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ティントレットがドゥカーレ宮殿の閣議の間にフレスコ画を完成させるのに8年かかった。ダンテの「神曲」から着想を得たらしい。
1577年、ドゥカーレ宮殿は火災に遭う。もともとあった装飾画の損失に変わる作品を画家たちに競い合わせたのが1582年と88年のことだ。
失われたグアリエント・ディ・アールポ・Guariento di Arpo)の1365年に完成されたフレスコ画に変わる作品。それには聖母戴冠が描かれていたらしい。
結局フレスコ画制作にヴェロネーゼとフランチェスコ・バッサーノが選ばれた。
ドゥカーレ宮殿 閣議の間 「天国」のスケッチ 1578 ヴェロネーゼ
リール美術館所蔵
ドゥカーレ宮殿 閣議の間 「天国」のスケッチ 1586 フランチェスコ・バッサーノ
エルミタージュ美術館所蔵
ドゥカーレ宮殿 閣議の間 「天国」のスケッチ 1582 ティントレットと工房作品
IRE(ヴェネツィア養老院協会)
1588年、ヴェロネーゼの死でバッサーノとのコラボによるフレスコ画の開始は立ち消えとなる。もともとヴェロネーゼのスケッチは1578年のもので、火災後のフレスコ画の制作に名があがっていたのではないだろうか。
しかもフランチェスコ・バッサーノのスケッチは1586年で、選出に何年もかかったんだろうか。
1588年におこなわれた画家の選出に、ヴェロネーゼの「天国」のスケッチに似ている作品、現在ルーヴル美術館所蔵の「天国」のスケッチを描いたティントレットに決定した。つまり少なくともティントレットの「天国」のスケッチは3作ある。
ティントレット 「天国」 1588 ティッセン・ボルネミッサ美術館
さて、このルーヴル美術館にある「天国」をアンリ・ファンタン=ラトゥールが模写している。
アンリ・ファンタン=ラトゥールの「ティントレット 天国」の模写はグルノーブル美術館所蔵。
アンリ・ファンタン=ラトゥールは、ティントレットにかわったヴェロネーゼの模写も多く残している。→ 記事カテゴリー •Fantin-Latour ファンタン=ラトゥール•
このティツィアーノの「キリストの埋葬」は、マントヴァのドゥカーレ宮殿にあったもの。イザベッラ・デステか息子フェデリーコ・ゴンザーガ2世のために描かれたらしい。
ファンタン=ラトゥールの模写 ティツィアーノ キリストの埋葬
ファンタン=ラトゥールの模写した作品はルーヴル美術館に所蔵されているものだと思う。フェルメールを模写したとなれば「レースを編む女」と「天文学者」だろうな。
ここにはピアニストで音楽評論家のアドルフ・ジュリアン(Adolphe Jullien)著「リヒャルト・ワーグナー、その生涯とその作品」(Richard Wagner, sa Vie et ses Oeuvres)の挿絵の一部もある。
このリトグラフはアドルフ・ジュリアンの友人でワグネリアンの一人でもある画家アンリ・ファンタン=ラトゥールの作品。1886-88年に印刷されたもの。
そうしてアドルフ・ジュリアンによる「エクトル・ベルリオーズの生涯とその作品」(Hector Berlioz. Sa vie et ses oeuvres)も同様にアンリ・ファンタン=ラトゥールが挿絵をした。
アンリ・ファンタン=ラトゥール(Henri Fantin-Latour)はこの主題で何枚もリトグラフや油彩を作品に残している。
不滅
ワーグナー 歌劇 幽霊船から さまよえるオランダ人
ワーグナー 歌劇 タンホイザー
ワーグナー 歌劇 ローエングリン 初演はフランツ・リストの指揮
ワーグナー 歌劇 リエンツィ リエンツィの祈り 1886
目覚め 1886
ワーグナー 歌劇 ローエングリン エルダを呼び出すヴォータン 1886
ワーグナー 歌劇 パルジファル クンドリの喚起
ワーグナー 歌劇 ワルキューレー
ワーグナー 歌劇 ジークフリート ジークフリートとラインの乙女たち
ワーグナー 楽劇 ラインの黄金
アドルフ・ジュリアンによる「エクトル・ベルリオーズの生涯とその作品」(Hector Berlioz. Sa vie et ses oeuvres)は、ボストン美術館のサイトでも公開しているはず。
真理
リストの友人でもあるベルリオーズ Berlioz
ベルリオーズ 歌劇「ベンヴェヌート・チェッリーニ」
ベルリオーズ 劇的物語 ファウストの劫罰
ベルリオーズ 劇的交響曲「ロメオとジュリエット」 Op.17
ベルリオーズ 宗教的三部作「キリストの幼時」 Op.25
ベルリオーズ 歌劇「ベアトリスとベネディクト」(シェイクスピアの「から騒ぎ」から)
ベルリオーズ 歌劇「トロイアの人々」(トロイ人)
ベルリオーズ 幻想交響曲―ある芸術家の生活のエピソード Op.14
ベルリオーズ 死者のための大ミサ曲(レクイエム)Op.5
奇しきラッパの響き
ベルリオーズ 抒情的劇「レリオ、あるいは生への復帰」 Op.14bis
ベルリオーズ 交響曲「イタリアのハロルド」 Op.16
ベルリオーズ 管弦楽伴奏歌曲 水浴びするサラ Op.11
ベルリオーズ 歌劇「トロイアの人々」(トロイ人) 愛のデュオ
ベルリオーズ 葬送と勝利の大交響曲 Op.15
第3楽章「アポテオーズ」 1888年頃
1875年、アンリ・ファンタン=ラトゥールは「記念日のスケッチ」と題したリトグラフと翌年に油彩を完成している。
記念日のスケッチ 1875
記念日(ベルリオーズへの賛辞) 1876 グルノーブル美術館
アンリ・ファンタン=ラトゥール
ベルリオーズの描いた女性たちが、彼の墓碑で記念日を祝っている。後ろ向きの男はアンリ・ファンタン=ラトゥール自身。
くわしくはこちらの記事から。
XAI アンリ・ファンタン=ラトゥール ベルリオーズ礼賛
セザンヌの牧歌(バルバリア河畔のドン・キホーテ)は、これまで何度かマネの「草上の昼食」で取り上げてきた。そのたびに「バルバリア河畔のドン・キホーテ」に違和感がある。
確かにミゲル・デ・セルバンテスの「ドン・キホーテ」でもあるようだし、マネの草上の昼食を思わせる二人も描きこまれているし、原典だといえるジョルジョーネとティツィアーノの「田園の奏楽」を連想させるが・・・。
いまさらながら僕はアンリ・ファンタン=ラトゥールも描いてたワグナーのオペラ「タンホイザー」も、セザンヌの牧歌に描かれていると確信した。
一番左の女性はヴィーナス(快楽の女神ヴェーヌス)ではない?牧人の楽園として伝承されたアルカディアではなく、ここはヴェーヌスベルク(ヴィーナスの洞窟)かも。
しかしながら後ろ向きだが、海から上がるヴィーナス、ドン・キホーテよりもティツィアーノも描いたパドルのヴィーナス、オウィディウスの「変身物語」に登場するアンティオペが横たわる裸婦に想像できたりもする。
アンリ・ファンタン=ラトゥール タンホイザー ヴェーヌスベルク(ヴィーナスの洞窟) 1876
バーン・ジョーンズの描いた「ヴィーナス賛歌」も同じ主題。ワーグナーのあとのスウィンバーンの「ヴィーナス讃歌」の詞が元になる。
アンリ・ファンタン=ラトゥールが描いたのはワーグナーのオペラから。ボードレールがワーグナーの「タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦」(Tannhäuser und der Sängerkrieg auf Wartburg)を絶賛。
なぜタイトルを「牧歌」(バルバリア河畔のドン・キホーテ)としたのだろうか。過去記事でも書いたがあえて「草上の昼食」にしなかったというこの作品。オルセー美術館では「バルバリア河畔のドン・キホーテ」という表記はない。たぶんその解釈に難があるんだろうか。
だが、ドン・キホーテは騎士道物語(頭の狂った騎士)だ。タンホイザーも騎士(快楽に狂った騎士)である。
ちなみに同作品が完成した1870年、リヒャルト・ワーグナーは妻コジマに器楽曲「ジークフリート牧歌」を送った。ジークフリートは前年に誕生した息子の名。
パドルのヴィーナス(パドルのウェヌス ユピテルとアンティオペ) ルーヴル美術館
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio)
ティツィアーノ パルドのヴィーナス の模写
アンリ・ジャン・テオドール・ファンタン=ラトゥール(Henri Jean Théodore Fantin- Latour)
モーツァルトの「トルコ行進曲」も、超絶技巧でアルカーディ・ヴォロドス(Arcadi Volodos)は弾くし、アレンジしても弾く。ヴォロドス版トルコ行進曲は、Wang Haijie も上手い。ファジル・サイ(Fazil Say)だってジャズっぽい「トルコ行進曲」を弾く。
過去記事 「超絶技巧のレパートリー トルコ行進曲 アレンジ&オリジナル」
グレン・グールドの「トルコ行進曲」(ピアノ・ソナタ第11番(トルコ行進曲付き) 第3楽章,K.331)は、ご存知のように遅いテンポだか、「トルコ行進曲」だけに限らない。
グレン・グールドのピアノソナタ全18曲の演奏(70年代録音)は実は異様に早いテンポで、このピアノ・ソナタ第11番は第一楽章冒頭から極端に遅いというわけ。
だから「トルコ行進曲」だけをトピックするのではなく、ピアノ・ソナタ第11番第一楽章(Piano Sonata K 331 (Mozart) - 1st mvt. Glenn Gould )から聴けば「なるほど」と思わせるところがある。
グレン・グールド(Glenn Gould)は、ブラームスのピアノ協奏曲第1番も遅いテンポで、レナード・バーンスタイン(Leonard Bernstein)も初共演では難色を示した。
作家で詩人のジョナサン・コットはその曲を聴いて「この作品にはこれほどの陶酔感が秘められていたのか」と思ったらしい。
だけどさ、グレン・グールドは近代でピアノ世代だが、モーツァルトはチェンバロとフォルテピアノの時代。そこまで考えると、やっぱり、モーツァルトはチェンバロでかなりテンポが速く弾けたというわけかも。
記事 グレン・グールドとモーツァルトのピアノ
で、YOU TUBEからグレン・グールドのトルコ行進曲をリンクした。
YOU TUBE
Glenn Gould - MOZART:Piano Sonata in A major (Alla Turca) K. 331- 3rd mov
現代に生きる僕たちは、その日の気分によって聴きたいピアニストのアレンジ、テンポを選べるってわけだ。
1951年9月3日、カルロス・ド・ベイステギ(Carlos de Beistegui)が主催した世紀のパーティ「東洋の舞踏会」はラビア宮殿(パラッツォ・ラビア)で行われた。
ドン・カルロスが所有してから3年後。
ティエポロのフラスコ画が描かれたホールには、招待された貴族、上流階級の人々、著名人やアーティストたちがシナリオどおりに出席。
招待状は6ヶ月前に到着。そしてパーティまでリハーサルも繰り返された。
ラビア宮殿(パラッツォ・ラビア)の天井画はティエポロの「勝利するベレロポン」(ペガサスに乗ったベレロポン)。
ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ(Giovanni Battista Tiepolo) のフレスコ画があるラビア宮殿(パラッツォ・ラビア)。
ヴェネツィアの貴族ラビア家の装飾画で、1747-50年頃に制作された。上の作品は「アントニウスとクレオパトラの出会い」(Incontro di Antonio e Cleopatra)で、次の作品が「クレオパトラの饗宴」(Il banchetto di Cleopatra)となる。
200年後の1951年9月3日。パラッツォ・ラビアでは、世紀に残る仮装舞踏会が開かれた。
ゴンドラで仮装舞踏会に向うゲストたち 1951
BALS: Legendary Costume Balls of the Twentieth Century
Le Bal oriental, at the Palazzo Labia 1951
パラッツォ・ラビア ティエポロのフレスコ画の前の仮装したゲストたち
by コーネル・キャパ(Cornell Capa)
太陽王のジャック・ファットと月の女王のジュヌヴィエーヴ・ファット
by コーネル・キャパ(Cornell Capa)
マリア・ピニャテッリ公女(Princess Maria Pignatelli),
コンスウェラ・クレスピ伯爵(Countess Consuela Crespi),
クラリー伯爵(Count of Clary) by コーネル・キャパ(Cornell Capa)
「アントニウスとクレオパトラの出会い」 1747-50
ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ ラビア宮殿
クレオパトラに扮するダイアナ・クーパーとアントニウスに扮するカブロル男爵
Le Bal oriental 1951 by ? セシル・ビートン(Cecil Beaton) ?
ティエポロの「アントニウスとクレオパトラの出会い」(Incontro di Antonio e Cleopatra)のようなレディ・ダイアナとカブロル男爵。レディ・ダイアナ・クーパーの衣装はティエポロの描いたクレオパトラに似せた衣装とアクセサリー。
「クレオパトラの饗宴」 1747-50
ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ ラビア宮殿
ここには上流階級の人々のほか、俳優、ファッションデザイナーや画家などアーティストもゲストにいる。陽気な若き人々(Bright Young People)と呼ばれた一人、写真家のセシル・ビートンも招待された。
Le Bal oriental 写真 セシル・ビートン(Cecil Beaton)
左からポール・ルイ・ワイラー(ポール・ルイ・ウェラー),マダム・マラード、そして先の写真の二人レディ・ダイアナ(ノリッジ子爵)とカブロル男爵カブロル男爵で、跪くのはマダム・ ハーセントで、ティエポロの「クレオパトラの饗宴」をイメージしたのかと思う。
アフリカの女王に扮したデイジー・フェローズと傘をもつジェイムズ・カフリー
オリジナル版 Le Bal oriental 1951 by セシル・ビートン(Cecil Beaton)
アイザック・メリット・シンガー(Isaac Merritt Singer)の孫デイジー・フェローズの衣装はディオール(Dior)らしい。
中国の皇帝に扮したロペス・ウィルショーの従者に仮装した男爵アレクシス・フォン・ローゼンバーグが手前。
Tenture du prince chinois le voyage de l'Empereur 1688-1690
ギイ・ルイ・ル・ヴュー・ヴァーノンサル(Guy Louis Le Vieux Vernansal)
中国の皇帝に扮したロペス・ウィルショーは、ギイ・ルイ・ヴァーノンサル(Guy-Louis Vernansal)のタペストリーの原画に描かれている「中国の皇帝の旅」(中国皇帝物語シリーズ)の衣に似ている。
左から男爵アレクシス・フォン・ローゼンバーグ(Alexis von Rosenberg, Baron de Redé)、手前の二人がアルトゥーロ・ロペス・ウィルショー(Arturo Lopez-Willshaw), パトリシア・ロペス・ウィルショー(Patricia Lopez-Willshaw)、後方右がインテリア・デザイナーのジョージ・ジェフロワ(Georges Geffroy)です。
ブーシェの描いた「中国皇帝の謁見」に描かれている左側の従者(高官や兵士)の被り物なんかが似ている。
Emperador de China 写真家不明
ロゼ男爵(アレクシス・フォン・ローゼンバーグ)は、アルトゥーロ・ロペス・ウィルショーの愛人だったって・・・。男色家?ここにはアルトゥーロ・ロペスの妻パトリシアも一緒。
パトリシア・ロペス・ウィルショーはブーシェの「中国皇帝の饗宴」に描かれた女性に似ている。
Aimée de Heeren, Baron Alexis de Redé and Orson Welles
エイミー・デ・ヒーレン、男爵アレクシス・フォン・ローゼンバーグ、オーソン・ウェールズ
写真 by コーネル・キャパ(Cornell Capa)
アガ・カーン3世殿下(Aga Khan III) ,アメリカのミリオネア バーバラ・ハットン(Barbara Hutton) , 女優のジーン・ティアニー(Gene Tierney) , ジャクリーン・ド・リブ(Jacqueline de Ribes) , 若くして死んだデザイナーのジャック・ファット(Jacques Fath) , アルマンド・ド・ラ・ロシュフーコー伯爵(Count Armand de La Rochefoucauld) ,ダフとダイアナ(Duff and Lady Diana Cooper) , 俳優オーソン・ウェールズ(Orson Welles) , デイジー・フェローズ(Daisy Fellowes) , Paul-Louis Weiller , ガラとダリ(Gala and Dalí) ,シャブロル男爵(Baron de Chabrol), デズモンド・ギネス(Desmond Guinness) , アレクシス・フォン・ローゼンバーグ(Alexis von Rosenberg, Baron de Redé) , チャフチャバーゼ皇太子夫妻(Prince and Princess Chavchavadze), アルトゥーロ・ロペス・ウィルショー(Arturo Lopez-Willshaw), パトリシア・ロペス・ウィルショー(Patricia Lopez-Willshaw), フルコ・ディ・ヴェルドゥーラ(Fulco di Verdura) , デボラ・キャヴェンディッシュ(Deborah Cavendish), デボンシャー公爵夫人(Duchess of Devonshire) , モデルでコクトーの元愛人ナターリア・パヴロヴナ・パーリィ公爵令嬢(Princess Natalia Pavlovna Paley) , ネルソン・セアブラ(Nelson Seabra) , エイミー・デ・ヒーレン(Aimée de Heeren) , ギレーヌ・デ・ポリニャック公爵令嬢(Princess Ghislaine de Polignac) , ドラゴ男爵令嬢(Princess del Drago) , Princess Gabrielle Arenberg , エレーヌ・ロシャス(Hélène Rochas) , Princess Caetani , Princess Colonna , Prince Mathieu de Brancovan などなど。
ファッションデザイナーのピエール・カルダンは衣装を担当したらしい。ディオールはダリが考案した衣装を身につけ、ダリはディオールのデザインした衣装を身につけて参加。ダリにしてはシンプルで品のある白い帽子にマスク、大振りの襟にゆったりとした袖の白いガウンのような衣装だったらしい。
ダリとディオールによるヴェネツイアの怪人
ダリはディオールとともに、舞踏会のアトラクションの衣装を制作。竹馬に乗って巨人を演出。街中をパレード。
アトラクションは人間ピラミッドから花火大会まで準備されていた。すごい。この舞踏会の再描画はアレクサンドル・セレブリャコフ(Alexandre Serebriakoff)が描いている。
記事 ロベール・ドアノー ラビア宮殿 仮面舞踏会 1951 ピエトロ・ロンギの世界
この記事からはロベール・ドアノーの撮影した写真、セレブリャコフの再描画、ピエトロ・ロンギの絵画作品からの衣装など、この世紀のパーティーを催したカルロス・ド・ベイステギが誰に扮していたのかもわかる。
記事 ピエトロ・ロンギ Pietro Longhi いかさま よこしま さかしま
記事 ピエトロ・ロンギ (sai blog カテゴリー)
記事 ピエトロ・ロンギ流 After Pietro Longhi & Pietro Longhi Style
記事 イタリア ロココ ヴェネチアのピエトロ・ロンギ
Le Bal oriental, at the Palazzo Labia 1951
by コーネル・キャパ(Cornell Capa)
レオノール・フィニは、ブラック・エンジェルで登場。仮面はつけていない。意外にシンプル。
記事 レオノール・フィニ ラビア宮殿 仮面舞踏会 1951
まだまだ写真はいっぱいあるが、もうこれでおしまい。