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エル・グレコ キリストの洗礼 1608-28
タベラ施療院(タベーラ施療院) サン・ファン・バウティスタ礼拝堂
トレドのタベラ施療院にあるサン・ファン・バウティスタ礼拝堂に、「キリストの洗礼」がある。この祭壇画が絶筆となり、息子のホルヘ・マヌエル・テオトコプリが引き継いだ。
ご存知のようにプラド美術館所蔵の「キリストの洗礼」と非常に良く似ているが、プラド美術館所蔵の作品は、マドリッドのドーニャ・マリア・デ・アラゴン学院の祭壇画の一つ。
追記
国立古代美術館(ローマ)を忘れていた。1997年のx 線解析でエル・グレコの手によるものとされた、プラド美術館所蔵の「キリストの洗礼」と「羊飼いの礼拝」にそっくりな作品。実はこの国立古代美術館(ローマ)のもののほうがオリジナルの可能性もあるかも。
エル・グレコ 礼拝堂のトリプティック (三連祭壇画)の2枚(1枚は不明)
「羊飼いの礼拝」、「キリストの洗礼」 1597年頃(1596-1600)
バルベリーニ宮殿,国立絵画館
記事エル・グレコとその工房 受胎告知にはプラド美術館所蔵の「羊飼いの礼拝」を掲載(テキストリンクから)しているので見比べてみて。
エル・グレコ ドーニャ・マリア・デ・アラゴン学院 大祭壇衝立画
キリストの洗礼 1596-1600 プラド美術館所蔵
この作品を含めたドーニャ・マリア・デ・アラゴン学院の祭壇画の不明を除く6枚は先のリンク記事を同じく掲載しているからそちらからご覧あれ。
記事 エル・グレコとその工房 受胎告知
エル・グレコとその工房 受胎告知には、サンタンデール・セントラル・イスパノ銀行所蔵の「受胎告知」も紹介しているが、その「受胎告知」もタベラ施療院 サン・ファン・バウティスタ礼拝堂の祭壇画の一枚だ。
タベラ施療院 サン・ファン・バウティスタ教会
メディナセリ公爵家財団
右側にあるのが「キリストの洗礼」(1608-28)になる。サンタンデール・セントラル・イスパノ銀行所蔵の「受胎告知」、アテネ国立美術館の「天使の合奏」、メトロポリタン美術館所蔵の「第五の封印(聖ヨハネの幻視)」、そして「キリストの洗礼」が祭壇画として制作された。そして不明の絵が1点あるらしい。
切り取られた天使の合奏と第五の封印 1608-28
どんなカンジの祭壇画だったのかな?
切り取られたエル・グレコの「奏楽の天使」 115 x 217
1608-28 アテネ国立美術館
切り取られたエル・グレコの「受胎告知」 1608-14
サンタンデール・セントラル・イスパノ銀行
受胎告知の上部が「天使の合奏」だとあったけど、この「受胎告知」にも小さく天使の合奏が描きこまれているのだが。
切り取られた エル・グレコ 「第五の封印(聖ヨハネの幻視)」
1608-28 メトロポリタン美術館
未完の「第五の封印(聖ヨハネの幻視)」は破壊されて上部が切り取られているらしい。その上にはたぶん「子羊が七つの封印を開封する」ではないかと言われている。
「ヨハネの黙示録」によると、6章-8章5節は「子羊が七つの封印を開封する」となっており、「第五の封印」は6章-9章11節で、「殉教者が血の復讐を求める」という解釈だ。
グラン・パレの「ピカソと巨匠たち」(Picasso et les Maitres)から。
エル・グレコ 枢機卿ファン・タベラの肖像 1610 (死後65年後)
メディナセリ公爵家財団タベラ施療院
タベラ施療院(タベーラ施療院)の創設者は枢機卿ファン・タベラ(1472-1545)。エル・グレコが生まれた1541年にタベラ施療院の建設が始まり完成したのが18年後の1559年。
エル・グレコ(1541-1614)が描いた枢機卿ファン・タベラの肖像画もここにある。枢機卿の死後65年後に描かれたものだ。エル・グレコが4歳の時に亡くなっているという人物の肖像画。
エル・グレコ美術館所蔵の「トレドの景観と地図」(1610-14年)では、エル・グレコはこのタベラ施療院の完成を雲を描いて祝福しているかのようだ。
このタベラ施療院はスペインの名門貴族メディナセリ公爵家の所有するもので、機卿ファン・タベラの施療院は、いまはメディナセリ公爵家財団の宮殿美術館となっている。
タベラ施療院(メディナセリ公爵家財団)
メディナセリ公爵家のタベラ施療院でのコレクションにはエル・グレコのほか、エル・グレコの師ティツィアーノ、ティントレット、ホセ・デ・リベーラ、ピーテル・ブリューゲル、フランス・スナイデルス、ヤコポ・バッサーノ、フランシスコ・デ・スルバラン、アロンソ・サンチェス・コエリョと巨匠の名作がいっぱいある。
エル・グレコがタベラ施療院(サン・ファン・バウティスタ教会)の依頼を受けた時代のメディナセリ公爵は第6代目のファン・デ・ラ・セルダ(1569-1607)。彼が依頼主かどうかは知らないが、この展示室にかかるのは「枢機卿ファン・タベラの肖像」と「聖家族」になる。
聖アンナのいる聖家族 1590 -1595 タベラ施療院(メディナセリ公爵家財団)
もちろんこの「聖アンナのいる聖家族」は絶筆じゃない。
タベラ施療院(サン・ファン・バウティスタ教会)の祭壇画「キリストの洗礼」、「奏楽の天使」、「受胎告知」、「「第五の封印(聖ヨハネの幻視)」が絶筆。
びっくりしたのは、この作品がエル・グレコ一家となっている記事があったことだが?
正妻ではなく、37年間同棲していたヘロニマ・デ・ラス・クエバスに似ている気もする聖母マリア。そしてイエスは二人の息子ホルヘ・マヌエル・テオトコプリ(1575-1631)なのだろうか?
これまでは、この作品に関してそういう説が解釈されていないようだけど。別のヴァージョンではそういう説のあるものがある。
エル・グレコ マグダラのマリアと聖家族
右 1590-95 クリーブランド美術館 左 1610-11 ソウマヤ美術館
エル・グレコ 白貂の毛皮をまとう貴婦人(ヘロニマ・デ・ラス・クエバス) 1577-1590 グラスゴー美術館
エル・グレコ マグダラのマリアと聖家 部分 1590-95 クリーブランド美術館
クリーブランド美術館所蔵の「マグダラのマリアと聖家族」の聖母は愛人ヘロニマ・デ・ラス・クエバス、聖ヨセフはエル・グレコの肖像画という解釈もある。
エル・グレコ 聖家族 1580年頃 アメリカ・ヒスパニック(スペイン)協会
エル・グレコ 聖アンナのいる聖家族 1600 ブタペスト美術館所蔵
いろんなヴァリエーションが存在するエル・グレコの「聖家族」。所蔵先のタベラ施療院(サン・ファン・バウティスタ教会)、美術館サイトでもそのような指摘はなかった。
1580年の「聖家族」(アメリカ・ヒスパニック協会)は、グレコの息子が5歳の時なので、もしかするとそうかもしれない。この作品とタベラ施療院(メディナセリ公爵家財団)の聖母マリアの顔が似ている。
アメリカ・ヒスパニック協会所蔵、タベラ施療院(メディナセリ公爵家財団)所蔵
サンタ・クルス美術館所蔵の「聖アンナと幼子聖ヨハネと聖家族」では、献納者の肖像画を聖ヨセフとして描いている。
古いヴァージョンのひとつ エル・グレコ 聖アンナと幼子聖ヨハネと聖家族
1586-88 サンタ・クルス美術館
エル・グレコ 聖アンナと幼子聖ヨハネと聖家族
右 1594-1604 プラド・美術館 なぜか現在は公開されていない
左 1595-1560 サミュエル・H・クレスコレクション ワシントン・ナショナル・ギャラリー
タベラ施療院(メディナセリ公爵家財団)の所有する「聖アンナのいる聖家族」(1590 -1595)は、1631年にアロンソ・カポシュ(冶金学者?)の未亡人テレサ・デ・アギレラからの寄付らしい。
タベラ施療院(メディナセリ公爵家財団)には、これもまたバージョンの多いエル・グレコの「アッシジの聖フランシスコ」がある。
エル・グレコ、工房作品 アッシジの聖フランチェスコ タベラ施療院(メディナセリ公爵家財団)所蔵
エル・グレコ ひざまずいて瞑想する聖フランチェスコ 1585-90 ビルバオ美術館
9 つくらいのバージョンのある「十字架の前で祈る聖フランチェスコ」で、所蔵されているバージョンは右側にキリストの十字架を置き、ひざまずいて瞑想するポーズの作品。ビルバオ美術館が古いのだろうか。タベラ施療院(メディナセリ公爵家財団)所蔵の聖フランチェスコは1600年頃。
聖フランチェスコの瞑想 1595 サンフランシスコ美術館
ひざまずいて瞑想する聖フランチェスコ 1595-1600 シカゴ美術館
ひざまずいて瞑想する聖フランチェスコ 1605-10 個人所蔵
スペイン語の訳に間違いがなければ、タベラ施療院(メディナセリ公爵家財団)の「アッシジの聖フランチェスコ」は、聖職者で施療院学長ドン ・ ペドロ ・ サラザール ・ デ ・ メンドーサの所有していたものだったらしい。彼はトレド大聖堂、聖ホセ施療院(聖ヨハネ施療院)を管理していたという。聖ホセ施療院(聖ヨハネ施療院というのがタベラ施療院。
エル ・ グレコのパトロンであり友人でもあった。でもこの人の肖像画は残ってないね。
たぶんトレドの教会や施療院の仕事をエル・グレコに斡旋していたのではないだろうか。1600年ごろと言われているこの作品だが、息子ホルヘ・マヌエル・テオトコプリと工房による作品かもしれない。
この施療院学長ドン ・ ペドロ ・ サラザール ・ デ ・ メンドーサのエル・グレコのコレクションはまだある。
エル・グレコ 悔悛する聖ペテロ 1605年
タベラ施療院(メディナセリ公爵家財団)
エル・グレコ、工房作品 悔悛する聖ペテロ 1587-1620年
エル・グレコ美術館
エル・グレコ 悔悛する聖ペテロ 1590-95年
サンディエゴ美術館
エル・グレコ美術館の「悔悛する聖ペテロ」は死後に完成されたよう。この主題の多く作品に残している。
エル・グレコ 悔悛する聖ペテロ 1580-1589年
ボウズ美術館
ボウズ美術館所蔵の「悔悛する聖ペテロ」から派生したバージョンだろうか。
タベラ施療院に所蔵されている作品を含め、エル・グレコの晩年、未完成の作品には、息子ホルヘ・マヌエル・テオトコプリ、工房による作品が多いようだ。
エル・グレコ ホルヘ・マヌエル・テオトコプリの肖像画 セビリア美術館
ピカソ エル・グレコに基づく 画家の肖像画 1950 ルツェルン・ローゼンガルト・コレクション
WIKIによるとグレコの作風が受けない時代に入り、グレコの形式に倣うホルへ・マヌエルには、父の死後に画家として名の残るものはないらしい。
★2012.10.24 各作品記事リンク先
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エル・グレコ 聖アグネスと聖マルティナのいる聖母子
ワシントン,ナショナル・ギャラリー
1597年から1599年にかけて制作され、トレドのサン・ホセ礼拝堂(聖ヨゼフ礼拝堂)の主祭壇の右側(南祭壇)にあった「聖アグネスと聖マルティナのいる聖母子」は、現在はナショナル・ギャラリー(ワシントン)にある。
ライオンを従え殉教者の印である棕櫚の葉を持つ聖マルティナ。226年、炉で焼かれ、ライオンに脅かされ、斬首で殉教した聖マルティナの遺骨は、1634年にマルティナと息子たちの墓が見つかっているという。えっ!子供いたの?処女聖人とあるけど?
このライオンの額にエル・グレコの名ドメニコス・テオトコプーロスのイニシャルが書き込まれたとあったが、何語で書いた?ギリシャ語だとΔομήνικος Θεοτοκόπουλος、だが、あらら、普通にDoménikos Theotokópoulosだった。
エル・グレコ(ドメニコス・テオトコプーロス)の署名
なんで子羊ではなく、ライオンにイニシャルを書き込んだのだろう?デザイン的な問題だろうか。1月30日が聖マルティナの祝日なので、エル・グレコの生誕と関係あるかと思ったが、わからない。
右の聖女は、ギリシャ語で「純潔な、神聖な」というイネス(hagnē ,ἁγνή) と呼ばれる聖アグネスで子羊がアトリビュート。ラテン語の子羊 agnus(アグヌス、アニュス)と言われる所以。
この南の祭壇画「聖アグネスと聖マルティナのいる聖母子」の中央に位置する主祭壇。上段のスキームに「聖ヨセフと幼子キリストのいる聖母戴冠」、主祭壇に「聖ヨセフと幼子キリスト」が描かれた。
「聖ヨセフと幼子キリストのいる聖母戴冠」は他にもある。良く似ている構図のものが多い。この主祭壇の2枚については記事の最後で紹介。
エル ・ グレコは、主祭壇の両側にダビデとソロモンの彫像を置き、主祭壇の北の祭壇(左側)に「聖マルティヌスと乞食」の祭壇画を置いた。
ご存知のようにエル ・ グレコの「聖マルティヌス(サン・マルタン)と乞食」のレプリカは多く存在している。
エル ・ グレコの「聖マルティヌスと乞食」は、聖マルティヌスのイコンのとおりに描かれているみたいだ。
右 祭壇画から 聖マルティヌスと乞食 1420 (部分) ゴンサル・ペリス
左 イコン 聖マルティヌス 1487 (部分) 一部にハンス・メムリンク
エル ・ グレコ サン・ホセ礼拝堂 「聖マルティヌスと乞食」 1597-99
193.5 x 103 (左少し切れてます) ワシントン・ナショナル・ギャラリー
聖マルティヌスと乞食 右 エル・グレコ 1599年頃 奇美博物館
左 エル・グレコ工房作品 ワシントンナショナル・ギャラリー 1600-1604
エル ・ グレコ 「聖マルティヌスと乞食」 1597-1600
110 x 63 シカゴ美術館所蔵
シカゴ美術館所蔵のエル・グレコの「聖マルティヌスと乞食」 は、サン・ホセ礼拝堂の 「聖マルティヌスと乞食」の制作時期とほとんどいっしょ。エル・グレコの「聖衣剥奪」も礼拝堂と同じ時期に描かれた作品があり、もしかするとほとんどの礼拝堂や施療院に収められた作品には、レプリカではなく、「オリジナル」が別に存在しているのかもしれない。
5、6年前にグラン・パレで「ピカソと巨匠たち」(Picasso et les Maitres)があって、その会期に合わせてルーヴルでピカソ - ドラクロワ展、オルセーでマネの草上の昼食が、パリピカソ美術館と協賛して開催された。
その時に、リーフレットやカタログ、ちまたのフリーペーパーにも、ピカソと巨匠たちの類似作品が並んだ。もともとピカソは模倣作品としてタイトルにつけていた「マネの草上の昼食」をはじめ、ドラクロワやダヴィッドなどがある。
それ以外の作品に類似点を見つけているのがエル・グレコの「聖マルティヌスと乞食」とピカソの「馬を引く裸の少年.1906」 (MoMA)だ。
こんなにレプリカがあるので、どの「聖マルティヌスと乞食」 にインスピレーションを得たんだろう。
それでは主祭壇の二枚。
聖人と聖女の祭壇画の中央、その上段のスキームに「聖ヨセフと幼子キリストのいる聖母戴冠」も同じパターンを繰り返している。
エル・グレコ 聖ヨセフと幼子キリストのいる聖母戴冠
1597-99 サン・ホセ礼拝堂
サンタ・クルス美術館所蔵の「聖母戴冠」(1591)に似ている。その「聖母戴冠」はタラベラ・デ・ラ・ビエハの礼拝堂の祭壇画だった。
現在はサンタ・クルス美術館に所蔵されている「聖母戴冠」は、1591年のタラベラ・デ・ラ・ビエハの礼拝堂の祭壇画になる。
聖アンデレと聖ペテロと3枚による祭壇画だったらしい。
このパターンがサン・ホセ礼拝堂、イリェスカス、カリダー施療院(カリダード施療院)の「聖母戴冠」(1603-05)とアテネ国立美術館にあるカリダー施療院(カリダード施療院)の「聖母戴冠」の原画に使われている。
プラド美術館所蔵の「聖母戴冠」は、この諸聖人を除いた上部にこのパターンを使用している。
プラド美術館は99×110cmのもので、何かの祭壇画の一部だったのかなーと思ってるけど。天上には父なる神とキリストと聖母。
左 アルブレヒト・デューラー 母の被昇天と戴冠(木版画) 1510
ホノルル美術アカデミー所蔵
カリダー施療院(カリダード施療院)の「聖母戴冠」の原画 アテネ国立美術館
アルブレヒト・デューラー(Albrecht Dürer)の木版画の模倣といえる。似てるよね。
サン・ホセ礼拝堂の「聖母戴冠」は模倣作品なども多い。それでは、最後は「聖ヨセフと幼子キリスト」。
エル・グレコ 聖ヨセフと幼子キリスト 1597-99
サン・ホセ礼拝堂
このサン・ホセ礼拝堂の「聖ヨセフと幼子キリスト」は、ポスターなんかもあるようだ。このレプリカがサンタ・クルス美術館にあるらしいけど、見た記憶がない。
サンタ・クルス美術館サイトでも調べたが。所蔵しているのは確からしいけど展示されていないようだ。
エル・グレコ 聖ヨセフと幼子キリスト 1600
サンタ・クルス美術館
養父と表現される聖ヨセフ。マタイによる福音書 1章18〜25節では「ヨセフの受胎告知」が記されている。マリアの「受胎告知」は、ルカ福音書 1章26節−38節にある。
ナザレのヨセフはキリストが十字架にかけられる前に亡くなっているから、聖母マリアに比べて幸福な死だったかもしれない。あんまり描かれていないし、描かれていたとしても老人のようだが、エル・グレコの作品では、大工という男らしいカンジも受ける。
★2012.10.24 エル・グレコ作品記事リンク先
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サント・ドミンゴ・エル・アンティグオ聖堂 エル・グレコの祭壇と墓碑 ソネットを捧げたパラビシーノ
エル・グレコ サン・ビセンテ聖堂オバーリェ礼拝堂 無原罪の御宿り
1608-13 サンタ・クルス美術館寄託(サン・ニコラス教区聖堂)
これはオバーリェ礼拝堂の主祭壇画。いつも思うんだが晴れ上がった空ではなく、太陽と月、昼と夜がコーヒーにミルクを混ぜたように渦を巻いているカンジなんだ。
描かれている地上のトレドでは稲妻が光っているような空を何事かと人々は見上げているかも。
これから誕生する救世主とともに、聖母マリアも受難の未来。それを祝福と隠された嘆きを描いているようだ。薔薇に百合、天使の合奏、精霊の鳩は喜びと主題を表しているが・・・。
寄託のサンタ・クルス美術館で展示されていたのを見てから関心を持った。
エル・グレコ サン・ビセンテ聖堂オバーリェ礼拝堂
1608-13 サンタ・クルス美術館寄託(サン・ニコラス教区聖堂)
左右には聖イルデフォンソ(右)、鍵を与えられた聖ペテロが並んでいた。あとになってオバーリェ礼拝堂に関係するエル・グレコの作品を知った。うーん、いっしょの祭壇だとしたら、左右の聖人の上か下だろうな。でも一緒にあるとも限らないしなー。
僕にはこの作品に関しても知識は全くないので、戯言だと思って、笑ってください。
さて、ワシントンのダンバートン・オークスに、エル・グレコの「訪問」がある。これがサン・ビセンテ聖堂オバーリェ礼拝堂にあったものらしい。
こんな風に遊んでみた。そうするともう一枚必要だ。
僕がわかったのはこの4枚だけ。他にもしもあったのなら面白いんだけどね。ちなみにこのエル・グレコの「訪問」をパブロ・ピカソも作品にした。
エル・グレコ 訪問 1608-13
ピカソ 二人の姉妹 1905
sai も今日、エル・グレコの記事をアップしていた。
記事 サント・ドミンゴ・エル・アンティグオ聖堂 エル・グレコの祭壇と墓碑 ソネットを捧げたパラビシーノ
本文最後から引用
このあとサント・トメ教会の「オルガス伯の埋葬」(1586-88)、聖体修道院(1596-1600)、聖ヨゼフ教会(1597-99)、イリェスカスのカリダー(カリダード)、施療院の祭壇(1603-05)、オバーリェ礼拝堂(1608-03)、タベーラ施療院(1608-04)と手がけていく。
タイトル長いな・・・。
★2012.10.24 エル・グレコ作品記事リンク先
XAI エル・グレコ オルガス伯爵の埋葬
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サント・ドミンゴ・エル・アンティグオ聖堂 エル・グレコの祭壇と墓碑 ソネットを捧げたパラビシーノ
■ ピカソとエル・グレコ他
記事 ピカソ ダヴィッドに基づくサビニの凌辱
エル・グレコ 聖衣剥奪 1577-78
アプトン・ハウス&ガーデンズ (ナショナル・トラスト)
エル・グレコ 聖衣剥奪 1605
サント・トメ教区聖堂
エル・グレコ 聖衣剥奪 1606-08
アルテ・ピナコテーク
二枚ともトレド大聖堂の「聖衣剥奪」と同じ。あのゴッホの3枚の「ゴッホの寝室」と同じように、これも本人エル・グレコによるもの。バーンズコレクションにある他の画家が描いた「聖衣剥奪」の模写とは違うね。
このアルテ・ピナコテークの「聖衣剥奪」はトレド大聖堂のレプリカといわれているけど、自分ではアプトン・ハウス&ガーデンズ (ナショナル・トラスト)の「聖衣剥奪」に似ていると思っている。
ただし、キリストの左側に立つ鎧の人物の顔だけは、トレド大聖堂、アプトン・ハウス&ガーデンズは同じで、アルテ・ピナコテークの「聖衣剥奪」のこの鎧を身につけた騎士はちょっと違う。
アルテ・ピナコテークの「聖衣剥奪」の鎧の騎士 エル・グレコ?
プラド美術館の胸に手を置く騎士 エル・グレコの自画像
聖衣剥奪にエル・グレコの自画像が描かれているといわれているが、トレド大聖堂ではなく、アルテ・ピナコテークの「聖衣剥奪」の鎧の人物の方が、グレコの自画像に良く似ている気がする。
トレド大聖堂の「聖衣剥奪」を描いた頃のエル・グレコ自身を描きこんだのではないだろうか。
トレド大聖堂、アプトン・ハウス&ガーデンズの鎧の騎士 聖ロンギヌス?
マティアス・グリューネワルト(1470-1528)のキリストの磔刑の聖ロンギヌス
トレド大聖堂、アプトン・ハウス&ガーデンズの「聖衣剥奪」はエル・グレコが36、7歳の時。自画像というよりも、キリストをロンギヌスの槍で突き、後に改宗した聖ロンギヌスを描いているといわれている。
ナショナル・トラストに寄贈されたアプトン・ハウス&ガーデンズに展示されている「聖衣剥奪」は1577年に委託されて制作し、トレド大聖堂の「聖衣剥奪」が描かれたのが1577-1579年だから、この作品の小さなヴァージョン(556 x 340 mm)は習作だったのだろうか。
エル・グレコ 聖衣剥奪 1577-1579 トレド大聖堂 聖具室
エル・グレコの「聖衣剥奪」は、17 以上のバージョンがある絵画作品で、トレド大聖堂の上半分の作品の他、なかにはトレド大聖堂からクレームがきた「キリストの頭より高い群衆」をキリストの頭上から少々取り除いた作品もある。
エル・グレコ 聖衣剥奪(部分) 1577-1579 トレド大聖堂 (C) flickr
以下の2枚は、「聖衣剥奪」の三人のマリア(小ヤコブの母、聖母、マグダラのマリア)と十字架を組む兵士をあえて削除して描かれた「聖衣剥奪」の作品。
こうしたレプリカはエル・グレコと工房、あるいはグレコの工房作品が多いようだ。
この「聖衣剥奪」はちょっとルーベンス(Peter Paul Rubens)っぽい。ルーベンスの模写かと思ったが、何も注釈がなかった。
エル・グレコ 聖衣剥奪 1580-1600 ブタペスト西洋美術館
ブタペスト美術館所蔵のエル・グレコの作品は、もともとヘルツォーク家(ヘルツォーク男爵)のコレクションだったらしい。
最近知ったことだが、リヨン美術館にもエル・グレコの「聖衣剥奪」があるらしい。サイトを調べたが何にもわからなかった。
トレドの上の部分だけ。ブタペスト西洋美術館所蔵の聖衣剥奪と同様の作品なんだろうか?
リヨン美術館所蔵の公開されている「聖衣剥奪」の画像は上の部分だけで、明らかにに下部分のマリア(小ヤコブの母)の頭と十字架を組み立てる兵士の背中部分が見えている。
あえてトレド大聖堂からの二つ目のクレームになる正典にない「三人のマリア」(小ヤコブの母、聖母、マグダラのマリア)を切り取られたような形で描いたんだろうか。
それともフルで見せてくれないワケ?あるいは下部分を剥奪された?この作品を見たことがないので、どうなんだろうと興味津々。
少なくとも17枚あるといわれるエル・グレコと工房の「聖衣剥奪」。個人所蔵もあるらしいから滅多に見ることができない。残念だな。
エル・グレコ関連記事 エル・グレコとその工房 受胎告知
※いつものことですが、使用画像には僕のブログ名を署名しています。あらかじめご了承ください。また署名入りの作品画像は無断の使用をご遠慮ください。
★2012.10.24 エル・グレコ作品記事リンク先
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エル・グレコ 無原罪の御宿り(ティッセン=ボルネミッサ美術館、サンタ・クルス美術館)
サント・ドミンゴ・エル・アンティグオ聖堂 エル・グレコの祭壇と墓碑 ソネットを捧げたパラビシーノ
エル・グレコ 受胎告知 1603-05
イリェスカス、カリダー施療院(カリダード施療院)
聖母戴冠、受胎告知、キリスト降誕 1603-05
イリェスカス、カリダー施療院(カリダード施療院)
左 アルブレヒト・デューラー 聖母戴冠(木版画) 1510 ホノルル美術アカデミー所蔵
右 エル・グレコ 聖母戴冠 サンタ・クルス美術館所蔵
ちなみに左の聖母戴冠は1591年のタラベラ・デ・ラ・ビエハの礼拝堂の祭壇画に似ている。その作品はアルブレヒト・デューラー 聖母戴冠(木版画)に基づいているようだ。
もっとも似ているのはこのイリェスカス、カリダー施療院(カリダード施療院)のもので、アテネ国立美術館所蔵の原画が他にある。
記事 サン・ホセ礼拝堂 エル・グレコ 4枚の祭壇画
聖イルデフォンソと慈愛の聖母 1603-05
イリェスカス、カリダー施療院(カリダード施療院)
受胎告知 1596-1600
ベラス美術館所蔵(ビルバオ)
ご存知のようにプラド美術館所蔵の「受胎告知」は、マドリッドのドーニャ・マリア・デ・アラゴン学院の祭壇画の中央部二段目だった。
この「受胎告知」を含むドーニャ・マリア・デ・アラゴン学院の祭壇画の6枚はプラド美術館に所蔵されているが、もう一枚あったらしい。7枚目が不明らしい。
「キリストの復活」、「キリストの磔刑」、そしてこの「受胎告知」に、「聖霊降臨」、「キリストの洗礼」(プラド美術館所蔵)、「羊飼いの礼拝」(ルーマニア国立美術館)の6点に中央部下の不明が1点。
大塚国際美術館でこのエル・グレコの大祭壇衝立画を復元をした。
追記 エル・グレコの十字架のキリストとピエタ
「キリストの磔刑」が、ジョット・ディ・ボンドーネとマティアス・グリューネヴァルトの作品に言及されている。
受胎告知 1608-14 (サン・ファン・バウティスタ礼拝堂祭壇画の一部)
サンタンデール・セントラル・イスパノ銀行
受胎告知 1570 プラド美術館所蔵
ティッセン=ボルネミッサ美術館の作品と酷似 その習作?
モーデナ・トリプティク(三幅対祭壇画) 左が受胎告知、シナイ岳、アダムとイヴ
三幅対祭壇画がなので全部で全部で6枚ある。「牧人の礼拝」、「キリスト教騎士の寓話」、「洗礼」がある。
不思議なのはシナイ岳、アダムとイヴで、シナイ山はモーセの十戒、アダムとイヴは旧約聖書の創世記だから、普通キリストの祭壇に一緒に描かないものじゃないの?
エル・グレコ 受胎告知 1590-1603
ブダペスト西洋美術館
エル・グレコあるいは工房作品 受胎告知 1599-1603
大原美術館
受胎告知
トレド美術館
受胎告知
サンタ・クルス美術館
受胎告知 1600年
サン・パウロ美術館
■12世紀の受胎告知
記事 12世紀の受胎告知
■14世紀の受胎告知
記事 14世紀の受胎告知 シモーネ・マルティーニたち
他にはまだ書いてないからsai のブログから ⇒記事 サンタ・マリア・ノヴェッラ
アーニョロ・ガッディの受胎告知、ドメニコ・ギルランダイオのフレスコ画の受胎告知
■15世紀の受胎告知
記事 ヘラルト・ダヴィット 受胎告知
記事 ベノッツォ・ゴッツォリの「受胎告知」
記事 サンドロ・ボッティチェッリ 受胎告知
記事 フラ・アンジェリコ 6枚の受胎告知(Annunciation)
記事 セバスティアーノ・マイナルディ (サン・ジミニャーノの 参事会教会)
記事 ドナテッロ 受胎告知(サンタ・クローチェ教会)
記事 レオナルド・ダ・ヴィンチの「救世主」誕生の「受胎告知」
■16世紀の受胎告知
記事 エル・グレコとその工房 受胎告知
■17世紀の受胎告知
あー、記事書いてないね。書いてた・・・、
記事 ルーベンス 受胎告知
■18世紀の受胎告知
あー、これも記事ないね。
楓記事から 聖母の読書 受胎告知
■19世紀の受胎告知
記事 アーサー・ヒューズの受胎告知
記事 モーリス・ドニ 3枚の受胎告知+1
記事 モーリス・ドニ フィエーゾレの受胎告知
記事 モーリス・ドニ(Maurice Denis) 受胎告知(聖ニケーズ教会)
記事 エドワーズ・バーン=ジョーンズ 受胎告知
記事 ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 聖告(受胎告知)
記事 ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの受胎告知 1914(ルカ福音書の受胎告知について)
記事 ジェームズ・ティソ 受胎告知 (マタイ編 ヨセフの受胎告知)
■20世紀の受胎告知
記事 ジェームズ・クリステンセンの受胎告知
★2012.10.24 エル・グレコ作品記事リンク先
XAI エル・グレコ オルガス伯爵の埋葬
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オバーリェ礼拝堂 エル・グレコの無原罪の御宿
タベラ施療院 エル・グレコの祭壇画とコレクション
エル・グレコの十字架のキリストとピエタ
エル・グレコ 5枚の「神殿から商人を追い払うキリスト」
エル・グレコ 無原罪の御宿り(ティッセン=ボルネミッサ美術館、サンタ・クルス美術館)
サント・ドミンゴ・エル・アンティグオ聖堂 エル・グレコの祭壇と墓碑 ソネットを捧げたパラビシーノ