一定期間更新がないため広告を表示しています
今年2月の隻眼の女性記者メリー・コルビン、フランスの写真家レミ・オシュリクがホムス包囲でなくなって半年。今度は日本のジャーナリスト山本美香さんが襲撃で亡くなった。
記事 覚悟
記事 シリアの殉教
まずはご冥福をお祈りいたします。
昨日はフリーランスのジャーナリスト、オースティン・タイス(Austin Tice)氏が行方不明であることが発表されていた。米紙ワシントン・ポスト(Washington Post)の取材で5月にシリア入り。
山本美香さんと同じ襲撃で3人の外国人ジャーナリストが行方不明になった一人。
英紙サンデー・タイムズ(Sunday Times)の写真記者、ポール・コンロイ(Paul Conroy)氏は、メリー・コルビンとレミ・オシュリクが狙撃されたあと、2月28日に脱出。
彼は「メリーが殺された時、わたしは一緒にいた。」と話し、2人を殺害した者たちは国際司法裁判所で人道に対する罪を問われるべきだと非難。
「中世の戦場さながらの包囲攻めと大虐殺だ」と話しているが、ポル・ポト政権の大虐殺やルワンダ共和国の大虐殺は1970年代、1990年代に起きた。
中世の大虐殺は宗教が起因しているが、シリア内戦も同族殺しとしての共通点がある。
「アラブの春」はチュニジアからはじまり、反政府運動がアラブ諸国に飛び火し、アサド政権のシリアは騒乱発生以降の市民弾圧は凄まじく恐ろしい。
「よその国のこと」という考えをもつことも恐ろしい。
グリエルモ・カッチャ(モンカルボ) 受胎告知 聖アンドリュー教会
最近、エル・グレコの記事ばっかり書いていたものだから、こちらもエル・グレコの受胎告知の構図に良く似ているなと思ってしまった。
通称モンカルボことグリエルモ・カッチャは今年の1月に話題になったイタリアの画家だ。ギリシャ・アテネの国立美術館で、ピカソとモンドリアンの作品とともに、このグリエルモ・カッチャの「サンディエゴ・デ・アルカラ」のスケッチ画が盗まれたということで。
受胎告知 左 エル・グレコ 大原美術館、右 エル・グレコ プラド美術館
記事「エル・グレコとその工房 受胎告知」にどちらの作品もアップしているので、グレコに関心のある方はどうぞご覧あれ。
■12世紀の受胎告知
記事 12世紀の受胎告知
■14世紀の受胎告知
記事 14世紀の受胎告知 シモーネ・マルティーニたち
他にはまだ書いてないからsai のブログから ⇒記事 サンタ・マリア・ノヴェッラ
アーニョロ・ガッディの受胎告知、ドメニコ・ギルランダイオのフレスコ画の受胎告知
■15世紀の受胎告知
記事 ヘラルト・ダヴィット 受胎告知
記事 ベノッツォ・ゴッツォリの「受胎告知」
記事 サンドロ・ボッティチェッリ 受胎告知
記事 フラ・アンジェリコ 6枚の受胎告知(Annunciation)
記事 セバスティアーノ・マイナルディ (サン・ジミニャーノの 参事会教会)
記事 ドナテッロ 受胎告知(サンタ・クローチェ教会)
記事 レオナルド・ダ・ヴィンチの「救世主」誕生の「受胎告知」
■16世紀の受胎告知
記事 エル・グレコとその工房 受胎告知
記事 グリエルモ・カッチャ(モンカルボ) 受胎告知
■17世紀の受胎告知
あー、記事書いてないね。書いてた・・・、
記事 ルーベンス 受胎告知
■18世紀の受胎告知
あー、これも記事ないね。
楓記事から 聖母の読書 受胎告知
■19世紀の受胎告知
記事 アーサー・ヒューズの受胎告知
記事 モーリス・ドニ 3枚の受胎告知+1
記事 モーリス・ドニ フィエーゾレの受胎告知
記事 モーリス・ドニ(Maurice Denis) 受胎告知(聖ニケーズ教会)
記事 エドワーズ・バーン=ジョーンズ 受胎告知 (ルカ福音書の受胎告知について)
記事 ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 聖告(受胎告知)
記事 ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの受胎告知 1914
記事 ジェームズ・ティソ 受胎告知 (マタイ編 ヨセフの受胎告知)
■20世紀の受胎告知
記事 ジェームズ・クリステンセンの受胎告知
■ エル・グレコ関連記事
エル・グレコとその工房 受胎告知
エル・グレコと工房 7枚の聖衣剥奪
エル・エスコリアル修道院 フェリペ2世の夢
サン・ホセ礼拝堂 エル・グレコ 4枚の祭壇画
オバーリェ礼拝堂 エル・グレコの無原罪の御宿
タベラ施療院 エル・グレコの祭壇画とコレクション
エル・グレコの十字架のキリストとピエタ
エル・グレコ 5枚の「神殿から商人を追い払うキリスト」
エル・グレコ 無原罪の御宿り(ティッセン=ボルネミッサ美術館、サンタ・クルス美術館)
サント・ドミンゴ・エル・アンティグオ聖堂 エル・グレコの祭壇と墓碑 ソネットを捧げたパラビシーノ
エル・グレコ イエスの御名の礼拝 1578-79 エル・エスコリアル修道院
モーデナ・トリプティク(三幅対祭壇画) 過去記事 エル・グレコとその工房 受胎告知
天上、地上、そして地獄の者がひざまずくそして地獄の魚レビタン。モデナ(モデーナ)三部作のキリスト教の騎士の寓話の作品と同じ構図。「神聖同盟の寓意」(フェリペ2世の夢)というのが、この「イエスの御名の礼拝」になる。
エル・グレコ イエスの御名の礼拝 1578-80 ロンドン・ナショナル・ギャラリー
エル・エスコリアル修道院、ロンドン・ナショナル・ギャラリーともに「フェリペ2世」が描かれているが、当のフェリペ2世には不評だったらしい。
エル・エスコリアル修道院の一室 The Royal Palace - Chapter House 2009
左端が「イエスの御名の礼拝」、中央は「聖フランチェスコ」、右端は「聖イルデフォンソ」
パウロ書簡の「フィリピの信徒への手紙 (フィリピ(ピリピ)人への手紙、フィリピ(ピリピ)書」は、紀元61年の終わりから62年のはじめにかけて獄中で書いたもの。その「フィリピの信徒への手紙」の「それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地獄のものなど、あらゆるものがひざをかがめ」(第2章10節)を絵画化した作品。
絵画のモノグラムは「人類の救世主イエスIesus Hominum Salvator(Jesus Savior of Men)からとったと言われているが、シンプルに考えると、聖なる名前イエス(IHESUS)かも・・・と最近考えた。エル・グレコはギリシャ人。ギリシャではἸησοῦς (イエス)をIHS (Ihsus)って表記するしね。
いわゆるキリストグラムではIesus(IHESUS) Nazarenus Rex Iudaeorum(ナザレのイエス、ユダヤの王 The Lord Jesus Christ , The Lord Jesus Christ, King of the Jews)はギリシャ、ローマ、ヘブルで記されていて、十字架磔刑の作品に使われていることが多い。
IHESUSに十字架のクロスをエル・グレコは画きこんだところを見ると、十字架磔刑とモノグラム(IHS and✟)で、「Ἰησοῦς ὁ Ναζωραῖος ὁ Bασιλεὺς τῶν Ἰουδαίων(ユダヤの王、ナザレのイエス)」に基づいて、正教会でよく使われる「INBI」のモノグラムを表現したのかも。
エル・グレコはヤハウェの子音で神聖四字(テトラグラマトン)を真似て、わざわざ「† 」を描いたんじゃない?
エル・エスコリアル修道院の参事会会議場 1 2009
左壁にはエル・グレコの作品の聖人、「イエスの御名の礼拝」がある。
エル・エスコリアル修道院 中央 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano)の「聖ヒエロニムス」
花輪はイタリアの画家マリオ・ヌッツィ、ティツィアーノのサイドはホセ・デ・リベーラ(工房)
エル・グレコの「イエスの御名の礼拝」は、1571年の「レパントの海戦」の寓意画らしい。ドン・キホーテの作者ミゲル・デ・セルバンテスが左腕を失ったという時代の戦い。
黒のローブのフェリペ2世、後ろ向きで黄色いローブをまとっている老人はヴェネツィアのドージェ(元首)のモチェニゴ、(青い服を着ているのは誰だ)、そのひざまずく二人のそばに立つのはピウス5世 (ローマ教皇)。剣を持つのはフェリペ2世の庶弟の総司令官ドン・フアン・デ・アウストリア。
オスマン帝国に大勝利した教皇・スペイン・ヴェネツィアの連合海軍が描かれている。ドン・ファンはこの作品が制作が始められた1758年に死去。
左が写真に写る「聖イルデフォンソ」(219×105)、右は「聖ペトロ」(209×106)
1610-13 エル・エスコリアル修道院
過去記事で使用している「聖イルデフォンソ」は椅子に座る作品と、このサンタ・クルス、エル・エスコリアルの立つ姿勢の作品が多く描かれている。サンタ・クルス美術館寄託(サン・ニコラス教区聖堂)の「聖イルデフォンソ」、「聖ペトロ」のほうが早く制作されているが完成は同じ。
(C)WIKI エル・グレコの「聖イルデフォンソ」(1600年頃)として掲載されている。
プラド美術館所蔵とあるが、エル・エスコリアル修道院で掲載しているサイトもある。
WIKIにプラド美術館所蔵として「聖イルデフォンソ」(241 × 162.5 cm)の作品画像がエル・グレコとして掲載されていたが、工房作品かあるいは息子の作品かわからない。1600年頃のものだった。プラド美術館の所蔵リストにも、HPにも公開されていない。
エル・グレコ サン・ビセンテ聖堂オバーリェ礼拝堂の聖イルデフォンソ、聖ペトロ
1608-13 サンタ・クルス美術館寄託(サン・ニコラス教区聖堂)
エル・エスコリアル修道院の聖者の礼拝堂のための装飾画。書き直しを命じられたという「聖マウリティウスの殉教」だが・・。。
ルターの宗教改革で、ルターの友人である画家クラナッハは、ルターが天敵のブランデンブルクのアルブレヒト枢機卿の肖像画において、マルクト教会祭壇画の左翼ほか、ルターもアルブレヒト枢機卿も聖マウリティウスとして画きまくっている。
フェリペ2世はご存知のようにカール5世 (1550-1558)の子息。カール5世はルター擁護のザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒ (1503-1554)を捕囚。カール5世はヨハン・フリードリヒの兄フリードリヒ3世 (ザクセン選帝侯)に推薦されローマ皇帝となった経緯があり、フリードリヒ3世がルターを匿った折には特別な措置はとらなかった。
聖マウリティウスの殉教 1580-81 エル・エスコリアル修道院
司教領主であるマインツ大司教を勤めたアルブレヒト・フォン・ブランデンブルクだが、聖マウリティウス信仰のハルデクゼンも、マインツ大司教の領地である。そのハルデクゼンの聖マウリティウス教会にルター派が礼拝したのが1540年のこと。アルブレヒト枢機卿は退散。
しかもプロテスタントは聖マルティヌスの祝祭を、マルティン・ルターを祝う日とされている。ローマ・カトリック教会とプロテスタントの宗教的な問題なのか、単にフェリペ2世が難癖をつけただけなのか。
どうやら宗教的問題ではなく、「聖像に関する教令」に反しているらしい。さて、どこが?
エル・エスコリアル修道院には、エル・グレコの「聖マウリティウスの殉教」と同じ題材で、左右逆の構図をとる作品がある。それで別の画家が書き直したわけだが。
ロムロ・シンシナト 聖マウリティウスの殉教 1583 エル・エスコリアル修道院
エル・グレコの納まるべき「聖マウリティウスの殉教」は「ロムロ・シンシナトの「聖マウリティウスの殉教」が代替になった。それでこのエル・グレコの巨大な「聖マウリティウスの殉教」は、聖堂ではなく別の場所に掛けられている。
「聖像に関する教令」に触れるとされたのは、「聖衣剥奪」もそう。キリストの位置が群集より低かったことだが、WIKIによると聖マウリティウス、エジプトの在郷軍人会、ローマ軍の司令官、ローマ皇帝マクシミアヌスが描かれるそうだ。
ところが聖マウリティウスを含むテーバイの3人の指揮官と追随した兵士たちが皇帝に背いてキリスト教徒の抱迫害を拒否する者たちで、聖マウリティウス殉教の場面ではない。
聖マウリティウスの後方にフェリペ2世とアレッサンドロ・ファルネーゼ (パルマ公)
1557年のサン=カンタンの勝利を記念し、フェリペ2世は死者への追悼を含めてエル・エスコリアル修道院の建設した。
そこでエル・グレコはここにはスペインが勝利した戦いの英雄を重ねて描いているらしい。
フェリペ2世のほかにカルロス5世、ドン・ファン、アレッサンドロ・ファルネーゼ (パルマ公)、エマヌエーレ・フィリベルト (サヴォイア公)ではないかという人物が描かれている。つまりは殉教場面でもなく、エル・グレコの解釈版聖マウリティウスの殉教となっているからにして、礼拝の作品ではないということになったらしい。
だが、なにもグレコに限ったわけではない。エル・エスコリアルに関わったスペイン人以外の画家たちの何人かは、やはり同じ理由で塗りつぶされたりもされている。
エル・エスコリアル修道院 参事会会議場
エル・エスコリアル修道院の参事会会議場 2 2009
ティツィアーノの「オリーブ山の祈り」、「最後の晩餐」ほか、ベラスケスの「服を剥ぎ取られるヨゼフ」、ホセ・デ・リベーラの「キリストの埋葬」、ティントレットの「アハシュエロス王の前のエステル」などがある。
グレコの「聖マウリティウスの殉教」は、参事会会議場の写真1と2の出入り口に展示されている。
エル・エスコリアル修道院 参事会会議場 2
右は祭壇中央の絵画がなかった時 貸し出し中だったのか、他の場所だったのか?
エル・エスコリアル修道院 ティツィアーノのサイドの花輪の作品は右が「?」。
モレット・ダ・ブレーシャ(アレッサンドロ・ボンヴィチーノ)の預言者シビラとイザヤ
祭壇中央 ティツィアーノの「オリーブ山の祈り」 エル・エスコリアル修道院
ティツィアーノの「最後の晩餐」1558-64 エル・エスコリアル修道院
ティントレットの「アハシュエロス王の前のエステル」 1548 エル・エスコリアル修道院
ティントレットの「マグダラのマリアの改心」 1546-47 エル・エスコリアル修道院
(C) lessing photo 聖家族 作者不詳 エル・エスコリアル修道院
参事会会議場には作者不詳の作品もかけてあった。ティツィアーノ、ティントレット、ホセ・デ・リベーラ、モレットなんかの作品群の中で、イタリアのルネサンスっぽいカンジ。
ここを正面と見て、左側の壁にエル・グレコの「聖イルデフォンソ」、「聖痕をうける聖フランチェスコ」が2枚、そして「イエスの御名の礼拝」がかかる。
エル・グレコ 聖痕をうける聖フランチェスコ エル・エスコリアル修道院
エル・グレコの「聖フランチェスコ」は他の構図のものもあり、バージョンいっぱいだ。「聖痕をうける聖フランチェスコ」はエル・グレコの他にホセ・デ・リベーラのものがある。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano)の「聖ヒエロニムス」 エル・エスコリアル修道院
右側の壁には、ホセ・デ・リベーラ、ベラスケスが並ぶ。
ホセ・デ・リベーラの「キリストの埋葬」 エル・エスコリアル修道院
ベラスケス ヨセフの長衣(ヨセフのチュニック) エル・エスコリアル修道院
聖セバスティアンの殉教 ヴァン・ダイク エル・エスコリアル修道院
アンソニー・ヴァン・ダイクの「聖セバスティアンの殉教」は、1656年から1809年の間、参事会会議場にあった作品。
スペイン独立戦争(1808-1814)で、ナポレオンが侵攻した際にフランスに持っていったのだろうか。
1930年頃までリヨン(個人所蔵)にあり、2000年にロンドンのクリスティーズに出品されていたらしい。それを買い戻したのか、いままたエル・エスコリアル修道院の参事会会議場にある。
何度か訪れた方はわかると思うけど、展示室が変わっていることがある。この写真の左右端の作品は、古礼拝堂にある。
この写真の左側の作品は、聖具室に展示されていたが2009年には「絵画館」にあった。右端も2009年には「絵画館」にだった。左から二番目はファン・フェルナンデス・ナバレーテ(Juan Fernández Navarrete)の「使徒ヤコブの殉教」らしい。
エル・エスコリアル修道院 絵画展示室 Sala de Pintura
前の参事会会議場に比べて小さな室内。ボッシュの作品だとわかるのが4点で、そのうちこの3作品が並んで展示されていた。ここも参事会会議場のひとつだろうか。左からヒエロニムス・ボスの「十字架を担うキリスト」、「快楽の園」に似ている「乾草車(干草車)」(三連祭壇画)、「エデンの園」になる。
ヒエロニムス・ボス 「乾草車」(干草車) 1500-1502 エル・エスコリアル修道院
ヒエロニムス・ボス 「乾草車」の閉扉面「放蕩息子」 エル・エスコリアル修道院
ヒエロニムス・ボス 「乾草車」(干草車)
閉扉面の「放蕩息子」 1490 - 1500 プラド美術館
プラド美術館所蔵の「快楽の園」(三連祭壇画)と似ていて似いない。この三連祭壇画の「乾草車」(干草車)はプラド美術館とエル・エスコリアル修道院にある。その違いは「エデンの園」にサインがあるのがエル・エスコリアルで、中央パネル「乾草車」にサインがあるのがプラド美術館。
ヒエロニムス・ボス エデンの園 エル・エスコリアル修道院
ヒエロニムス・ボスのプラド美術館所蔵の「快楽の園」(三連祭壇画)を下絵にしたタペストリーも所蔵されている。
ヒエロニムス・ボス 荊冠のキリスト エル・エスコリアル修道院
エル・エスコリアル修道院 古礼拝堂
ハプスブルグ家の礼拝堂らしい。祭壇画には「聖ロレンツォの殉教」、壁側の右にもティツィアーノの「羊飼いの礼拝」、左が「キリスト降誕」だったか?
ティツィアーノ 聖ロレンツォの殉教 エル・エスコリアル修道院
エル・エスコリアル修道院 王族の霊廟
エル・エスコリアル修道院 回廊のフレスコ画
回廊とか15くらいあるなかで、フレスコ画がずっと続く。回廊以外にもクラウディオのフレスコ画(戦いの間)、聖堂や図書館などなどあちらこちらと描かれて、誰の作品かわからない。
ルカ・カンビアーソ (Luca Cambiasi) からペッレグリーノ ・ ティバルディ(Pellegrino Tibaldi.)に続くらしい。ルカ・ジョルダーノ(Luca Giordano)は福音書からモーゼ、ギデオン、ダビデなどを描いている。
この写真の壁のフレスコ画のあたりは、フアン ・ デ ・ ヘレラ(Juan de Herrera)だと思う。
プラド美術館にもあるフアン・デ・フアネスの「最後の晩餐」だ。別バージョンやレプリカとかコピーがプラドとエル・エスコリアルに多く存在している。
エル・エスコリアル修道院 聖具室
この聖具室にズラリとかかる作品群は昔は込み合うように掛けられていたらしく、かけてある作品も時々に変わるらしい。
ティツィアーノ キリストの磔刑 1555 エル・エスコリアル修道院
クラウディオ・コエーリョ 聖体の秘儀 1685−90 エル・エスコリアル修道院
聖具室の主祭壇 カルロス2世が描かれている。
エル・エスコリアル修道院 絵画館 Museo de Pintura
ティントレット 羊飼いの礼拝 エル・エスコリアル修道院
フェデリコ・ツッカリ 羊飼いの礼拝 エル・エスコリアル修道院
フェデリコ・ツッカリもフェリペ2世のお気に召さなかった一人で、エル・エスコリアル修道院の装飾は塗りつぶされたものが多い。
ヴェロネーゼ 受胎告知 1583 エル・エスコリアル修道院
受胎告知(部分) 画家 誰だっけ?
写真A 2009年頃の絵画館 正面 ロヒール・ファン・デル・ウェイデン 「磔刑」
手前がフェデリコ・ツッカリの「羊飼いの礼拝」、写っていないがヴェロネーゼの「受胎告知」
左奥から二番目がティントレットの「羊飼いの礼拝」 その隣が「聖ヒロムニエス」
写真の右端に展示されているロヒール・ファン・デル・ウェイデン「十字架降下」
エル・エスコリアル修道院
ロヒール・ファン・デル・ウェイデン 「磔刑」 エル・エスコリアル修道院
以前の展示
写真の出入り口中央にあるのがヴェロネーゼの「受胎告知」だが、写真Aでは、撮影されていないが左端にあった。右壁の中央にあるティツィアーノの「最後の晩餐」、ティントレットの「アハシュエロス王の前のエステル」は、 先に紹介した参事会会議場。
アロンソ・カーノ 「聖母子」 エル・エスコリアル修道院
作者不詳の「聖母子」、誰かの画家の名はあったけどもうわからないが「無原罪の御宿り」とか。
ホセ・デ・リベーラ エル・エスコリアル修道院
写真から微妙にタイトルと画家がわかりそうだが、わからなかった。
スルバラン 聖母の神殿奉献 エル・エスコリアル修道院
ティントレット マグダラのマリア(部分) エル・エスコリアル修道院
ヴェロネーゼ? 十字架降下(部分) エル・エスコリアル修道院
ルカ・ジョルダーノ マグダラのマリア、聖ヒロムニエス エル・エスコリアル修道院
ここには聖母子やマグダラのマリア、無原罪の御宿りなど「聖女」も多かった。ヴァン・ダイクの「聖母子」だったか「聖家族」とかがあった。
ルーベンス エマオの晩餐(部分) エル・エスコリアル修道院
これもルーベンス
メモをとっていたわけではなかったので、残念ながら画家と作品名がはっきりしないものが多い。祭壇画だったもののような作品や三連祭壇画もあった。
ミッシェル・コクシ― キリスト降誕
ミッシェル・コクシ― 受胎告知(部分)
ミッシェル・コクシ―(Michael Coxcie 1499-1592)の対画のような「キリスト降誕」と「受胎告知」、そして「ダビデとゴリアテ」が出入り口をはさんで左右に展示されていた。
ミッシェル・コクシ― 聖フィリップの殉教 エル・エスコリアル修道院
ミッシェル・コクシ― 聖母子と両親 エル・エスコリアル修道院
ミッシェル・コクシ―はヒエロニムス・ボスの「快楽の園」を模写してる。
(C) lessing photo フェデリコ・バロッチ(Federico Barocci)
フェデリコ・バロッチの「奇跡の漁リ」は、スルバランの「聖母の神殿奉献」とかと同じ展示室だったかも。
クエンティン・マサイス 両替商とその妻 エル・エスコリアル修道院
フェリペ2世の宮殿
ヨアヒム・パティニール キリストを運ぶ聖クリストファー 1520年頃 エル・エスコリアル修道院
ここにかかる3枚の作品はメモしてきたはずだが、ない。残念。記憶にもない。なんか有名な画家だったはずなんだけど。かろうじてヨアヒム・パティニールだけ覚えていた。
■謁見室
■王女イサベル・クララ・エウヘニアの居室
■マルコ・ピーノの「十字架磔刑」 エル・エスコリアル修道院
エル・エスコリアル修道院 図書館
ポッジ宮博物館の装飾も手がけたペッレグリーノ・ティバルディ(Pellegrino Tibaldi)によるフレスコ画。フェリペ2世の贖罪神父ホセ・デ・シグエンサ(Jose de Siguenza)は「聖ヒエロニムス修道会の歴史」(Historia de la Orden de San Jerónimo 1600-1605)で、このフレスコ画を批判しているらしいが、丸天井のフレスコ画は、シグエンサ神父の図像にそって描かれたともある。
ここの蔵書は、フェリペ2世自身が選択した可能性がある。贖罪神父ホセ・デ・シグエンサ(Jose de Siguenza)は、この図書館で整理・分類をし図書館の司書を兼任。
ここには賢王、天文王と呼ばれたアルフォンソ10世 (カスティーリャ王)編纂の「聖母マリアのためのカンティーガ集」(Cantigas de Santa María)がある。もしかすると、七部法典、世界史、スペイン史、アルフォンソ天文表も所蔵されているかもしれない。1671年の火災で焼失していなければ。
アントニオ・サントゥッチ(Antonio Santucci)の渾天儀
10世紀以来の伝統的なモサラベ様式の写本のほか、もともとサン・ミジャン(サン・ミシャン)のユソ修道院にあった「聖ミリャン修道院の注解」(Glosas Emilianenses)が、現在ここにある。
この写本は977年に聖アウグスティヌスのラテン語で書かれたものにカスティーリャ語で注釈が書かれていたものだ。現存するカスティーリャ語の文書で最古というわけで価値がある。
またスペインのキリスト教神秘主義者聖女テレサ・デ・ヘスス(Teresa de Jesús 1515-1582)の著作本もいくつかあるらしい。エル・エスコリアル修道院着工当時に生存していた人物。
エル・エスコリアル修道院 大聖堂
ペッレグリーノ・ティバルディ(Pellegrino Tibaldi)、フェデリコ・ツッカリ(Federico Zuccari)によるもの。
※ まだアップしていない画像があるので、ヒマみて書き足します。
★2012.10.24 各作品記事リンク先
XAI エル・グレコ オルガス伯爵の埋葬
■ エル・グレコ関連記事
エル・グレコとその工房 受胎告知
エル・グレコと工房 7枚の聖衣剥奪
エル・エスコリアル修道院 フェリペ2世の夢
サン・ホセ礼拝堂 エル・グレコ 4枚の祭壇画
オバーリェ礼拝堂 エル・グレコの無原罪の御宿
タベラ施療院 エル・グレコの祭壇画とコレクション
エル・グレコの十字架のキリストとピエタ
エル・グレコ 5枚の「神殿から商人を追い払うキリスト」
エル・グレコ 無原罪の御宿り(ティッセン=ボルネミッサ美術館、サンタ・クルス美術館)
サント・ドミンゴ・エル・アンティグオ聖堂 エル・グレコの祭壇と墓碑 ソネットを捧げたパラビシーノ
ベラスケスのマルガリータ王女がモナリザの絵を持っている。その地下鉄が停車しているプラットホームは、2003年の作品でルネサンス以前から登場する天使がなにやら物騒にも剣を振り回している。
衣装からしてマルガリータ王女だろう。そうするともう一枚それらしき作品がある。
衣装からして「青いドレスの王女マルガリータ」(1659)を思い出す。まー、8歳のマルガリータなんだけどね。こちらは38歳くらい見える。それとも母親のほうだろうか?
マイク・ウォーラルについてはMAKIさんが記事にしている。
記事 マイク・ウォーラル シンデレラ
そのほかの記事 XAI マイク・ウォーラル より
saiの記事 マイク・ウォーラル
楓の記事 マイク・ウォーラル ファンタジックな作品
兎穴さんの記事 マイク・ウォーラルとポール・デルヴォー