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前記事「マティアス・グリューネヴァルト イーゼンハイム祭壇画と十四聖人の祭壇画」で紹介した第一面の詳細記事である。

僕なりの解釈で解説ではないのでご承知おきを。

※よく「解答、解説」を探している方が多いですが、絵画というものは鑑賞する側によって解答は違っても良いと思っていますので、あくまでも「絵の中」から自分が「?」と思うところに自分なりの解読と解釈をして、専門書やメディアからの情報ではないので引用はお控えください。


マティアス・グリューネヴァルト イーゼンハイム祭壇画 第1面(平日面) 1511−1515




illum oportet crescere me autem minui (ヨハネ3-30)
あの方は盛んになり、私は衰えなければならない。


illum oportet crescere me autem minui (ヨハネ3-30)
あの方は盛んになり、私は衰えなければならない。

マタイの福音書3-4にバプテスマのヨハネの記述がある「このヨハネは、ラクダの毛衣を着物にし、腰に皮の帯をしめ、いなごと野密とを食物としていた。」

描かれているバプテスマのヨハネはどの福音書でも最初に登場する。聖母マリアの親戚エリザベツの息子ヨハネ。イエスより先に殉教していたバプテスマのヨハネが、キリスト磔刑に大きく描かれている。
マルコによる福音書
1-2.預言者イザヤの書に、「見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの道を整えさせるであろう。」

1-3.荒野で呼ばわる者の声がする。「主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ」と書いてあるように、

1-4.バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えていた。

バプテスマのヨハネの登場で、イーゼンハイム祭壇画は「キリストの洗礼」と「キリストの復活」も示しているといえる。

よく解説などで、ユイスマンに倣うように「キリストの苦しむ姿が疫病に苦しむ人々、臨終をむかえる人々への恐怖を払うために描かれた。」と書いてあるのを見かけるが、たしかにそうだろうが、グリューネヴァルトは、バプテスマのヨハネのキリストの洗礼からはじまる告白のほかにもっと何かが隠されていると解釈した。

まずはバプテスマのヨハネの斬首のはじまり。

ヘロデは、イエスの噂を聞く。
マタイ14-2 「あれはバプテスマのヨハネだ。死人の中からよみがえったのだ。それで、あのような力が彼のうちに働いているのだ」

バプテスマのヨハネ(洗礼者ヨハネ)の「洗礼」は、悔い改めた者を「新たに復活した生きる者」とする。イエスは贖罪の犠牲で十字架に死に、キリストとして生きる。

十字架磔刑のときには殉教していたバプテスマのヨハネが、ここで復活し、「あの方は盛んになり、私は衰えなければならない。」とイエスを指している。

そしてバプテスマのヨハネの洗礼を受けたイエスの死後、キリストとしての復活を予言させている。これが「キリスト復活」の一つ目の解釈。



Ecce Agnus Dei, ecce qui tollit peccata mundi (ヨハネ1-29)
見よ、世の罪を取り除く神の小羊

キリストの血が流れ腐乱した足元には、キリスト教の図像学に基づいた贖罪の生贄を象徴する「神の子羊」がイエスを示し、ヨハネによる福音書1-29にあるとおり、イエスの洗礼を象徴している。

Ecce Agnus Dei, ecce qui tollit peccata mundi
見よ、世の罪を取り除く神の小羊

聖体と聖杯を会衆に示す聖餐式だ。十字と聖杯の図像学のとおり、子羊は聖杯に血を注いでいる。

バプテスマのヨハネ(洗礼者ヨハネ)は、イエスより先に首を斬られている。つまり十字架の磔刑以前の殉教者であり、その殉教者を描いているところは「キリストの洗礼」の場面ということになる。

"Questi era colui di cui dissi: "Colui che viene dopo di me ebbe la precedenza davanti a me, perché era prima di me"" (ヨハネ1-15)

「わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先におられたからであるとわたしが言ったのは、この人のことである」。

さらにテクストが書き込まれている「あの方は盛んになり、私は衰えなければならない。」というのは、イエスが洗礼をヨハネから受けるまでは、バプテスマのヨハネが、マルコによる福音書の第1章にあるようにバプテスマ(洗礼)を伝えていた。

バプテスマのヨハネが予言した「後に来る方」というのがイエスであり、ヨハネは洗礼をし、ヨハネの弟子たちに「あの方は盛んになり、私は衰えなければならない。」と諭したわけだ。

人々をキリストに導くためのイエスの先駆者(前駆授洗者)である。

洗礼者ヨハネは、イエスの洗礼のあとヘロデ・アンティパスに投獄され、斬首される。マタイ福音書第14章にあたる。

マタイ14-8
すると彼女は母にそそのかされて、「バプテスマのヨハネの首を盆に載せて、ここに持ってきていただきとうございます」と言った。

彼女とはヘロディアの娘だ。オスカー・ワイルドの「サロメ」のことだ。



すべてが終った ヨハネ19-30
わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。 マタイ27-46


もともと「さかしま」の著者ユイスマンが、施術を受ける者たちにキリストの腐乱した肉の苦しみの果てを具現化することで、施術の痛みと死の恐怖を払う役目を担っているというようなことを書いていた。

つまりイーゼンハイムの祭壇画は「炎のような舌」をもって、修道院の付属療養院の施術を疫病の人々が受け入れるよう「腐乱した肉の苦しみ」を切断させるために、一人一人に降臨させたということだろう。

だが、バプテスマのヨハネが左側の3人に対して一人大きく描かれているのは、他の役目を担っているのではないか。「キリストの洗礼」からの告白に、見逃せない箇所がいくつかある。

jam enim securis ad radicem arborum posita est omnis ergo arbor quæ non facit fructum bonum exciditur et in ignem mittitur
マタイ 3-10.斧がすでに木の根もとに置かれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ。

ego quidem vos baptizo in aqua in pænitentiam qui autem post me venturus est fortior me est cujus non sum dignus calciamenta portare ipse vos baptizabit in Spiritu Sancto et igni
マタイ 3-11.わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。

cujus ventilabrum in manu sua et permundabit aream suam et congregabit triticum suum in horreum paleas autem conburet igni inextinguibili
マタイ 3-12.また、箕を手に持って、打ち場の麦をふるい分け、麦は倉に納め、からは消えない火で焼き捨てるであろう」。

二つの裁きをバプテスマのヨハネが断言している。一つ目は「良い実を結ばない木は斧で切断される」だ。つまりここからの引用で、イーゼンハイム祭壇画が聖アントニウス会修道院付属施療院でライ麦の病害「聖アントニウスの火」によって、手足を切断する斧を示すことができたのではないか。

二つ目の「打ち場の麦をふるい分け、麦は倉に納め、からは消えない火で焼き捨てる」からの引用も、「聖アントニウスの火」(麦角中毒)で手足を切断された、あるいは切断しなければならない人々を示すことができたのではないか。1本の麦と殻を一人の人間にたとえて、殻(手足)を取ると。

マタイの引用も「キリストの復活」を妨げない。だが、もしかするとマタイの福音書へ誘導するためだったんだろうか。それとも麦角中毒者には混乱させる告白だったのか。

illum oportet crescere me autem minui (ヨハネ3-30)
あの方は盛んになり、私は衰えなければならない。

autem post me venturus est fortior me (マタイ3-11)
わたしのあとから来る人はわたしよりも力のある方で

このバプテスマのヨハネの告白はマタイの福音書3-11の「わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで」に相応する。だがヨハネの福音書にはこのふたつの裁きはない。

僕の解釈で「キリストの洗礼」、「キリストの復活」が暗示されていると同時に、二つ目の解釈としてマタイの第三章がここに密かに埋まっていると考えたわけです。






マティアス・グリューネヴァルト キリスト磔刑
ユイスマンが「盗賊のようなキリスト」と評論したイーゼンハイムのキリスト
ユイスマンが「卑俗な(貧者の)キリスト」と評論した旧カールスルーエのキリスト


マティアス・グリューネヴァルトの祭壇画の「キリストの磔刑」については「彼方」、「三つの教会と三人のプリミティフ派画家」で評論している。

1888年、タウバービショフスハイムの祭壇画(旧カールスルーエ祭壇画と呼ばれていた)の「キリスト磔刑」をはじめてみた。マティアス・グリューネヴァルトの晩年の作品である。

ユイスマンは「カールスルーエのキリスト磔刑よりは恐ろしくない」と語っているのが、イーゼンハイム祭壇画 第1面の「キリスト磔刑」だ。

1903年にユイスマンは「イーゼンハイム祭壇画」を見る。

「コルマールの人として神なるものは、いまや絞首台にかけられた一介のあわれな盗賊に過ぎない。」と評している。


ジョリ=カルル・ユイスマンが唯一絶賛したのがこの弓状に描かれた白衣のマリア。

記事 グリューネヴァルトの聖女たち

ユイスマンはグリューネヴァルトのイーゼンハイム(コルマール)のキリスト、タウバービショフスハイム(カールスルーエ)のキリストを穢らわしいものとして蔑む評論で、「盗賊のようなキリスト」、「卑俗な(貧者の)キリスト」と扱ったが、信仰がなかったわけではない。

貧富の差別で穢らわしいものとして蔑む心のありようを「罪」としている洗礼者ヨハネだが、ユイスマンはグリューネヴァルトの洗礼者ヨハネを野武士の一人としている。

そのあわれな盗賊のキリスト、野武士の洗礼者ヨハネ、そして聖なる美と絶賛した聖母を抱きかかえるのはユイスマンが落伍者の烙印を押した聖ヨハネ。

そしてマグダラのマリアはベールに半分顔を隠し、その顔は涙で腫れあがっているようだ。

福音書によっては、磔刑のキリストを見守る人々は様々だが、マルコによる福音書の第15章40節には「マグダラのマリヤ、小ヤコブとヨセフとの母マリヤ、またサロメがいた」とある。ルカによる福音書第23章にはサロメの義父ヘロデが磔刑の日に立ち会っている。とすればサロメがいてもおかしくはない。


ユイスマンは芝居がかったものを嫌悪している気がしてならない。大げさなポーズ、大げさな苦しみの表現である。

だが、マティアス・グリューネヴァルトは本来の人間が磔刑で死する場面をリアルに描いていると思う。腫れあがった手足、緑色の皮膚、鞭打ちの傷に災いの棘(茨の棘だろうか?どの福音書にも茨の鞭とは書いていない)、腐乱していく肉体。

この苦しみを太い釘で手足を打ち付けられて、どんな顔ができるものか。

十字架上でイエスは聖母に声をかける。

ヨハネ19-26
.イエスは、その母と愛弟子とがそばに立っているのをごらんになって、母に言われた、「婦人よ、ごらんなさい。これはあなたの子です」。

死の最中に聖ヨハネに聖母を託すイエス。死後は聖ヨハネが聖母を引き取った。

こうしたキリストをグリューネヴァルトは人として描いている。ユイスマンが酷評する度に、ユイスマンがどれだけこのキリストに魅せられているかも理解できる。





「キリスト哀悼」


ここには斬首されたバプテスマのヨハネの亡霊はもういない。キリストの遺骸と生きている3人だけ。疲労と苦しみに悶えたマグダラのマリアには美しさが消えている。聖母の聖なる美しさは着え、苦しさの余韻だけを残し、人としての母親の姿であり、聖ヨハネは傍役を演じ続けている。足元には茨の冠。




ヨハネ 第19章

ヨハネ19-25.さて、イエスの十字架のそばには、イエスの母と、母の姉妹と、クロパの妻マリヤと、マグダラのマリヤとが、たたずんでいた。

26.イエスは、その母と愛弟子とがそばに立っているのをごらんになって、母に言われた、「婦人よ、ごらんなさい。これはあなたの子です」。

27.それからこの弟子に言われた、「ごらんなさい。これはあなたの母です」。そのとき以来、この弟子はイエスの母を自分の家に引きとった。

28.そののち、イエスは今や万事が終ったことを知って、「わたしは、かわく」と言われた。それは、聖書が全うされるためであった。

29.そこに、酢いぶどう酒がいっぱい入れてある器がおいてあったので、人々は、このぶどう酒を含ませた海綿をヒソプの茎に結びつけて、イエスの口もとにさし出した。

30.すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、「すべてが終った」と言われ、首をたれて息をひきとられた。

31.さてユダヤ人たちは、その日が準備の日であったので、安息日に死体を十字架の上に残しておくまいと、(特にその安息日は大事な日であったから)、ピラトに願って、足を折った上で、死体を取りおろすことにした。

32.そこで兵卒らがきて、イエスと一緒に十字架につけられた初めの者と、もうひとりの者との足を折った。

33.しかし、彼らがイエスのところにきた時、イエスはもう死んでおられたのを見て、その足を折ることはしなかった。

34.しかし、ひとりの兵卒がやりでそのわきを突きさすと、すぐ血と水とが流れ出た。

35.それを見た者があかしをした。そして、そのあかしは真実である。その人は、自分が真実を語っていることを知っている。それは、あなたがたも信ずるようになるためである。

36.これらのことが起ったのは、「その骨はくだかれないであろう」との聖書の言葉が、成就するためである。

37.また聖書のほかのところに、「彼らは自分が刺し通した者を見るであろう」とある。

38.そののち、ユダヤ人をはばかって、ひそかにイエスの弟子となったアリマタヤのヨセフという人が、イエスの死体を取りおろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトはそれを許したので、彼はイエスの死体を取りおろしに行った。

39.また、前に、夜、イエスのみもとに行ったニコデモも、没薬と沈香とをまぜたものを百斤ほど持ってきた。

40.彼らは、イエスの死体を取りおろし、ユダヤ人の埋葬の習慣にしたがって、香料を入れて亜麻布で巻いた。

41.イエスが十字架にかけられた所には、一つの園があり、そこにはまだだれも葬られたことのない新しい墓があった。

42.その日はユダヤ人の準備の日であったので、その墓が近くにあったため、イエスをそこに納めた。

マタイ第27章

マタイ27-35.彼らはイエスを十字架につけてから、くじを引いて、その着物を分け、

36.そこにすわってイエスの番をしていた。

37.そしてその頭の上の方に、「これはユダヤ人の王イエス」と書いた罪状書きをかかげた。

38.同時に、ふたりの強盗がイエスと一緒に、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけられた。

39.そこを通りかかった者たちは、頭を振りながら、イエスを罵って

40.言った、「神殿を打ちこわして三日のうちに建てる者よ。もし神の子なら、自分を救え。そして十字架からおりてこい」。

41.祭司長たちも同じように、律法学者、長老たちと一緒になって、嘲弄して言った、

42.「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。あれがイスラエルの王なのだ。いま十字架からおりてみよ。そうしたら信じよう。

43.彼は神にたよっているが、神のおぼしめしがあれば、今、救ってもらうがよい。自分は神の子だと言っていたのだから」。

44.一緒に十字架につけられた強盗どもまでも、同じようにイエスをののしった。

45.さて、昼の十二時から地上の全面が暗くなって、三時に及んだ。

46.そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。

47.すると、そこに立っていたある人々が、これを聞いて言った、「あれはエリヤを呼んでいるのだ」。

48.するとすぐ、彼らのうちのひとりが走り寄って、海綿を取り、それに酢いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした。

49.ほかの人々は言った、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」。

50.イエスはもう一度大声で叫んで、ついに息をひきとられた。

51.すると見よ、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。また地震があり、岩が裂け、

52.また墓が開け、眠っている多くの聖徒たちの死体が生き返った。

53.そしてイエスの復活ののち、墓から出てきて、聖なる都にはいり、多くの人に現れた。

54.百卒長、および彼と一緒にイエスの番をしていた人々は、地震や、いろいろのできごとを見て非常に恐れ、「まことに、この人は神の子であった」と言った。

55.また、そこには遠くの方から見ている女たちも多くいた。彼らはイエスに仕えて、ガリラヤから従ってきた人たちであった。

56.その中には、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、またゼベダイの子たちの母がいた。

57.夕方になってから、アリマタヤの金持で、ヨセフという名の人がきた。彼もまたイエスの弟子であった。

58.この人がピラトの所へ行って、イエスのからだの引取りかたを願った。そこで、ピラトはそれを渡すように命じた。

59.ヨセフは死体を受け取って、きれいな亜麻布に包み、

60.岩を掘って造った彼の新しい墓に納め、そして墓の入口に大きい石をころがしておいて、帰った。
61.マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓にむかってそこにすわっていた。

キリスト磔刑はマルコによる福音書では第15章、ルカは第23章だ。ルカでは「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます。」がイエスの最後の言葉。

| アート | 17:03 | trackbacks(0)

isenheim altarpiece by matthias grünewald


皆さん、ご存知のマティアス・グリューネヴァルトのイーゼンハイム祭壇画の第二面にある「受胎告知」です。

今日の昼、僕の友人のsaiからメールが来て、扁桃腺で休んでいるらしく何年か前の記事をアップしてなかったそうで、僕にクラナッハの受胎告知の作品画像をあげるから、マティアス・グリューネヴァルトの受胎告知の記事を書けという・・・。なんで・・・。

というとマティアス・グリューネヴァルトが、saiがアップしたかったクラナッハの変わり祭壇を設計しているから、自分はそんな記事をアップするヒマがないからだそうだ。

で、いま喫茶店で休憩をとりながら書いている。なので、それぞれの解釈はいずれゆっくりアップするので記事の最後へ更新。


この人は預言者イザヤ。イーゼンハイム祭壇画の第二面にことごとく出現。

イザヤ書 7.14
「それゆえ、わたしの主が御自ら あなたたちにしるしを与えられる。 見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み その名をインマヌエルと呼ぶ。」

イザヤ書 7.15
「その子が悪を捨て、善を選ぶことを知るころになって、凝乳と、蜂蜜とを食べる。」

自分の「イザヤ書」を手に、受胎告知の予言を開いている。


ということは、マリアが開いているのは「ルカ 1.38」?

マリアは言った。「私は主のはしためです。どうぞ、お言葉どおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。

マリアの受胎告知はルカ福音書の1章26節−38節にある。過去記事「ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス 受胎告知」に全文記載しています。


それで御使い(大天使ガブリエル)は、前後するが「「ルカ 1.37」にある「神にとって不可能なことは何一つない。」と言っているのだろうか。

それで
マリアは言った。「私は主のはしためです。どうぞ、お言葉どおりこの身になりますように。」

それでは全体像を簡単に。

Mathis Gothart Grünewald Isenheimer Altar Musée dUnterlinden

マティアス・グリューネヴァルト イーゼンハイム祭壇画 第1面(平日面) 1511−1515
中央「キリストの磔刑」、左翼「聖セバスティアヌス」、右翼「聖アントニウス」
プレデッラ(祭壇下部分)「キリストの死への哀悼」
ウンターリンデン美術館


中央パネルの内側翼が開くと・・・

Matthias Grunewald, The Annunciation; Madonna and Child with Angels; The Resurrection

マティアス・グリューネヴァルト イーゼンハイム祭壇画 第2面(日曜面)
中央「キリスト降誕」、左翼「受胎告知」、右翼「キリストの復活」
プレデッラ(祭壇下部分)「キリストの死への哀悼」
ウンターリンデン美術館


さらに開くと・・・

 

マティアス・グリューネヴァルト イーゼンハイム祭壇画 第3面(聖アントニウスの祭日面)
木像 ニコラス・フォン・ハーゲナウ
中央「三聖人」(中央:聖アントニウス、左:聖アウグスティヌス、右:聖ヒエロニ)
左翼「聖アントニウスの聖パウロ訪問」 右翼「聖アントニウスの誘惑」
プレデッラ(祭壇下部分)「キリストと十二使徒」
ウンターリンデン美術館


第1面以外の展示はこんなかんじで分断され・・・



(C)wiki


今年は英国メールからはジェーン・オースティン「高慢と偏見」出版200周年の記念切手が発売されたり、フランス郵政(la poste française)からは、2012年がこのマティアス・グリューネヴァルトの「イーゼンハイム祭壇画」作成から500年ということで記念切手のシートが売りだされた。

500th anniversary  Isenheim Altarpiece stamp


1枚は永久保存版に、もう1枚はカットした。

マティアス・グリューネヴァルトのイーゼンハイム祭壇画は、この記念切手のように、中央をパタンパタンと広げて3通りに変わる「変わり祭壇」だ。

冒頭で書いたとおりにあのクラナッハ、そのクラーナハ工房(クラナッハ工房)によるハレ(ハッレ)のマルクト教会主祭壇画(1529)は、マティアス・グリューネヴァルトの設計だという。

sai記事 クラナッハ(父)&工房 vs デューラー vs グリューネヴァルト ブランデンブルクのアルブレヒト枢機卿

このsaiの記事のタイトルにあるブランデンブルクのアルブレヒト枢機卿は、彼の記事にもあるが、マティアス・グリューネヴァルトも描いている。

聖エラスムスとしてのアルブレヒト・フォン・ブランデンブルクと聖マウリティウスの出会い 1520-24当時のマルティン・ルターの天敵アルブレヒト枢機卿。そして3人の画家もルター派だ。

アルブレヒト枢機卿の宮廷画家がマティアス・グリューネヴァルトで、ルター派に転じ、この作品「聖エラスムスとしてのアルブレヒト・フォン・ブランデンブルクと聖マウリティウスの出会い」を描いたあとに解雇になっている。よく考えると、枢機卿アルブレヒトのハレ聖遺物書(ハッレ聖遺物書)を描いた作品ではないか。

グリューネヴァルトは農民側についたとして追放されるが、400年後のパウル・ヒンデミットの交響曲「画家マティス」、オペラの「画家マティス」として「音と言葉」で語り継がれている。

マティアス・グリューネヴァルトは、マティス・ゴートハルト・ナイトハルトが本名。

画家マティスの第六場で、マティスがレギーナに「天使の奏楽」を語るところは、イーゼンハイム祭壇画の第二面「キリスト降誕」での天使の奏楽を想像させる。

ところでこのオペラで、パウル・ヒンデミットはナチスに弾圧を受け亡命。指揮者のヴィルヘルム・フルトヴェングラーも亡命したところは、「画家マティアス(マティス)」の追放と同じで、いつの世も同じことの繰り返し。だが16世紀のアルブレヒト枢機卿も、19世紀のヒトラーも敗退している。

YOU TUBE パウル・ヒンデミットの交響曲「画家マティス」
Paul Hindemith - Symphony Mathis der Maler (1934)

アシャッフェンブルクの聖ペトロ、アレクサンドル教会には、敗退したアルブレヒト枢機卿の美術品などが残されている。



まだ続く・・・。休憩時間が終わったので、



saiに催促された記事はここで終了。で、「十四聖人の祭壇画」を紹介する。

Schüler Albrecht Dürer

デューラー派によるリンデンハルト祭壇画の可能性


マティアス・グリューネヴァルトのオリジナルかどうか論争になって5年目。リンデンハルト祭壇画は祭壇の起源に関する理論まで引き起こしている。

一番にはデューラーの門下生だったハンス・フォン・クルムバッハらしい。

Fourteen Saints Altarpiece Mathis Gothart Grünewald 1503 Lindenhardt,protestant church or Schüler Albrecht Dürer

中央パネル 苦しみの人としてのキリスト  左右逆です。
十四聖人の祭壇画(リンデンハルト祭壇画) 1503年 マティアス・グリューネヴァルト




1503年だから、もしマティアス・グリューネヴァルトであれば現存して鑑賞できる作品では、一番はじめの作品になる。



リンデンハルト祭壇画 左翼・右翼を閉じた状態
マティアス・グリューネヴァルト 右;六聖人 左:八聖人 


なんだか中央のパネルがほんと情けないけど、「救世主」になる。右側には六聖人、左には八聖人を置いてみた。救世主を人間らしく描いている。けれどもう少し、どうにかならなかったのか。左右が主役に見える。

竜とアンティオキアのマルガリタ(聖マルガリタ)が迫力あるな。一番いいな。誰の作品だろう。



グリューネヴァルトの絵画は25点ほどって言われているらしいが、消失した作品を模写しているものもある。

Christoph Krafft (nach Grünewald), Magdalenenklage, 1648, Öl auf Leinwand, Künzelsau, Museum Würth

クリフストフ・クラフトによる「マティアス・グリューネヴァルトのマグダラのマリアの嘆き」
1648 ウルト美術館




マティアス・グリューネヴァルトのマグダラのマリアの嘆きがいつごろの作品だったのかはわからなかったが、横からの「キリストの磔刑」を描いている。顔が見えない。オリジナルはどうだったのだろうか。



紋章について 右 デューラー マクシミリアン1世


おもしろいのは右上の紋章のようなもの。マティアス・グリューネヴァルトは紋章を描いているけれど、左側のデューラーのようにわざわざ注釈のように画き込んでいない。

紋章で誰を描いているのかはっきりわかるのが、聖ペトロ&アレクサンドル教会 司教座聖堂(アシャッフェンブルクにある「キリストの哀悼」で、おなじ聖ペトロ&アレクサンドル教会には、「キリストの哀悼」に紋章とともに描かれた人物とマティアス・グリューネヴァルト自身を画きこんだ「シュトゥパッハの聖母子」(コピー)がある。

記事 グリューネヴァルトのシュトゥバッハの聖母子 聖母戴冠教会vs聖ペトロ&アレクサンドル教会

マティアス・グリューネヴァルトの祭壇画は他にもあるね。

ユイスマンがマティアス・グリューネヴァルトの イーゼンハイム祭壇画にある「キリストの磔刑」を言及しているが、カールスルーエのよりも恐ろしくはないとあった。

カールスルーエも、もともと「タウバービショフスハイムの祭壇画」(1523-25)で、マティアス・グリューネヴァルトの最後の祭壇画になる。

記事グリューネヴァルトのシュトゥバッハの聖母子 聖母戴冠教会vs聖ペトロ&アレクサンドル教会にも紹介されているけれど、そんなに恐ろしいものではない。クリフストフ・クラフトによる「マティアス・グリューネヴァルトのマグダラのマリアの嘆き」の十字架をつきぬけるキリストを打った釘の長さのほうが、僕には恐ろしい。

「タウバービショフスハイムの祭壇画」としてあるのは、「十字架を担うキリスト」と「キリストの磔刑」の二枚。「十字架を担うキリスト」は、エル・グレコのような苦悩が見えない様子ではない。恐ろしいほどキリストは人間なんだと思え、切なくなるような描き方だ。

クリフストフ・クラフトによる「マティアス・グリューネヴァルトのマグダラのマリアの嘆き」にある紋章から、ベネディクト派修道院、聖ブラージエンにあったのではないか。

1638年から1664年まで修道院長だったエンシスハイムからのフランツ1世シュルロッテ(?)を示しているようだ。エンシスハイムにも聖マルティン市教区教会があるが、タウバービショフスハイムの磔刑図はタウバービショフスハイムの聖マルティン市教区教会にあったので、依頼したと思えるフランツ1世シュルロッテ(?)は、なんらかの縁でマティアス・グリューネヴァルトの名と作品を知っていたのだろうか?

もし、タウバービショフスハイムの聖マルティン市教区教会にあった祭壇画を知っていたのなら、このマティアス・グリューネヴァルトのマグダラのマリアの嘆きは、祭壇画の一部だったのかな。



(C)http://blog.oricon.co.jp/renaissance/さてマティアス・グリューネヴァルトの祭壇画は、デューラーとの共同制作による「ヘラ−祭壇画」がある。右のグリザイユの四つのパネルがグリューネヴァルト。中央パネル(デューラーの肖像入り)、右翼、左翼はデューラーだが、焼失している。ヨープスト・ハリッヒの模写になる。
 ↓
記事 クラナッハ(父)&工房 vs デューラー vs グリューネヴァルト ブランデンブルクのアルブレヒト枢機卿



マティアス・グリューネヴァルト イーゼンハイム祭壇画 第1面(平日面) 1511−1515




illum oportet crescere me autem minui (ヨハネ3-30)
あの方は盛んになり、私は衰えなければならない。


なぜ、マタイ第13章の10から12節におけるテクストではなかったのだろう?

13-11 わたしのあとから来る人はわたしよりも力のある方
13-12 麦をふるい分け、麦は倉に納め、からは消えない火で焼き捨てる

詳細は記事「マティアス・グリューネヴァルト  バプテスマのヨハネ(洗礼者ヨハネ)とユイスマンの告白」から



Ecce Agnus Dei, ecce qui tollit peccata mundi (ヨハネ1-29)
見よ、世の罪を取り除く神の小羊


イーゼンハイム祭壇画 第1面には「キリストの洗礼」、「キリストの復活」も描かれたと解釈した。施術を受ける者たちにキリストの腐乱した肉の苦しみの果てを具現化することで、施術の痛みと死の恐怖を払う役目だけのものなのか。

書き込まれたバプテスマのヨハネのテクストはマタイ第13章の10から12節に書き換えると、聖アントニウスの火」(麦角中毒)の手足を切断する斧と、麦と殻の手足を切断された、あるいは切断される人々になる。

詳細は記事「マティアス・グリューネヴァルト  バプテスマのヨハネ(洗礼者ヨハネ)とユイスマンの告白」から


マティアス・グリューネヴァルト イーゼンハイム祭壇画 第2面(日曜面) 1511−1515


あとになってすごく気になった。

Matthias Grünewald,(Mathis Gothart Neithart / Mathis Gothardt Neithardt)

シュトゥバッハの聖母子とイーゼンハイム祭壇画の聖母子


雪の聖母の祭壇の中央パネルとイーゼンハイム祭壇画の聖母子はよく似ている聖母の顔なんだけど、なぜか同じ第二面の受胎告知のマリアの顔と全く違う。



受胎告知に描かれている聖母マリア


ということは、シュトゥバッハの聖母子とイーゼンハイム祭壇画の聖母子は誰かの肖像なんだろうか?だが、第3面(聖アントニウスの祭日面)に見られる特定できる紋章がないような・・・

この第2面は楓がアップしているのでそこから見てください。
記事 「
グリューネヴァルトの聖女たち


マティアス・グリューネヴァルト 
イーゼンハイム祭壇画 第3面(聖アントニウスの祭日面) 1511−1515   解説ではなく解読中



もともとマティアス・グリューネヴァルトのイーゼンハイム祭壇画はイーゼンハイムの聖アントニウス会修道院付属施療院に置かれたものだそうだ。

グリューネヴァルトの時代にライ麦の病害「聖アントニウスの火」が大流行し、人々は死んでいったらしい。

Der Kampf zwischen Karneval und Fasten (1559) Brueghel Young

「聖アントニウスの火」で切断されたと思われる人
「謝肉祭と四旬節の喧嘩」1559年 美術史美術館
ピーテル・ブリューゲル


イーゼンハイムの修道院には「聖アントニウスの火」(麦角中毒)で腐った手足を切断手術を施す施術士がいたらしいが、そういえばピーテル・ブリューゲルの絵の中に、足が切断された人、義足をつけた人々が描かれていたから、この「聖アントニウスの火」は、グリューネヴァルトがペストで死んでからも続いていたのかと思うとゾッとする。

Matthias Grünewald,(Mathis Gothart Neithart / Mathis Gothardt Neithardt)

マティアス・グリューネヴァルト
「聖アントニウスの火」に冒された悪魔(僧侶)
あるいは梅毒に侵された僧侶


イーゼンハイムの第1面の左翼にペストの守護神で、聖セバスティアヌスと右翼に描かれた聖アントニウスは養生の守護神。

Wo warst du, guter Jesus, wo warst du? Warum bist du nicht dagewesen, um meine Wunden zu heilen?

マティアス・グリューネヴァルト


Ubi eras Ihesu bone ubi eras quare non affuisti ut sanares vulnera mea
(Wo warst du, guter Jesus, wo warst du? Warum bist du nicht dagewesen, um meine Wunden zu heilen?)

紙片に書かれているのは「主イエスよ、何処に?何処にいらした?なぜ私を癒しに来なかったのか。」(「聖アントニウス伝」より」

アレクサンドリアのアタナシオス(298-375)の「聖アントニウス伝」から紙片に描きこんだ。

作品の典拠はヤコブス・デ・ウォラギネ(1230頃 – 98)のレゲンダ・アウレア(黄金伝説)の第21章「聖アントニウス」によるものだ。



七つの大罪 エミール・シュペート説
左 強欲、左下 憤怒、中央 傲慢、罪(神からの離脱)、右上 怠惰


さらにマティアス・グリューネヴァルトの「アントニオスの誘惑」の魔獣たちを「七つの大罪」に例えられるという。ところが解釈が多くあって、それぞれ違うんだな、これが。



マティアス・グリューネヴァルト 聖アントニウスの誘惑
僕としては 七つの大罪 強欲




マティアス・グリューネヴァルト 聖アントニウスの誘惑
ヴィルヘルム・ニッセン説 七つの大罪 嫉妬




マティアス・グリューネヴァルト 聖アントニウスの誘惑
ヴィルヘルム・ニッセン説 七つの大罪 憤怒




マティアス・グリューネヴァルト 聖アントニウスの誘惑
僕としては 七つの大罪 憤怒




マティアス・グリューネヴァルト 聖アントニウスの誘惑
僕としては 七つの大罪 アスモデウス




マティアス・グリューネヴァルト 聖アントニウスの誘惑
僕としては 七つの大罪 暴食




マティアス・グリューネヴァルト 聖アントニウスの誘惑
七つの大罪 怠惰




マティアス・グリューネヴァルト 聖アントニウスの誘惑
僕としては 七つの大罪  グリフォン




マティアス・グリューネヴァルト 聖アントニウスの誘惑
僕としては 七つの大罪  サタンかと




マティアス・グリューネヴァルト 聖アントニウスの誘惑
僕としては 七つの大罪  ?


ロザリオを持つ聖アントニウスの近くに小さく描かれている。しかも見ている先は「聖アントニウスの火」に冒された悪魔lあるいは梅毒に侵された僧侶なんだよ。

Matthias Grünewald,(Mathis Gothart Neithart / Mathis Gothardt Neithardt)


つまりはここの解釈は、梅毒に侵された僧侶だとすると「好色」と「教会の腐敗」をあらわし、「聖アントニウスの火」に冒された悪魔(僧侶)ならば、どういうことを示すんだろうな。

この病に侵された男は僧侶の帽子を被っている。




Hans Baldung Griens    Die Sieben Todsünden (1511)

ハンス・バルドゥング・グリーンの「七つの大罪」(1511)





Guido Guersi

マティアス・グリューネヴァルト  グイド・グェッラの肖像画 1514
聖アントニウスのグイド・グェッラの肖像 (イーゼンハイム祭壇画)


左翼の「聖アントニウスの聖パウロ訪問」での聖アントニウスはイーゼンハイムの聖アントニウス会修道院の修道院長のグイド・グェッラの肖像画だ。つまり依頼主になる。


クロウメモドキ、バーベナ(ビジョザクラ)、そしてグイド・グェッラの紋章。


ホワイト・カバー、ベロニカ・ブルーフォンテン、ナガミヒナゲシ、ゲンティアナ・クルキアタ、クロウメモドキ・・・らしい。


マティアス・グリューネヴァルトと聖パウロ。ちょっと似ている気がする。



二人に二斤のパンを運んでくるカラス




ベラスケス 聖アントニウスの聖パウロ訪問 1635


どちらもカラスが二人にパンを運んできたところを描いている。聖パウロはいつもは半分だが、ひとつ持ってきてくれたという場面。

グリューネヴァルトは棕櫚の葉を綴り合わせて造ったという服のとおりに聖パウロを描いている。そして聖アントニウスが司教アナタジオから預かったマントは、聖パウロの遺骸を包むことになる。

列王記伝17:6では、預言者エリヤのもとにワタリガラスがパンと肉を運ぶ。



Italo Bacigalupo
コメント:十四聖人の祭壇画(リンデンハルト祭壇画)はマティアス・グリューネヴァルトかハンス・フォン・クルムバッハか?

| 受胎告知 | 16:45 | trackbacks(1)

Rehearsal of the Pasdeloup Orchestra at the Cirque dHiver by John Singer Sargent , Museum of Fine Arts, Boston

冬のサーカスにてジュール・エティエンヌ ・パドルー オーケストラのリハーサル
1879-80 ジョン・シンガー・サージェント ボストン美術館


ジョン・シンガー・サージェントなんて全然興味なかった。興味なかったので、これが彼の作品だと知って驚いた。サロン画家で金持ち階級の肖像画でしか知らなかったしね。

記事 画家ジョン・シンガー・サージェントと写真家セシル・ビートン

ジュール・パドルー(ジュール・エティエンヌ ・パドルー)が魅了したのは、ほかでもないアンリ・ファンタン・ラトゥールであり、その他にはポール・セリュジエ、あのフレデリック·バジール、サージェントと同じアメリカ人では画家トマス・エイキンズ、詩人のヘンリー・ワーズワース・ロングフェローがいる。

John Singer Sargent: Rehearsal of the Pasdeloup Orches 1878  Art Institute of Chicagotra

冬のサーカスにてジュール・エティエンヌ ・パドルー オーケストラのリハーサル
1878 ジョン・シンガー・サージェント シカゴ美術館



そしてシカゴ美術館にもあるって知らなかった。

「冬のサーカス」は、パリ11区のレピュブリック広場にあるサーカス小屋で、1861年から1887年の間に行われた、11月の日曜の午後の演奏会。

ジュール・パドルー(ジュール・エティエンヌ ・パドルー)は、フランスの管弦楽団パドルー オーケストラ主宰者であり、1852年に若い音楽家のための芸術家学会を設立し、コンセール・ポピュレールとして1861年10月27日に「冬のサーカス」が初めて開催された。




Jules Pasdeloup by Illustrator: J.???

Jules Pasdeloup by Illustrator: J.???




「冬のサーカス」では、ベルリオーズが指揮をとったことがあるらしい。ベルリオーズのほかサン=サーンスワーグナーらから選曲。

一方ジュール・パドルーは、若手のシャルル・ラムルー、エドゥアール・コロンヌとの世代交代がはじまり、ジュール・パドルー率いるコンセール・ポピュレールは活動を停止した。のちにコンセール・パドルーとしてルネ=バトンによって復活。

コンセール・ポピュレール(現在のコンセール・パドルー)はパリ三大民間オーケストラとして、ラムルーのコンセール・ラムルー、コロンヌのコンセール・ラムルーと並ぶ。

Pasdeloup’s concert on  3 November 1861

1861年11月3日 パドルーのコンサート


高価なオペラ座に通う階級も、この安価な大衆のコンサートに出かけてくる。サーカスの円形状の舞台の真ん中にオーケストラがみえるが、その半分をぐっとフォーカスしたのが、サージェントの作品だ。

この「冬のサーカス」の建築は、ジャック・イニャス・イトルフによるもの。



ジャック・イニャス・イトルフの建築(1852年) シルク・ディヴェール(冬のサーカス)



 

Paris - Cirque dhiver

(C) fr.wiki




ジョン・シンガー・サージェントはパリに滞在中、きっと印象派などを鑑賞したと思える。だってジョン・シンガー・サージェントではない作品でしょう?

検索するとドガ、マネ、モネは鑑賞していたらしいが、この作品はドガの観客とオーケストラと舞台を連想させてくれる。ちなみに音楽はパドルーとリヒャルト・ワーグナー、ガブリエル・フォーレに情熱を捧げたらしい。

 

| MUSIC | 22:48 | trackbacks(0)
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