ヴィーナスとアドニス」 メトロポリタン美術館


ティツィアーノの「ヴィーナスとアドニス」は現存する二つのバージョンがあった。ひとつはメトロポリタン美術館に所蔵されている。助手の手もはいっている作品。ルーベンスが、実際に観たティツィアーノの「ヴィーナスとアドニス」はプラド美術館所蔵のものらしい。

Vecellio di Gregorio Tiziano Venus and Adonis 1554 Museo Nacional del Prado

ティツィアーノ 「ヴィーナスとアドニス」 プラド美術館所蔵


さてちょっとだけ脱線させてほしい。ティツィアーノの「ヴィーナスとアドニス」はもうひとつバージョンがあるのか?1570年のファルネーゼ家(Farnese family lost)のティツィアーノの「ヴィーナスとアドニス」は消失。これは模写なのか、ポスターでは次のような作品がプラド美術館所蔵のティツィアーノの「ヴィーナスとアドニス」として紹介されている。

Venus and Adonis, 1554 Tiziano?


ところで、ルーベンスが実際に模写したティツィアーノの「ヴィーナスとアドニス」(Rubens copied Venus and Adonis)はどこにあるの?

Venus en Adonis door Theodor van Thulden

テオドール・ヴァン・テュルデン「ヴィーナスとアドニス」


テオドール・ヴァン・テュルデンは一説によると、ルーベンスの模写したティツィアーノの「ヴィーナスとアドニス」の模写だっていうのもあるけど。



Venus poogt Adonis van de jacht te weerhouden Atelier van Peter Paul Rubens ca. 1611-1615  Mauritshuis

ルーベンス 「ヴィーナスとアドニス」 1611-15 マウリッツハイス美術館


Peter Paul Rubens. Venus and Adonis, c. 1610 museum kunst palast, Dauerleihgabe der Kunstakademie

ルーベンス 「ヴィーナスとアドニス」  1610 デュッセルドルフ・クンスト パラスト美術館


Venus and Adonis 1614 Hermitage Museum

ルーベンス 「ヴィーナスとアドニス」 1614 エルミタージュ美術館


この3枚のバージョンがある「ヴィーナスとアドニス」は、ルーベンスの助手、工房作品と加えたほうがいいかもしれないなんていう説がある。きっと誰かの手が加わっているのさ、って言う意味だと思うのだが。どうなんだろう。

ルーベンスは作品を売るときに、ルーベンス自身のもの、助手の手が加わっているもの、他の画家の手が加わっているもの、ルーベンスの工房の生産作品のものと、値段も変えていたという。
| ルーベンス | 12:44 | trackbacks(2)

Rubens and Isabella Brant in the Honeysuckle Bower (C. 1609)

ルーベンスとイサベラ・ブラント 1609-10


The Death of Seneca (1612-13)

セネカの死 1612-13


The Drunken Silenus (1616-17)

酩酊するシレノス 1616-17


The Rape of the Daughters of Leucippus (1617-18)

レウキッポスの娘たちの略奪 1617-18


Susanna and the Elders

スザンナと長老たち 1636-39


The Massacre of the Innocents (Ca. 1636- 38)

ベツレヘムの嬰児虐殺 1636-38


Lion Hunt (Ca. 1621)

ライオン狩り 1618年頃、1621年頃とも


「猪狩り」(1618年頃)というのが、ドレスデンの国立絵画館に所蔵されている。この頃狩猟の作品が多い。次の作品がこの下絵になる。

Oil sketch for the Lion Hunt (1621-22)

ライオン狩りの油彩スケッチ


レオナルド・ダ・ヴィンチの「アンギアリの戦い」(模写のみ)からインスピレーションを得たという作品。狩猟の作品は王侯貴族の装飾として飾られた。

アンギアリの戦いは
記事 レオナルド・ダ・ヴィンチ 「救世主」誕生の「受胎告知」から

The Battle of the Amazons (1617-18)

アマゾンの戦い 1615-19


ルーベンスの作品の中でこれ以上ないほどバロック的らしい。ルーベンスの友人のコルネリス・ファン・デル・へーストが当時所有していた。

The Entombment of Christ (Ca. 1616)

キリストの埋葬 1616年頃


The Fall of the Damned (1620-21)

地獄堕ち 1620-21


The Great Last Judgement (1617)

最後の審判 1615



アルテ・ピナコテーク所蔵 マリー・ド・メディシスの生涯 油彩スケッチ

 
ルーベンスの「マリー・ド・メディシスの生涯」の24作品(21作品+3作品)は、ルーヴル美術館。全作品の画像は下記記事から。

記事 ルーベンス マリー・ド・メディシスの生涯 24作品+マリー・ド・メディシスの運命

この記事で使用している画像は、全体の作品が損なわれないように、ほんのすこしだけ画像に手を加えている。申し訳ないけど画像を使用したい場合は、完璧ではないことを念頭に、断りをいれてください。

The Council of Gods (Sketch for the Medici Cylce) (1622)

神々の評議会/あるいはマリーの統治(マリー・ド・メディシスの生涯 油彩スケッチ)


The Landing in Marseilles(Sketch for the Medici Cylce)

マルセイユ上陸(マリー・ド・メディシスの生涯 油彩スケッチ)




Madonna in a Garland of Flowers (1616-17)

花輪の聖母子 花輪はヤン・ブリューゲル (父)
Jan Bruegel the Elder and Peter Paul Rubens


これはルーヴル美術館の「花輪の聖母子」と同様に、ヤン・ブリューゲル (父)が花輪を描いている。ヤン・ブリューゲル (父)とルーベンスはご存知のように親しい友人同士で、ヤン・ブリューゲル (父)の「視覚の寓意」や「臭覚の寓意」など、共同制作が多い。

記事 ブリューゲルとルーべンス 五感の寓意画

またルーベンスはヴィレム・ファン・ハーヒトの「コルネリス・ファン・デル・ヘーストの収集室」を所有していたのかどうかわからないが、ルーベンスハイスに所蔵されている。この「コルネリス・ファン・デル・ヘーストの収集室」にはルーベンス自身も描かれていて、先の「アマゾンの戦い」も画中画として描かれている。

記事 ヴィレム・ファン・ハーヒトの「コルネリス・ファン・デル・ヘーストの収集室」

記事に使用したルーベンスの画像おまとめは「パリスの審判」が6枚、そのきっかけとなった「ペーレウス(ペレウス)とテティスの結婚」、そのほか「ヴィーナスの化粧」、「ヴィーナスと鏡をもつクピド」が掲載。

記事 Rubens ルーベンスのヴィーナス



あと、僕の過去記事でルーベンスの作品を画中画に描いているものがある。
記事 ヨハン・ゾファニーの作品 「ウフィツィ美術館の特別展示室」

ビールのラベルにも使われている「アダムとイヴ」
記事 ルーベンス 楽園のアダムとイヴ 禁断の果実のビール

さっき書いた記事
ヴィック・ムニーズ ルーベンスの樽にまたがるバッカス

| ルーベンス | 20:53 | trackbacks(1)

Bacchus Astride a Barrel, after Rubens

ルーベンスの樽にまたがるバッカス 2006
ヴィック・ムニーズ Vik Muniz

Bacchus astride a Barrel

樽にまたがるバッカス ウフィツィ美術館
ルーベンス Rubens


ヴィック・ムニーズはデジタルで原作を読み取り、それを出力して、手を加えていく。浮世絵やヒエロニムス・ボスなんかも手がけている。

1961年生まれでニューヨーク在住のブラジル人。

このルーベンスの作品、以前の記事で、ヨハン・ゾファニーの作品の「ウフィツィ美術館の特別展示室」で、ルーベンスの画中画がいくつか描かれていたけど、この作品はなかったな。

追記 もしかしてウフィツィではなくエルミタージュ所蔵の作品から?

Bacchus ,   Between 1638 -1640 Hermitage Museum

バッカス 1638-40 エルミタージュ美術館


sai から、この作品はもう一枚あるよってメール。ヴィック・ムニーズの作品で、バッカスのやばい部分に何か描かれている。そうすると、このエルミタージュ所蔵の「バッカス」になるな。

ルーベンスのアダムとイヴはビールのラベルにも使用されているけど、このバッカスと後ろむきのシレノスの飲みっぷり。これもラベルに使えそう。

過去記事 ルーベンス 楽園のアダムとイヴ

ルーベンスの二作品、探せば小さな違いがいくつか発見できる。これは、暇なときにでも探してみてくれ。
| アート | 17:35 | trackbacks(0)

Le déjeuner sur lherbe

「草上の昼食」 1866 クロード・モネ オルセー美術館所蔵


あの1863年の「落選展」、マネの草上の昼食。この作品はセザンヌも刺激し、現代でも「草上の昼食」をタイトルにしている作品がある。今日はその第6弾目の記事。元ネタ→マネのオマージュ モネの草上の昼食(パスワードだか、IDだかわからなくなってログインできなくなっている楓の記事)

これはクロード・モネの草上の昼食で、この時代の風俗をはっきりと描いている。マネのオマージュではなく、刺激を受けてとあるとおり、非常な大作を心に描いていた。そして大作ゆえ、提出期限に間に合わず、家賃のかわりに大家へかたに取られるが、買い戻したときには傷んでいたという。それを切り取ったのはモネ自身。

さて、この作品にもやはり習作、スケッチがあった。

Claude Monet, The Luncheon on the Grass, c. 1865. Black chalk on blue-grey laid paper, 305 x 468 mm. National Gallery of Art, Washington, DC. Collection of Mr and Mrs Paul Mellon

スケッチ 「草上の昼食」 クロード・モネ 1865
ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵


サロン出品予定のオルセー美術館の「草上の昼食」、そしてプーシキン美術館所蔵の「草上の昼食」も、このスケッチにある構図のように筆は進められていた。

オルセー所蔵のモネの「草上の昼食」と、プーシキン美術館の「草上の昼食」では中央の人物達の印象が極端に違うよね。

そしてオルセーの右側にはもう一人、別な女性が描かれていて、プーシキンやスケッチに見られるバジーレの長い足は見当たらない。もし描かれてるなら、かなり幅ある作品だwa。

Luncheon on the Grass 1866-The Pushkin Museum of Fine Arts

 「草上の昼食」 1866 クロード・モネ 
プーシキン美術館(国立アレクサンドル・プーシキン名称美術館)


この作品の右側がマネの「草上の昼食」にそっくり。そして友人のバジールも同様に描かれている。このバジールは若くして戦死するのだが、たいへん人望があったようで、みんな、彼を「親友」としている。

記事 バジールのアトリエ、ラ・コンダミヌ通り
記事 「フレデリック・バジール トワレ(身繕い)」
記事 ルノワール と フレデリック・バジール
記事 アンリ・ファンタン・ラトゥール (バティニョールのアトリエ 一番背があるバジール)
記事 ルノワール作 画家のアトリエ と 肖像画 エドモンド・メートル (バジールの作品も掲載)

モネはプーシキン美術館所蔵の「草上の昼食」に描かれている左から二番目のカミーユと、そしてバジールの2人を描いた油彩の習作「草上の昼食」がある。

Claude Monet, Bazille and Camille (Study for Luncheon on the Grass), c. 1865. Oil on canvas, 93.5 x 69.5 cm. National Gallery of Art, Washington, DC. Ailsa Mellon Bruce Collection. Photo © Board of Trustees, National Gallery of Art, Washington

バジールとカミーユ(習作 「草上の昼食」) 1865年 クロード・モネ
ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵


この2人はプーシキン美術館所蔵に描かれている男女。ということはバジールは左右に描かれている?というかモデルとしてだと思うけどさ。オルセー美術館の「草上の昼食」にも描かれているけれど、ドレスのデザインと木の枝が描かれていない。

バジールの横たわる姿は、オリジナルのエドゥアール・マネの「草上の昼食」のほか、セザンヌの「草上の昼食」にも描かれている。これはもはや「バジールの昼食」でもいいのではないだろうか。

僕の過去記事 草上の昼食
記事 ロベール・コンバス 「草上の昼食」
記事 マネのオマージュ セザンヌの「草上の昼食」
記事  サン・ローラン1988 マリオ・ソレンティの「草上の昼食」
記事 マネ 草上の昼食 vs ジョルジョーネとティツィアーノ
記事 COCA-COLA by THE ART OF DINING

友達の記事(ちゃんとブログ移行した先にリンクしてるから)
ピカソ 草上の昼食
パロディー 草上の昼食
ソフィー・ヴォン・ヘラーマの草上の昼食
Manetとj. seward johnson. jr
| 草上の昼食 | 21:29 | trackbacks(0)
PROFILE

無料ブログ作成サービス JUGEM
CATEGORIES
ARCHIVES
LINKS
Previous Posts
LIFE STRIPE
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
SELECTED ENTRIES
RECENT TRACKBACK
覚書
HR style="COLOR: #cccccc"
MOBILE
qrcode
OTHERS
SPONSORED LINKS